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復讐の価値  作者: 時田翔
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新たな一歩

「唯野くんだ、よろしく頼む」


 僕の隣に立っている、ダルマを思わせるような恰幅の良い体格の男がそう言って僕の肩を軽く叩いた。

 背丈が頭一つくらい低いせいか、手を伸ばすのが妙に大変そうなのが、ちょっと可笑しい。

 これから僕がお世話になる工場の社長さんだ。


 あの事故に会う前は、地方銀行の行員として働いていたのだが、連絡もせずに何日も休んでいたため、自主退職という形で事実上クビになった。

 挨拶に行った時に、事情を知っている上司と話をする機会に恵まれた。

 たまっていた有休を先に消化するなど色々と手を回してくれていたことを知って、素直にありがたかった。


 ずいぶん心配してくれて、力が及ばなかった事を謝っていたが、とんでもない。

 いくら事情があろうと、社則は社則、無断欠勤には相応の処罰が必要だ。

 むしろ後の再就職に響かないように懲戒免職扱いにしなかっただけでも感謝するべきだ。


 そんな訳で無職になってしまった僕は、職を探してあちこち出向いていた。

 高給には未練は無いが、さすがに食い扶持が無いのは困る。

 絶望していた頃は、このまま死んでも構わないくらいに思っていたが、今はもうちょっと前向きに生きられるようになった。

 あんな情けない姿のまま死んだら、あの世で響子に腹を抱えて笑われる。

 そんな気がしている。


 しかし、折からの不況でいくら銀行員のキャリアを持っていると言っても、世間は中途採用には非常に厳しかった。

 ほとほと困り果てていたところに、タイミング良く大学時代の友人から、小さな部品工場で経理のできる人間を探しているという紹介をもらえたのは、まったく運が良かったと思う。

 もしかしたら、困ってる僕を見かねて、天国から響子が手を貸してくれたのかもしれない。


「あなたって、いつになっても世話が焼けるのね」


 と、呆れ顔をしている響子の顔が頭に浮かんだ。


「唯野誠一郎です。色々よろしくご指導お願いします」


 僕は、姿勢を正して頭を下げる。


「うちは家族でやってる小っちぇえ工場だからな、そう固くならずに気楽にやってくれ」


 社長がフォローを入れる。

 今も作業着姿で、どっちかと言うと工場長といった感じだ。

 全体的に丸顔で口元に髭を蓄えており、笑うととても親しみやすそうな顔になる。


 僕の前には、二人の女性が立っていた。

 社長の奥さんと、その娘さんだ。

 二人とも、工場内の事務やその他雑用なんかを受け持っているらしい。


 奥さんの方は、多分、社長と同じくらいの歳だろう、ふくよかで優しげ、いかにもお母さんといった感じだ。

 娘さんの方は、背が小さく、長い髪を後ろで一つに束ねていて、良く動く大き目の瞳が小動物を連想させる。

 美人というより可愛いといった感じだな。

 今は高校に通いながら工場を手伝っているらしい。

 この器量なら、ここに跡継ぎを連れてくるのもそう難しくも無さそうだ。

 次代も安泰といったところか。


「こちらこそ、よろしくお願いしますね」

「うちの社員、第一号だね。これからよろしくね!」

 二人がにこやかに挨拶を返してくる。


 僕の仕事は、納品先との交渉、銀行相手の資金繰り調整なんかの、営業色の強いものだ。

 手先はあまり器用では無いので、ちょっと心配していたが、これならむしろ前の仕事が活かせるだろう。


「それじゃあ、今日はウチの商品に慣れてもらうために、倉庫整理でもやってもらうかな」

「お父さん、調子の良いこと言って、面倒な仕事を押し付ける気ね」

「ここでは社長って呼べって言ってるだろ」

「はーい」


 この年頃の娘さんにしては珍しく、父親と仲が良いんだな。

 アットホームな雰囲気に、僕は思わず表情を緩める。


「おっとすまんな、こっちだ、ついてきてくれ」


 工場の奥に入っていく社長に、僕は慌てて着いて行った。


 工場の中は、油にまみれ年季の入った機械が、そこかしこに据付けられている。

 雑然としてはいたが、不思議と散らかったイメージは無い。

 むしろ、いかにも職人といった、こだわりが感じられる。


「足元が危ないから、転ばないように気をつけてな」


 社長は転がっている箱や機械をひょいひょい避けながら歩いて行く。

 僕は何度か段差に突っかかりながらも、急いで社長の後を追う。


「さあここだ」


 社長が指し示す部屋を覗き込んだ僕は、一目で娘さんが言っていた意味がわかった。


 倉庫に使われているその部屋は、結構な大きさで、金属製の棚が整然と据付けられている。

 そして、その棚といわず床といわず、色んな細かい部品の入った箱が雑然と放り出されていた。

 これを片付けるとなると、とても今日中には終わりそうも無いな。

 でも、色々見ていけば、確かに勉強にはなりそうだ。


「とりあえず、どんな物があるのか見ながら、棚に並べて行けば良いですか?」

「やってくれるか、いやーありがたい。それじゃ頼んだよ」


 それだけ言い残して去ろうとした社長が、何かを思い出したように立ち止まった。


「そうだ、唯野くん、こっちの方はイケるくちか?」


 社長は人差し指と親指で何かをつまむような形にして、それを口元で、くいっとあおって見せる。

 酒は飲めるか? という意味らしい。


「はあ、あまり強くは無いですが、一応」


 僕の返事に、社長は相好を崩した。


「そうかそうか、それじゃあ今日は、ウチで飯を食っていけ、唯野くんの歓迎会代わりだ」

「いやそんな、申し訳ないですよ」

「若い者が遠慮なんかすんな。実はうちの家族はみんな酒がダメでな、俺が付き合わせたいだけなんだ」

「そうですか、それじゃありがたく」


 ここまで言ってくれるのに断るのも申し訳ない。

 僕は、社長の誘いをありがたく受けることにした。


 その夜、僕は社長一家の晩餐に呼ばれることになった。

 目の前で、ぐつぐつと鍋がおいしそうな音を立てている。

 スキヤキなんて、いつ以来だろう?

 響子が居なくなってからこっち、ロクな物を食べた記憶が無いせいか、やたらとおいしそうに見える。


「遠慮せずに、たくさん食べてくださいね」


 奥さんが、テーブルに皿を並べていく。


「まずは乾杯だ、唯野くんビールで良いか?」


 社長が、待ちきれないとばかりに、僕のコップにビールを注いだ。

 慌てて、その手のビンを受け取ると、社長に返杯する。


「それじゃあ、唯野くんの入社を祝って、乾杯するぞ!」


 社長が乾杯の音頭を取る。

 奥さんと娘さんは、烏龍茶か何かを入れたグラスを元気よく掲げた。


 久々の手料理は、涙が出るほどうまかった。

 他愛も無い会話と暖かな雰囲気、家族の良さを久しぶりに思い出した。

 帰っても誰も出迎えてくれる者も居ない、僕のマンションとは大違いだ。


「あなた、そろそろ唯野さんを解放してあげないと、終電の時間が」

「いいじゃないか、タクシー代くらい出してやれ。なんなら泊まっていっても良いぞ」

「それじゃ、唯野さんに失礼でしょ」


 すっかり酔いの回った赤ら顔の社長と奥さんが、そんな話をしている。

 え? もうそんな時間?

 慌てて見た壁時計の針は、ほどなく今日が終わるのを告げていた。


 楽しい時間というのは、あっという間に過ぎるな。

 さすがにタクシー代まで出してもらうのは気が引ける。

 それに、これ以上遅くなると、出社二日目からいきなり遅刻という恰好悪いことになりそうだ。


「申し訳ありません、居心地が良いもので、すっかり長居してしまいました」


 僕は手荷物を持って立ち上がる。

 ちょっと足元は覚束ないが、帰るのには問題なさそうだ。

 残念そうな社長の顔に、少々後ろ髪を引かれつつも、今日はお暇することにした。


 夜風が火照った顔に心地良い。

 まだまだ残暑のきつい時期ではあるが、夜になると風に秋の気配が混じって来る。

 気分が良くなって、鼻唄なんぞ歌いながら、駅に向かって夜道を歩く。

 時間には、まだ余裕があるはずだ。


 電柱の明かりだけが頼りの人気の無い道。

 僕の歩く靴音だけがやけに大きく響いて聞こえた。

 真っ直ぐ続く一本道、左右は木製の塀が延々と続いており、電信柱の上に灯った明かりが、規則正しく並んでいる。


 一つ、二つ、三つ……道の脇に並んだ明かりは、はるか向こう側まで真っ直ぐ続いている。

 はて? 来る時はこんなに長い真っ直ぐな道なんてあっただろうか?

 まあ昼と夜では同じ道でも感覚が違うもんだって言うし、真っ直ぐな道で迷うことも無いだろう。

 そんな気楽な事を考えていた、その時である。


 今まで動くものすら無かった道の端で、何か人影が見えたような気がした。

 いくら夜だといっても、まだ終電に間に合う時間だ、人が歩いてるなどというのは、別に珍しい事ではない。

 普通の通行人であれば特に気にする事も無いが、その人影は異様な恰好をしていた。


 最初はドレスでも着ているのかと思ったが、そうでは無い。

 頭からすっぽりと布のような物を被っているのだ。


 そして、その姿は僕に抗いようのない記憶を呼び起こさせる。


 大ぶりのナイフの凶悪な光……狂騒する人々……身動きも取れず泣き叫ぶ男……。

 そして……辺り一面の血。


 考えるより早く、僕はそのローブの人物を追いかけて走り出していた。

 理由はわからない、だが僕はどうしてもその人物の正体を知らなければいけない、そんな気がした。


 まるで悪夢の中にでも居るような感覚と言えば良いのだろうか。

 走っても走っても、その人物に近づくことができない。

 相手は、こちらを向いて黙って立っているだけだというのにである。


 どれだけ走ったろう。

 息が切れて、心臓が爆発しそうになりながらも、ひたすらローブ姿を追いかけて走り続ける。

 電柱の明かりが何本通り過ぎたろう。

 ようやく追いついたそこは、異質な世界に変貌していた。


 あたり一面を、うっすらと霧のような物がたゆたい、その向こうは、ただ赤い。

 さっきまであった壁も街灯も消え失せ、ただ赤くてだだっぴろい空間が広がっていた。

 夕焼けのような色をしたそれは、ゆっくりと明滅を繰り返している。

 まるで心臓の鼓動かなにかのようだ。


「お前は……誰だ……」


 息が弾み、声が途切れる。

 僕の目の前に立っているローブ姿は、静かにそこに立っている。


「暴力に身を委ねるのは楽しかったか?」


 くぐもってはいたが、若い男の声だ。

 こいつ、あの時に居た誰かか? いやそうだとしても僕の正体をどうやって掴んだんだ?


「お前は誰だ! なんでそんな恰好をしている!」

「まあそういきり立つなって」


 ローブ姿の男は、一転して軽妙な調子で睨み付ける僕の視線を受け流す。

 何故かはわからないが、ローブから覗く目を見ていると理由も無くイライラしてくる。


「よう、こうして会うのは初めてだったか。とりあえず初めましてということにしとくか」


 男が嫌味たっぷりの気取った姿勢で一礼してみせる。

 その態度といい、声といい、全てが気に入らない!


「お前は誰だ! 正体を見せろ!」


 僕は三度目の言葉を叩きつける。

 これ以上はぐらかすようなら、飛び掛かってそのローブを剥ぎ取ってやろうかと本気で考えていた。


「おっとそうか、この恰好じゃわからねえな、悪りぃ悪りぃ」


 男はローブの額の部分を掴むと、ゆっくりとそれを脱ぎ捨てる。

 その姿を見た僕は、思わず目を疑った。


 酔って夢でも見てるんだろうか……。

 こんなバカなことが起きるはずがない。


 その男の姿は、それほど僕にとって意外なものだった。

 いや、この説明のしようも無いような異様な空間には、逆にふさわしいものなのか。


 石像のように固まった僕が、かろうじて理解できたのは、これが常識ではとても測れるような事では無いということだけだった。

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