けじめ
まるで水の中をたゆたっているような、どことも知れない場所。
オレが何も言わずに、僕のことをじっと見つめていた。
いつものにやにや笑いでは無い、ちょっと悲しそうな表情だ。
呆れ? 諦め? それとも憐憫? その表情からは真意は読み取れない。
「力に身を任せるのは楽しかったか?」
オレが僕に向かって問いかける。
「何を言ってるんだ、あれは僕じゃない、お前がやったんだろ?」
「いや、オレは何もしてないぜ、ただ見てただけさ」
自転車に乗った、あの男の目を見た瞬間……僕は正気を失った。
何故なのか、今ならわかる。
あの時の寺島圭司の目にそっくりだったんだ。
「ま、どっちがやったかなんて、もうどうでも良い話だな。こうなっちまった以上、なるようにしかならねぇしな」
「こうなるも何も、ここはどこなんだ? 僕は一体どうなったんだ?」
「目を覚ましてみれば、わかると思うぜ。これからどうするかはお前に任せる。じゃあな」
オレの姿がすうっと遠ざかる。
いや僕が浮き上がってるのか?
感覚が曖昧で良くわからない。
「待て! まだ話は終わってないぞ!」
叫んで手を伸ばした僕は、辺りの景色が一変しているのに気が付いた。
灰色と白の無機質な天井。
畳の敷かれた床に、僕は無造作に寝かされていたようだ。
ここは、どこだ?
妙にずきずきと痛む後頭部を押さえながら上体を起こして辺りを見る。
天井と同じく飾りっ気の全く無い壁、申し訳程度に衝立の付いたトイレ、そして一方向の壁全面に張られた鉄格子……。
「お、目が覚めたか?」
鉄格子の向こうに座っている、制服姿の男が仏頂面をこっちに向けた。
「あんだけの事やっときながら、呑気に寝やがって」
「あの……ここは一体どこです?」
「見てわかんないのか? 拘置所だよ」
やっぱりそうか。
僕は、がっくりと肩を落とした。
「後で取り調べがあるからな。洗いざらい喋ってもらうから覚悟しろよ」
そう言い残すと、男は報告のためか向こうへと歩いて行ってしまった。
とにかく落ち着け、冷静になるんだ。
一人になった僕は胸に手を当て、目を閉じて、高鳴る動悸を押さえようとした。
こうなってしまった以上、抵抗してもしょうがない。
それよりも僕の正当性を主張するんだ。
あの自転車の男、歩行者とぶつかったのにそのまま立ち去ろうとした、これはひき逃げになるはずだ。
当たり所が悪ければ、当てられたお爺さんは怪我だけで済まなかったかもしれない。
あのまま行かせて良いはずが無いじゃないか。
携帯電話で撮ってたやつらだってそうだ、あれを面白がって写メするなんて、良心が欠落してる。
そうだ、僕は悪くないぞ。
そして、取り調べが始まった。
現行犯で捕まったので、主な内容は動機などになる。
聞いた話だと、自転車に乗っていた男を含む何人か死者が出て、それ以外にも怪我人がかなり出たらしい。
僕は自分の正当性を訴えたが、聞き取る人間の誰も彼もが、僕の事を通り魔殺人犯としてしか見ようとしない。
僕の自信は徐々に打ち砕かれていった。
なんで誰もわかってくれないんだ!
鉄格子の中で悔し涙で歯を食いしばるのも何日が過ぎただろう。
そんなある日のことだった。
「迎えが来たぞ、出ろ!」
監視に来た担当官のセリフに、僕は耳を疑った。
迎え? 誰が?
僕を迎えに来るような人物など、申し訳ないが全く身に覚えが無い。
「早くしろ! お待たせするな!」
固まっている僕に、担当官がイライラした口調をぶつけてくる。
担当官の言い回しが、ちょっとひっかかったが、迎えに来たという人物を一目見た途端合点がいった。
「ミスター!」
「お久しぶりですね、唯野さん」
そうだ、僕には強い味方が居たんだった、彼らならきっと、この件も不問にしてくれるに違いない。
ミスターは、相変わらずにこやかな笑みを浮かべている。
「助けに来てくれたんだろ? 早く僕を自由にしてくれ」
「残念ながら、そういうわけにはいかないのです」
「なんでだ! 迎えに来てくれたんだろう?」
「はい。 ですが、唯野さんの考えているのとは意味が違います」
ミスターが無言で指示を出すと、後ろに控えていた黒服の男が両脇から僕の腕をがっちりと捕まえた。
「何をするんだ! 離せ!」
僕はここに来て、初めてミスターの浮かべた表情が以前と違うことに気が付いた。
相手を小馬鹿にする、そうオレがいつも見せていた蔑むような、そんな笑み。
「少し説明が必要なようですね。キミ、ちょっと時間をいただきますよ」
担当官はミスターに頷くと、二、三歩下がる。
「さて唯野さん、前回あなたをお助けしたのは理由があります。端的に言うと、当社の利益に合致しないからです」
どういうことだ? 全然意味がわからないぞ。
「ピンと来ないという顔をしてますね。我々は復讐の代行として遺族の方から謝礼をいただいております。また、見物に来られる方々も、より刺激的な物の方が人気があるのは当然です」
「まさか、お前ら……」
ミスターの言わんとしていることを察した僕は、全身から血の気が引いた。
「つまりです、殺人未遂の一件くらいで捕まっていただいては、儲けにならないと言っているのですよ」
目の前が真っ暗になった。
要は、遺族も観客もより多くなるように、大きな事件を起こすまで泳がされていたってことか!
しかも単に金のためだけに!
「だったら、寺島圭司の時はなぜ!」
「おや、ご存じ無い? 彼は他にも余罪が山ほどあったのですよ、夜間のスピード違反だけであんなにタイミング良く捕まると思いましたか?」
僕は、がっくりと項垂れた。
全てはプレシャススタッフと、この目の前に居るくそ野郎の手のひらの上だったのだ。
あのメールが届いた、その時から……。
「貴様らは……最低だ!」
「おや、我々の話に乗ってきたということは、多少なりとも感謝してたはずなのに、手のひら返しもはなはだしいですねえ」
腸が煮えくり返る、怒りでどうにかなってしまいそうだ。
「絶対に後悔させてやる!」
「これから遺族に殺されるあなたに何ができるのか、楽しみに待ってることにしましょう。あ、そうそう、あなたの末路は表向きには罪を悔いての獄中死ということになりますので、心配はご無用ですよ」
「ぐっ……」
「少々お喋りが過ぎましたな、連れて行け」
黒服に両脇を掴まれたまま、抵抗もできずに車に放り込まれる。
そこで手足を拘束され、さらに目隠しまでされた僕は、どことも知れない場所へと連れ去られた。
眠ったのか眠らされたのか、車の中で意識を失ったらしい僕は、頬に当たる床の冷たい感触で目を覚ました。
目隠しは既に取り外されている。
そこは今までいた拘置所よりもさらに殺風景な、それこそ灰一色では無いかと思うほど何もない部屋だった。
そして、僕は初めて来るはずのこの部屋に見覚えがあった。
そう、最初のメールに付いていた写真で、寺島圭司が転がされていた部屋だ。
今まさに、僕は奴と同じ扱いを受けているのだ。
となれば、これから写真を撮られ遺族の元にメールが届き、参加者を募ってショーが開かれるんだろう。
なんてことだ。
プレシャススタッフがやっているこれは、法律で雁字搦めにされて理不尽な思いをしている遺族の無念を晴らすものだと思っていた。
だからこそ、非合法ながら正義の代行者として共感もしたし、信用もした。
だが、奴らの真意は違った。
そんなものは唯の建前で、遺族の感情を利用して、いかに金を効率良く吸い上げるかしか考えていなかったんだ。
しかも、その目的の前には事件を未然に防ごうなどという概念は無い。
おそらく、僕が殺された後も、それによって人生を狂わされ、復讐される側に堕ちる者が出、その度に奴らの懐が潤っていくのだ。
吐き気がする。
こんなことが許されて良いわけがない。
あのメールを受け取った時、なぜこれに気付けなかったのか。
身が千切れるほどの悔いも、もはや全てが遅い。
窓ひとつ無く、明かりは天井からの電球のみ。
気が狂いそうなほど何もないこの部屋は、僕の気力を徐々に蝕んでいく。
いったい何日が過ぎたのだろうか、もはや時間の感覚は全く無い。
半ば生きる屍と化していた僕は、黒服二人がかりで抱えあげられている事にもしばらく気づかなかった。
いよいよ執行か……。
まるで他人事のように、そう思う。
観客たちが歓声を上げる地鳴りのような音が聞こえてきた。
なにか、ずいぶん昔のような気がする。
あの時とは立場が逆なのだ。
これから嬲り殺しにされるというのに、全く現実味が無い。
まるで夢の中を運ばれているようだった。
大扉が開かれ、刺すようなまぶしい光が差し込んできた。
ずっと薄暗い部屋に閉じ込められていたせいか、目の奥が痛む。
文句の一つも言ってやりたかったが、そんな暇も無く床に乱暴に放り投げられた。
身体をしたたかに打ち付け、痛みに思わずのけぞる。
以前と変わらない会場は、歓声と怒号の波につつまれていた。
僕が殺される様を見ようと詰めかけた満員の観客、おそらくミスターもどこかの特別席で高みの見物をしてるんだろう。
そして、会場の反対側ではフードを被って誰かわからなくなった遺族たちが、身をこわばらせて、こちらを凝視していた。
その手に凶悪に光るナイフや槍を持って。
「よせ! やめろ!」
歓声の渦に巻き込まれて届かないのはわかっていたが、思わずそんな言葉が僕の口をついて出た。
命乞いからでは無い、目の前に居る彼らを僕のようにしたくなかったのだ。
「やめろ! やめてくれ!」
フード姿の人々が、覚束ない手つきで武器を構えてこちらに近づいて来る。
もう僕にはどうすることもできない。
「奴らの手に乗るな! どうなるかわかってるのか!」
わけの分からない涙が頬を伝う。
こんな状況で理解されるわけが無い。
頭では分かっている、それでも何とかしたかった。
「頼む! 思いとどまるんだ! 僕みたいに……」
その先は言葉が出せなかった。
腹に、足に、焼けつくような痛みを感じて、僕は声も無くのけぞる。
フード姿の持った槍が僕を貫くのを見て、入口付近で固まっていた人たちも堰を切ったようにこちらに向かってくる。
もうだめだ!
僕がそう思った瞬間だった。
さっきフード姿たちが入ってきたその入口から、ばらばらっと十人以上の男たちが飛び出してきた。
目にも鮮やかな濃紺の制服。
彼らは何事か大声で叫びながら、素早くフード姿たちを押さえつけて、手に持った武器を奪っていく。
警察? そんなばかな?
見上げると、観客席の方にも警官が突入したのだろう、皆、席を立っててんでに逃げ惑っていて、こっちを見ている者など居ない。
手入れ……というやつだろうか?
なぜ今になって警察が動いたのだろう、既に買収済なのではなかったか?
刺された所は何故か痛みを感じないが、目がかすみ、思考がうまくまとまらない。
どうしてこんな事になってるのか、ぜひ聞きたいところだが、縛られてるせいで身体がうまく動かせないな。
しかも、声もうまく出せないようだ、参ったな。
それでもこれだけはわかった。
ミスターの思惑は外れたんだ。
そして、もう僕のように復讐の怒りに飲まれる人は出なくて済むんだ。
良かった……本当に良かった……。
安心と満足で緊張の糸が切れた僕は、そのまま意識を手放した。




