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復讐の価値  作者: 時田翔
2/21

契約

 次の日、僕はプレシャス・スタッフの本社ビルの前に立っていた。

 例のメールの真偽を確かめるためだ。

 結局、部屋を掃除するのに朝までかかってしまい、一睡もしていないが、高揚感によるものか全く眠くない。


 プレシャス・スタッフの本社ビルは、白を基調とした壁に、前面ガラス張りで、とても清潔感がある。

 ビル自体も、かなりの高さだ。

 正面には大きな自動ドアがあって、偏光ガラスでよく見えないが、その奥は受付ロビーになっていそうだな。


 ちょっと迷った後、思い切ってビルの中に入ってみる。

 いきなり部外者としてつまみ出されたらどうしようかと思っていたが、余計な心配だったらしい。

 中は大理石でできていて、オフィスビルというより、ちょっとしたホテルのようだ。


 少々気後れしながらも、受付カウンタへと歩いて行く。

 受付に座っている女性は、黒髪で理知的な美人だ。

 上品な座り方が会社の質の高さを良く物語っている。

「いらっしゃいませ、どのようなご用件でしょうか?」

「えっと、あの、これを……」

 緊張からか、うまく言葉が出てこない。

 僕が手渡した携帯電話の画面を見た受付嬢の表情が、わずかに動いた気がした。

 やっぱり何かのイタズラだったのだろうか、心の中に急に不安の雲が湧き出してくる。


「唯野誠一郎さまですね、ご本人確認ができる物はお持ちですか?」

 メールの内容を丹念に確認し、パソコンのキーボードを叩きながら、受付嬢がそう尋ねてきた。

 どうやら杞憂だったらしい。

 僕は、自動車免許証を取り出すと、それを見せる。

「確認いたしました。ただいま担当者が参りますので、少々お待ちください」

 まるで商談の面会にでも来たような普通の対応で、受付嬢がそう案内した。

「これ本当のことなんですか! 信じても良いんですか!」

「お客様、ロビーではお静かに願います。誰が聞いているとも限りませんので」

 思わずカウンターに乗り出すように声を上げてしまった僕を、受付嬢が制する。

 口調こそ丁寧だが、その言葉には有無を言わせぬ圧力があった。

 確かに、人材派遣会社らしく、ロビーには様々な服装の人たちが行き交っている。

 もし誰かが聞き耳を立てていたとしても、多分わからないだろうと思う。


 受付嬢に促され、待ち合いの椅子に座ったが、ほとんど待つことも無く担当者と名乗る男が足早にやってきた。

 ぱりっとしたグレーのスーツを着た、若い男だった。

 いわゆるエリートサラリーマンといった感じだ。

 既に連絡を受けているのか、真っ直ぐこちらに歩いてくる。僕は慌てて立ち上がった。

「ようこそいらっしゃいました。早速ですが、契約の説明をさせていただきますので、どうぞこちらへ」

 男が案内したのは、ロビーにある面会ブースではなく、小さな会議室のような部屋だった。

 あちらは、扉も無い、ついたてで仕切られただけのスペースなので、こういう話をする場合には不都合なのだそうだ。


 そこで僕は、参加の意思を確認されたあと、年齢、性別、住所といった当たり障りの無い書類を一枚書かされた。

 参加には証明書が必要で、当日持参しなければならないらしいが、これは指定された口座への振込みが確認された後に郵送されてくるらしい。

 まるで保険の加入か何かのような気軽さだ。


 参加に際して、守らなければならない事柄は二つ。

 復讐する相手には情けをかけず、確実に命を奪うこと。

 この契約および当日起こるいかなる事も決して口外しないことの二つだ。


 情けをかけるどころか、八つ裂きにしても飽き足らぬほどの相手だ、一つ目は問題ない。

 そして、こんな事を行っている会社だ、二つ目の方は破ったら自分の身に何か降りかかるかは想像に難くない。

 酔った勢いで、ついなどと言うことが無いよう、細心の注意を払う必要がありそうだ。


 最後に、どうしても疑問だったので、だめ元で何故こんなことをやっているのかと尋ねてみたが、これは当然ながら明確な答えは返ってこなかった。

 ただ、事業の一環ということだったので、参加費用に限らず、何か会社にとってのメリットのある行為なのだろう。


 こうして参加を決めた僕は、そのための要項の書かれた書類が入った封筒を大事に抱えて、家路へと着いた。



 二週間後。


 僕は再びプレシャス・スタッフの本社ビルへと来ていた。

 今回は地下駐車場だ。

 時間は既に真夜中を回っている。

 夜特有の、ひんやりとして、わずかに湿気を含んだ空気が辺りを包んでいた。


 業務時間をとうに過ぎているため、駐車場は、がらんとして殆ど車が居ない。

 薄暗い中に、規則的な感覚でぽつぽつと灯る白い明かりが、まるで死者を送るための送り火のようで、いっそう寒々しい。

 僕は、身震いを一つすると、コーヒーメーカーのロゴのついたジャンバーの前を合わせた。

 このジャンパーは、むかし懸賞で当たったもので、この時期には重宝している。


 もう何度目かは忘れたが、僕は手に持った参加証明書を確認した。

 指定口座にお金を振り込んで数日後に送られてきたそれは、ICチップが内蔵されたクレジットカードのような物で、簡単には偽造できないようになっている。

 しかもプレシャス・スタッフはファイナンス業もやっているわけだから、普通郵便で堂々と送っても全く怪しまれない。

 そのために参加証明書は、わざとこのサイズに作ってあるんだと思う。うまく考えたものだ。


 参加費用を捻出するために、結婚資金と思って貯めてきたお金を全て使ってしまった。

 もう僕には必要の無いものだし、これで響子の無念が晴らせるのならば、有意義な使い方だと思う。

 もしかしたら、響子はそんなことを望んでないかもしれない。とすると、晴らされるのは僕の無念なんだろうか、まあそんなことはどうでも良い。

 とにかく、あの日から目に焼きついて離れないあの男に、僕が自分の手で報いをくらわせてやれるのだ。

 その瞬間がもう間近に迫っていると思うと、もはや冷静では居られない。


 駐車場の明かりの向こうから、かつかつと足音が近づいて来た。

 むき出しのコンクリートの壁に反響してわかりにくいけど、多分、一人だ。


 やがて、わだかまる闇から生まれるように姿を現したのは、まるで喪服のように上から下まで真っ黒のスーツを着込んだ男だった。

「失礼ですが、唯野誠一郎さまでいらっしゃいますか」

 質問というより確認しただけだろう。男は落ち着いた口調で僕にそう尋ねた。

 190cmに届くんじゃないかと思うほどの長身で、スーツの着こなしが実にサマになっている。

 素顔を隠すために付けられた仮面は、オペラか、そうでなければマンガにでも出てきそうな目だけを覆うもので、そこから、ぬらりとした蛇を思わせる視線が覗いていた。

 口元には営業スマイルとでも言うべき微笑をたたえていたが、眼が全く笑っていない。


 油断のならない人物だ。

 僕は、そう直感した。


「はい、そうですが」

 僕は、あまり余計な事を言わないように、最低限の返事をする。

「大変お待たせいたしまして申し訳ありません。わたくし、会場への案内を申し付かっている者です」

 男は礼儀正しく一礼した。

「念のため、参加証明書を確認させていただいてもよろしいでしょうか?」

 僕は、手にしたカードを男に見せた。

「失礼いたします」

 男は懐から何か小さな機械を取り出すと、カードに近づける。

 バーコードリーダーの一種だろうか?

 機械の液晶部分の色が変わり、それを確認していた男が、満足げに一つ頷いた。

「はい、問題ございません。それでは、さっそく会場の方にご案内させていただきます」

 男は再び一礼すると、僕に付いて来るように促した。

 薄暗い無人の駐車場に、僕とその男の靴音だけが響く。


 しばらく歩いた先には「高圧危険」と大きな文字で書かれた扉があった。

 男はポケットから鍵を取り出すと、その赤や黄色でいかにも危険そうな扉を開けて中に足を踏み入れる。

 中は暗くて、ここからではよく見えないけど、小さな踊り場の向こう側に下りの階段が続いているようだ。


 まるで地の底まで続いていそうなその階段に、何となく気味の悪いものを感じて、僕は思わず足を止めた。

 男が不審げに僕のほうを振り返った。

「どういたしました?」

「あ、いえ、ちょっと足が竦んじゃって……」

 男が、ちょっと不思議そうな顔を浮かべる。

 そして、それはすぐに口元だけの営業スマイルに取って代わった。

「申し訳ありません、説明が遅れました。扉の警告は、無関係の者を巻き込まないための物です。ご心配には及びません」

 どうやら、高圧注意の張り紙の事だと思ったらしい。

 なるほど、確かにあんな張り紙があれば、余程の物好きでもなければ入ってみようなどとは思わない。

「もし迷ったりして入ってきた人なんかが居たら、どうなるんですか?」

 僕は、気になって何となく尋ねてみた。

「その方がどうなるかは、ご想像にお任せいたします」

 男は曖昧な表現をしたが、なにしろこんな事を事業の一環などと割り切るような会社だ、その意味するところは明らかだろう。

「老婆心ながら、過度な詮索も当方にとっては都合がよろしくありませんので、ご了承ください」

 男が、そう言葉を付け加える。

 この会社の守秘義務というのは、破る者に対しては、参加者であろうと容赦無しらしい。

 僕は冷たい手が背中を這い回るような感覚に襲われた。


「さあ、下で皆さまがお待ちです。どうぞこちらへ」

 皆さまということは、僕の他にも参加者が居るのか、それとも……。

 どちらにしても、ここで立ち止まっていても始まらない。

 僕は、腹を決め、扉をくぐった。


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