捕縛
「おや? 唯野さんじゃございやせんか」
暗がりから声をかけてきた小男。
姿勢の悪い歩き方、夜更けだというのに目深に被った帽子、そして独特の喋り方。
間違いない、あの胡散臭い雑誌記者だ。
「お前は……マッチとか言ったか、何でこんなところに居る?」
「覚えててくれやしたか、そいつは光栄でさぁ」
「いいから質問に答えろ」
「おおこわ、答えますから暴力は無しにしましょうや」
相変わらずの媚びるような笑みが、どうも受け付けない。
「雑誌記者のやることなんて、ひとつでさぁ、記事のネタを探してるんでやす」
「こんな夜中にか?」
「『スクープが欲しけりゃ影を歩け』、死んだ爺さんの格言でやす」
相変わらずミスターとは別な意味で食えない男だ。
「ところで……」
マッチの目に今までの遜るような態度とは違う光が灯る。
強いて例えると、獲物に食いつくハゲワシがハイエナのような目つきだ。
「唯野さん、いまこのビルから出てきやしたよね? 何の用だったんでやすか?」
ちっ、見られてたらしい、思わぬ不覚を取ったもんだ。
「見たとこ、明かりが付いている部屋も無いみたいでやすが、どこに居たんです?」
ミスターの部屋は反対側に窓があるらしく、ここからは明かりが見えない。
不審に思うのも無理からぬことだ。
「お前には関係無い話だ、余計な詮索はしないでくれ」
「そんなつれない事いわないで、ちょっとだけでも話してくれませんかねぇ」
「やけに食い下がるな、なんでそんなに知りたいんだ?」
「いや実はですね……」
マッチはこれ見よがしに声をひそめる。
「とある筋から、プレシャススタッフが何かやばい事をやってるらしいという噂を聞きやしてね」
「そうなのか?」
「へえ、それで何か手がかりが無いかと、ここで張ってたら、ちょうど唯野さんと出くわしたってわけでさぁ」
「そりゃご苦労なことだな」
スクープは足で稼ぐとは良く聞くが、刑事の真似事までやるとは、なかなかに大変なものらしい。
「あっしの勘では、唯野さんも関係者じゃないかと睨んでるんでやすが」
「残念ながらはずれだ、僕はそんなやばいショーに関わるなんて御免だね」
「そうですか、残念でやすね」
「そうだな、もう行って良いか? 今日はちょっと疲れた」
「仕方ないでやすね……ところで、ショーって何でやすか?」
「え?」
僕は思わず歩き出そうとした足を止めた。
「いま言ってたでやすよ、『そんなやばいショーに関わるなんて御免だ』って」
「それは……」
またやってしまった。
僕はどうもこの手の誘導に弱いらしい。
これ以上は誤魔化して逃げることはできそうもない……と、まてよ。
「マッチ、おまえ本当に何も知らないのか?」
「へえ、手がかりがあったら、当てもなく、こんなとこで何日も張り込んだりしやせん」
「……そりゃそうだな」
僕は考え込む。
これは、考えようによってはチャンスなんじゃないだろうか。
「お前に受け取って欲しい物があるんだ」
「それなら立ち話もなんでやすね、どこか休める所に行きやしょう」
「それは助かる」
「さ、こっちでさぁ」
さっきまでと違う僕の雰囲気を読み取ったらしい、この辺はさすがに記者だな。
僕はマッチの案内に従って、夜の闇へと姿を消した。
それからの日々はまさに地獄だった。
あの晩、ひとしきりの話の後、マッチと別れた僕は家に帰ることもできず路地裏に身を潜めていた。
ミスターは全く問題無いとは言っていたが、万が一もある、全面的に信用するなどできるはずがない。
さらに問題はオレの存在だ。
あの日以来、僕に話しかけることは無く沈黙し続けている。
これまでも幾度となく消滅させようと対決したが、結果は同じ事の繰り返しだった。
もしこの状態のまま身体の主導権を渡したら、オレは今度こそ昴ちゃんを殺すのではないか。
そう考えると、おちおち眠ることもできない。
疲労が僕の思考力を徐々に奪い取って行く。
何日経った? 一日? 二日? それとも、もっとか?
このままではラチが開かないとわかっていても、どうすることもできない。
当てもなく通りを歩く僕を、向こうから来た通行人が微妙な顔をしながら大きく避けていく。
よっぽどみすぼらしい恰好をしてるんだな。
思わず自虐的な笑みが浮かんだ。
……何故こうなった?
……僕はどうしたら良い?
……なにか方法は?
混濁した意識の中で、到底答えの出ない疑問が湧いては沈んでいく。
それでも、じっとしていると何かに飲まれてしまいそうで、目的もなくひたすら歩きまわっていた。
がしゃん!
なにかすぐそこで大きな音がして、僕は顔を上げた。
今は昼間なんだな、太陽がやけに眩しい。
通りのすぐ先で初老の男が倒れていた、前から来た自転車を避けきれなかったらしい。
自転車に乗っている方の若い男は、そちらを一瞥しただけで助け起こそうともしない。
携帯電話を片手に走り出そうとする、そいつの視線が、やけに癇にさわる。
まるでゴミをひっかけたような、面倒くさそうな視線……。
「何様のつもりだぁー!」
自転車が僕の横を通り過ぎようとした瞬間、僕の怒りが爆発した。
何か、こいつは許してはいけないような気がしたのだ。
自転車を思い切り蹴飛ばし、放り出された男に馬乗りになる。
呆気にとられている、そいつの顔面に拳を叩き込んだ。
「きさまの! きさまのような奴がいるから! きさまのような!」
狂ったように叫びながら、拳を振り下ろす。
其のたびに両手に痛みが走るが、知ったことか!
やがて、ぴくりとも動かなくなったそいつを置き去りにして立ち上がった僕は、辺りの様子に愕然とした
。
恐怖の表情を浮かべ遠巻きに見ている人たちの中に混ざって、携帯電話で写真を撮っているやつがいる。
しかも一人や二人じゃない。
目の前で暴力事件が起きたというのに、その顔には深刻さなど欠片も無い。
あるのはただ、物珍しい事態に出会った事を喜ぶゲスな顔。
証拠を撮られたという考えは浮かばなかった。
僕の心を支配していたのは、ただ一言……。
粛 清 せ ね ば ……
こんな奴らを野放しにしておけない。
駆 除 せ ね ば ……
昴ちゃんみたいな正直な人たちが理不尽な目に遭う。
消 去 せ ね ば ……
そうだ、こんな奴ら人間として扱う必要なんてあるもんか!
興奮からか、僕の視界が赤く染まっていく。
怒りの声を上げているのは、僕か、それともオレか。
今まで疲れ切って、歩くのがやっとだった僕の身体に信じられないほどの力が漲っている。
獣のように地を蹴った僕は、手近な一人の襟首を掴むと、そのまま力任せに地面に引き倒す。
避ける間もなく叩きつけられたそいつの頭から、ゆっくりと赤い物が広がっていった。
……次はどいつだ。
僕がゆっくりと振り向くと、辺りは恐怖の悲鳴に包まれた。
今までまるで他人事のように見ていた人たちは、パニックを起こしたように逃げ惑っている。
僕はその真っ只中に飛び込むと、手近な奴を殴りつけた。
くそっ、良くわからなくなってしまった、さっきのゲス野郎たちはどこだ。
このままじゃ逃げられる!
邪魔だ! どけ!
手当たり次第に蹴りつけ突き飛ばし踏みつける。
そこへ、誰が呼んだのか、けたたましいサイレンを鳴らしながらパトカーが突っ込んできた。
急ブレーキをかけ止まったパトカーの中から、制服姿の警官がばらばらと降りてくる。
しめた! あいつらを使えば、さっきの奴らを全員見つけられるぞ。
「止まれ! おとなしくしろ!」
「暴れるな! こいつ!」
しかし、あろうことか、警官たちは寄ってたかって僕に飛びついて来た。
屈強な警官四、五人がかりでは引きはがすこともできず、そのまま地面にねじ伏せられる。
何をトチ狂ってるんだ! 捕まえるのは僕じゃないぞ!
両手足をがっちりと押さえつけられ、身動き一つ取れない。
あんな奴らを守る必要なんて、どこにあるんだ!
離せ! 奴らに報いをくらわせてやるんだ!
「まだ抵抗するか! いい加減にしろ!」
その声を聞いた直後、後頭部に、がつっと鈍い音が響く。
意識を失う寸前、オレが呆れたような、諦めたような顔で僕を見ているような気がした。




