休息
日曜日。
僕は遊園地の入り口に立って、昴ちゃんが来るのを待っていた。
本来なら家まで昴ちゃんを迎えに行くべきだったんだけど、本人がどうしても待ち合わせが良いらしいので、こうなった。
理由は良くわからないけど、まだ約束の時間には大分早いし、のんびり待とうかと思う。
幸運なことに天気にも恵まれ、日差しがぽかぽかと暖かい。
もうすっかり春の装いだ。
両親に手を引かれた子供が、にこにこしながら僕の前を通り過ぎて行く。
ああいうのは、見るだけでも心があったかくなるな。
きっと、とても楽しい思い出の一つになるに違い無い。
「たーだのさん♪」
振り向いた僕は、思わず呆気に取られてしまった。
「待ちました?」
「あ……え? ああ……」
そこでようやく目の前の女の子が昴ちゃんであることに気が付いた。
いつものポニーテールを下ろし、薄く化粧をした彼女は、普段からは想像もつかないほど大人びて見える。
これほど印象が変わるものかと、僕は正直舌を巻いた。
「驚かせたくて、ちょっとイメチェンしてみたんですけど……似合いませんか?」
「いや、そんなこと無いよ、かわいいし」
「よかったぁ」
柄にもなく、心臓がドギマギする。
一体どうしてしまったのか、今日は目の前の少女に、やられっぱなしだ。
初デートの中学生じゃあるまいし、ちゃんと保護者としてしっかりしないと。
「さ、それじゃあ時間ももったいないし早速行こうか」
「そうですね」
僕らは連れだって遊園地の門をくぐった。
ちなみに入場料は、きっちり割り勘である。
本人曰く、
「男女同権を主張するなら、こういうところも同じにしないと」
だそうだ。
男としては恰好がつかないなと思いつつも、奢るのが当たり前みたいな風潮の中で、この考え方は素直に賞賛できると思う。
「さ~て、何から行こうかな。そういえば唯野さん、絶叫マシーンって得意ですか?」
「いやぁ、実は情けないことにあんまり……」
どうも落下する感覚が苦手なせいか、絶叫マシーンの類は肌に合わない。
そういえば昔、響子と遊びに来た時にジェットコースターに乗せられて、ベンチでダウンした事があったっけ。
あの時は情けなかったなぁ……。
「ああ良かった、実はあたしもなんですよ。もしそういうのが得意なんだったら唯野さん退屈させちゃうかなと思って」
昴ちゃんが、ほっとしたような表情を浮かべた。
「そういえば、ライブだったっけ? 何時から始まるの?」
「あ、それは午後からです。向こうの方に会場があるんですよ」
「じゃあまだ時間もあるし、適当に回ろうか」
「はいっ!」
そうして、僕らは午前中いっぱい遊びまわった。
色んな事を忘れて、こんなに楽しんだのは久しぶりだったかもしれない。
これは昴ちゃんに感謝だな。
そうこうしているうちに、お昼も丁度良い時間になり、フードコートで軽いお昼ご飯を取る。
「そういえば、ちょっと聞きたかったんだけど」
「はい? なんですか?」
「その恰好って、暑くないの?」
昴ちゃんが、ホットドッグを食べる手を止めて、きょとんとした表情になる。
この陽気だというのに、昴ちゃんがセーターを着ているのが、さっきから気になってしょうがなかったんだ。
「ああ、これですか?」
僕の視線でようやく合点が行ったのか、昴ちゃんが自分のセーターをちょいとつまんで見せる。
「うん、こんなに暖かいのにセーターって、何かあったのかなって思って」
「これはこの時期に着るものなんですよ? 春ニットって言うんです」
「あ、そうなんだ、ごめん良く知らなくて……」
「唯野さん、ファッションとかに疎そうですもんね」
思わず後ろ頭をかく僕を見て、昴ちゃんがくすくす笑っている。
バカにしてる感じがしないせいか、嫌な気分にならないのが不思議だ。
「そうかな?」
「そうですよ、いっつも同じジャンパー着てるじゃないですか」
「そういえばそうだね」
「よっぽど気に入ってるのかなぁって」
そういえば、懸賞で当たったせいか幸運が舞い込むような気がして、ずっと着てるなこれ。
今度、もうちょっとファッションとか見ておこうかな?
「あ、そういえば、そろそろ時間?」
「そうですね、早く行って、良い場所とらなきゃ」
僕らは慌ただしく食事を終えると、急いで会場へと向かったが、イベントステージの周りは既にかなりの人が集まっていた。
正直あんまり聞いたことの無い名前のバンドなんだけど、ずいぶん人気なんだな。
「びっくりしました? 結構人気でしょう?」
「ああ、正直おどろいた。TVでは全然見たこと無いのに、すごい人気なんだね」
「ライブとインディーズCDがメインのバンドなんですよ、なんでもTVメディアが嫌いなんですって」
なるほど、変わったバンドも居るもんだ。
まあでも、音楽に限らず日本の流行っていうのはマスコミが作ってる所があるから、反抗してみたくなる気持ちもわかる。
しかし、自分の食い扶持までこだわりを譲らないとは、相当な自信家なのか実力者なのか。
やがて、すごい歓声に迎えられてメンバーが出てくる。
男性ボーカルなんだな、ポスターには写真が無かったけど、あんまり奇抜なイメージは無いな。
ライブ中心というだけあってMCも軽妙で喋りなれてる感じだ。
最初の曲の演奏が始まって、僕はこのバンドが何故メディアが嫌いなのか、わかったような気がした。
いわゆる一昔前に流行ったロック調の音楽で、ヴィジュアル系よりもさらに前のスタイルだ。
物珍しさから中高生に密かな人気があるそうだが、僕くらいの世代だと逆に安心して聞ける、そんな曲調だった。
「ね? 良いですよね? かっこいいですよね!」
しきりに僕に同意を求めながらライブに熱狂する昴ちゃんが実に楽しそうだ。
見てるこっちまで楽しくなってくるな。
これだけでも来た甲斐がある、そんなことを考えながら、しばし懐かしい音楽に身をゆだねた。
ライブの盛り上がりも最高潮に達し、そろそろ最後の曲になろうとしていた時だ、僕は何か聞こえたような気がして、辺りをきょろきょろと見回した。
すると観客席から外れた場所で、一人で泣いている小さな男の子を見つけた。
「どうした? パパやママとはぐれたのかい?」
「おなまえは?」
「歳は言える?」
「…………」
観客をかき分けて子供のそばまで行ってはみたものの、何を聞いても泣くばかりで返事をしない。
どうしたものかと、ほとほと困り果てていると、僕が居なくなったのに気付いたのか、昴ちゃんがやってきた。
「どうしたんですか?」
「いや、どうも迷子らしいんだけど、何も話してくれないんだ」
昴ちゃんは、ステージに背を向けてしゃがみこんで、男の子と同じ目線になった。
「怖かったね、もう大丈夫よ」
昴ちゃんが間に入って音楽や歓声がちょっと小さくなったせいか、男の子が初めて目を開けて目の前の昴ちゃんを不思議そうな顔で見た。
「お、強いなあ、お名前言えるかな?」
にっこり笑った昴ちゃんに安心したのか、しゃくりあげながらも男の子は話し始めた。
どうやら着ぐるみか何かに気を取られている間に両親とはぐれてしまったらしい。
「迷子センターに連れて行くしか無いかな」
「そうですね、ご両親も探してるでしょうし、早く行きましょう」
「あ、僕が連れて行くから、昴ちゃんはライブ楽しんできなよ」
「こんな小さな子を放っておくなんてできないですよ、それにあたしも一緒の方が安心するみたいですし」
男の子は、しっかりと昴ちゃんの手を握りしめていた、ちょっとの間にずいぶん懐かれたもんだ。
結局二人で迷子センターに連れて行って、血相変えた両親が迎えにくるまで、そこで一緒に待つことになった。
「たのしかったですねっ」
「まあライブが最後まで聞けなかったのは残念だったけどね」
「でも、あの子の両親が無事見つかったんですから、あれでよかったんですよ」
すっかり日も傾いた夕暮れの帰り道、僕と昴ちゃんはそんな事を話しながら並んで歩いていた。
今日は昴ちゃんは終始上機嫌だったな。
最近なにか悩んでたみたいだし、僕も楽しかったし、言うことは無いな。
「そういえば、今日は随分おとなしかったじゃないか」
「てめーが昴ちゃんに、うつつを抜かして、オレの事をすっかり忘れてたからだろ」
『オレ』の不貞腐れたような声が返ってきた。
構われなかったのが、よほど気に入らなかったらしい。
「こんな小娘一人に浮かれやがって、全く気に入らねえ」
「なんだよ、この間はちゃんとエスコートしてやれとか言ってたくせに」
「それとこれとは話は別だ!」
「よくわかんないな」
どうも『オレ』の考えてることが良くわからない。
こっちの考えはほとんど筒抜けなのに、この辺は不公平極まりないなと思う。
「……ねえ、聞いてます?」
気が付くと、昴ちゃんが不思議そうな顔で、こっちを覗き込んでいる。
「え? ああ、ごめん、なんだっけ」
「やっぱり聞いてなかったんですね……あ、ごめんなさい、疲れちゃいました?」
「い、いや違うんだ、ちょっと考え事してて」
「そっか、よかった。引っ張り回しすぎちゃったのかと思っちゃった」
安堵したように、にっこり笑う昴ちゃん。
なんか見てると、僕の方も気分が軽くなるな。
「それで、どうかしたの?」
「あ、いえちょっと寄り道していきませんかって」
昴ちゃんの指さす方向には小さな児童公園があった。
あまり遅くなると社長が心配するなとも思ったが、けっきょく昴ちゃんの熱意に負けてしまう辺り、僕自身もまんざらでも無いのかもしれないな。
「はいどうぞ、紅茶で良い?」
「ありがとうございますっ、ええっと」
「おっとストップストップ、これくらいは奢らせてよ」
「そうですか? じゃあ遠慮なくいただきます」
缶の紅茶を片手に財布を取り出そうとした昴ちゃんを制して、ベンチに並んで座る。
もうすぐ日が暮れるな、目に映る物が全て赤と黒で塗り分けられている。
「でもよかった」
「ん? なにが?」
しばしの他愛ない話の後、昴ちゃんがそう呟いた。
「唯野さんが、思った通りの優しい人で」
「いやそう言われると照れるんだけど」
「だって、今日は私にずうっと気を使ってくれるし、迷子の時だって……」
「うん、どうもああいうのは放っておけなくて」
昴ちゃんは、手に持った缶の紅茶に視線を落としたまま言葉を続ける。
「でも唯野さん、時々何か考え込んでたり、すごく怖い顔してる時があるから……」
「そ、そうかな?」
「前に私を助けてくれた時も、かっこよかったけど、なんか凄く怖くて……」
僕は無言で昴ちゃんを見た。
否定するのは簡単だけど、どう言っても言い訳がましく聞こえるような気がして、何も言えなかった。
「もしかして、あの日の夜も何かあったんじゃないかって」
僕は心臓が大きく飛び跳ねるのを感じた。
昴ちゃんが言ってるのは、間違いなく紫スーツが工場に押し入ってきた、あの日の事だ。
「……見たの?」
「え?」
昴ちゃんが初めて顔を上げて僕を見た。
瞳には、驚きと、わずかな恐怖。
しまったと思った時はもう遅かった。
昴ちゃんは、あれは事故だったんだって僕の口から聞いて安心したかっただけだったんだろう。
しかし、思わず言ってしまった一言は、もう元には戻せない。
無言で見つめあう昴ちゃんと僕。
二人の間を、春にしては寒すぎる風が吹き抜けて行った。




