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復讐の価値  作者: 時田翔
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不審者

「なんだと、こらぁ!」

「あ? やんのか、てめぇ!」


 夜の裏路地で、場違いな騒音と男たちの罵声が響いた。

 『オレ』は、嬉々とした表情でチンピラたちを次々にのして行く。

 その光景を、まるで他人事のように眺めながら、僕は昴ちゃんの言葉を思い出していた。


 いま僕らがやっているのは、いわば街の掃除のようなものだ。

 一般の人たちには迷惑はかけていないし、これを続けていけば響子のような理不尽な不幸に遭う人は間違いなく減る。

 これは正義の行いのはずだ。

 しかし、真面目で優しいと言ってくれた、あの言葉が、なぜか僕の心に小さな棘のように引っかかっていた。


「誰だ! でてこい!」


 『オレ』の鋭い叫びに、僕は慌てて我に返った。

 既にチンピラたちは全員地面に這いつくばっていて、『オレ』は明かりの届かない暗がりを睨みつけていた。

 誰か居るのか?

 そう思った途端、まるで闇が動いたように、のっそりと人影が現れた。


 よれよれのコートを着た、背の低い男。

 帽子を目深に被っているため、表情はわからないが、そこそこ年齢がいっている感じだ、多分四十は過ぎているだろう。

 わざとやっているのか、ひどく姿勢の悪い男で、丸めた背中が猫を思わせる。


「……なんだ、てめぇ」


 『オレ』が男に向かって凄む。


「素直に出てきたんだ、手荒な真似は勘弁でさぁ」


 男は慌てて両手を振る。


「邪魔すんなら、ただじゃおかねぇぜ」

「いえいえ、邪魔なんてとんでもない。あっしはむしろ応援してるくらいでして」


 応援? 何を言ってるんだ、こいつは。

 薄気味悪い反面、非常に興味深い男だ。


「おっと自己紹介がまだですな、あっしはこういう者でさぁ」


 『オレ』が何か言いかける機先を制するように、男が懐から名刺を取り出した。

 意図的にやってるんだとすれば、なかなか油断ならないな。


「週刊バッカス編集部? おい、この近藤真彦ってふざけた名前は本名か?」

「へえ、マッチと呼んでやってくだせえ」

「てめえ、オレをなめてんのか?」

「その辺は、ご想像にお任せしやすよ」


 一昔前のアイドルと同じ名前なんて、できすぎにもほどがある。

 にやっと笑った男の口元から、ヤニだらけの黄色い歯が覗く。


「商売柄、ばれるとまずい事も色々ありやすから」


 やっぱり偽名か。

 それにしてもこの男、普段から相当やばいネタを追っているらしいな。

 さっきは帽子に隠れて見えなかったが、目に宿る光が尋常じゃない。

 まるで死臭にたかるカラスかハイエナのようだ。


「で、その雑誌記者とやらがオレに何の用だ」

「いえいえ、本当に用は無いんでさぁ。取材の途中でたまたま見かけただけでして」

「それで、わざわざ隠れてたのか?」

「ええ、噂の有名人ですからね、ぜひ一度見学せねばと思いやしてね」


 どうも食えないやつだな、それにしても有名人とは、どういうことだろう?


「有名人だぁ? ふざけんのもいい加減にしろよ!」

「まあまあ、落ち着いてくださいや」


 男は懐から、コートに負けないくらいよれよれのタバコを取り出すと、それに火をつける。


「うまいネタにはこういう輩が付き物なんでやす。あっしは争いごとが苦手でやすから、こいつらの目をかいくぐるのも一苦労なんでさあ」


 なるほど、僕らが、こいつらを掃除して歩いてるせいで、労せずしてネタにありつけると、そういうわけか。


「で、こういう奴らを逆に襲ってるってお人が居るって聞きやしてね、これはぜひとも一度お会いして、お礼の一つでもと思ったわけでさあ」

「殊勝なことだな」

「この世界、礼儀と仁義は大事でやすから」


 こいつ、どこまで本気なんだろう。

 それでも一つわかったのは、こいつが偶然居合わせたっていうのは嘘だな。

 ただのチンピラ同士のケンカじゃないって見ただけでわかるってことは、僕のことを相当知ってるってことだ。


「いけしゃーしゃーと嘘つきやがって! オレの事をどれだけ嗅ぎまわってた! 言え!」


 『オレ』が僕の考えを読み取ったのか、男の胸倉をつかまえて問い詰めた。


「あいたたた、いや本当に偶然なんでさあ、信じてくださいよ旦那」


 男は『オレ』につかまれたまま、もみ手をしながら愛想笑いを浮かべている。

 その顔が、なんとも嫌悪感を誘う。


「誰が旦那だ! もういい! さっさと消えろ!」

「それじゃあお言葉に甘えやして、これからもこの調子で頼みやすよ」

「うるせぇ! 言われなくてもわかってる!」


 男は咥えていたタバコを足元に落として消すと、通りの向こうに悠々と去って行った。


「……一体なんだったんだ?」


 『オレ』の漏らした一言は、はからずも僕の思いと寸分違わぬものだった。



 それから数日後。

 いつも通り外回りから戻った僕を、妙に機嫌の良い社長が出迎えた。


「やあおかえり、調子はどうだ?」

「思ったより順調です。徐々に話を聞いてくれる相手が増えてきました」

「そうか、そいつは良かった。色々大変だが、もうひと頑張り頼む」

「いえ、社長が頑張ってるのに、僕だけ楽をするわけにはいきませんよ」


 実際、社長はいま、不眠不休かと思うような勢いで仕事をこなしている。

 営業に製作にと、工場の信頼を取り戻そうと必死だ。

 それを目の当たりにしながら自分だけ休めるほど、僕は要領が良くは無い。


「きみは、本当に今時珍しいくらい真面目な男だな」


 なんとなく、胸がずきりと痛む。

 社長も、粗野で奔放な『オレ』の存在を知らないのだ。


「ところで社長、今日は機嫌が良いみたいですが、何か良いことでもあったんですか?」

「ん? ああ、まあな。それより唯野くん、今度の日曜日は暇か?」

「ええ、特に予定はありませんよ、休日出勤か何かですか?」


 街の見回りも気になるが、恩義のある社長の頼みだ、なるべく意向に沿うようにしたい。


「いや、デートのお誘いだよ」

「まさか! 社長とですか?」

「何を言ってるんだ、ワシはそんな趣味は無いぞ」


 そりゃそうだ、僕にだってそんな趣味は無い。


「いや実はな、今度の日曜に遊園地に何とか言うアイドルグループが来るらしいんだが、うちの娘がそれをどうしても見たいって聞かなくてな」

「ああ、そういえば通りにポスターがありましたね」

「ワシは見ての通り、とてもじゃないがそんな時間が取れそうも無いんでな、代わりに行ってくれんか」


 なるほど、そういうことなら協力を惜しむことは無いな。


「さっきはデートと言ったが、まあ保護者代わりみたいなもんだ、どうだ頼めるか?」

「僕で良ければ、もちろんOKですよ」

「そうかそうか、良かった良かった」


 社長が満面の笑みで、僕の肩をばんばん叩く。

 いつになく機嫌が良いな、そんなに嬉しかったんだろうか。

 普通、こういう時は友達同士で行ったりとかするもんだと思ってたけど……。


「でも、昴ちゃんは、相手が僕なんかで良いんですか?」

「もちろんだとも、元はと言えば……ん、いや何でも無い。とにかく頼んだよ」


 社長は、そそくさと話を切り上げて、仕事に戻って行ってしまった。

 一体何を言いかけてたんだろう?


「はは~ん、読めたぜ」

「ん? なんだ?」

「あの狸親父も、そーとーおせっかい焼きだってこったよ」

「どういうことだよ?」


 『オレ』の言いたいことが、さっぱりわからない。


「かー! おめーの朴念仁も筋金入りだな。いいからお前は黙って昴ちゃんとデートしてくりゃ良いんだよ」

「保護者役だって言ってたろ、そんなんじゃないよ」

「わかってねーな! そんなんだから、前の彼女も苦労すんだよ」

「響子のことは言うな!」

「おーこわ、そんなに怒んなって」


 僕は思わず声を荒げた。

 『オレ』が響子の話題を出したことが、何か彼女を穢されたような気がしたのだ。


「ま、据え膳ってやつだ、ちゃんとエスコートしてやるんだぜ」

「だから、そんな話じゃないって」

「へいへい、そーゆーことにしといてやるよ」


 『オレ』は、話は終わりとばかりに、それきり黙ってしまった。

 僕はと言えば、どうにも腑に落ちない頭を抱えたまま、その日の仕事を続けることになってしまった。

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