虚勢
「そうか……まずは礼を言わせねばならんな」
僕から事情の経緯を聞いた社長は、深々と頭を下げた。
今、僕と社長は工場にある応接セットに向かい合わせで座っている。
タクシーが社長の家に到着し、半分抱きかかえるように運び込まれてきた昴ちゃんを見た時の驚きようは凄かった。
実の娘だし、当然だな。
今は昴ちゃんを自室で休ませ、何かあったときのために奥さんが様子を見ている。
大変な目に遭ったが、早くショックから立ち直ってくれれば良いなと思う。
「それにしても、唯野くんが通りかかってくれて助かった。そうじゃなければ、今頃どうなっていたか」
「ええ、偶然だったんですが、ほんとに驚きました」
『オレ』の話に言及すると、どう考えても嘘話のように聞こえてしまうので、昴ちゃんは周りの人や警察の協力で取り返したということにしてある。
本当のことは、昴ちゃんが自分で話せるようになってから話せば良いだろう。
それでも、第三者にはとても信用できる話じゃないかもしれないが……。
「こんなことになるなら、最初から全て話しておけば良かったか……」
うなだれる社長に、僕はかける言葉も見当たらない。
「もう奴らの言い値で売るしかないな……」
「そんな、社長!」
「仕方なかろう、家族には代えられん」
社長の言い分も最もだ、これから先、家族にどんな危険があるかもわからないのに、それを承知で戦えなどと僕にはとても言えないし、言う権利もない。
顔を覆ってうつむく社長と、何も言えずに押し黙る僕。
重苦しい空気の中、壁にかかった時計の音だけがやけに大きく響いていた。
「すまんが、ちょっと一人にさせてくれ。唯野くんも今日は帰っても良いぞ」
やがて社長は、そう言い残すとソファから立ち上った。
家へと向かうその後ろ姿は、いつもの活力に溢れた社長とは、とても同一人物に見えないほど弱々しい。
結局、僕は最後まで社長を励ます言葉が出せなかった。
どうしたら良いんだろう?
僕は社長が姿を消すのを見送ると、大げさにソファの背もたれによしかかった。
今この工場内に居るのは、僕だけだ。
この数ヶ月の間にすっかり見慣れた光景。
みんな家族同然として接してきてくれた。
その恩を一つも返すことなく、はい、そうですかと去ることだけは、どうしてもできなかった。
「あんなやつら、殴っちまえばいいじゃねーか」
「そんな簡単に行くわけ無いだろ、こっちが先に暴行罪に問われたらどうするんだ」
相変わらず『オレ』の言うことは単純で良い、それができたらどんなに簡単なことか。
「いちいちめんどくせーな、だったらこっちも挑発してやりゃ良いだろ、たとえば……」
適当に相槌をうって聞き流す予定だったが、『オレ』の話す内容は、思わずソファに座りなおすようなものだっだ。
「いや、でもそんなにうまくいくか?」
「あんだけのことをやってきたんだ、もうひと押しすれば乗ってくるぜ、奴ら単純だからな」
「かえって慎重になる可能性があるんじゃないか?」
「ばかだな、だから奴らを怒らせるんじゃねえか」
「ふーむ……」
確かに『オレ』の計算通りいったら、まさしく大逆転だ。おそらくこの件にも一気にケリがつくだろう。
しかし一つ間違ったら、どういう結果になるか想像もつかない。
「どっちみち、このままじゃここは更地にされちまうんだ、はやいとこ腹くくった方が利口だと思うぜ」
頭の中を色んな可能性が駆け巡る。
今回のやり口を見ても、少なくても紫スーツの方は、搦め手はあまり得意では無いようだ。
狐男の方はどうかわからないが、紫スーツの方を追い込んでやれば、あるいは……
「いや、やっぱり独断では動けない。やるなら社長に相談してからだ」
「ぐずぐずしてると間に合わなくなるぜぇ、ま、オレには大して関係ない話だけどな」
自分から話を振っておいて無責任なことだ。
だが確かにもう時間が無い。このまま手をこまねいていると機を逸するという点には同意できる。
しかし社長の意向に背いてまで戦う姿勢を見せるのは、あまりに勝手すぎやしないだろうか……。
行ったり来たり、答えの出ない思考の迷路は、家に帰りついてからも僕を苛み続けた。
次の日。
社長は、今まで張りつめていたものが切れたためか、珍しく熱を出して臥せっているらしい。
奥さんも社長と昴ちゃんの面倒を同時に見るはめになり、とてもこっちに顔を出せる状況では無いらしい。
今日は工場は休みで良いと、あさ連絡をもらったが、ちょっとやりたいことがあると無理を言って出勤することにした。
これは……チャンス……なのか?
ゆうべよく眠れなかった僕は、油断してると閉じそうになる瞼と格闘しながら、そんなことを考えていた。
これなら余計な横槍が入る心配は無いし、いざとなったら『オレ』と交代しても社長にも家族にも見られる心配は無い。
おあつらえ向きの舞台というのは、まさにこんな感じなのだろうか。
工場内の掃除や片づけをしながら時を待つ。
昼が過ぎ、太陽がちょっと傾きかけてきた頃に、やつらはやってきた。
「おや? 今日はあなただけですか? 忙しいところ申し訳ありませんねぇ」
まるで自分の家のように、ずかずかと入ってきた狐男は、僕の姿を見るなりそう言った。
こいつらのせいで、こっちの仕事が減る一方だというのをわかって言っているのだから質が悪い。
狐男は相変わらずの上下白スーツに身を固めている。
ネクタイだけは何故か毎日変わるんだが、今日のは赤が強すぎて対比が目に痛い。
そして、後ろでは例によって紫スーツがだらしない姿勢で、威嚇するような目線をこっちに向けている。
こいつらを見ていると、『オレ』ではないが、問答無用で殴り倒して解決できるんなら、どんなに楽だろうなどという物騒な考えが頭をもたげてくる。
「いえ、特に急いだ用事があるわけでは無いですから……」
「そうですか、ところで社長さんはどちらに?」
「今日は体調が思わしくなくて休んでおります。お会いになるのは難しいと思いますよ」
「そうですかぁ、今日こそハンコをいただこうかと思ってたんですがねぇ」
この狐男の微妙に鼻にかかったような喋り方は、非常に癇に障る。
もう少し、きちんとした話し方はできないのか! 僕はイライラが募るのを感じていた。
「まぁ我々も病人を叩き起こすほど冷血ではありませんので、仕方無いですねぇ、また明日来ることにしますか」
狐男が背中を向ける。
怒りが爆発寸前の僕の目には、胸元の赤いネクタイが、まるで残像を引いたように写った。
やはりこのままでは引き下がれない。
僕は作業着のポケットに予め用意していた小さな機械を握りしめた。
「ああそうだ、そちらの目つきの悪い方にちょっとお話があったんでした」
務めて平静を装った僕の声は、予想以上の反応があった。
紫スーツがまるで人を殺しそうな勢いでこちらを睨みつけ、狐男も足を止めて振り返る。
「なんだてめぇ、喧嘩売ってんのかコラ」
鼻息も荒く詰め寄ってきた紫スーツは、髪が当たりそうなほど顔を寄せて凄む。
ここで飲まれたら負けだ、僕は動揺を悟られないように無表情を装った。
「いえいえ、めっそうもない。ただ先日は社長の娘さんが大変お世話になったようですので、一言お礼をと思いまして」
今喋っているセリフは、『オレ』が教えてくれたものを僕流にアレンジしたものだ。
効果は抜群らしく、紫スーツは思わず吹き出してしまいそうなほど動揺した表情を見せた。
おそらく、あの悪ガキ高校生どもの報告か何かで、僕があの場にいたことを知ってるのだろう。
ここまでは計算通りだ。
「な、なんの話だか良くわからねえな」
紫スーツはミエミエのシラを切る。
後ろで狐男が表情を曇らせているところを見ると、昴ちゃんの件は紫スーツの独断専行だったんだろうか。
あとひと押しだ、僕はポケットの中の機械を取り出して、紫スーツの鼻面に突き付けてやる。
「これをご存じですか?」
「なんでぇ、それは」
「会話を録音する機械、ボイスレコーダーってやつですよ」
「それがどうかしたってのか?」
「いえね、先日はずっとこれを持ち歩いてましてね、ちょっとしたアクシデントがあったんですが、その時もこれの電源がずーっと入りっぱなしだったみたいなんですよね」
紫スーツが絶句する。
いくらバカでもさすがに理解したようだ。
狐男の顔がますます渋くなる。
「それをよこせ!」
紫スーツが、僕の手からボイスレコーダーを強引にもぎ取った。
「結構高かったので、できれば返していただけませんか。それに……」
僕はここで一呼吸置いた。
「録音した内容は、念のため僕の家のパソコンにもコピーしてありますし、インターネット上のクラウドサービスってやつにも保管してあります。それだけ奪っても無駄ですよ」
紫スーツは悔しそうにボイスレコーダーを投げ捨てた。
床に叩きつけられたそれは、甲高い金属音を上げて転がっていく。
あ~あ、これは壊れただろうな……まぁ実際はそんなもの最初から録音してないんだし、中身を確認できなくなったっていうのは、むしろ好都合かな。
「さて、では取引と行きましょうか。今のところこの話を知っているのは僕だけ、社長も家族の方も知りません。もしあなた方がこの工場から手を引いてくれるのなら、僕は口を噤みましょう。もし拒否するなら、僕はこれを持ってしかるべき所に行かせてもらいます。どうしますか?」
紫スーツはもはや蛇に睨まれたカエルのように脂汗を浮かべながら、悔しさのあまり低く唸ることしかできなくなっている。
「あなた、顔に似合わず意外とやることがエゲツナイですね。そんな信用できない取引に我々が乗るとでも思いましたか」
「信じる信じないは、そちらの勝手です。ただそんな商売をやってるんですから、きっかけが何であれ、叩けばホコリがたくさん出るんでしょう? 都合悪いと思うんですがね……」
僕と狐男は、しばし無言で睨みあう。
火花が散りそうな沈黙が工場を支配する。
「あっはっは、どうにも参りましたね、これは」
狐男が不意に大きな声で笑い出した。
「そこまでやられては仕方ありません。ただ、この場で要求を飲むと私も上役から怒られてしまいますので……返事は明日まで待っていただけませんか」
「もちろん構いません、色よい返事をお待ちしてますよ」
「ご期待に添えると良いんですがねぇ、では今日はこれで失礼しますよ」
普段と真逆の立場に立たされた狐男は、紫スーツを促すと早々に工場を後にした。
姿が見えなくなるのを確認した僕は、全身の力が抜けてそのまま床にへたり込んでしまった。
「なかなかの名演技だったぜ、ほめてやるよ」
「まったく、『オレ』は気楽で羨ましいよ」
「だから最初から代わってやるって言ってたじゃねえか」
「冗談じゃない、そんなことしてたら、今頃ここは殺人現場になってるに違いないよ」
「わかってんじゃねえか」
「そろそろ慣れてきたからね」
『オレ』はこれでも労ってくれてるらしい。
とにかくサイは投げられた。後はもう行くしかない。
僕は、夜に向けて準備に取りかかった。




