DIRTY
「おっはー。」
「古いね。」
ストレートに言われた。
「グッモーニン。」
「…おはよう。」
美鈴は僕のギャグをいつもスルーする。今のグッモーニンなんて最初のグッで大爆笑を誘うところをこいつは白けた目で見つめただけだった。笑いに鈍感なんだ。
「笑いたきゃ笑う。笑いたくないなら笑わない。自分に嘘をつくのはおやめ!」
「はぁ…。」
「んじゃ、もう一度…」
「分かった!面白かったよ!後からジワジワくる!グッのとこがもう最高!」
「だろう?」
朝からこんなやり取りを僕と美鈴は繰り返す。ちょっと冷めてるとこが美鈴の面白さを醸し出している。本当に僕はこいつを親友だと思っている。こいつはどう思ってるか知らないけど。
「なあなあ、ちょっと聞きたいんだけどさ。」
「宿題写させてくれってんならヤダよ。」
「そんなんじゃないよ。お前さん、BHって知ってるかい?」
「BH?」
訝しげに僕の顔を見る、なにか知っているとみた!
「BIじゃなくて?」
「BIは馬場と猪木だろ。BHっ。」
「さあ、なんかのイニシャルかな?」
やはり知らなかったか。まあ、噂話やら都市伝説と呼ばれているんだ、知るわけないか。適当に流そう。
「馬鹿、変態の略。」
美鈴はため息を吐いてケータイに目を向ける。本当に笑いの分からない男だ。
お昼が訪れる。今日の弁当の中身は一体なにかな?
美鈴はパンを買いに学食へ行ったようだ。
自分の弁当箱を開ける。
カパッ
昨日の晩ご飯のチゲ鍋の具がギッシリ摘まれていた。
「チゲ!?」
思わぬ弁当箱の中身に仰天する。
「なに言ってんの?」
美鈴が戻ってきた。衝撃で声が荒くなる。
「チゲだ!」
「なに?チャゲ?」
「チゲーよ!チゲ!」
「あっ、シャレだね。」
美鈴は無難な焼きそばパンとメロンパン、そしてコーヒー牛乳を机上に置いた。
「せめて白飯をつけんか!あんのババア!」
「うるさいなぁ。」
「イタ電してやる!」
「やめろ!」
ギャーギャーと騒いでいる僕等を冷めた目で見つめるのは愛しの松崎乱だ。昨日の二人きりの時間を思い出すだけで胸がときめく。そうだ!松崎にこのチゲ具をおすそ分けしてあげよう。そうしようそうしよう。と、衝動で自席から立ち上がる。
「やめなよ!いくら弁当の中身がチゲだからって窓から捨てようとするのはやめなよ!」
「チゲーよ!」
「またかよ!」
松崎乱の席に近寄る。好意を示すんだ。喜ぶぞー。って待て待て。
誰が昼時の時間に冷め切ったチゲ鍋の具を貰って喜ぶんだ。相手はあの松崎なんだぞ?午後の授業をチゲ臭くさせたらどうするんだ。しまった。もう、席を立ってしまっている。ああ、歩みを止められない。松崎は明後日の方向を向いている。僕は方向転換し…窓からチゲ具をドボドボと落下させた。無心に。
「ああっ!!やりやがった!本当にチゲを窓から捨てやがった!」
美鈴はきっと、こういうツッコミが好きなんだなと思った。
放課後、風紀委員の鬼氷勝に呼びだされ、たくさんの有り難い御言葉を頂戴し、校内庭園の掃除をみっちりさせられた。
「失礼しました。」
一人、生徒指導室を後にする。
「遅くなっちゃったな。」
美鈴もとっくに帰ってるだろう。親友なのに。
昨日に引き続き、また学校で夕暮れを眺めるハメになるとは思っていなかった。
鞄を回収しに教室へ戻ると、何やら話声が聞こえてくる。
そっと覗くと、松崎乱がいた。やはり彼女と僕は磁石のように吸いつき離れられない関係にあるのだ。
昨日と同様、BHの事を聞いているのかと思い更に覗くと、相手は松岡恋だった。やはり、松崎は一人一人に聞いて回っているようだ。
なにやら、深刻な表情で話している。ちょっと盗み聞きしてみた。
「…ってわけさ。」
「なんで、松岡君がそのことを…。」
よく聞き取れないな。
「イケメンの…運命なんだよ。」
「あたし…好き。ううん、もっと…。」
僕は走り出した。全速力で。
「ちっくしょー!!」
夕日が沈むように僕の心も沈んでいく。涙が止まらなかった。
「どーせ僕は顔も悪けりゃ頭も悪い!運だって無い!うぉー!!」
愛の告白を受け入れた松崎乱の表情を掻き消せない。ダウンロード完了しました。うおーっ!
気がつけば僕は一人、屋上にいた。屋上は鍵がかかっている為、普段は扉を開くことが出来ないが今日に限って鍵が外れていた。いや、壊されていた。
フェンスに身を預ける。
「うぅっ、チキショー。」
嗚咽し、何度もフェンスを叩いた。絶望とはまさに今、この瞬間のことを指す。
「下僕になれやがれー!」
大声で叫んだ。すると、
「なにを言ってるんだお前?」
ハッと顔を上げる。
周りを見渡すが誰もいない。夕焼け空にカラスが何羽か鳴いているだけだ。
「い、今、誰かの声が聞こえたような?」
「ここだよ。」
驚いた。上空から聞こえてくるその声に顔を上げると、黒いマント?羽?のようなモノをバサバサと羽ばたかせている男が宙を舞っていた。
「随分と馬鹿面がお似合いだ。」
男は腕組みをしながら僕の顔を嘲るように眺めている。
「うわぁ!!」
僕は一目散に駆け出した。恐怖したのだ。死神の降臨、殺し屋、いろんな思想が頭を巡り、屋上出入口までダッシュした。扉は開け放しておいたはずなのに、急にバタンと扉が閉まりだした。ノブを回しても全体重を乗せて押しても引いても開かない。
「なんでなんで!?」
黒い男は笑っている。僕の慌てぶりと間抜けな言葉に反応したのだろう。
「ククク、そんなに怖がらなくてもいいじゃないか、ずっと待ってたんだぜ。」
男はスゥーっと空から降りて来る。屋上の地を踏んだ。
「近寄るな!!お、お前、一体誰だよ!?怖いよ!」
ガチャガチャとノブを回すが開かない。黒い男はやれやれといった表情で僕を見る。そして、
「お前の化身だよ。」
「僕の化身??なにを言ってるんだ?」
スタスタと僕の方へ近づきながら黒い男は話続ける。
「心が深い絶望を味わったとき、俺は現れる。ククク、まさか女を取られたぐらいで出てくることになるとは思ってもいなかったがなぁ。」
近くで見ると、顔は真っ黒で目や口の部分のくぼみはあるが肝心のパーツがない。全身タイツを着ているような、そんな感じだ。真っ黒いスーツに身を纏っている。
「仲良くしようぜ、松島くん。」
黒革手袋をしている腕が握手を求めている。
「ほ、本当にそうなのか?僕は夢を見ているんじゃないのか?」
「まだ疑ってるのか。」
握手を求めた腕が上空に上がり僕の肩に触れようとする。スカッと空を切った。僕は摩訶不思議な体験を今している。
「お前にしか俺は見えないし、触れることも出来ない。実体がないのさ。信じたか?」
「信じられるか!大体なんの目的で出てきたってんだよ!」
「目的?お前自身が一番よく知っているだろう?」
背中から生えているのか分からない羽のようなマントが縮こまるように黒い男の背後へ消えていく。
「ククク、俺はお前自身、お前の思想、お前の脆い心、全てお前だ。」
「僕だって?こんな黒々しいのが?」
信じられなかった。どう見ても変態にしか見えない。
「あの男、松岡恋とやらを下僕にしたいんだろう?手を貸してやろう。」
もはや、現実を受けとめるしかないようだ。
「わ、分かった。と、と、と、とりあえず詳しい話は家でしよう。」
「ククク。」
黒い男は表情なく笑い、僕の後ろをついて来た。
家に着くと、足早に部屋へ向かった。母がなにやら言っているが適当な返事をして流す。自室の扉を開け、鞄をベッドに放る。机の椅子に腰を下ろした。
「ふう、それで君の名前は?」
部屋をマジマジと見つめる。ギロリと睨むような視線に怯えた。
「名前?そんなものはない。俺は俺だ、お前自身なんだ。」
「あっそうか、でも名前あった方がいいよ。なんかカッコいいじゃん?僕自身なんだから、気にしない気にしない。」
「なんでもいい。」
「んー、何がいいかなぁ?」
「まず、お前は俺の話を聞くことから始めた方がいい。そこに座れ。」
「あっはい。」
素直に従う。なんか目が怖いから。目、ないけど。
「まずだな、俺が現れたってことはもう、お前は人として生きて行くことは出来ない。」
「なっ!」
「よく聞けよ、あくまで人としてだ。そして、特別な能力をお前は手に入れた。絶望と引き換えにな。」
「特別な能力?」
「そうだ、この能力を使えるという意味でもう人ではない。人は特殊能力なんて持ってないだろ?足が早い、勉強が出来る、顔がイイ、それらはその人それぞれの持ち合わせたステータスでしかない。」
「そういう意味ね。それで僕には一体どんな能力が?」
「ククク、まあ焦るな、強く願えばソレが作動する。」
「願えば?」
コンコンとドアをノックする音がする。母親が部屋に入ってきた。
「あんた、ただいまも言わないでどうしたのよ?さっさと弁当箱ちょうだい、油が引っ付いて落とすの大変なんだから。」
やはりコイツを見えていない。ヤツもニヤリと笑っているように見える。
「今持ってくよ、下に行ってて。今日の晩御飯なに?」
「今夜はもつ鍋よ。」
また鍋か、好きだからいいけど。バタンと扉が閉まり、ヤツに向き直る。
「なあ、さっきの願えばってどういうこと?詳しく教えてよ。」
「ふん、楽しみがなくなるんだがな、まあ俺はお前自身、イイだろう。教えてやる。」
フワリと宙に舞った。
「お前、今一番嫌いなヤツがいるな?松岡恋という男だ。そいつを下僕にしたいんだろ?」
「そう、だな。」
「ククク、下僕にしたいと言うよりは例のBHって奴らの手に落ちて欲しいって意味だろう?」
僕の思考なだけあって全てお見通しのようだ。
「ククク、早速取り掛かろう。まずはこの能力の説明からだ。簡単に言えばだな、爆発させる能力だ。」
黒い男は黒革手袋をはめた手をグーからパーに変えた。
「ば、爆発だって!?」
「そうだ、この爆発ってのはお前が強く恨んだ相手にしか発動しない。例えば、その松岡恋って奴を強く恨んでみろ、爆殺出来る。」
「か、簡単に言い過ぎだ!なんだよそれ!爆発?恨めば殺せる?ふざけんな!そんな人殺し能力、誰が使うか!」
やれやれという仕草をし出す。
「お前は自分に嘘を吐いている。俺が出てきた時点でもうお前は松岡恋を殺したいとそう願った。そう望んだんだ。だから俺が出てきた。深い絶望に追いやられない限り、俺は出てこない。」
「違う違う!!僕は人殺しになんかなりたくない!誰だってそういう感情は持ってるだろ!あんなヤツ死ねばいいのにとか、明日殺されないかなとか!人間てのはそういう生き物なんだよ!現実に起こせるんだったら今頃世界中が大変なことになってるさ!それが出来ないから妄想するしかないんだ!」
まくしたてる。黒い男は一息吐き出し口を開く。口もないけど。
「ククク、そう、それが人だ。まあいい、今のは無効だ。気にするな。」
「はあっ?」
「今言った事柄はお前を試す為に言ったモノだ。確かに強く恨めばその松岡は爆死する。だが、コレはあくまでお前自身の意思で決まる。」
「よ、よく分からないんだけど…。」
「つまりだ、俺の声を聞くと聞いた者は魂を揺さぶられ俺の赴くままに操れるのさ。だが、お前は俺の言葉に翻弄されず、強い意思を提示した。一貫した己の意思を俺は曲げる事は出来ない。操れないって事さ。」
難しい言葉を使うなよ、僕なのに…。
「う、うん?よく分からないけど、操られないならいいや。」
「ふん、続きだ。お前を操れないのでは、さっき言った恨めば殺せるという能力は自我の[黒い意思]の開放に伴う条件にしておく。今の現状で出来るのは…。」
ヤツの手から白い紙切れが現れた。
「この説明書を読め。能力のルールと注意事項が記載されている。分からない所があれば聞け。」
手渡され、紙に目を通す。
「なになに?」
能力名
[DIRTY]
能力説明
見たモノをどんなモノでも爆発させることが出来る能力
ルール
1.使用者は視線の対象物一つしか爆発出来ない
2.使用者は自身による深い絶望を味わった際、この能力は独り歩きする、制御不可
3.使用者は[黒い意思]の開放をした際、強く恨んだ相手を爆殺する事が出来る
注意事項
1.爆発する際半径5m以内にいると巻き添えを喰う
2.使用者の最も愛する人物に使用した際、ルール2を適用する
以上だ。」
読めない字がある。早速質問を投げかける。
「これなんて読むの?」
冒頭のスペルを指差す。
「ん?こんな文字も読めないのか?頭は本当に悪いらしいな。知ってたが。」
「なんで同じ僕なのにちょっと賢いんだよ!」
「人間の脳は普段3%しか使われていないらしい、残りの97%をフルに活用すれば…」
「分かった分かった。んでなんて読むのさ?」
「ダーティー。」
「ダーティー?へー、カッコいいじゃん。意味は?」
「汚い、卑劣だ。」
「…。」
知らなきゃ良かった。
「他に質問はあるか?」
「えっとね、ルールの2番なんだけど独り歩きってなに?しかも制御不可って?」
「ふむ、簡潔に答えよう。先程のお前は深い絶望を味わった、そして俺が心の闇から出てきた。この時点でもう、トリガーに指を当てていると思え。」
「トリガー?」
「俺とお前が入れ代わるのさ、俺は好き放題爆発させて混乱を世に広める。次に絶望した時がお前自身の最後、俺はお前の体、記憶、全てを戴きお前として生まれ変わる。お前は俺のいた闇の心の中に閉じ込められる。自我はない、ただ延々と闇の中に身を置くだけになる。」
「……。」
「入れ代わりたくなければ絶望を味わわなければいい、それしか俺からは言えない。」
「分かったよ、気をつける。」
「やけにアッサリだな。憤りを露わにするかと思ったが。」
「絶対にそんな事はさせないぞ。」
ギラリとヤツを睨みつける。
「ククク、気をつける事だ。」
コイツは見方でもなんでもない、隙があれば僕の心の脆い部分を狙ってくる、だが負けないぞ。僕は僕だ。
「ルールの3は先程の説明で理解したな?他にはあるか?」
「ルールの3番?えーと、なんだったっけ?」
「…。」
母の声が聞こえる、もつ鍋が出来たようだ。
「お前の好物が出来たみたいだな。」
「腹減ったー。あっそうだ!」
「なんだ?聞き忘れた事柄でもあったか?」
「お前の名前、決めた!お前は今日から反香だ!」
「ハンコウ??」
「そうだ!僕の反対の意思を持った松島香、略して反香!決まり!」
「ふん、なんでもいいさ。」
呆れた表情で僕を見る反香。長い付き合いになりそうだ。
もつ鍋を食べたら松崎奪還作戦を練らねば!お腹空いたなぁ。