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蒼天のオービタルリング  作者: 熊野南葵


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序章 希望を知る物語

 西暦2030年、人類の犯した罪により、地球の大地は崩壊。僅かに残った人々が人工衛星に乗り地球を脱出し、人類は絶滅を免れた。

 それから数十年、数々の人工衛星は互いに結び付き「オービタルリング」と呼ばれる新たな国家を作り、人類の生活の中心となっていた。

 「輪郭」(オービタルリング)はまさに、人々にとって「地球」そのものだった。コンピュータ制御で四季が作られ、土、空気も循環され植物もある。生活に必要な全てが、ショッピングセンターも学校も病院も何もかもが揃っていて、生活には何の不自由もない。半世紀前の地球大地崩壊は歴史の1ページになっていた。

 ただ、地球への降下は政府の許可を受けた者に限られていた。その者たちでさえ、居住は許されていない。憲法で厳しく禁じられているためだ。

 地球の環境を壊し、大地を失った人類は、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓った。地球に帰らず、宇宙から故郷を見つめ続けること。それが、生き残った人々の贖罪だった。

 しかし半世紀が過ぎ、輪郭生まれが大半を占めるようになった今、その痛みを実感できる者は少なくなっていた。地球に降りることを、特権だと思う者も多くはなかった。

 そんな時代、女子高生のアミも「輪郭」に居住していることに何の疑問も抱いていなかった。




    第1話【地球に憧れた少女】


「……でどうだったの?」

 放課後、うつむき加減で教室に戻ってきたアミは心配そうに話しかけてきたマイに対して首を横に振り答える。

「やっぱり無謀だったのかな。特殊調査部ってエリート中のエリート。私みたいなドジっ子には無理なのかなぁ」

 アミの成績は決して悪くない。学校でも毎回トップ10に入る程だし、この先の進路に大きな障害となるような成績ではないのだ。しかし彼女は満足していなかった。それは彼女の「夢」に原因がある。

 その夢とは、内務省保安局の特殊調査部に入り、調査官として地球へ行くことだ。

 特殊調査部は、地球環境や旧都市の調査を表向きの任務とする、内務省所属の精鋭組織だった。選抜には高度な知識と分析力、判断力に加え、身体能力も求められる。最近はテレビで地上調査の様子が紹介されることもあるが、実際の任務には謎が多かった。

 その組織に「輪郭」にいることを疑問に思わない彼女がなぜ、進路志望するのか?マイもその理由を知らなかった。いや、正確には成績の良い彼女の進路には興味が無かった。

 アミの「夢」については去年の進路相談の時に聞いてはいたのだが、実際まだ将来に対して実感も無く、「自分には関係のない話」と感じていたのが本音だった。

 しかし、今回のテストで自分の将来が「平凡」であることが決定したマイにとって「どうにかなる」と過ごした高校生活は、今更悔やんでも仕方がないと割り切ってはいても、あの時アミが言っていた「夢」が羨ましく思えたし、落ち込んでいる親友を見てはマイもその話を聞かずにはいられなかった。

「ねえ、あんたさ。なんで地球に行きたいの?」

「私ね、シブヤを見たいの!」

 マイの問いかけに間髪入れず返答したアミは自分の夢を語り始めた。

「中学の頃さ、地球の歴史勉強したでしょ?あの資料集に載ってた『109』って所って当時の女子高生の聖地だったんだって」

「あー、今のショッピングセンターみたいなのがあったって場所ね?」

「そうそう!当時の女子高生も今の私たちみたいに恋に憧れたり、大好きな有名人の真似をしたり、色んな服を見てワクワクしてたのかなって」

 アミは胸の前で手を組み、天井を見上げた。

「きっと大好きな人と手を繋いでドキドキしたり、明日会えるのにバイバイが言えなくて彼の乗った電車をいつまでも見つめていたりしたのかなーって。ねえねえ、マイちゃんはどう思う?」

 ジーと自分を見つめるマイに気付いたのか、アミはマイの方にくるっと振り返り、回答を促す。

 マイは不意の質問に我に返り、半ばあきれ顔でため息を零す。

「さあ?私はそんな幻想抱いたことないから分かんないけど……」

「あーマイちゃん相変わらずシビアだなあ。でもね、私その恋の交差点をこの目で見てみたいの!」

「見てみたいって……それで特殊調査部に行きたいの?」

「うん!」

 キラキラした目で言うアミを見てマイは一瞬唖然としたが、すぐに我に返った。

「なんかこう、ないの?『地球の環境を社会に役立てたい』とか」

「……うんうん!」

 アミは首をぶんぶんと縦に振った。マイは疑いの目で見つめる。二人の間に沈黙が訪れる。その空気に耐え切れず、アミが口を開く。

「えへへ、ごめんちゃい」

 アミは舌を出し、自分の額を小突いた。マイはため息混じりに話す。

「ったくあんたっていつも突っ走るんだから。あのね、特殊調査部っていうのは苛酷なのよ?地球はここみたいにきちっと環境が管理されている訳じゃないし、『火山』だって『地震』だって起こるらしいし、一番は『雨』っていう気象現象で、それだけでも毎年十人近くが亡くなってるらしいし」

 マイは決してアミより成績が良い訳ではなかったが、情報収集能力には長けていた。彼女の平凡さは彼女自身が決めたことだ。それはきっと、この情報収集によって多くを望まず、我慢することが「幸せ」への近道だと知っているからである。そういう彼女は、学年で最初に就職を決め就職先へ一足先に研修がてらバイトへ通っていた。

 アミの見てみたい、という希望に彼女は嫌悪感に近い感情で自身の情報を教えたのだ。その嫌悪感はアミに対してなのか、自身に対してなのか分からない。ただ霧のかかったような嫌な感じ。ただ、アミがそんな危険な所に行くことは心配だし、危険を冒してまでの価値のある希望なのか疑問を抱いているのは確かだった。

「うん。でも大丈夫だよ、きっと」

 アミの一言はマイのモヤッとした感情を吹っ飛ばす。いつもそうだ。

「いったい何が大丈夫なのよ?」

「毎年十人でしょ? 一回に三十人を年間百回送っているらしいから、延べ三千人。そのうちの十人ってことは……約〇・三%! それなら平気だよ、きっと」

「あんた、そういう計算は早いよね。でも、同じ人が何度も行ってるかもしれないし、雨以外の危険だってあるんだから」

「あ、そっか」

「そっか、じゃない。心配してるの!」

 アミは目を丸くした。

「あ、ごめん。心配してくれてたんだ?」

「そ、そんな事ないわよ」

「えー今言ったじゃん」

「そ、それは言葉の綾であってその……、あ、時間だよ!カラオケ行くよ」

「えへへ、ありがとマイちゃん☆」

 マイはこのアミの無邪気さに今まで何度も物事をうやむやにされてきた。しかし本音をあまり語らないマイにとってアミの存在は救いだったのかも知れない。

 数日後、アミは一冊の本を抱えてマイの前に現れた。

「ねえ、マイちゃん。ちょっと付き合って」

「何、その本」

 表紙には『実録!地球の正体~政府内部情報漏洩~(遺跡ガイド付き)』とある。マイは題名を読み終える前に眉をひそめた。

「この前の施設見学でね、エレベータの場所を教えてもらったの。ここの写真と、同じだったんだよ」

 アミは入省希望者向けの見学に参加していた。もちろん、地球へ降りるための設備はガラス越しに眺めただけだ。

「だから?」

「古い保守用の搬器が残ってるんだって。見るだけ。ね?」

 見るだけ、とマイは念を押した。

 

           *


 次の休日、二人は軌道エレベータ施設の見学に訪れた。

 アミは以前の見学で通った順路を、迷いなく進んでいく。マイはその隣を歩きながら、ガラスの向こうにそびえる設備を見上げていた。

「あった。ほら、あれ!」

 見学区域の端で、アミが足を止めた。ガラス越しに見える主搬器とは別に、通路の脇には旧式の保守用搬器が残されていた。地上施設の点検に備えて電源は入っていたが、扉には施錠中の表示が出ている。係員の姿は見当たらなかった。

 アミは本を開き、写真と扉の脇にある小さな操作盤を交互に見た。施設の見学区域の端には、使われなくなった旧式の搬器があった。地上施設の点検に備えて電源だけは入っていたが、扉には施錠中の表示が出ている。係員の姿は見当たらなかった。

「マイちゃん、これ見て。こっちの表示、まだ動いてる」

「触らないの。見るだけって言ったでしょ」

「でも、ここ……本だと別々の画面なのに、同じ表示が出てる」

 アミが首を傾げた。マイには何のことか分からなかった。

「あれ? この操作盤、ロック外せそう。まさかね……えい!」

 軽い電子音とともに、操作盤の表示が切り替わった。扉が左右に滑り、薄暗い搬器の中に明かりがついた。

「……ほら、開いた」

「ほら、じゃない!」

 アミはもう中を覗き込んでいた。

「戻るよ、アミ」

 腕をつかもうと、マイも敷居をまたいだ。アミは中の表示を見上げ、指を伸ばした。

「地上って、こっち……」

「あんた、待っ――」

 扉が閉まった。足元から低い振動が伝わってきた。

「……動いた?」

 アミの声に、マイは答えられなかった。

 長い降下の後、扉の向こうにあったのは、天井のない空と草の匂いだった。搬器は地上の保守施設に止まっていた。

 アミが数歩、外へ出た。マイは呼び戻そうとして、初めて頬に触れた風に言葉を失った。

「あっち、ビルが見える」

「あんまり離れないでよ」

 少しだけ、周りを確かめるつもりだった。けれど、草に埋もれた道をたどり、木々を避けるうちに、施設は見えなくなった。引き返そうとした頃には、どの道を来たのか分からなくなっていた。




    第2話【草原の夜】


「マイちゃん、綺麗だねぇ。星の瞬きって空気の揺らぎから起きるんだって」

「ああ、そう……」

「あれ?いつものうんちくはないの?」

「あのねぇ、今の状況を変えられるうんちくを私は持ってないの」

「えー!いつも何とかしてくれてたじゃーん」

「私はドラえもんか!んであんたはのび太君か!」

「あはは、マイちゃんおもしろーい!」

「はあ……どうすんのよ」

 彼女たちは草原に寝ころんでいた。そして彼女たちの状況を変えることが出来そうな物。それはアミが大事そうに抱えている例の怪しげな本だけである。しかしそれさえも夜になってしまった今、役に立たない。

 そう、彼女たちは今地球にいる。そして迷子になっている。少し傾斜のある草原で、辺りには森林が広がり、その向こうには傾いたビルらしき建造物の群れ。まさに遺跡といった風景にセーラー服姿の二人。なんとも不釣り合いである。空には一面の星。その中に人工物らしき物体が浮かんでいる。オービタルリングだ。その輪郭に戻るための唯一の手段である軌道エレベータが見つからない。

 散々歩いた揚句、来た方向さえ見失い途方に暮れて、いつの間にか夜になっていた。

 暫くの沈黙の後、マイは腕時計に目を向けさらに落胆する。

「あーあ、音楽番組終わっちゃったよ」

 それを聞いたアミは飛び上がり自分の腕時計を見つめ、

「うそ!?もうそんな時間なの?あー録画してくれば良かった」

 そう言うと力なくまた寝転がる。それと同時にマイはバッグから携帯電話を取り出しブンブンと振った。

「携帯も繋がらないし、お母さん心配しているだろうなぁ……」

「そうだねぇ」

 アミの生返事。

「私たち帰れるのかなぁ……」

「そうだねぇ」

 アミの生返事。

「明日バイトなのになぁ……」

「そうだねぇ」

 アミの(以下略)

「どうしてこんなことになっちゃったんだろう……」

「そうだ……」

 生返事にマイが割って入る。

「元はと言えば、あんたがエレベータ開けちゃうからでしょ!あんたはいつもそうやって一人で突っ走って、ついてく私の身にもなってよね!中学の体育祭実行委員の時も、進路調査の時も、ユーリの時だって……、あ。」

「……にゃはははごめんね。ごめんちゃい」

 アミは舌を出しながら自分の額を軽く小突き、そのまま星空を見上げている。この時ばかりはマイは言いすぎた、と思ったが、見たことのないアミの表情にうまく言葉にできなかった。原因はともかく同じ状況のアミに当たっても仕方ないとも思った。

「綺麗……」と微かに呟くアミを見て、マイも夜空に意識を向けた。普段見下ろしている地球に自分がいるのに、まるで輪郭が足元にあるような錯覚。「うん……」と同意し再びアミに目線を移すと、遠くを見つめている彼女に気付く。マイは心の中でごめんなさいと呟き、アミと同じ方向を再び見つめた。

 アミとマイが出会ったのは中学校の時、席が隣同士になったのがきっかけだ。当時からなんとなく大人びたマイは周囲と馴染めずにいた所、アミが話しかけてきた。最初は金魚のフンのようについてくるアミを鬱陶しく思っていたが、次第に彼女の真直ぐな瞳に心を開いていった。アミは中学の頃からマイに勉強を教えてもらっていたし、今でもマイには敵わないと思っている。高校受験の頃には二人の成績に敵う同級生はいなかったし、マイはそれをどこかで自慢に思っていたが、アミは「マイちゃんのお陰」と現在の高校に受かった時も何度も何度もありがとうを繰り返した。

 高校に入学してからも二人の関係に当初は変化なかったが、恋が二人を疎遠にしていく。マイはモテた。クールな表情と大人びた雰囲気が男子高生にはとても魅力的だった。実際何人かと付き合ってはみたものの、同年代の男子の価値観はマイには合っていなかった。その頃出会った大学生にマイは惹かれていった。次第にアミと遊ぶ回数も減り、優柔不断に見えるアミは他の同級生と仲良くなることも少なく、一人で帰宅する機会も増えた。

 アミもモテるタイプではあったが、いわゆる「不思議キャラ」と思われていて、実際表だって好意を向ける男子は少なかった。しかしアミにも好きな人はいた。名前をユーリと言い、クラスでは誰とでも仲良くなる活発なヤツだ。

 ただ、これと言ってとりわけ仲が良い訳ではなかったので、アミの一方的な片思いであったが、ある日彼から告白を受ける。初めてドキドキした。今まで興味のない服装もした。彼が好きだと言う髪型にもした。しかし、ほんの数週間で突然の別れの宣告。

「振られちゃった。頑張ったつもりだったんだけどなぁ」

 慰めるマイに対してアミは泣かずに、震える声で舌を出し自分の額を小突いた。

 後日、マイはユーリが罰ゲームでアミに告白した事実を知ったがアミには伝えなかった。そしてユーリは三年に進学すると同時に転校していった。

 そんな恋という初めての経験が二人を疎遠にしたが、二人の仲を深めたのもまた恋だった。

 マイはアミを守りたかったし、アミもマイを慕っていたことに変わりは無かったから。ただ、例のアミの夢に対して、マイはアミに何となく距離を感じていたが、そんな事とも知らず「マイちゃん、マイちゃん」と慕ってくるアミを見て、マイも態度を変えなかった。

 そんな二人の関係で、今隣で夜空を見上げているアミの今までに見たことのない表情を見て、納得しようとしているマイ自身は初めて何かに気づく。ただ何となく気付いた。しかしその感情を明確に知らないマイは無意識に深く考えないようにした。

「ごめん、ちょっと言い過ぎたね」

 マイは自然と出たこの言葉に反応のないアミに少し焦りを覚え慌てて起き上った。

 アミはいつの間にか眠っていた。それを確認し少しほっとしたマイはアミの頬を少し撫でて再び寝転がる。

 空は、雲ひとつない。星の降る、まさにそれだった。


           *


「……ちゃん、マイちゃん!」

 遠くからアミがいつもの声で近づいてくる。アミの表情が確認できる距離まで来ると、マイは驚いた。いつもと変わらないアミにどこか違和感を覚える。いつもまっすぐに自分を見つめてくれる彼女の瞳はどこか遠い。まるでそこにマイがいないかのように。

「なんでそんな顔をするの?」

 アミはマイのそんな表情に気付き問いかける。

「私は私だよ。マイちゃんがいつも私をバカにしてるから」

「そんな、私あんたをバカになんて……私はただ……」

「ただ、何?」

 ……

 ねえ、マイちゃん。マイちゃん。

 アミの声が耳元に近づく。マイは声にならない声で叫んだ。

「私はあんたが……」

 その瞬間辺りが明るくなった。目の前にアミがいる。アミの瞳はいつものようにまっすぐマイを見つめていた。


           *


「あ、やっと起きた。おはよう」

「……お、おはよう」

「どうしたの?何か怖い夢でも見たの?」

「ううん、何でもないよ」

「変なマイちゃーん」

 アミはニカッと笑い、マイに手を差し伸べ起こす。しかし逆に勢いがついてしまい倒れるアミ。それを見て、マイはスカートを叩き終えてからアミに手を差し伸べ起こす。

「もう、それじゃ意味ないじゃん」

「私、ドジだから」

「まったく、世話の焼ける子ね」

「お世話になってますー」

 マイはため息混じりに笑みを浮かべる。それを見たアミは、いつもと違うリアクションに驚く。

「あれ、いつものマイちゃんじゃない。どこか具合でも悪いの?」

 辺りを見渡していたマイはその一言でアミを見つめ、再び座り込む。

「あれ、怒った……?」

 一瞬たじろいて、マイを覗き込む。

「はいはい、そんなことでいちいち怒っていたら身が持ちません。化粧するの忘れたの」

 言いながら、バッグから鏡と化粧ポーチを取り出した。その様子を見ながら、アミも隣に座りこむ。

「誰もいないのにお化粧するの?」

「そう言ってるアミもシャドーつけてるじゃん」

「これは……エチケットだもん」

 アイシャドーを触りながらマイを見つめる。

「でしょ?私の化粧もエチケットよ」

 実は、アミのエチケットとマイのそれの意味は全く違った。普段もアミはアイシャドーしかしていない。最近までそれすらもしていなかった。今まで散々目の前でマイが念入りな化粧をしていてもニコニコ見つめているだけ。そんなアミを見てマイは男から無理やりプレゼントされた、おそらく自分には似合わないであろう淡いブルーのアイシャドーをアミにあげた。それからアミはバカの一つ覚えのようにそればかりしている。そういう意味でアミのエチケットはマイへの感謝であり、歓喜でもあった。




    第3話「初めての雨」


 二人は遥か遠くに見える廃墟のビル群に向かうことにした。朝の光の中では、昨夜は見分けられなかった川筋と道路の跡が見えた。アミはそれを地図と照らし合わせ、現在地と軌道エレベータへの道を確かめたのだと力説する。またシブヤのことの他にもシンジュクやハラジュク、トウキョウタワーの話も延々と続けた。

 マイはその手の話には興味がない。しかし、この手の話が始まると止まらないのは分かっていたし、今回に限ってはその知識が帰れる手段となっていたことも理解していた。それよりも昨夜の一件を気にしていたマイは元気なアミを見て安心していた。

 普段、コンピュータ制御された空調の中で育った二人には自然の日差しは強く、あっと言う間に体力ゲージはエンプティーラインを下回った。女子高生の必需品であるお茶とお菓子は徐々に底を覗かせている。しかしビルは一向に近づいてこない。

 最初に音を上げたのは意外にもマイだった。彼女は地図を見ながらずんずん進むアミを心強く感じていたが、徐々に頬に人差し指を当てる回数が増えていることが分かると次第に不安になった。

「ちょ、ちょっとアミ、待って。たんま。少し休憩」

 5メートルくらい先を歩いていたアミは、マイの声が意外と遠くにあることにやっと気づき、慌てて引き返してきた。

 ペタンと座り込んだマイの隣にアミも座り、バッグからお茶を取り出す。しかしなかなか蓋が開かない。それを見たマイはアミからお茶を奪い取り蓋を開けてやりアミに返す。

「あんたさ、迷ったでしょ?」

「え?……」

 思わず、アミの手からお茶が落ちる。コポコポと地面にお茶が流れ出る。マイは勿体ない勿体ないとばかりに慌ててお茶を起こし、アミに渡し、しっかり握ったことを確認してから手を離した。

「さっきの分かれ道くらいから迷ってるよね?」

「マイちゃんすごーい。エスパー……」

 マイはアミが言い終わる前にかぶせる。

「エスパーって……頬に手を当てる癖、治ってないだけだけど」

「え?……」

 再びアミの手からお茶が落ちる。しかしさすがに二度目はマイがうまくキャッチ。アミはお茶を受け取ろうとするが、マイは渡さず、身を乗り出し問い詰める。

「正直に言いなさいよ」

 アミは目線を外しながら白状した。

「……え、えーとね。実はさっきの分かれ道を左に行くと軌道エレベータなんだけど、こっちはシブヤ方面なの。すぐ帰った方が良いか迷ったけどやっぱりシブヤ見たくて……」

 顔の前で両手を合わせごめんなさーいと懇願する。

「……え?迷ったってそっち?道には迷ってない……の?」

 呆れながらマイはアミから奪ったままのお茶を返し、そのままアミはお茶を飲み干す。

「う、うん。……あれ?やっぱり怒った……よね?」

 この後暫くマイの小言が続く。アミはなぜか嬉しそうにしていた。怒られることが幸せであるかのように。結局マイがアミの熱いシブヤ論に負ける形で寄り道していく事となる。

 日も緩み、ビル群がいよいよ目の前に近づいてきた頃、それは起こった。「雨」である。

 彼女たちにとって雨は恐怖だった。幼い頃から、地球上には強い酸性の雨が降り、動植物さえ傷つけると教わってきた。雨が原因で亡くなった調査官もいると聞いていた。

 二人は慌てて、崩れた建物の庇の下へ逃げ込んだ。アミはあの怪しげな本の入ったバッグを胸に抱え込んでいた。

 通り雨だったせいか、30分も経たずに雲の合間から太陽が覗く。辺りには緑の匂いが立ち込み、光が乱反射する。二人は恐る恐る辺りを見渡す。

「き、きれいだね……」

「……ねえ、マイちゃん。葉っぱ、何ともなってない」

「触っちゃ駄目よ。雨が残ってるんだから」

 アミは伸ばしかけた手を止め、自分の袖を見た。逃げ込むまでに濡れたところにも、教科書の写真で見たような変色はなかった。

「制服も。私たちが習った雨と、違うのかな」

 マイも自分の袖を見下ろした。

「……分かんない。でも、ここでずっと隠れてるわけにもいかないしね」

 彼女たちは初めて雨を体験し、同時に空気の味も知った。

     



    第4話「シブヤ」


 二人は森を抜けたところで、足を止めた。目の前には、地面から生えるように廃墟のビル群が立ち並んでいた。

 森林の中に突如現れたそれは、単なるオブジェではなく、確かに人が暮らしていた記憶だった。割れた配管から、雨水が滴っていた。アスファルトの亀裂からは草木が伸び、傾いた電柱には蔓が絡みついている。

 その向こうにはハチ公前と辛うじて読み取れる石碑。奥には「SHIBUYA109」の文字。二人は息を飲んだ。

「ここが……シブヤ」

「うん」

 しばらく立ちすくむ二人。

 アミはハチ公前の石碑に触れ、例の怪しげな本を取り出し、照らし合わせる。

「50年前、ここがカップルの待ち合わせの場所、だったんだね」

「カップルだけってことはないだろうけど、そうだね。ご主人の帰りを待ち続けたハチ。その記念の場所」

「うん。おばあちゃん言ってた、昔ここはすごい賑わってたんだって」

 二人は暫くの間無言で廃墟を見回した。マイがふと思い出したかのように呟く。

「そうだ、おばあちゃん上からいつも悲しそうな顔して地球を見てたの。私はすごく不思議だった。なんでこんなきれいなのに悲しそうな顔するのか」

「たぶん、悲しいんじゃない。寂しかったんだよね、きっと」

 二人は目を合わせることなく会話していたが、アミの言葉にマイは思わずアミに視線を合わせる。そして目線を外しながら、ふうと息を漏らしうんと呟き、続ける。

「今なら少し分かる気がする。こんなになるなんて想像もつかなかったんじゃないかな」

 アミはマイに軽く頷き、空を見上げる。沈黙する二人。その沈黙を嫌がるかのようにマイは明るく話した。

「まっ、女子高生の私には過去の事なんて難しすぎて全然分かんないけどね。今ここにいる。それで良いんじゃない?せっかく来たんだし、観光して行こう、ね?」

 そんなマイの気遣いに少し驚きながら、アミは笑った。

「マイちゃん……、うん!そうだね!」

 二人は昔の街を歩いてみた。ビルの中には服のないマネキン、電源の入らないテレビ、空になった飲み屋のカウンター。駅には開いたままの改札口。

 服のないマネキンが並ぶ店で、アミがしゃがみ込んだ。足元に、アクセサリーの欠片が落ちていた。雨上がりの日差しが、崩れた天井の隙間から差し込んでいる。

「見て、マイちゃん。まだ光る」

「それ、イミテーションでしょ」

「うん。でも、きれいだよ」

 アミは欠片を光にかざした。それから、落とさないようにバッグの内ポケットへしまった。

 しばらく店や駅の跡を歩き回った後、二人はどちらからともなく道玄坂を上り、シブヤを見つめた。




    第5話「希望」


「マイちゃんありがとう。私のワガママに付き合ってくれて」

「なぁに言ってるの。あんたのワガママは今に始まった事じゃないでしょ?」

「えへへ。ごめんちゃい」

 アミはいつもの癖で舌を出し額を小突く。その姿を見たマイは昨日のアミを思い出す。

「あんたってさー、いつもそうやって我慢しようとしてるでしょ?」

「え?」

「その舌と手!あんたいつも何かを噛み砕こうとしてる時、そうしてる」

「あっ、これ?んーそういうつもりはないんだけどなぁ。うーん」

 アミが自分の拳を見つめうなっている姿を見て、マイはコクンと頷き、アミを力強く見つめる。

「アミ、私あんたに謝らなきゃいけないことがあるの」

 アミはえ?という表情で拳からマイに視線を移す。その真剣な眼差しにアミも同調する。

「去年のユーリとの事、私知ってたんだ。ユーリがその……」

 とマイが言葉を選ぶかのように声が細くなる姿を見てアミはほっとした表情でマイの言葉を引き継ぐ。

「ああ、罰ゲームで私に告白してきてくれたってこと?私知ってたんだよ。最初から」

 そう、アミは知っていた。ユーリがバスケで負けた罰ゲームで自分に告白してきたこと。彼らがその話をしている所を偶然聞いてしまい、家で一人泣いたこと。それなのに告白されて嬉しかったこと。

「私、我慢できないんだあ。ユーリ君に付き合って下さい、って言われてすごく嬉しかったんだ。二週間が夢のようだった。生きてるってこういう事なんだなあって思った」

「そうなんだ……。なのに私知らないふりして慰めて。今までずっと黙ってて。昨日だってそれを……」

「ううん。私はマイちゃんのお陰で強くなったんだよ?お勉強の楽しさも、恋する楽しさも、みーんなマイちゃんから教わった。それにね、ユーリ君ちゃんとその事話してくれたの。ごめん、て謝ってくれたの。それでね、これは秘密なんだけど、俺は本気だって言ってくれた。でもサウス方面に引っ越すからって。それにマイちゃんその時すごく怒ってくれた。ユーリ君のお友達の所に注意しに行ってくれてた。私すごく嬉しくて」

「知ってたんだ?ごめん、本当にごめんね。ごめんなさい」

「そんな謝らないでよお。マイちゃん何も悪くないもん」

「ううん、それだけじゃないの。私きっとアミを鬱陶しく思ってた。私よりドンくさい癖にいつの間にか私より勉強できるようになって、したいことにまっすぐなあんたが羨ましかった」

 マイの瞳から涙が溢れた。アミは笑おうとして、唇を結んだ。マイは目を逸らさなかった。

「私は本当にドンくさいし、ドジだし、突っ走るし、こんな所までマイちゃんを巻き込んじゃうし……それに後先考えずに行動するのは良くないって言ってくれたのはマイちゃんだけなの。なのにちっとも治らない私。それなのに今でも私を見つめてくれてる。それだけでも十分幸せなんだ……あれ?」

 アミは泣きじゃくるマイを一生懸命慰めようとしていた。けれど、拭っても拭っても、自分の頬まで濡れてしまう。

「アミ、ごめんね」

 アミはうつむいた。迷惑をかけるたびに笑ってごまかせば、そばにいてもらえると思っていた。その笑顔がマイを傷つけていたのなら、どうすればいいのだろう。

「私、直す。頑張って直すから。もう我慢しないから。だからこれからも私を注意してね?」

「……違うよ、アミ。私、あんたに何でも我慢してほしいわけじゃない」

「でも、私、いつも迷惑かけて……」

「そりゃ怒るよ。今回だって、すっごく怒ってる」

「……うん」

「でも、怒ったからって、あんたと一緒にいたくなくなるわけじゃないでしょ」

 アミは顔を上げた。額に持っていきかけた手が、途中で止まった。

 マイは首を横に振った。今度は、自分の言葉で伝えなければならなかった。

「私、アミに救われてる。私みたいなのに親友なんて出来るはずないと思ってた。結局アミもいつか私の前からいなくなっちゃうんだと思ってたの。だからわざと背伸びして、必要以上に仲良くしないように……ううん。私怖かったの。あんたがいなくなるのが怖かったの。私こそこれからも一緒にいてくれる?アミ」

「私こそ、一緒にいたい。これからも。ずっとずっと」

 マイは涙を拭おうとして、うまくいかずに笑った。アミも泣きながら、つられるように笑った。

「失敗したら、一緒に考えればいいでしょ。あんた一人で、何でも直そうとしなくていいんだから」

「ううっマイちゃん、ごめんなさい。本当にごめんなさい」

 もうアミは自分の額を小突くことはなかった。

 おおよそ泣き疲れた頃、二人は軌道エレベータに乗ることを思い出し帰路についた。

 今時の女子高生二人のたった二日間の冒険劇はここに終焉する。

 輪郭に戻った二人を待っていたのは、紛れもない現実だった。母親は涙を溜め、娘の頬を叩いた後、きつく抱き寄せた。政府関係者による取り調べも待っていた。

 本来、地球への無許可降下は重罪だった。しかし、取り調べでは、地上で何をしたかと同じくらい、アミがどうやって操作盤のロックを解除したかを繰り返し聞かれた。

 二人は厳重注意のうえ、降下の経緯と地上で見聞きしたことを口外しないと誓約させられ、家に帰された。学校からは謹慎を言い渡された。

「……あんなに簡単に開いちゃ、まずかったんだね」

 帰り際、アミが小声で言った。

「今頃気づいたの?」

 マイは答えたが、それだけで帰されたことには、どこか釈然としなかった。

 そんな厳しい現実を目の当たりにしながらも二人はしっかり互いの手を握り、その中にはシブヤで拾ったイミテーションの欠片が光っていた。それは彼女たちなりの「希望」だったのかもしれない。

「マイちゃん、これからもよろしくね☆」

「こらアミひっつくなっ」

 


 それから十年。

 地球に憧れた少女たちは大人になり、その運命は再び大きく動き出す。

 そして政府は、地球への居住を禁じてきた憲法の改正へと動き始めていた。




                                 序章 完


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