聖女に「愛したら死ぬ」呪いをかけられた私と初恋の黒騎士
「アマンダ・マクミラン! 貴様を断罪する!」
冷たい石畳の上に膝をつかされた私は、この国の王太子ロードリック殿下から怒号を浴びせられる。
身振りに合わせて柔らかな亜麻色の髪をなびかせ、怒りに燃える深い緑色の瞳が私を見下ろしていた。
授業中の学園の教室に突如押し入ってきた白い制服姿の騎士たちは、迷うことなく私の元までやって来ると乱暴に机をなぎ倒す。女生徒の悲鳴が響き渡る中、そのまま有無を言わせず後ろ手で拘束され王城の大広間に連れてこられた。
殿下の背後には彼の側近である高位貴族の子息たちが居並び、私に冷たい視線を向けている。殿下の傍らには、怯えた表情で茶色の瞳に涙を浮かべる杏色の巻き毛のチェルシー・コックス侯爵令嬢が寄り添っていた。
冷酷に突きつけられたのは、昨晩学園で開かれた夜会でロードリック殿下の飲み物に毒が混入されていたという事件。
毒入りの杯を、夜会で婚約者と宣言されたチェルシーが身代わりとなって口にしたそうだ。さらに、彼女が『アマンダ・マクミランが犯人だ』と告げたのだという。
チェルシーは未来を見通せる『予言の聖女』と呼ばれている。
未来が見えるのならわざわざ自ら毒を飲む必要はないのでは?
それに、毒を仰いだのに寝込むこともなくこの場にいられるのは何故?
聖女様は不死の能力でも持っているのだろうか。
その疑問を口に出すことはない。
代わりに身の潔白を訴える。
「お、恐れながら申し上げます。昨晩の夜会に私は参加しておりません。ですので、毒を混入させるのは不可能――」
「黙れ!」
ロードリック殿下の鋭い声に私の言葉は遮られた。
「おまえが直接手を下さずとも、マクミラン伯爵家の配下を使えば不可能ではなかろう! 何よりも、聖女チェルシーが『犯人はアマンダだ』と予言したのだ。これ以上の証拠はない!」
チェルシーの言葉を鵜呑みにして、調べもせずに犯人にされようとしている。
伯爵家に私の命令に従う者などひとりもいないのに。
夜会にも私は参加していない。だって、昨晩私はズタズタに引き裂かれたドレスを胸に抱いていたのだから。
――昨晩だけじゃない。入学したその日に空き教室に閉じ込められた。それから今日まで、教科書を池に捨てられ、階段から突き落とされてきた。
そのすべてがチェルシーの仕業だった。
「……リック様、どうかアマンダさんを責めないであげて?」
チェルシーがロードリック殿下の腕にしがみつき、上目遣いで懇願する。
「ああ、散々虐げられてきたというのに、君はなんて優しいんだ。」
殿下がうっとりした表情でチェルシーの頬を撫でた。
「きっと愛を知ればアマンダさんも改心されるわ。リック様、彼女に更生の機会を与えてあげましょう?」
「君が望むままに……」
殿下が頷くとチェルシーは慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、私の元へと歩み寄ってくる。
跪いた状態の私の頭上にチェルシーが手を翳す。辛うじて聞き取れるほどの小さな声で何かの呪文を唱えると、私の体が青白い光に包まれた。その光は私の中へと吸い込まれ消え去る。
「『愛を知らなければ死ぬ』呪いをかけました。期限は一ヶ月。その間にもしも愛を知らないままならば、そのときは斬首刑にしましょう。アマンダさんに愛を知り心から反省してほしいの。大丈夫、私には見えます。あなたが愛を知り涙を流す姿が……」
聖女の微笑みが、魔女の微笑みに見えたのは私だけだろうか。
「さすが聖女様だ」
「おお、なんと慈悲深い……!」
ロードリックの側近たちが感嘆の声を上げ、拍手を送り始める。
喧騒に紛れるようにチェルシーが私の耳元に顔を寄せた。形のいい唇から囁かれた言葉は信じられないものだった。
「ほんとうは『愛を知らなければ死ぬ』じゃなくて、『愛したら死ぬ』呪いをかけたの。一ヶ月で誰かを愛せば死ぬし、誰も愛さなくても死ぬってわけ」
チェルシーは私の耳元に顔を寄せたまま、人が変わったように一気に捲したてた。
「せっかく異世界転生したのにオトゲーのモブとかありえない。『愛を知らない乙女と四色の輝き』――『アイヨン』のヒロインになるのは私なの! そのために隠しキャラの魔女から呪いを買ったのよ。邪魔なヒロインのアンタがいなくなれば私が王子と結ばれてハッピーエンド!」
「イセカイテンセイ」「オトゲー」「モブ」「カクシキャラ」
早口で囁かれる聞いたことのない単語の羅列。これも何かの呪文なのだろうか?
続けられた言葉は辛うじて聞き取れたが終始、理解できなかった。それでも棘の含まれた声色と、去り際に私を睨み付けてきた茶色の瞳に、どうやら私のことが疎ましく邪魔なのだということだけは理解した。
こうして私は騎士に連行され、王城の離宮に幽閉されたのだった。
母は早くに病に倒れあっけなく亡くなり、父は母の死後すぐに愛人として囲っていた女を後妻として迎え入れた。
父と後妻、そして二人の間に生まれた異母弟。『家族』の輪に私は含まれていない。
愛? 愛とはいったいどんなものなのだろう。
誰からも愛されたことのない私には、わからなかった。
*
私が連行された離宮と呼ばれるその場所は、王城の敷地の森の中にひっそりと佇む小さな屋敷だった。おそらく、罪を犯した王族が過ごすための場所だろう。
屋敷の中では自由に過ごせるが、数名の騎士が見張りとして常駐している。
見張りの黒い制服を纏った下級騎士たちは、平民や男爵家の出で身分の低い者ばかり。皆、私に対して粗雑に扱うことはなかったのがせめてもの救いだった。
私は豪華ではないが質のいい長椅子に身を預け、この一年間の出来事を思い返していた。
チェルシーは何故、私のことを目の敵にするのか。
学園に入学するまで、茶会で顔を合わせたことすらないというのに。
初めて出会った入学式の日。私は彼女に言葉巧みに空き教室に誘い込まれ、『王太子と出会うのは私よ』と背中を押されてそのまま閉じ込められた。
それだけではない。
夏の合同演習では魔獣が出現し騒然となる中で、チェルシーに黒い液体が入った小瓶を投げつけられた。途端に私の足が鉛のように重くなりその場から動けなくなる。
困惑する私を横目にチェルシーはニヤリと笑うと、軽やかに駆け出して背後から魔獣に襲われそうになっていたロードリック殿下を庇い肩に怪我を負ったのだ。
私には彼女の行動の真意はわからなかった。だが、私がチェルシーに嫌がらせを受けると、彼女と殿下の仲が深まり、私は周囲から孤立する。殿下も昨日まで仲の親しかった友人たちも、次第に嫌悪の目を向けてくるようになった。まるで、見えない力が働いているかのように。
味方などいない私には誰かに相談することもできない。
その後、チェルシーとロードリック殿下の距離は急速に縮まり、学園でも噂になり始めた頃。秋の長雨で川が氾濫する場所を予言したことで、チェルシーは『予言の聖女』と呼ばれるようになった。
そして、あの事件の夜、正式に二人の婚約が発表されたのだ。
トントントン。
扉を叩く音に意識が引き戻された。
「アマンダ嬢、本日の見合い相手がお待ちです」
「……今、参ります」
『愛を知らなければ死ぬ』呪いを解いてあげよう――
優しい王太子殿下の発案で、私は毎日見知らぬ貴族や商家の子息と見合いをさせられている。
チェルシーも早く愛を知ってほしいと賛同したらしいが、彼女の狙いは別にある。私が誰でもいいから誰かを愛し、『愛したら死ぬ』呪いが発動するのを待っているのだ。
最初の見合い相手は宰相の子息だった。彼は開口一番、『悪いが、君が私を愛したとしても、私は君を愛することはない。まあ、愛人なら考えてやろう』と吐き捨てた。
次の見合い相手である騎士団長の子息は『俺を愛するなら、騎士団付きの娼婦に取り立ててやろう』と嫌らしい笑顔で私に告げた。
こんな相手をどうすれば愛せると?
私は誰も愛さないわ。愛そうが愛すまいが、どちらにしても一ヶ月後に私は死ぬのだ。
あの女の望む結果になどしない。
一日、一時間、いいえ一秒でも長く生きてみせる。
やって来る見合い相手は、私を犯罪者と見下し尊大な態度を取る者か、私を妻に迎えると与えられるという『聖女の祝福』目当ての者ばかり。
そこに愛と呼ばれるものは、ない。
幽閉から二週間。この日、新たに配属された騎士がひとりやって来た。
「本日よりアマンダ様のお傍に就かせていただくことになった、ゼインと申します」
片膝をつき、まるで主に忠誠を誓うように頭を下げる黒髪の騎士の姿に、胸の奥が小さく跳ねた。
「よろしくお願いいたします、ゼインさん」
小さな違和感に気づかないふりをして、私が言葉をかけると、彼がゆっくりと顔を上げる。
澄んだ紫色の瞳が私を捉えた瞬間――
ドクン。
今まで経験したことのない痛みに襲われた。
心臓に茨が巻つき締めつけられるような激痛。
呼吸が、できない。
私は胸を押さえてその場に崩れ落ちていった。
遠ざかる意識の片隅で「アマンダ」と誰かが私の名を呼んだ気がした。
*
雨は嫌いだった。
母が亡くなった日を思い出すから。
元々体が弱かった母は私を産んでから寝込みがちで、一緒に過ごした記憶はほとんどない。
父は外に愛人を囲い屋敷には滅多に帰らず、母の葬儀すら顔を出したかと思えばすぐにいなくなってしまった。
葬儀が終わってまもなく、父は愛人だった女を後妻として迎え入れる。私は彼らにとって邪魔な存在。疎まれ放置されるようになると、使用人たちも次第に私から距離を取るようになっていった。
ある日寂しさに耐えきれずにひとり屋敷を飛び出して、母の墓を目指した。だが、まだ幼かった私は道に迷い気がつけば知らない場所でうずくまり静かに泣いていた。
「だいじょうぶ?」
頭上から声が聞こえ顔を上げると、少し前から屋敷に預けられていた男の子が立っていた。
張りのある黒い髪の奥から覗くどこまでも澄んだ紫色の瞳に思わず見惚れてしまう。
「おかあさまに会いたい」
そう呟いた私の手を、男の子は何も言わず握りこんだ。そのまま手と手を繋いで墓地まで連れていったくれた。
「おかあさまひとりにしないで」
母の墓石に抱きついて何度も何度も繰り返す。そんな私の頭を、男の子は黙って撫でてくれていた。
「ぼくがずっと守るから」
頭を撫でられる経験など数えるほどしかなかった。撫でらている頭も、寂しさに凍えそうな心もあたたかい温もりに包まれるよう。
しばらくして私を探しに来てくれた侍女に発見されるまで、彼はずっとそうしていてくれたのだ。
その後、いつの間にか男の子は屋敷からいなくなってしまっていた。
――あの男の子の名は。
深い場所に沈んでいた意識が浮上する。
ゆっくりと瞼を開けると、寒ざむしい離宮の天井。
「アマンダ様!」
声のする方に視線だけ動かすと、青ざめた表情で私の顔を覗き込むゼインの姿があった。
綺麗な紫色の瞳。
ああ、この騎士はあの時の男の子なんだわ。
胸の奥で茨がキリキリと疼く。これが『愛したら死ぬ』呪いの仕業なのだ、と私に伝えるように。
私はあの男の子――ゼインが好きだったのね。
でも駄目よ。彼を愛してしまったら、私は死んでしまう。
この気持ちに蓋を。鎖を何重にも巻いて、決して溢れないように閉じ込めなければ。
*
それから数日の間、私が倒れたことでくだらない見合いがなくなり、離宮には穏やかな空気が流れていた。
ゼインは私の傍に控え、細やかな気遣いをみせてくれる。
お互いにあの当時のことをあえて口にすることはなかった。それでいい。胸の痛みはうっすらと残っていても、ただ、そこにゼインがいるだけで私は諦めずにいられた。
けれど、そんな日々は呆気なく壊されてしまう。
とある貴族の子息が「聖女様の望みを叶えるためだ!」と強引に離宮へと押し入ってきたのだ。
その男は、社交界でも素行が悪いと評判の子爵家の次男だった。
見張りの騎士たちも、王太子の婚約者である聖女の名を出されれば追い出すことはできないのだろう。複雑な表情を浮かべ遠巻きに立ち尽くしている。
「俺様の妻にしてやる! 貴様を娶れば聖女様から祝福を授かれるんだ!」
血走った眼に射貫かれ全身がゾワリと震える。そんな私をさりげなく背中に隠すようにゼインが立ち塞がった。
男は一直線に私に向かってきた。強引にゼインの横をすり抜け、私の肩に手を伸ばされる。
――嫌だ!
恐怖に身を竦ませる私の目の前で、男の体が宙を一回転し床に叩きつけられた。
ゼインが男の腕を掴み投げ飛ばしたのだ。
「アマンダに触れるな!」
男の背中に膝を乗せ、鋭く言い放ったゼインの言葉に、胸がドクンと強く脈打つ。
叩きつけられた衝撃で失神してしまった男を騎士たちが両脇を抱えて外へと運び出していく。
静寂に包まれた部屋にゼインと二人きりになる。
恐怖に震えが止まらず、その場にうずくまる。そんな私の隣にゼインが跪き優しく頭を撫でてくれた。
「もう大丈夫だ。俺が守るから」
あたたかな温もりに触れ、胸の痛みが一瞬だけ和らぐ。
鎖を巻いて蓋をした想いが溢れ出していくよう。
「ゼイン。私、貴方を愛しています」
澄んだ紫色の瞳を見つめ、言葉にして伝えた。
「俺も、アマンダを想っている」
あの日の男の子の面影が重なる。
誰かを愛し、愛されている。ああ、私にも愛があったのだ。もうこの想いは隠せない。
そして、それは命が消えるということを意味していた。
心臓が握りつぶされるような痛みに、私の意識はそこで途切れた。
*
日に日に命がこぼれ落ちていく。
私は誰もいない部屋でひとり長椅子に腰かけ、窓の外で芽吹いたばかりの新芽が揺れているのを眺めていた。
もうすぐ春が訪れる。
ゼインは朝から外出していた。帰りは夕方だろうか。
たった数日だけの短い時間だったけれど、愛を知ることができて私は幸せだ。
だけど願わくば、もっとずっとゼインの傍にいたかった。
どうか彼が、ゼインが幸せでありますように。
日溜まりに包まれて瞼が重たくなり、私はそっと目を閉じた――
*
アマンダが予言の聖女に『愛を知らなければ死ぬ』呪いをかけられたのを、俺はあの大広間の片隅で見ていた。
王太子やその側近たちによってアマンダが理不尽に貶められ、聖女を褒め称えている異様な光景を、爪が食い込むほど拳を強く握り耐えるしかなかった。
名ばかりの男爵家の俺には、どうすることもできなかったのだ。せめてアマンダの傍で彼女を守り、呪いが解けるのを見届けようと騎士団長に懇願し、なんとかアマンダが幽閉されている離宮の見張り役として彼女に近づくことができた。
アマンダと対面した瞬間、彼女は苦しそうに胸を押さえて崩れ落ちた。『愛している』と告げてくれたときも彼女は意識を失ってしまった。
これも呪いの影響なのか? だが、どこか違和感を覚えた。アマンダは愛を伝えてくれたのだ。『愛を知らなければ死ぬ』呪いは解けるはずではないのか?
何故、彼女は衰弱し続けている?
はたして聖女の言うことは正しいのだろうか?
最初に彼女が倒れてから、その疑念は消えることなく俺の内で燻り続けていた。
騎士仲間から『聖女様は時々、護衛もつけずひとりで街に出ている』と聞いた俺は、非番の度に聖女を監視し行動を起こすのを待つ。
そうしてある日、聖女の後をつけ貴族街と商業地区との境目にある、裏路地の奥にひっそりと佇む怪しげな店を突きとめたのだ。
カラン。
年季の入った木製の扉を押し開くと、乾いた鈴の音が響いた。昼間だというのに薄暗い店内は、薬草の匂いが充満していた。壁に備え付けられた棚には怪しげな液体が入った小瓶や、巻き物がみっちり押し込まれている。
「おや、珍しいお客だねえ」
店の奥から老婆のしわがれた声が聞こえてきた。黒いフードを目深に被り右手にゴツゴツした杖を握った、いかにも魔女といった姿。
「聞きたいことがある。予言の聖女――チェルシー・コックスを知っているか?」
「クックック……予言の聖女だって? あの小娘の知り合いかい?」
フードに隠されて表情は見えないが、聖女に対していい感情は持っていないような気配が伝わってくる。
「――もしや、聖女に呪いを売ったのはあなたか?」
「よくわかったねえ。ああ、そうさ。いろんな呪いを売ってやったよ。『孤立』『嫌悪』 面白いものだと『動けなくなる』。それから『愛したら死ぬ』とかね」
愛したら、死ぬ? なんだそれは?
……それじゃあ、アマンダは。
「『愛を知らなければ死ぬ』呪いではないのか?」
「なんだいその呪い? 知らないねえ。大方、あの小娘が小賢しい策略でも企てたんだろうよ。『魅了』の呪いを欲しがったが対価が支払えないって、代わりに『愛したら死ぬ』を選びおった……と言っても代金は後払いにしろと踏み倒されたがね」
「……呪いを解くにはどうすればいい? 彼女は、俺のせいで、呪いが……衰弱して」
全身が氷水を浴びせられたみたいに冷える。
呪いは解けていない? むしろ、呪いが動きだしてしまったというのか?
それじゃあ、アマンダは――
「その様子じゃ『愛したら死ぬ』呪いをかけられたのは、あんたの大事な人かい? 可哀想にねえ……呪いを解く薬はあるが、対価を支払う覚悟はあるかね?」
フードの影から辛うじて覗く薄い唇がニヤリと歪んだ弧を描く。
「対価?」
「ああ、そうさ。対価だよ。あんたの寿命の半分を寄越せば――」
「半分でも、全部でも好きなだけ持っていけ! アマンダを救えるのなら、俺の命などいくらでもくれてやる」
俺は懐から短剣を抜き、自らの胸に宛がってみせた。
「いいねえ。気に入ったよ。対価はそうだね、その短剣と交換で薬はくれてやる。それから、おまけにひとつ、いい呪いをあげようじゃないか。対価は、あの小娘から回収しとくさ」
*
ずっと孤独だった。
父親は愛人の家に入り浸り、母親も自分が産んだ子供に興味を持たなかった。母親からの虐待が始まると親類縁者の家を転々とする日々。
行く先々で腫れ物のように扱われて過ごしていた。
幼いアマンダと出会ったのは、その頃だった。太陽の光が宿ったかのように煌めく金色の髪と同じ色の瞳の少女は、黒髪の俺とは正反対で眩しく思えた。
だが、彼女もまた孤独だった。
母親を病で失い家族からも使用人からも愛されていない。
初めて誰かを守りたいと思った相手が自分よりも幼いアマンダだ。
震えながら泣いているこの子を守らなくては、と。
その感情が恋だと気がついたのは彼女の屋敷を去り、他の屋敷に移ってから。
アマンダを守ろう。そのために誰よりも強くなろう。そう心に誓って騎士の道を歩みだしたのだ。
離宮に戻ったのは、日が傾いた頃。
長椅子に体を預け瞳を閉じるアマンダの髪が、茜色に染められていく姿は絵画のように美しかった。
*
王城の回廊を足早に歩む。目指すのは王太子と聖女の婚約を祝う夜会が開かれている大広間だ。
アマンダが離宮で限りある命を削られている中、彼らは連日連夜、宴を開き贅沢の限りを尽くし命を浪費していた。
扉の前に立ちふさがる白い制服を身に纏った上級騎士の制止を無視し、蹴破るように大広間へと押し入った。
煌びやかな照明に照らされた会場の壇上には、金糸の刺繍が施された長椅子に寄り添い合って腰を下ろす主役の王太子と聖女。二人を見守る側近たち。そして、国中の貴族が集まっている。突然の乱入者に楽しげな演奏がピタリと止まり、何事かと騒然となった。
「何事だ! 下級騎士の分際で誰の許可を得て入室した!」
側近のひとり、騎士団長の息子が腰の剣に手をかけながら叫ぶ声が大広間に響く。
「――アマンダ・マクミランが先ほど亡くなりました」
感情を押さえ込んで、ただ静かに告げた一言に会場のざわめきが消え去り、誰かの衣擦れの音だけがかすかに聞こえる。
傲慢に怒鳴り散らしていた騎士団長の息子は、俺の瞳の奥に隠しきれない怒気に気圧されたのか、言葉を失ったまま後ずさった。俺はそんな彼に一瞥もくれず長椅子に座る王太子の元へと歩みを進めていく。
「何故だ? 呪いの期限はまだ先のはずだ。まさか、自ら命を……?」
「きっと、アマンダさんは人を愛することを諦めたのですわ。なんてお可哀想なのでしょう」
信じられないといった表情をみせる王太子にしなだれかかるチェルシーが、わざとらしく涙を拭う真似をした。
「いいえ。アマンダは呪いによって命を奪われたのです」
一段高い場所にいる彼らのすぐ下で歩みを止め、見上げた。
「呪いは愛を知れば解けるはずであろう?」
「いいえ、殿下。実際は『愛したら死ぬ』呪いだったのです。アマンダが誰かを愛せば死ぬ。そして、彼女は俺を愛してしまった。それが真実なのです」
俺の言葉に王太子は信じられないと首を小さく横に振るだけ。
「愛を知った彼女は、日毎に衰弱していきました。貴方の隣にいる女は、魔女から呪いを手に入れアマンダを陥れたのです」
「な、何を言っているの!? 私、魔女なんて知らないわ」
聖女は王太子の腕にすがりつきながら、必死に声を荒らげた。
「……それなら何故、愛を知ったアマンダの呪いは解けなかったのだ? ああ、そう言えば魔女から面白い呪いを手に入れたんだ。――試してみよう」
「……え?」
壇上の聖女を真っ直ぐに指差した。
『 』
呪いの言葉を呟くと、指先から放たれたどす黒い靄が焦りの表情を浮かべる聖女を包み込んだ。
不気味な光景に王太子が長椅子から飛び退き、側近たちも身構える。会場のあちらこちらから悲鳴に似た声が上がった。
「おまえは、アマンダを陥れたな?」
靄が聖女の体内に吸収されると、トロリとした茶色の瞳が俺に向けられる。
「うわー。よく見たらイケメンじゃん! アマンダ? あの邪魔な女がいなくなれば私がロードリックと結ばれてヒロインになれるのよ。だから罪を被せて『愛したら死ぬ』呪いを使ったわ。狙いどおり死んだんでしょ?」
長椅子から立ち上がるとふらふらとこちらに歩みを進める。聖女は焦点の定まらない瞳で狂ったように言葉を紡いでいく。
「ねえ、聞いてる? もっと私のこと見て!」
熱い吐息を漏らし、好きな男を前にした少女のように身を捩らせる姿に反吐が出そうになる。
「あははは、これでロードリックも騎士団長の息子も、宰相の息子も、攻略対象はみーんな私のモノ! でも貴方のことがいちばん好きよ。だから私のモノになって!」
高潔な存在だと信じて疑わなかった女の醜悪な本性。聞いたことのない『コウリャクタイショウ』とやらと呼ばれた王太子たちは、あまりの衝撃に顔を青ざめさせ立ち尽くすしかなかった。
「……今、聖女は何と言った?」
「罪を被せたと聞こえたぞ。アマンダ嬢に死ぬ呪いをかけたとも」
「断罪は間違いだったのではないか?」
静寂が破られざわめきが広がる場に、俺がパチンと指を鳴らす音がやけに大きく響いた。と、同時に聖女の内側から黒い靄がどっと吹き出し、霧散していく。
「ぁ、いやだ。違うの……!」
熱に浮かされたような瞳が、正気を取り戻し何度か瞬きを繰り返すと、ガタガタと震えだした。
彼女を射貫くのは、驚愕、蔑み、憤怒……何十、何百の視線だった。
「どうだ? 呪いをかけられた気分は?」
「ま、まさか魔女の呪い!? あの店を見つけたの? 嘘でしょ?」
その場に崩れ落ちながら聖女が呟いた。
「僕を騙したのか? チェルシー」
「……そうよ。あの女は私に危害なんて加えてない」
半ば投げやりに王太子の問いに返した。もう、取り繕うのは無駄だと悟ったのだろう。
「『予言の聖女』だというのは?」
「ゲームのストーリーを予言と言っただけ。ほんものの聖女はアマンダだったけど、私が成り代わってやったの」
「ゲーム? ……聖女の名を騙ったということか? よくも、よくも僕を騙したな! この女を捕らえよ!」
偽聖女の告白に唇を噛みしめた王太子が命じ、呆然となっていた騎士たちが慌てて駆け寄る。
「なんでよ! せっかくヒロインになれたのに! 卒業式でエンディングを迎えてクリアだったのに! ふざけるな!」
拘束された偽聖女は、連行されながら最後まで大声で喚き続けた。
「無実のアマンダ嬢に僕は、なんて酷いことを……」
王太子は怒りに満ちた表情を消し、力なく俯いた。
本来は正義感に溢れ誠実な彼は、己の過ちの重さをようやく知ったのだ。あの女に巧みに騙され何の罪もないアマンダを断罪したその重大さを――
*
茜色に染まるアマンダの姿を見た瞬間、血の気が引いた。なりふり構わず滑り込むようにして膝をついた。
「――アマンダ?」
まるで生命が失われていくように、あたたかみのある茜色が冷ややかな群青色へと移ろう。
手遅れだったのか?
最悪の事態が脳裏を掠めた。
震える手で群青色の頬に触れると、熱が失われひんやりとした冷たさが伝わってくる。
懐から魔女から手に入れた小瓶を取り出し、蓋を外して中味を一気に口に含んだ。
ぐったりとしたアマンダの細い顎を片手で支え、そっと上を向かせる。そのまま彼女の唇に自らの唇を重ねた。
祈るように、含んだ液体を彼女の口内へと少しずつ流し込んでいく。
小さく喉が上下するのを感じ唇を離す。
頼むから逝かないでくれ。
アマンダの身体が次第に青白い光に覆われると、光が茨へと変化する。その茨に更に絡まり合う禍々しい深紅の蔦。
彼女にかけられていた呪いが、具現化しているのだろうか。
ひときわ強く輝くと呪いは粉々に砕け散った。
「……ん」
かすかな吐息と共に、アマンダの長い睫毛が揺れる。ほんのりと色を取り戻した頬。ゆっくりと瞼が開かれ、暗がりの部屋でも光を放ち煌めく金色の瞳が俺を捉えた。
「おはよう、アマンダ」
*
聖女の退場劇に会場は蜂の巣をつついたような騒ぎとなっている。対照的に壇上に残された王太子と側近たちは一様に暗い表情でその場から動けずにいた。
ギィ……と扉が開かれる音が響き、視線が一斉に入り口に向けられる。
そこに立っていたのは、アマンダその人だった。
煌びやかな照明にも負けない太陽の光を集めたような金色の髪と瞳。すべての呪いから解き放たれた姿は気品に溢れ、いっそ神々しさすら感じられる。
彼女が一歩また一歩と歩むと、居並ぶ貴族たちが息を呑み自然と道を開けた。
「アマンダ嬢ではないか?」
「死んだのではなかったのか?」
そんな声が小さく漏れ聞こえた。
一段高い壇上のロードリックが弾かれたように顔を上げ、アマンダの方を向いた。次の瞬間には、壇上を飛び降り足音を立ててアマンダの元へ走り寄ってきた。
ちらりとこちらに視線を寄越した王太子は、あの女を油断させるために俺が嘘をついたのだと理解したようだった。
「生きて……生きていたのだな。聖女の、チェルシーの言葉を鵜呑みにし……僕は、無実のアマンダ嬢にひどいことを……! 申し訳なかった」
必死な形相で頭を下げる王太子を、アマンダは凛とした眼差しで見つめた。
「顔をお上げください、殿下。私は殿下を恨んでなどいません。――お陰でゼインと出会い、ほんとうの愛というものを手にできました」
隣に立つ俺を見上げ、ふわりと愛おしげに微笑むアマンダ。
「アマンダ様こそ、聖女様ではありませんの……?」
呪いによってすべてを失うはずだったアマンダは、今や誰よりも気高く輝いている。
真の聖女の降臨に、会場には割れんばかりの歓声と拍手がいつまでも響き渡ったのだった。
*
鬱屈とした地下牢に、黒いローブを被った魔女の杖をつく音だけが響く。
カツンカツン。
いちばん奥の鉄格子の前で音が止み、薄暗い牢屋の中に冷ややかな視線を向けた。
「ねえ、助けて!」
魔女に気がついたチェルシーが内側から鉄格子を掴み、必死に懇願する。
「まったく、あんたのせいで店の存在が国に知られちまったよ。まあ、こんな場所に入れられたってことは、ペラペラと喋りまくったんだろ? いい気味だ」
「やっぱり、あの騎士に呪いを……ふざけんな、ババア! いいから早くここから助けろ」
乱暴な言葉遣いや暴言を魔女は気にも留めない。
「この国じゃ商売出来ないし、南の帝国に移住するつもりさ。その前に、『王太子と結婚したら払う』って未払いだった呪いの対価、アンタの若さで払ってもらうよ」
不気味に微笑み杖を振り上げる。
『 』
深緑と黒が混ざった無数の蝶が、次から次へと杖から羽ばたいた。蝶はチェルシーに群がり、姿が覆い隠されてしまう。
やがて蝶が去って再び姿が晒された。だが、そこにいたのは、素朴な茶色の髪の少女ではない。髪は枯れ果てた白髪。顔には深い皺が幾重にも刻まれた老婆だった。
魔女は満足げに笑うと、黒いローブを脱ぎ捨て新しく手に入れた自らの体を見下ろした。皺ひとつない、陶磁器のような滑らかな肌。妖艶さを孕んだ波打つ赤い髪。
「ああ、あの若造の対価も、アンタの命から引いといたよ。あれが『魅了』の呪いさ、欲しがってただろう? ――これが、ハッピーエンドってやつだね」
翌朝、地下牢を訪れた看守たちは鉄格子の奥でうずくまる老婆の姿に悲鳴を上げ逃げ出した。
「……ひっ……ば、化け物」
「ま、魔女だ!」
その後、一夜にして老婆となったチェルシーは、『聖女』を騙った罰として魔獣の森に棄てられたのだった。
黒い狼に似た獣が大きく口を開き鋭い牙の隙間から涎をだらだらと垂らしている。
「こんなクソゲーなら、最初からやらなかったのに……」
ヒロインになりそこなった元聖女の物語の結末は、バッドエンドで幕を閉じた。
*
私たちがロードリック殿下から改めて正式な謝罪を受けたのは、それから数ヶ月後のことだった。
最初は『チェルシーの予言があればこの国がより良くなる』という、純粋な思いだけだったそうだ。それが、いつからか私の姿が視界に入ると、どうしようもなく嫌悪する感情が湧くようになっていったのだと、殿下はぽつりぽつりと語った。
おそらく、私には『愛したら死ぬ』呪い以外にも何かしらの呪いがチェルシーによってかけられていたのだろう。私を憎むような、そんな呪いを。
「これからの人生は、この国の民のためにすべてを捧げ生きて行こうと思う」
そう誓った殿下の新緑の瞳は、かつての正義感と誠実さに溢れていた。
だが、犯した罪が消えることはない。殿下が王籍と王位継承権を剥奪され、ただの平民として王都を追放されたのはそれからしばらくしてからだった。
追放処分に意義を唱えることなく静かに決定を受け入れた殿下は、誰にも見送られずひとり静かに王城を去ったそうだ。
彼の側近たちも騙されていたとはいえ、それ相応の処分が下された。二人とも貴族としての身分を奪われ平民となった。
騎士団長の子息は、上級騎士の白い制服を剥奪され、黒い制服の下級騎士として最も過酷な北の国境警備を命じられた。宰相の子息もまた、将来を約束された華やかな上級文官から、薄暗く埃臭い部屋でいつ終わるかもわからない膨大な資料整理に追われる下級文官へと落とされたのだった。
王太子の側近であるという自尊心を根元からへし折られた彼らは、これから嘲笑と罪悪感を背負いそれぞれの道を歩むことになる。
ゼインは偽聖女を暴いた功績により、国王陛下から子爵位と新たな家名を授けられ、更に王都の郊外に屋敷まで手配された。
あの夜会での噂を聞きつけた私の実家からは、これまでの行いに手のひらを返しすり寄るように書状が届けられているが、一度も開封していない。
風の噂では聖女である娘を不当に扱ってきたことが明るみになり、社交界で爪弾きにされているのだとか。
私は『聖女』などではなく、ただのアマンダ。
私たちは静かに穏やかに、新しい生活を愛する人と始めるのだ。
*
「街で侍女が聞いた噂だと、ロードリック様が東の荒野で魔獣討伐隊に参加されたんですって」
「へえ」
「かつての優雅さが嘘みたいに逞しくなられたそうよ」
「へえ」
「……どうして不機嫌なの?」
「俺以外の男の話をしてほしくない」
「まあ、嫉妬しているの? うふふ。可愛い」
拗ねたように視線を逸らす彼の張りのある黒髪に触れ、優しく頭を撫でる。
幼かったあの日、ゼインが私にそうしてくれたように。
これが、私たちの幸せな結末。
最後までお読みいただきありがとうございます。
本来のアイヨンのシナリオは愛を知らないヒロイン(アマンダ)が学園で王子たちと出会い様々な困難を乗り越えながら愛を育み、最終的に不思議な力に目覚めて聖女となり攻略対象と結ばれハッピーエンド。
(魔獣は出てくるけど魔王は出てこない世界)
序盤のアマンダ、呪いの影響で精神状態がやさぐれ気味。
ちなみに魅了魔法ではなく魅了の呪いのため、かけられてもチェルシーはゼインに対して甘々にはなりませんでした。
9/7 誤字報告ありがとうございます。




