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後宮《ハレム》の女商人は謀略を売る  作者: 悠井すみれ
第四章 傷ものの至宝の行方
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第5話 仕入れ元と卸し先

 闇の中に、火花が散った。何者かが繰り出した斬撃は、バルトロが腰に佩いていた刀を抜いて受け止めた。


(さすが……!)


 夫の左腕に抱え込られて、スィーラーンは視界に残った閃光の残光に目を瞬かせた。

 イストリアの貴族に、立場に驕った惰弱な者は少ない。若いころから船に乗り、異国にて見聞を広げながら、交易と操船と戦いの術を実施で学ぶ者がほとんどだから。元首ドージェの子息もその例に漏れず、ということなのだろう。


「――襲撃だ! 皇子を狙う刺客を捕らえよ!」


 とはいえ、襲撃に動じることなく冷静に呼びかける姿には見蕩れずにはいられなかった。

 闇の中に、いくつもの鋭い煌めきが弧を描いても、スィーラーンは怯えることはなかった。だって、その半数以上はのものだと分かっていたから。


「不敬な賊め……!」

「ゼーナの手先か――」

「皇子をお守りせよ!」


 木立や草むらの影から次々に声が上がり、怒りにまかせて踏み鳴らされる足音に、寝ていた鳥が驚いて鳴き声と羽根を撒き散らす。

 暗殺の場に相応しくない騒がしさは、備えていたからこそ、だ。刺客がもっと慎重だったなら、闇の中にふたりきり、隙だらけのスィーラーンたちを見ても、罠を疑えたはずだけど――


(思い通りにいかずに焦ったのは、あの女も同じだったようね?)


 遥かなエドレネにて、必死に策を巡らせているであろうシェフターリを思って、スィーラーンは笑った。

 その間にも、バルトロも、伏せていた兵たちも刀を振るっていた。数で勝る相手に待ち構えられていたと知った刺客たちは浮足立ち、次々に悲鳴が上がる。


 草原に血の臭いが立ち込め、静寂が戻るまでに、そう長い時間はかからなかった。


      * * *


 そして、しばらくの後――バルトロとスィーラーンは、並んで皇子の天幕に召し出されていた。

 卓上に、一応は果実水シェルベトが用意されてはいたけれど、ゆっくりと楽しむ余裕はなさそうだった。天幕の主の苛立ちと不審に満ちた表情からして、詰問の場になるのは明らかだったからだ。


「……これが、そなたが言うところの()()()か、スィーラーン」


 天幕の隅に、縛られて転がされた刺客をちらりと見てから、アスラン皇子は唸るように絞り出した。


「はい。自分からやって来てくれるとは、手間が省けて重畳でございました」


 晴れやかに笑って頷いたスィーラーンと裏腹に、皇子は酢を呑んだような表情で唇を歪める。


「見事な手腕と言えなくもないが、このために私の長衣カフタンを持ち出し、いちゃつく様を見せつけたのか」


 アスラン皇子が、顔に傷のある小姓――スィーラーンに向ける目の奇妙な熱は、傍目にも明らかだった。だから、間諜経由でエドネレのシェフターリたちの耳にも届くだろうし、()()()()()()()()()()が、件の小姓を暗い中に連れ出したとなれば、人目を忍んだ逢引だと信じ込んでくれるだろう。


 そう読んだ上で、皇子の長衣カフタンを借りたバルトロとスィーラーンと、ふたりで天幕を離れていたのだ。


(そういえば、見られていたのね……)


 もちろん、長衣カフタンを持ち出す理由は説明したから、襲撃の可能性自体は皇子も承知していた。自分の命が狙われているかも、と思えば落ち着かないだろうし、だから遠目に様子を窺っていたのだろう。


 つまりは、見張りの者たち、あまつさえ皇子にも、バルトロと抱き合う様を見られていたのだ。


 遅ればせながらそう気付くと、スィーラーンの頬は熱くなった。いっぽうで、いつもの黒衣に着替えたバルトロは、どこまでも悪びれない。


「今宵に限って現れるとは、思ってもみませんで――見張りについては、失念しておりました。申し訳ございません」

「ふん……」


 相手が皇子だろうと妻を渡したりはしない、と。言葉だけでなく、堂々とした態度でも言い切った異国人を前に、アスラン皇子は不機嫌そうに唸った。

 けれど、次の瞬間には獰猛な笑みを浮かべて捕虜に目をやった。待ち構えていた甲斐あって、多くを生け捕りにできたのは僥倖だった。尋問すれば、誰に何を命じられたかも吐かせられるだろう。


「とはいえ、()()らは確かに珍品ではあるな。首をエドレネに届けてやれば、兵を向けても誰にも文句は言われまい……!」


 皇子の金色の目は、復讐と戦いへの喜びに燃えていた。暗殺未遂を口実にすれば、皇帝スルタンを堂々と非難できると思ったのだろうけれど――


「いいえ、進路は変えません」


 バルトロは、若い獅子の戦意に冷水を浴びせるかのように、さらりと告げた。


「何だと」

「恐れながら、殿下の自作自演とそしられる余地がございます。反逆を正当化するための謀だ、と。ゼーナも寵姫シェフターリも、そのていどの考えは用意しておりますでしょう」


 シェフターリとしては、皇帝スルタンの寵愛だけが生き延びるよすがなのだ。帝位継承者のが生きている限り安心できない――だから、何としてもアスラン皇子を反逆者に仕立て上げなければならないのだ。


 状況を思い出させるべく、スィーラーンも夫に言い添える。


「安易にエドレネを攻めては、あの者たちを喜ばせることになってしまうかと存じます。ことによると、暗殺の成功よりもその事態を望んでいるかも――どうぞ自重してくださいますように」


 皇子の顎の線が硬く強張り、歯を強く噛み締めたのが見て取れた。自重とは、帝都を出発して以来、飽きるほどに聞かされてきた、と思うのだろう。


「命を狙われて、黙って耐えろと言うのか。商人が仕入れた品を死蔵して何とする」


 唇の間から絞り出す声は、皇帝スルタンやゼーナやシェフターリに対してだけでなく、スィーラーンたちにもはっきりと苛立ち怒っていた。まるで、呪詛のようでさえあったけれど――返す言葉は、ちゃんと考えてある。


「そのように()()()()()()ことはいたしません。この者たちを売りつけるのは、コフチャズの領主に、でございます」


 顔を顰めた皇子が、次の言葉を発する前に、スィーラーンは滑らかに続けた。


「この辺りも、まあコフチャズの近郊と言ってよろしいでしょう。畏れ多くも皇帝スルタンの命によって遣わされた行列を襲ったを突き出すのは当然のこと――これで、殿下が煩わしい()使()()にお手を煩わせる必要はなくなりますわ」


 母后ヴァリデ・スルタンに命じられるまま、賊の捕縛だの不正の摘発だのといった()使()()に従事することを、皇子は嫌がっていた。その()()から早々に解放されるのだ、と伝えると、金色の目に宿った炎がすっ、と冷めたように見えた。


(そう……冷静になれば分かっていただける。それだけの器をお持ちの方のはず……)


 スィーラーンの期待は、裏切られなかった。白く長い指で顎を撫でながら、アスラン皇子はゆっくりと言った。頭に浮かんだことを纏めて、その成算を確かめようとするかのように。


「賊を調べた領主は――ゼーナに抗議する、か」

「先方にとっても良い話ですから、きっと飛びつきますわ」


 自力で気付いていただけたなら、話が早い。ここぞとばかりに、スィーラーンとバルトロは身を乗り出し、熱を込めて口々に語る。


「殿下に脅される恐れがなくなる――領地を荒されずに済む上に、ゼーナを重用してきた皇帝スルタンに貸しを作る好機が転がり込んでくるのですから」

「幾らで売りつけるかは、殿下のご手腕次第、となるかと存じますが――」


 商人の理屈で言えば、これ以上なく美味しく、かつ()()()状況も、帝国の皇族にはどう聞こえたのか――アスラン皇子は眉を寄せたまま、またも鼻を鳴らした。


「私に商人の真似事をしろというのか」


 とはいえ、口の端は楽しげに上がっているし、声も弾んでいる。


 皇子が求めていた、兵を集める拠点とは形が異なるけれど――地方の有力者に恩を売ることができるのは、彼の今後に大きく利するはず。話をどう持っていくのか、端整な額の奥で色々と考えを巡らせるのは楽しいだろう。


(戦うだけが道を拓く術ではないと、分かってくださると良いのだけど……!)


 ともあれ、これで無辜の民が血を流し、国土が荒れる内戦に至る可能性は大幅に後退した。商人としても、商売への悪影響が出ないなら万々歳だろう。


 皇子の機嫌が上向いたのを良いことに、スィーラーンはようやく供されていた杯を手に取った。よく冷えた果実水シェルベトは甘く、疲れと緊張に乾いた喉を潤してくれる。


 緊張――刃を間近に感じ、皇子の勘気を宥めたことに対してだけでは、なくて。


(最後まで話せなかった、けど……?)


 沈思する様子の皇子に気付かれないていどの、目のわずかな動きで、スィーラーンはバルトロを伺ってみた。すると、同じく視線だけで答えが返ってくる。


 ――話の続きはまた後で、と。


 明日の朝からは、一行はより速度を上げてコフチャズを目指すことになるだろう。その途上で、彼とは色々と話をすることがあるはずだった。

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