――八岐神社の守り手――
――夜は、すべてを奪う。
けれど同時に、何かを始める場所でもある。
これは、炎に居場所を奪われた一人の少女が、
人ならざるものの棲む森へと迷い込み、
“生き延びる理由”を拾い上げるまでの物語。
名も知らぬ世界、霊鏡。
人と妖の境が曖昧なその森で、
少女はまだ、自分が何者になるのかを知らない。
これは――
運命が静かに動き出した、第一夜の記録である。
寺子屋を後にした亜由とナチカは、沙霧村の通りをゆっくりと歩いていた。
昼の賑わいはまだ続いている。
村の中央にある市場では、人と妖怪が肩を並べて買い物をしていた。
亜由は目を輝かせながら、あちこちを見回している。
「すごい……」
「こんなにお店があるんですね」
通りの一角では、狐耳の青年が焼き団子を売っていた。
香ばしい匂いが漂ってくる。
「焼きたてだよー!」
その隣では、河童の老人が桶いっぱいの川魚を並べている。
「今朝とれたばかりだぞ」
さらに向こうでは、翼のある妖怪が空から荷物を運び、商人たちに渡していた。
亜由は感心したように呟く。
「人間と妖怪が……普通にお仕事してる……」
ナチカは短く答えた。
「ん……ここでは普通」
二人は市場を抜け、村の端へと向かう。
そこには畑が広がっていた。
大きな田畑では、人間と妖怪が一緒に作業している。
土を耕す大男の鬼。
水を引く河童。
苗を植える人間の農夫。
笑い声が風に乗って届いてくる。
亜由は小さく息を吐いた。
「……みんな、仲良しですね」
ナチカは少しだけ視線を遠くへ向ける。
「……梓様が作った場所だから」
やがて畑を抜けると、視界が一気に開けた。
一面に広がる――
向日葵平原。
黄金色の花が風に揺れている。
太陽に向かって咲く向日葵は、まるで海のようだった。
亜由は思わず声を上げる。
「わぁ……!」
「すごい……!」
花の海の中を、細い道が一本伸びている。
二人はその道を歩いていった。
向日葵の間からは、虫の声が聞こえる。
風が吹くたび、花が一斉に揺れる。
その先――
石の階段が現れた。
山へと続く長い階段。
亜由は見上げる。
「ここ……登るんですか?」
ナチカは平然と言った。
「うん」
「この上に神社がある」
二人は階段を登り始めた。
一段、また一段。
階段は思っていたより長かった。
途中で亜由は息を切らす。
「はぁ……はぁ……」
「結構……長いですね……」
ナチカは軽やかに登っていく。
「もう少し」
「がんばって」
やがて――
最後の階段を登りきると、
大きな鳥居が見えてきた。
八岐神社。
山の頂に建つ、古い神社だった。
静かな空気が流れている。
ナチカがふと上を見上げた。
「あ、いる」
亜由は首をかしげる。
「?」
そのとき、
頭上から声が降ってきた。
「……ん?」
「珍しいお客さんだね……」
亜由は驚いて見上げる。
鳥居の上。
そこに少女が座っていた。
長い髪が風に揺れている。
気だるそうな目で、こちらを見ていた。
亜由は小声で聞く。
「あの人は?」
ナチカが答える。
「彼女は妖怪……おとろし」
「不信心なものの上に乗っかってくる妖怪」
「名前はたしか……」
少女は軽く肩をすくめた。
「しいか」
「それが私の名前」
鳥居の上で足をぶらぶらさせながら言う。
「神社に入るの?」
「どうぞ」
亜由は少し慌てながら頭を下げた。
「あ、はい!」
二人は鳥居をくぐった。
その瞬間、
空気が少し変わった。
境内はとても静かだった。
風の音だけが聞こえる。
苔むした石灯籠。
古い手水舎。
そして奥には、大きな社殿が建っている。
神聖な雰囲気が漂っていた。
亜由は小さく呟く。
「……きれい……」
そのとき――
社殿の奥から声が聞こえた。
穏やかな女性の声。
「おやおや」
「一体どんな子が来たのかな?」
社殿の影から、
一人の女性が姿を現した。
長い黒髪。
巫女装束。
どこか神秘的な雰囲気をまとっている。
その目は優しく、
そしてどこか鋭かった。
女性は亜由を見つめる。
そして微笑んだ。
「ふふ」
「迷い人……かな?」
ナチカが軽く頭を下げる。
「……こんにちは」
山の神社
新たな出会いが、
静かに始まろうとしていた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




