――知識の部屋――
――夜は、すべてを奪う。
けれど同時に、何かを始める場所でもある。
これは、炎に居場所を奪われた一人の少女が、
人ならざるものの棲む森へと迷い込み、
“生き延びる理由”を拾い上げるまでの物語。
名も知らぬ世界、霊鏡。
人と妖の境が曖昧なその森で、
少女はまだ、自分が何者になるのかを知らない。
これは――
運命が静かに動き出した、第一夜の記録である。
亜由は廊下の奥にある大きな扉を指さした。
「……あの部屋は?」
ナチカはちらりとその扉を見る。
「あの部屋は書庫だよ。色々なデータが記されてる本や巻物がある……入ってみる?」
亜由の目がぱっと輝く。
「はい!」
ナチカは小さく頷いた。
「ん、わかった。行こう」
二人は扉を開けた。
ギィ……。
中に入ると、そこには――
天井まで届くほどの本棚。
巻物がぎっしり詰まった棚。
机の上にも高く積み上げられた資料。
古い紙の匂いが、ほんのりと漂っていた。
亜由は思わず声を漏らした。
「たくさんありますね……!」
ナチカは静かに答える。
「ん、まぁ……ほとんど霊鏡で暮らしている物の怪のデータだから」
そのとき――
紙をめくる音が止まった。
「おや、見慣れない顔ですね」
声のした方を見ると、
机の前にメガネをかけた少女が座っていた。
体にはいくつもの巻物が巻き付けられている。
亜由は少し驚く。
「!」
ナチカが説明する。
「彼女は妖怪《経凛々》の凛……データを記す仕事をしてる」
亜由はぺこりと頭を下げた。
「亜由です!」
凛は優しく微笑んだ。
「なるほど。私はさきほどナチカが言ったように凛、経凛々だよ」
亜由は棚いっぱいの本を見上げる。
「これ……全部記したんですか?」
「すごいですね……」
少し心配そうに続ける。
「えっと……大変なのでは?」
凛はくすりと笑った。
「ふふっ」
「これは私の生きがいでもあるからね」
巻物を軽く持ち上げながら言う。
「楽しいものだよ」
亜由は少し安心したように笑う。
「そうなんですね」
凛は奥の棚を指さした。
「あっちには歴史書や小説、海外から取り寄せた童話なんかもあるから、見ていくといい」
亜由の目がさらに輝いた。
「あ、はい!」
しばらくの間――
書庫には静かな時間が流れた。
亜由は本棚の間を歩き回り、
気になった本を手に取り、
夢中でページをめくる。
ナチカは壁にもたれて、その様子を眺めていた。
ナチカが凛に小さく言う。
「……相変わらず、子供好き?」
凛は眼鏡を押し上げた。
「なにを当たり前なことを言っているんだい?ナチカ」
少しだけ表情が柔らぐ。
「私は……悲しむ顔が嫌いなだけだよ」
ナチカは小さく頷いた。
「……そう」
しばらくして――
亜由は本を閉じる。
「ありがとうございました、凛さん」
凛は軽く手を振った。
「またいつでもおいで」
「書庫は逃げないからね」
二人は書庫を出た。
廊下を歩きながら、
亜由は屋敷を見回す。
「すごい広いですね」
ナチカは淡々と言う。
「ん、まぁ……領主邸だからね」
亜由は少し考えてから言った。
「……あの」
「次は沙霧村を見てみたいです」
ナチカは一瞬だけ亜由を見る。
そして小さく頷いた。
「ん、わかった」
屋敷の出口へ歩きながら言う。
「ついておいで」
亜由は嬉しそうに返事をした。
「はい!」
扉の向こうには――
人と妖怪が共に暮らす、不思議な村。
亜由はまだ知らない。
この村で、
多くの出会いと出来事が待っていることを。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




