――鏡の内に鳴る影――
――夜は、すべてを奪う。
けれど同時に、何かを始める場所でもある。
これは、炎に居場所を奪われた一人の少女が、
人ならざるものの棲む森へと迷い込み、
“生き延びる理由”を拾い上げるまでの物語。
名も知らぬ世界、霊鏡。
人と妖の境が曖昧なその森で、
少女はまだ、自分が何者になるのかを知らない。
これは――
運命が静かに動き出した、第一夜の記録である。
沙霧村の屋敷主――源 梓は、どこか冷たく、けれど確かに優しい雰囲気を纏っていた。
凛とした佇まいの奥に、揺るぎない意思がある。
その視線は静かでありながら、すべてを見透かしているかのようだった。
「こ、こんにちは……」
亜由は深く頭を下げる。
声がわずかに震えている。
「ふふっ、緊張しなくてもいいのよ?」
梓はやわらかく微笑む。
「は、はい!」
思わず背筋を伸ばす亜由に、ナチカが横で小さく目を細めた。
「ふふっ……それで、迷い人?
何があったのか、聞かせてもらえる?」
「……はい……」
亜由は一度、ぎゅっと拳を握った。
炎。
叫び声。
崩れ落ちる家。
逃げろと叫んだ両親の声。
ぽつり、ぽつりと語り始める。
謎の軍勢が現れ、集落を蹂躙したこと。
刃と呪符。燃え広がる火。
逃げ惑う人々。
部屋の空気が、重く沈んでいく。
「……なるほど」
梓は静かに頷いた。
「その……容姿はわかる?
えっと、紙と書くものは……」
「こちらに」
控えていた使用人が、すぐに筆と紙を差し出す。
「えぇ、ありがと。
これに書ける?」
「あ、はい!」
亜由は筆を受け取り、震える指で紙に線を走らせた。
焼きついた記憶を辿る。
高い烏帽子。
狩衣。
呪符。
そして――冷たい目。
ナチカが小さく呟く。
「……絵……結構、綺麗……」
「できました」
亜由は紙を差し出した。
梓の瞳が、絵を見た瞬間に鋭く変わる。
「これは……!」
ナチカも覗き込み、息を詰める。
「……!」
「……どうしたんです?」
亜由が不安そうに二人を見上げる。
梓の声は、先ほどよりもわずかに低かった。
「……陰陽師……」
ナチカが静かに頷く。
「うん……間違いないね」
「陰陽師……?」
その言葉は、亜由の胸を刺した。
梓は視線を上げる。
「そういえば、あなた名前は?」
「亜由です!」
「亜由……」
梓はゆっくりと繰り返す。
「ねえ、亜由?
もしかしてあなたの家系、妖怪と関係があるんじゃないかな?
心当たりはない?」
亜由は一瞬戸惑い、そして思い出す。
「……あ。お母さんが……
わたしたちの集落は、半妖の集まりって言ってました」
「やっぱり……」
梓の目がわずかに細くなる。
「?」
亜由が首を傾げると、ナチカが代わりに口を開いた。
「……陰陽師は、妖怪が政府に認められて認知されてきた。
その影響で、妖怪と仲良くなった人間が増えた。
そして、妖怪を殺す陰陽師は忌み嫌われた……」
淡々とした声だが、どこか硬い。
「だから……陰陽師は妖怪を根絶やしにして、自分たちを世間に知らしめようとしてる。
おそらく……亜由の集落も、その過程で……」
亜由はうつむいた。
胸の奥に、冷たい何かが沈んでいく。
「……亜由」
ナチカの声は、わずかに優しかった。
しばしの沈黙。
やがて、梓が静かに言う。
「亜由。
よかったら、ここに住まない?」
亜由が顔を上げる。
「家、ないんでしょ?」
「……はい……」
梓は穏やかに続ける。
「それに、半妖である私の近くにいたほうが、半妖であるあなたの状態もわかるし……」
そしてナチカへ視線を向ける。
「もちろん、あなたもよ? ナチカ?」
「……私はいい……」
即答だった。
梓は小さく笑う。
「もう、一匹狼なんだから……どうするの?」
亜由は迷った。
知らない場所。知らない人々。
けれど。
炎の中で失った温もりの代わりに、
今、目の前に差し出されている手がある。
「……その……お願いします」
声は小さかったが、確かだった。
「えぇ、よろしくね」
梓は微笑む。
「この子の部屋、用意できる?」
「すでに出来ております」
使用人が即座に答える。
「あいかわらず、仕事が速いわね」
梓は満足げに頷いた。
亜由とナチカが部屋を出たあと。
梓は廊下に立ち、ふと空を仰いだ。
そして――
パンッ、と手を鳴らす。
空気が揺れ、影が形を持つ。
「およびで?」
黒い影が、鴉の姿をとって現れた。
「えぇ、十将夜叉に伝えて?
緊急会議って」
「御意」
鴉は翼を広げ、闇へと溶けるように飛び去った。
梓は静かに目を細める。
「さて……みんな来てくれるかしら」
霊鏡の静かな空に、見えない波紋が広がっていく。
亜由の運命は、今や一つの村だけの話ではなくなろうとしていた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




