ーー霧蛇と怪獣、欺きの果てーー
――夜は、すべてを奪う。
けれど同時に、何かを始める場所でもある。
これは、炎に居場所を奪われた一人の少女が、
人ならざるものの棲む森へと迷い込み、
“生き延びる理由”を拾い上げるまでの物語。
名も知らぬ世界、霊鏡。
人と妖の境が曖昧なその森で、
少女はまだ、自分が何者になるのかを知らない。
これは――
運命が静かに動き出した、第一夜の記録である。
沈みかけた月が、草原を薄く照らしていた。
すでに戦場は静かな草原ではない。
土はえぐれ、草は焼け、あちこちで炎と妖気が揺らめいている。
怒号、爆発、妖術。
人と妖の戦いは激しさを増していた。
その戦場の一角――
地面を這うように、長く黒い影が滑った。
「シュルルルルル……」
騰蛇。
十二天将の一体。
蛇のように長い身体を持つが、地面に縛られる存在ではない。
ふわりと宙へ浮き上がる。
翼はない。
だが空を泳ぐように飛ぶ。
その瞳が、ゆっくりと細められた。
「妖怪……」
空気が揺らぐ。
次の瞬間。
霧が広がった。
白い霧。
だがただの霧ではない。
草原を覆い尽くし、視界を奪い、音すら歪ませる。
「……ふふ」
霧の中から声が聞こえる。
騰蛇の能力。
霧の操作。
幻影。
恐怖。
人も妖も関係なく、心を揺さぶる。
その霧の奥に、鵺が立っていた。
腕を組み、わずかに笑う。
「なるほど」
「面白いわね」
騰蛇がゆっくりと近づく。
「恐怖は……」
「すべての生き物を支配する」
霧の中で景色が変わる。
鵺の目の前に現れたのは――
血に染まった戦場。
無数の死体。
妖怪の骸。
仲間たちが倒れている。
亜由。
美鬼。
紬。
しおり。
すべてが倒れている。
鵺は少しだけ眉を上げた。
「……へぇ」
騰蛇が笑う。
「どうだ」
「恐ろしいか」
霧がさらに濃くなる。
今度は違う幻。
巨大な炎。
燃える村。
焼け落ちる建物。
悲鳴。
逃げ惑う影。
「恐怖」
「驚愕」
「絶望」
騰蛇の声が霧の中で響く。
「それが心を操る」
その時だった。
霧の奥から、くすりと笑う声がした。
「ふふ」
騰蛇の瞳が細くなる。
「……?」
鵺がそこに立っている。
何事もない顔で。
「残念」
「それ」
「効かないわ」
騰蛇の瞳が揺れる。
「何?」
鵺は肩をすくめた。
「だって」
「私」
その姿が揺らぐ。
そして。
消えた。
騰蛇が振り向く。
「……?」
気配がない。
完全に。
「どこだ」
静かな声が霧に響く。
その時。
背後で声がした。
「ここよ」
騰蛇が振り向く。
鵺が立っていた。
騰蛇が牙をむく。
「見つけた」
その瞬間。
蛇の体が一瞬で伸びる。
牙が鵺を貫いた。
ズドン。
体が吹き飛ぶ。
地面に落ちる。
動かない。
騰蛇は鼻を鳴らした。
「……弱い」
だが。
その体が。
霧のように崩れた。
騰蛇の瞳が見開かれる。
「……幻影?」
背後から声。
「惜しい」
騰蛇が振り向く。
鵺が立っている。
騰蛇が唸る。
「……貴様」
鵺は笑った。
「正体不明」
「それが私の得意技」
体がまた揺らぐ。
三体。
五体。
十体。
鵺の姿が霧の中に現れる。
騰蛇は怒りの声を上げた。
「小賢しい!」
炎が噴き上がる。
騰蛇の周囲が燃え上がる。
十二天将。
火の凶将。
災難と破壊を司る存在。
炎の波が鵺たちを飲み込む。
だが。
すべて幻。
鵺の姿が次々消えていく。
そして。
どこからともなく声がする。
「ねぇ」
騰蛇が回る。
「どこ見てるの?」
上。
空。
鵺がそこに浮いていた。
騰蛇が怒号を上げる。
「逃げるな!」
体が空へ跳ぶ。
蛇の体が空を泳ぐ。
一瞬で距離を詰める。
牙が振り下ろされる。
だが。
また空振り。
幻影。
その瞬間。
騰蛇の体に影が落ちた。
背後。
鵺がそこにいた。
「遅い」
金色の妖力が鵺の腕に集まる。
鵺は金の属性。
鋭く、重く、貫く力。
「終わりよ」
騰蛇が振り向く。
だがもう遅い。
鵺の一撃が。
騰蛇の胴体を貫いた。
「――ッ!?」
空が震える。
騰蛇の体に亀裂が走る。
霧が消えた。
幻影も。
恐怖も。
すべて。
騰蛇は震える声を出した。
「……なぜ」
鵺が静かに言う。
「あなた」
「恐怖で人を操るんでしょう?」
一歩近づく。
「でもね」
「恐怖に慣れた妖怪には」
「効かないのよ」
騰蛇の体が崩れ始める。
砂のように。
「……くそ……」
そのまま。
崩れた。
塵となり。
夜風に流され。
消えた。
騰蛇は塵になって消えた。
その瞬間。
別の戦場。
しおりが薙刀を構えていた。
目の前には巨大な白い虎。
白虎。
低い唸り声が響く。
「グルルルルル……」
しおりはゆっくり笑った。
「さぁ」
薙刀を振る。
月光が刃に宿る。
「開演だ」
足を踏み出す。
「開演だ」
静かな声。
だが戦場に響く。
「私の薙刀術」
白虎を見据える。
「見せてやる」
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




