ーー契約の符と鎌鼬の誓いーー
――夜は、すべてを奪う。
けれど同時に、何かを始める場所でもある。
これは、炎に居場所を奪われた一人の少女が、
人ならざるものの棲む森へと迷い込み、
“生き延びる理由”を拾い上げるまでの物語。
名も知らぬ世界、霊鏡。
人と妖の境が曖昧なその森で、
少女はまだ、自分が何者になるのかを知らない。
これは――
運命が静かに動き出した、第一夜の記録である。
森の奥へ続く細い山道を、亜由は必死に走っていた。
前を行くのは白装束の女性――産女。
その背中を見失わないように、亜由は息を切らしながらついていく。
木々が深く生い茂る山道は薄暗く、ところどころに差し込む光が揺れていた。
「もう少しです!」
振り返りながら産女が言う。
亜由はこくりと頷き、足を止めずに進んだ。
やがて、森の道がふっと開ける。
木々の隙間から、柔らかな光が差し込み――
そこには小さな空き地が広がっていた。
奥には、小石を積み上げて作られた山がある。
子守山の中心――
子泣きの空き地。
「子どもたちは……」
産女が辺りを見渡す。
そのとき、亜由が声を上げた。
「あそこです!」
空き地の中央。
そこに、子どもたちが固まるように立っていた。
しかし――
様子がおかしい。
「……」
子どもたちは動かない。
まるで何かに怯えているようだった。
その周りには、淡く光る子どもの霊魂たち。
そして。
翼の生えた少女が、子どもたちを庇うように立っている。
その正面。
十二単を着た老婆が、ゆっくりと歩み寄っていた。
「ヒッヒッヒ……」
不気味な笑い声が響く。
「さあ、おいでぇ?」
亜由の背筋がぞくりと震えた。
「子どもたちと……老婆?」
産女の表情が鋭くなる。
「あの老婆は妖怪です!」
そして前へ出る。
「そこの老婆!すぐに子どもたちから離れなさい!」
老婆は首をゆっくり傾けた。
「ヒッヒッヒ……それはできねぇな」
口元が裂けるように笑う。
「ワシは妖怪――子取り婆」
目がぎらりと光る。
「子を食らう妖怪じゃ」
子どもたちが震えた。
「こんなうまそうな子供を見て引き下がるなどできない」
亜由は拳を握った。
産女が静かに言う。
「ここは霊鏡……」
「人も人ならざる者も仲良くする場所」
「それは許しません」
子取り婆は鼻で笑った。
「ヒッヒッヒッ……なんだそれは?」
「聞いたことないねぇ」
産女の眉がわずかに動く。
「……霊鏡に来たばかりの新米妖怪」
「これほど厄介な妖怪はいません」
子取り婆の目が細くなる。
「しかも純度の高い子供じゃ」
舌で唇を舐める。
「食わぬほうがおかしい」
「なぜ食わぬのだ?」
「お主も妖怪じゃろう?」
産女の声が強くなる。
「あなたと一緒にしないで!」
子取り婆は肩をすくめた。
「まぁいい!」
そして腕を伸ばす。
「そこの小娘から!」
「食ってくれる!!」
「!?」
亜由に向かって、黒い爪が迫る。
その瞬間。
上空から声が響いた。
「させない!」
次の瞬間。
ドォォォン!!
巨大な棍が地面を叩きつける。
子取り婆の腕が弾き飛ばされた。
「鬼天棍!鬼砕落!」
六花だった。
子取り婆が後退する。
「クッ……邪魔をしよって……」
牙を剥く。
「貴様から食ってやるぞ!」
六花は棍を振り上げた。
「鬼天棍!!」
風が巻き起こる。
「嵐獄粉砕!!」
轟音とともに棍が振り下ろされる。
「ァァァァァア!!??」
子取り婆が吹き飛ばされる。
だが。
すぐに体勢を立て直した。
「ク、クソガァ!」
袖から袋を取り出す。
「封袋――」
「誘い込みハリケーン!!」
ゴォォォォ!!
猛烈な風が渦巻いた。
「っ!?」
六花の体が浮く。
「すごい風……!」
そのまま吸い込まれ――
「きゃっ!?」
地面に叩きつけられた。
「六花!」
亜由が叫ぶ。
そのとき。
産女が前へ出た。
「……子泣き」
地面を踏みしめる。
「重り石!」
ゴォン。
突然、子取り婆の体が沈んだ。
「な、何じゃ!?」
地面に押し付けられる。
「お、重い!?」
その瞬間。
翼の少女が飛び出した。
「先生……私も!」
羽が広がる。
「夜泣き・一閃!!」
銀の軌跡が走る。
「グアァァアア!!!?」
子取り婆の体が切り裂かれる。
「こ、こうなったら……」
目が狂気に染まる。
「一体だけでも!」
六花へ飛びかかる。
しかし。
六花は先ほどの衝撃で動けない。
「っ!?」
亜由が走り出した。
「危ない!」
「亜由!」
六花が叫ぶ。
子取り婆の腕が亜由を掴む。
「は、ははは!」
「捕まえたぞ!」
「このまま――」
その瞬間。
亜由の体が――
光った。
青い炎が燃え上がる。
「……ッ」
妖炎が広がる。
「な……」
子取り婆の手が焼ける。
「あぁぁぁぁぁあ!!?」
「な、何じゃ!?」
「熱い!?」
六花が目を見開いた。
「妖術……!?」
「無意識で!?」
産女が叫ぶ。
「……タタリモッケ!」
「今です!」
翼の少女が頷く。
「うん!」
子取り婆の体が炎に包まれる。
「グァァァァァァ!!」
少女が羽を広げた。
「逃さない!」
夜の静寂のような声。
「無音ノ梟――夜ごとの空襲!!」
影が落ちる。
次の瞬間。
ドンッ!!
子取り婆の体を貫いた。
「あぁぁぁぁぁぁ!?」
体が崩れる。
灰となり――
風に散った。
静寂が戻る。
六花が駆け寄る。
「亜由!」
亜由は倒れていた。
「……」
産女が膝をつく。
「……大丈夫です」
脈を確認する。
「気絶しているだけです」
子どもたちが駆け寄る。
「先生!」
「みんな!」
産女が優しく微笑む。
「皆さんも無事ですね」
翼の少女を見る。
「タタリモッケは?」
少女は静かに答える。
「怪我……してない」
産女が頭を下げた。
「子供達を守ってたんですね」
「ありがとうございます、タタリモッケ」
少女は目を伏せる。
「……それより」
亜由を見る。
「その子、運ばないと」
産女は頷いた。
「そうですね」
こうして一行は悲田院へ戻った。
――――――――――
亜由が目を覚ましたとき。
天井が見えた。
「……あれ?」
体を起こす。
「ここは……」
横から声がした。
「よかった」
ナチカだった。
「目が覚めて」
亜由はほっとした。
「あ、ナチカさん……」
周りを見る。
「六花ちゃんは?」
ナチカが指をさす。
「六花なら」
少し間を置く。
「勝手に飛び出したことを怒られてる」
亜由は苦笑した。
「無事……なんですね」
そのとき。
静かな声がした。
「大丈夫みたいだな」
亜由が振り向く。
翼の少女が立っていた。
「あなたは……」
少女が言う。
「タタリモッケだ」
ナチカが説明する。
「妖怪タタリモッケ……」
「死んだ子どもの魂が梟に取り憑いた妖怪」
子どもたちが集まってくる。
「お姉ちゃん元気になった?」
タタリモッケは優しく言った。
「あぁ」
「みんな……」
「大丈夫みたいだから外で遊んでおいで」
子どもたちは走っていった。
タタリモッケは振り向く。
「じゃぁ、私は森に帰る」
ナチカが言う。
「亜由をここまで運んでくれてありがとう」
少女は首を振る。
「礼なんていらない」
そして。
羽ばたき――
森へ消えた。
しばらくして。
産女が部屋へ入ってきた。
「おや」
優しく微笑む。
「目が覚めたんですね」
亜由は姿勢を正す。
「産女さん」
産女は椅子に座った。
「そうそう」
真剣な目になる。
「あなたにお話があります」
亜由は首を傾げた。
「?」
産女が言う。
「あなたの妖力はとても大きい」
静かな声。
「いずれ暴走するでしょう」
亜由の胸がざわつく。
「……」
ナチカが聞いた。
「亜由を天狗に修行させるの?」
産女は首を振る。
「それもいいでしょう」
「ですが」
「手っ取り早い方法があります」
ナチカが呟く。
「……式神」
亜由が聞き返す。
「式神?」
産女が頷く。
「えぇ」
「式神とは」
「術者の使役する妖怪のことです」
「使役し、実体化している間」
「術者の力を吸い取ります」
亜由の目が開く。
「そうすれば」
「妖力の暴走は抑えられるでしょう」
「今無理に制御するより」
「式神を使うほうが簡単です」
「それに」
産女は優しく言った。
「ここにいる以上」
「対抗手段を持っておいたほうがいい」
亜由は黙った。
しばらくして。
頷く。
「……わかりました」
「どうすればいいですか?」
産女が答える。
「まず」
「式神となってくれる妖怪を探しましょう」
「はい!」
そのとき。
ナチカが言った。
「……だったら」
亜由を見る。
「私がなるよ」
産女が少し驚く。
「あら」
亜由は慌てた。
「え!?」
「いいの?」
ナチカは静かに言う。
「ん、問題ない」
そして続けた。
「そうすることで」
「亜由を守れるのなら」
産女が微笑んだ。
「ふふっ」
「成長しましたね」
そして頷く。
「分かりました」
「式神にする方法を伝えましょう」
――――――
机の上に、一枚の符が置かれた。
産女が説明する。
「これが依代の符」
「この符に妖力を込めてください」
亜由は緊張していた。
「や、やってみます……」
符を持つ。
産女が静かに言う。
「そうです」
「その符に集中し」
「力を注ぎこむように」
亜由は目を閉じた。
「はい!」
手の中の符が――
光る。
ふわりと浮いた。
「!」
符が形を変える。
光が人の形を作る。
そして。
そこに立っていたのは――
ナチカだった。
ナチカが片膝をつく。
「鎌鼬」
顔を上げる。
「ナチカ」
静かに言う。
「参上……です」
産女が頷く。
「はい」
「成功ですね」
亜由は慌てて近づいた。
「はっ!」
「ナチカ!」
「なにもおかしなところはない?」
ナチカは首を振る。
「とくに……」
少し考える。
「力が湧いてくる以外ない」
亜由は胸を撫で下ろした。
「……良かった」
産女が笑う。
「ふふっ」
「六花と同じ反応ですね」
そこへ。
元気な声。
「すご〜い!」
六花が飛び込んできた。
「式神を習得したんだね!」
「亜由!」
亜由が笑う。
「六花ちゃん!」
六花が言う。
「えへへ」
「これで一緒だね」
産女が続ける。
「ですが」
「まだです」
皆が見る。
「妖力が安定した今」
「今度は天狗に妖力の使い方を習わなければいけません」
六花を見る。
「六花」
「亜由を鞍馬第二山に連れて行ってください」
六花は元気に答えた。
「うん!」
「行こ!」
雷獣が現れる。
「ついて行くよ」
亜由は頷く。
「は、はい!」
ナチカも立ち上がる。
「……色々ありがとう」
産女は優しく微笑んだ。
「いえいえ」
こうして――
亜由は式神となった鎌鼬ナチカを連れ、
六花とその式神、
雷獣「雷」とともに――
鞍馬第二山へ向かうのだった。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




