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本の世界へ

ヒロトに“書く”という行為を勧めたのは、自分だった。

 当時、中学生の頃。何かにつまずいた時、ノートに思いを綴ることで、ほんの少しだけ心が軽くなる――自分自身がそう感じていたからこそ、ヒロトにも同じ方法を提案した。

 あの時は、それでヒロトが救われると信じて疑わなかった。そんな小さな善意が、まさか今のような危機を招くことになるなんて想像すらしていなかった。



 「早めに気づいていれば……こんなふうに、ヒロトが苦しむことにはならなかったのに……」



 ショッピングモールの男子トイレ奥。赤黒い靄が重苦しい空気を漂わせるなか、ヒロトがうずくまり、呪いの力に囚われかけている。体を張り詰めるように包む暗い文様は、見る者の心に底知れない恐怖を刻みこむ。

 その姿に駆け寄ろうとする白夜は、突然、頭の奥で何かが疼くのを感じた。強い胸騒ぎと共に、耳鳴りに似た響きが意識を乱す。



 (なぁ、白夜……俺たちも“書こう”ぜ――)



 聞き覚えのある声が、頭の中で囁く。

 “もう一人の自分”。この声は危険だ。かつて、この声に呼びかけられるままノートを綴ろうとした結果、激しい呪いが引き起こされかけた。しかし、それでも今は耳を塞いでいられない。ヒロトの姿が、かつての自分と重なって見える。



「やめろ!」



(なにを言っているんだ?そんなことよりも、絶望を振りまこう。俺たちの絶望を。お前も覚えてるだろぅ?俺たちの味わった絶望を...)



 「お前の言っていることは分からない!また暴走するわけにはいかないんだよ……俺はヒロトを助けたいんだ……!」



  (覚えていないのか...お前と俺の苦しみをぉぁ...)



 震える声を押し殺すように叫ぶと、意識の底から湧き上がる衝動に飲みこまれそうになる。――でも、今こそ踏みとどまらなければならない。

白夜はそんな衝動を押しとどめる。


 外ではショウタが、半ば呆然と立ち尽くしている。どうしていいか分からない様子が痛いほど伝わってくる。けれど、こんな状況で巻き込みたくはない。



 (助ける方法は、きっと……あるはずだ)



 頭の中を必死に掘り起こす。すると、葬書隊での訓練の中で、鬼更木(きさらぎ)アルカ教官が“呪いが暴走しきった本”の止め方について口にしていたことを思い出した。



---



 「あんたたちグールには、“呪い”が一定以上に強まったとき、その源となる“本”の内部に入る手段がある。

ただし、それを可能にするには、『自分自身の呪い』を共鳴させる必要がある。中途半端に力を抑えたままだと入れないわよ。

暴走しきった呪いを止めるには、文字通り“本の中”へ行き、その本の作者――書き手の象徴的存在を倒すしかない。そこから呪いの根を断たないと、現実世界への侵食は止まらないわ」



 当時は漠然と聞いただけだった。その方法が具体的にどうやるのか、アルカは厳しい目をしながら説明してくれたが、白夜はまったく想像がつかなかった。


 「でも、教官。『本の中に入る』なんて……本当に可能なんですか?」



 「グールの力を甘く見るんじゃないわよ。あんたも一度暴走しかけて、世にも恐ろしい呪いを呼びかけたでしょ? 要するに、“自分の本”が“相手の本”に干渉する形で入り込むの。呪いと呪いを共鳴させるわけ」



 “不用意にやるな。リスクが高い”とアルカは釘を刺していた。どこかで聞き流してしまっていた部分もあるが、今こそ思い出さなくては。



---



 赤黒い靄はヒロトを中心に形を歪め、トイレの床や壁をじわじわと染めていく。



 「ヒロト……しっかりしてくれ。お前の後悔は分かる、でも――」



 苦しげにうめくヒロトの耳に、この声が届いているかどうかは分からない。ショウタも「ヒロト……どうなっちまったんだよ……」



と低い声で呟くだけだ。


 胸を焦がすような悔恨を感じながら、白夜は自分の鞄の中からノートを取り出す。普段、思念法の訓練に使っている“自分の本”。



 (アルカ教官が言ってた……『自分の呪いが、相手の呪いと共鳴すれば、その本の中へ入ることができる』)



 けれど、共鳴させるには自分の呪いの力を一定以上解放しなければいけない。つまり、あの“もう一人の自分”に手を貸すようなものだ。怖い。再び暴走してしまうかもしれない。

 しかし、ヒロトを見捨てるわけにはいかない。暗い気配がトイレを満たし、いつ何時にも現実世界へ呪いが広がり始めそうな危険な状態だ。

 もしここで食い止められなければ、モールの人々――ショウタも含め、巻き添えを喰らう可能性がある。



 (大丈夫……。俺は“もう一人”に飲まれない。ヒロトを助けたいんだ――それが俺の“書く”理由なんだ) 



 自分を奮い立たせるように深呼吸し、ノートを開く。無意識に震える手を押さえ込みながら、ペンを走らせる。



 (書くんだ……俺の“意思”を。ヒロトを救いたい、そのためなら……!)



 ペン先がノートに触れた瞬間、頭の中であの声が弾けるように蘇る。



 (そうだ、もっと書くんだ……そうすれば、俺たちは力を得られる)



 ゾッとする感覚が背筋を伝う。血のように赤黒いインクが滲む――わけではないが、心の中で何か“底知れない衝動”が湧き立つのを感じた。



 「くっ……まだ……大丈夫だ」



 力を制御するように、今の気持ちを文字に変えて叩きつける。



 「――ヒロトを救う。呪いなんかに負けさせない。絶対に止めるんだ……!」



 すると、ノートの行間から、まるで黒い靄のようなものが立ち昇りはじめる。自分の呪いとヒロトの呪いが共鳴しあう。空間に不気味な歪みが生じ、視界が揺らめく。ショウタが驚いた声をあげるが、白夜は耳を貸す余裕もない。


 ――トイレの床が、まるで液状化したかのようにぐにゃりと変形していく。その向こうには“ヒロトの本”が形作る世界への入り口が浮かび上がっていた。



 (これが……アルカ教官が言ってた“本の中へ入る”感覚なのか……)



 下手をすれば二度と戻れないかもしれない。だが、この先にヒロトの“呪い”の源――“作者”としての彼自身の人格が鎮座しているのだろう。



 「ショウタ、ここから先は――危ない。絶対についてくるな」



 とっさに言葉をかけるが、ショウタは「な、何言って……」と戸惑うしかない。そもそも状況を理解できていないのだから無理もない。



 「お願いだから、待っててくれ。ヒロトを連れ戻すから」



 そう言い残すと、白夜はノートを胸に抱きしめながら、黒い渦へと足を踏み入れる。奇妙に捻じれた空気に身体を飲みこまれたような感触がしたあと、意識が一瞬白く途切れた――。


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