友達
いつもと変わらないはずの高校生活――だが、一条白夜の心の奥底では、グールとしての自分を隠しながら送る日々が続いている。しかし、その事実を誰にも話すわけにはいかない。特に親しい友人たちには、なおさらだ。
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放課後。白夜は同じクラスの男友達、花巻ショウタと碓氷ヒロトの二人と一緒に、学校の図書館へと向かっていた。目的は、迫り来る期末テスト対策だ。
「はぁ……またテストかよ。どんだけ勉強しなきゃいけないんだろなぁ」
ショウタが大げさに肩を落として嘆く。スポーツ万能でサッカー部のエースでもある彼は、座学があまり得意ではない。
一方、ヒロトは眼鏡を上げながら、落ち着いた声で言った。
「今学期の範囲、ちょっと広いんだよね。特に数学と物理が厄介そう……。ちゃんと復習してる?」
「うっ……ほぼノー勉だ。お前のノート、あとで見せろよ、ヒロト」
「はいはい、しょうがないなぁ」
ヒロトは呆れたような笑みを浮かべるが、ショウタとのやり取りに慣れているのか、あまり嫌そうには見えない。
図書館に入ると、試験前ということもあり、すでに多くの生徒が自習机やテーブルを陣取っている。探し回った末、窓際の三人用テーブルを見つけて腰を下ろした。
「よっしゃ、じゃあ早速はじめるか」
白夜は教科書とノートを取り出し、テーブルに並べる。英語の問題集をパラパラとめくると、途端に面倒くささがこみ上げてきたが、ここで投げ出すわけにもいかない。
「お前が英語嫌いなのは知ってるけどな、まずは単語覚えろ。そうすりゃ文章も読みやすくなるだろ」
ヒロトが的確なアドバイスをしながら、自分の書きまとめた単語リストをさっと差し出す。彼は文武両道というわけではないが、要領よく勉強するコツを心得ているらしい。
「うわ、めっちゃ整理されてる。ありがたいけど……こんなの丸暗記できるかな」
「テストまでまだ数日あるから、頑張ればいける。ショウタみたいにギリギリになって焦るよりマシだろ?」
隣では、ショウタが数学の公式に苦戦している。ふだんは明るく快活だが、今の彼には笑顔が消えていた。
「……もう何がなんだか。sinとかcosとか、何でこんなの要るんだよ……」
「サッカーの軌道計算だと思えば少しは面白いだろ」
白夜が冗談めかして言うと、ショウタは眉をひそめてうーんと唸る。
「まあ、軌道計算できたらシュートの角度完璧になるかもしれんが……オレにゃ向いてねえよ、こういうのは」
図書館はしんと静まり返り、生徒たちのノートをめくる音や、参考書のページをたどる指先のかすかな音が空気に溶け込んでいる。夕日が窓の外から差し込み、三人がテーブルに広げた参考書やノートを暖かい色に染めていった。
「なあ、白夜」
英語の問題集と格闘していたショウタが、ぼそっと声を低めて話しかけてくる。
「最近、放課後も家に帰るの遅いよな? バイト増やしたとか言ってたけど、あんまり無理すんなよ」
「ああ……うん、大丈夫さ。今は忙しいだけで、テスト終わったら落ち着くよ」
白夜は胸の奥のわだかまりを隠しながら、曖昧な笑みを浮かべる。グールとしての訓練に通っていることは絶対に言えないが、彼らの気遣いは嬉しかった。
そんなこんなで、三人は期末テストに向けてひたすらノートと参考書に向き合った。学校帰りに図書館へ立ち寄る日々が数日続き、ようやくテスト本番を迎える。
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そして、あっという間に期末テストは終わった。
科目ごとの試験から解放されて数日後、張り出された結果表を見ようと、廊下には生徒たちが集まっている。
「な、なあ、やっぱり見に行く?」
ショウタが落ち着かない様子でうろうろと廊下を歩き回る。
「見に行かなきゃ、結果わかんないだろ」
ヒロトが苦笑して、結果表が貼られている掲示板に向かって歩き出した。
「ショウタは恐れてないでちゃんと確認しとけよ。補習や再テストがあるかもしれないんだから」
「うぐっ……そうだよな……」
三人で恐る恐る結果表を覗き込む。
「お、ヒロトはまた良い順位じゃん。学年でも結構上のほうだろ」
白夜が指摘すると、ヒロトは少し照れたように眼鏡の奥の目を細めた。
「いや、まあ……いつもと同じくらいだよ」
「すげえ……オレとは大違い」
ショウタは肩を落としながら、そろそろと自分の順位を探す。
「あっ……あった……あ、あった……がーん……。お袋に怒られるやつだ、これ」
ちなみに白夜は、英語の点数こそ低かったものの、ヒロトの助言とノートのおかげで何とか平均点を確保できていた。総合順位はまぁ中の中といったところ。
「よかった。赤点は免れたな。次は英語、もうちょいがんばるか」
ほっと息をつく白夜を横目に、ショウタは自分の結果を見てがっくりとため息をつく。
「へこむ……。でも、期末終わったし、遊びに行こうぜ。さすがにずっと勉強はもうごめんだわ」
「賛成。せっかくだし、あとでショッピングモールでも行かない?」
ヒロトも提案を出す。白夜も連日のテストと訓練で疲れていたし、気晴らしをするのも悪くない。
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週末。三人は駅近くの大きなショッピングモールへ足を運んだ。店内は休日ということもあり、家族連れや若者たちで賑わっている。明るい音楽と人いきれが、何とも活気を感じさせる空間だった。
「うわ、すげえ人混み。こんなに人いたら、偶然クラスメイトに会いそうだな」
ショウタが周囲を見回しながら言う。
「ま、適当に見て回ろうよ。時間はたっぷりあるし」
ヒロトはすでに目星をつけていたらしい。テック関係の雑貨店と書店(もちろん電子端末の専門店ばかりだが)、あとはアパレルショップを覗きたいという。
「んじゃ、一旦別行動しようか。1時間後にこのフロアのカフェで待ち合わせね」
白夜の提案に、ショウタとヒロトもうなずく。
三人はそれぞれ思い思いに店を巡り始めた。白夜はまずスポーツ用品店でショウタへのプレゼントを物色し、ヒロトは最新型の電子端末コーナーで店員と盛り上がっているらしい。
ショウタは服屋や靴屋を覗いて回りながら、メンズファッションコーナーを片っ端から見ているようだ。
やがて約束の1時間が経ち、白夜は最初に待ち合わせ場所のカフェに到着した。間もなくショウタも合流するが……。
「ヒロト、来ないな……」
時計を見て首を傾げるショウタ。いつも几帳面なヒロトが、時間に遅れるのは珍しい。
「トイレでも行ってるんじゃないのか? とりあえず連絡してみるか」
白夜はスマホを取り出しヒロトにメッセージを送るが、既読にはならない。店内を一巡してみても、それらしい姿が見当たらない。
「うーん……一応探してみるか」
二人は店員にトイレの場所を確認し、モール内のトイレを順番に覗いて回る。すると、ある男子トイレの前で人だかりができていた。何やら不穏な空気が漂う。
「……なんだろう?」
白夜とショウタは顔を見合わせ、小走りで近づく。中からは奇妙な煙――いや、靄のようなものがかすかに漂っているようにも見えた。
「すみません、中に友達がいるかもしれなくて……」
トイレに入ろうとする白夜を、周囲の人々は心配そうに見ている。誰も事情をつかめず、手も足も出せないらしい。
「ショウタ、入口は任せる。何かあったらすぐ呼んで」
「わ、わかった」
ショウタは硬い表情で答えた。白夜が意を決して奥へ足を踏み入れると、鼻を突くような生臭い空気と共に、赤黒い靄が天井近くをかすかに揺らめいていた。
(まさか、呪い……? こんな場所で?)
胸騒ぎがした白夜は、トイレの個室を一つずつ確認していく。すると、最後の個室のドアがわずかに開き、中でうずくまっている人影が見えた。
「ヒロト……!? どうしたんだよ!?」
声をかけると、ヒロトは苦しげに顔を上げた。その瞳はどこか焦点が合わず、手には電子書籍端末らしきものが握りしめられている。
「う、うあぁ……頭の中で……声が……書かないと、書かなきゃ、でも……」
息も絶え絶えに言葉を絞り出す。すると、彼の周囲にじわりと赤黒い文様のようなものが広がっていき、空気がわずかに震えた。
(まさか、ヒロトも……“グール”に?)
白夜の背筋が凍る。自分と同じように、ヒロトにも“紙”にまつわる特別な力が芽生えかけているのか。しかしここは紙の本ではなく端末。けれど、電子端末にもヒロトの強い“思い”がこもってしまえば、呪いとして具現化することがあり得るのだろうか。
荒れる呼吸、虚ろな瞳――いまにも暴走しそうなほど、ヒロトの中で何かが渦巻いているのがわかる。
「おい、大丈夫か……しっかりしろ、ヒロト!」
声を張り上げる白夜に応えるかのように、ヒロトの体からわずかな黒い靄が立ち昇り始めた。その瞬間、個室の蛍光灯が一瞬明滅し、不気味な暗さが場を支配する。
外で様子を窺っていたショウタが、心配になって中へ駆け込んできた。
「白夜、おい、どうなって――」
だが、トイレの奥を覗いたショウタは、そこに見えた光景に目を見開き、言葉を失う。赤黒い靄と、苦しげにうずくまるヒロト。その異様な空間が常識を超えていた。
「な、なんだ……これ……どうなってんだよ……」
唖然とするショウタ。ヒロトもショウタの姿に気づいたのか、わずかに目を開くが、理性を保てているかどうか怪しい。
「……逃げて、ショウタ……俺、どうにかなりそうだ……!」
ヒロトが必死に絞り出すように言うと、またもや赤黒い力がその身を包み込み、床にドス黒い染みのようなものが広がる。
(まずい、このままじゃ呪いが広がって、ショッピングモール全体に被害が出るかもしれない。どうすれば……)
白夜は唇を噛んだ。自分だって書く衝動や呪いを制御できるかどうか怪しい。しかし、ヒロトが苦しんでいるのを放ってはおけない。ショウタにこれ以上危険が及ぶのも避けたい。
静かにトイレ全体が軋むような音が響き出す中、白夜は心臓を握りつぶされそうな緊張感を抱えながら、一歩ヒロトへ踏み出した。
「ヒロト……大丈夫だ、落ち着け……!」
そう声をかけた瞬間、ヒロトの体を覆う闇がわずかに収縮した。果たして今にも暴走しそうなヒロトを、白夜は止められるのか――。
ショウタはただ、状況を理解できぬまま呆然と立ち尽くすしかなかった。