日常
――いつもと変わらないはずの高校生活。けれど一条白夜の胸中は、つい昨日までとはまるで違う世界を抱えていた。
放課後になると、彼はこっそり政府の“葬書隊”施設へ足を運ぶ。そこで待ち構えるのは“鬼教官”こと鬼更木アルカによる厳しい思念法の訓練だ。昼は学生、夜はグールの素質を制御すべく鍛錬に励む“二重生活”が、ひそやかに始まっていた。
* * *
「おーい、白夜! 今日、部活サボって帰るのか?」
教室で鞄を肩にかけながら声をかけてきたのは、クラスメイトの花巻ショウタ。スポーツ万能でサッカー部のエースでもある、明るい性格の男だ。
「悪い、今日はちょっと用事があるんだよ」
曖昧に笑って返す白夜。すると、同じクラスの碓氷ヒロトも加わってきた。眼鏡をかけた理知的な印象の彼は、白夜とはゲームの話でよく盛り上がる仲だ。
「またバイトか? 最近ちょくちょく放課後いないこと多いけど」
「うん、まあそんなところ……」
本当は“バイト”ではなく、“訓練”である。もごもごと誤魔化す白夜に、ショウタとヒロトは「変なやつ」と半ば呆れながらも笑っている。
「白夜、今日も寄り道できないの?」
声をかけてきたのは幼なじみの砂月ミユ。白夜と同い年ながら、丸く優しい雰囲気をまとった女の子だ。小さな頃からの縁で、クラスが違っても休み時間にはよく顔を合わせる。
「ごめん、ミユ。また今度、部活帰りにでも一緒に帰ろう」
「そっか……わかった。無理しないでね」
少し残念そうに微笑むミユ。その表情を見ていると、白夜はうしろめたい気持ちになる。実は“グール”であることも、政府の施設に通っていることも、友人や幼なじみには話せない秘密だ。
何気ない高校生活――そこにある楽しさや安心感が、どこか脆くも感じられた。
* * *
夕暮れが迫る頃、白夜は例の“葬書隊”施設へやって来る。屋外の演習場から聞こえてくる怒号や衝撃音を横目に、薄暗い廊下を抜けた先の小部屋へ。
そこでは鬼更木アルカが腕を組んで待ち構えていた。
「遅い。やる気あんのか?」
「すみません……今日、学校で少し引き止められて」
「言い訳はいい。さっさとノート開いて座れ。今から思念法の訓練だ」
手渡されたのは真っ白なノートとペン。アルカの厳しい視線を感じながら、白夜はとにかく文字を書く。けれど、やはり“思い”を乗せる感覚を掴めそうで掴めない。
「……相変わらずだな。お前、日常で書き物をしていたんじゃないのか?」
「日記やノートは昔から書いてたんです。けど、今はどうしても上手くいきません」
「焦るな。私が一歩ずつ仕込んでやるから、覚悟しておけよ」
そう言いつつも、アルカはどこか苛立っているようだった。白夜自身ももどかしさを募らせながら、毎日何十ページと書き続ける。それでも思念の手応えはほぼ皆無。
(まるで、書けば書くほど空回りしてるみたいだ……)
* * *
同じ頃。施設の奥まった一室で、獏居博士と葬書隊の隊長・鷹村が向かい合っていた。薄暗い照明の下、何枚ものデータシートやグラフが広げられている。
「一条白夜くんの思念値だが……初回計測時は上限を振り切りそうな高値を叩き出したかと思えば、その後は0を示している。再計測しても同じ結果だよ」
博士がタブレットを操作しながら渋い顔を見せると、鷹村は腕を組み、厳めしい表情で唸った。
「暴走しかけた事実がある以上、グールの素質は間違いない。だが、思念を使えないグールなど聞いたことがない。いったい、どういう構造なんだ……?」
「私にもわからない。ただ、一度激しく跳ね上がった以上、潜在的なエネルギーは確実にあるはずだ。問題は、それが何らかの理由で封じ込められているか、制御できていないか――あるいは、まったく別のメカニズムが働いているのか」
「……そいつを解き明かさない限り、あの少年はいつ再度暴走するかわからないということか」
部屋の空気がぴんと張り詰める。二人は視線を交わしながら、白夜の“異質性”について何度もデータを見返す。
「もし、あの子の力が完全に解放されれば、過去に例を見ないほどの呪いを引き起こす可能性もある。あるいは、すべてを打ち消す鍵になるかもしれない……」
「だからこそ、今のうちに制御方法を見つけたいわけだ。アルカには“鬼教官”としての経験がある。やつなら何か掴めるだろう……」
そう言って、鷹村は僅かに眉をひそめる。
――白夜が持つ“グール”としての強烈な力。その存在は、脅威になるのか、あるいは希望の光となるのか。
博士と隊長は誰よりもそれを案じつつも、答えはまだ見えない。
この瞬間、普通の高校生活を送る白夜の姿とは裏腹に、施設の最深部では彼の“異質さ”が刻一刻と注目を集め始めていた。