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明日のきみに

作者: 雨男

 駅から学校へと続く一本道。三年間通い慣れたこの道をゆっくりと歩く。いつからあそこにあるのかわからないが、あの町中華の店には良く行ったなとか、結局あの老舗の和菓子屋は前を通り過ぎるだけで一度も行った事無いな、今日の帰りにどら焼きでも買って帰ろうかなとか考えながら彼は歩く。この道を歩くのも今日で最後かもしれないなとも。


 先日卒業式を終えた母校が見えてくる。高校の近くには幅が30m程の川が流れている。そしてその川には二車線の車道とその両端に歩道がある橋が掛かっている。高校へ行くにはこの橋を渡る必要がある。橋の中程で彼は立ち止まり川の方を眺める。川の両側の土手には等間隔で桜の木が植えられている。その桜は後10日もすれば、これからの三年間に期待と不安を胸いっぱいに抱きこの道を歩く新入生達を出迎える様に咲き乱れるだろう。だが今はまだその力を小さな蕾の中に溜め込んでいる。それでも昼の春の日差しに照らされて、川と土手の芝生が柔らかにその光を反射している。三年間通い続けて見慣れたはずの景色でもこんなに綺麗なんだと彼は思った。

 彼はその土手に人影を発見する。待ち合わせの相手だ。その姿を確認して橋を渡り切る為に歩き始める。


 彼女は待ち合わせ場所の土手に立ち、腕時計を見る。「ちょっと早く着き過ぎちゃったかな。」と小さく呟く。でもまあ一本電車を後のにするとちょっと待ち合わせ時間のギリギリになっちゃうから仕方ないかと思う。土手の芝生の斜面の上に体育座りで腰を降ろし、川を眺める。

 暫くして、もうそろそろかなと今一度左手首の内側にある可愛らしい文字盤に目をやる。彼が時間に余程の事がなければ遅れてくるはずが無い事を知っている。川に掛かる橋に首を振り視線を向ける。橋の上に人がいるのが見える。そのシルエットだけでそれが今日の待ち合わせ相手である事が判る。それを見つけてゆっくりと立ち上がる。そして彼の来る方に身体を向けて待つ。そちらに向かって駆け寄ろうかとも思ったが、なんとなくやめておいた。


 「ごめんね、春休みなのに呼び出して。」

 彼は小さく右手を上げて彼女にそう言った。

「いえ別に、全然大丈夫ですけど。」

 彼女はいつも通りちょっとぶっきらぼうにそう答える。

「早いね、待たせちゃったかな。」

「いいえ、そんなには。電車の時間がちょうどいいのが無かったので。」

「そっか。」

 卒業式を終えたせいか、今までよりちょっと大人びて見える彼に少し戸惑い、つい彼女の言葉は無愛想になる。

「それで、何ですか?・・・告白ですか?」

 照れ隠しに出した言葉に自分自身が驚く。そして、しまったとも思った。そんなつもりじゃなかったのに。

「うっ・・・。」

 と、彼は彼女の思ったものと違う反応をする。どうしよう・・・期待していなかったと言えば嘘になるが。彼女は苦し紛れに言葉と繋ぐ、できるだけ平静を装って。

「えっ・・・まじですか?」

「あぁ〜まぁ、ある意味、告白かなぁ・・・。」

 彼は右手を頭の後ろに回し視線を斜め上に向けながらそう答える。

「ん?どういう事ですか?」

 ほんの少しだけど期待していた事の反動と、それを賺された様な気がして普段通りの言葉遣いを取り戻す。ようやく調子が出てきた。

「ちょっと聞いて欲しいって言うか・・・、話しておきたいって言うか・・・。」

 彼は曖昧な言い回しでそう言って芝生の上に腰を降ろした。

「はぁ・・・まさか恋の相談とか?」

 本当にそうだったらどうしようという思いもあったが、またしても流れでつい。彼女もその隣に座る。

「違う違う。・・・それよりも、春休みなんだから制服じゃなくても良かったのに。」

 彼は体勢を整える様に話題を逸らす。話したい事を話す為にも。

「ここに来るなら学校に来るのと変わらないから、制服の方がいいと思って。・・・そういう先輩だって制服じゃないですか。」

「僕は今日で最後だから・・・。」

 その「最後だから。」という言葉に何だか・・・言い知れぬ不安が過った気がした。

「え?」

「あぁ、いや・・・高校生活がね。今日で最後だからね。もう着る機会が無いなぁと思って。」

 何かを取り繕う様な早口で理由を話す。

「そうですね・・・卒業式も終わったし。イベントは全部終わっちゃいましたね。」

 怪しい事この上ないが、ここは敢えて気が付かなかった事にして話を合わせる。本題を話すにも、色々心の準備が必要だろう。このままだと話が進まない・・・と彼女は思ったから。

「森園君はまだ一年あるじゃないか。」

「そうですけど・・・一人になっちゃいます。」

「それは・・・ごめん。僕のせいかも。」

 彼は苦笑いで、本当に申し訳無さそうにそう言った。

「そうですよ・・・だって、ねぇ・・・?」

 彼女は目を逆三角形にして、彼を見る。

「ごめんて。でも新入生が入ってくれるかもしれないじゃないか。」

「ん〜どうかなぁ。」

 彼女自身本音を言えば、どうでもいいような気もしている。一緒に部活をしたい人がもうそこにはいないから。

「頑張りたまえ、部長!」

「無責任な・・・。」

 こういう無責任さも。

「森園君ならきっと大丈夫。」

「適当だな・・・。」

 こういう適当さも。こんないつものやり取りはもうそこには無いから。

「でも楽しかった。」

 彼は川の方に視線を向けてそう言った。だが視線の先はきっとその川ではなく、三年間の、実質二年間の思い出。彼女は同じものを見るように川を見る。

「うん。それは私も。・・・色々ありましたね。」

「・・・そうだね。・・・色々あったね。」


 やや間があって彼は彼女の顔を覗き込む。

「どうしたんですか?」

 眉間に皺を寄せて、上半身を少し仰け反らせる。色々心臓に悪い。

「あ、いや・・・こういう時って、思い出話になるんじゃないの?」

 いつもの事だから慣れているからいいけど、こいつは・・・と思う。

「したいんですか?あの無意味なアイパッチを着けてた頃の話を。」

「・・・ごめんなさい。勘弁してください。」

「よろしい。」



 二年前。春。彼女も他の同級生と同じ様に、これからの高校生活に心を踊らせ橋を渡り、美しく咲き誇る桜並木の歩道を歩く。高校へと向かうその道を。

 入学式を終え、数日は教材の配布やら校舎の説明やらで終わった。授業も始まり、まだ友達と呼ぶには親交が心許ないが毎日言葉を交わす相手も出来た。そろそろ部活を何処にするか、という話題にもなる。彼女は始めから決めていた。

 この高校を選んだ理由は幾つかある。勿論自分の学力との釣り合いもあるが、校風や家から通いやすい事、制服のデザインなど。でも最後の決め手になったのは、この学校にその部活がある事が分かったからだ。


 この高校はまあまあ大きく、部活も数多く存在する。何故かと言うと、少人数でも顧問さえいれば認可されるからだ。部員が五人以上いないと部費は出ないが。そして顧問も兼任で構わない。なので顧問は名義貸し状態ではあるが。

 まあまあ大きい高校なので部活棟も存在する。それも三階建ての。運動部も県内ではそこそこ強く部員の数も多い。部活棟の一階はグランドに直結していて、人数の多い運動部が使っている。野球部・サッカー部・陸上部・そしてその部の備品をしまっておく為の倉庫の計四部屋。二階はバレー部・バスケ部・テニス部・水泳部・卓球部と倉庫の計六部屋。主に体育館を使う運動部が使っている。柔道部や剣道部は道場があるので部活棟に部室は無い。そして三階に文化部の部室がある。囲碁将棋部や登山部と野外活動部が共同で使っていたり、演劇部が倉庫として使っていたりと様々。文芸部は図書室だったり、手芸部や料理研究部は家庭科室だったり、吹奏楽部は音楽室だったり、美術部は美術室だったりと意外と部活棟を使用しない部活も多い。彼女の目指すその部活は部活棟の三階の一番奥にある。

 部活棟の階段は棟の長方形の短い方の壁にある入口を入ってすぐ左にある。彼女がその部活棟を訪れると部活の準備を終えたバスケ部の一団がぞろぞろと出てきた。その中の幾人かが、新入生を品定めするように彼女を目で追った。入口をくぐり階段を登る。二階を通り過ぎ更に登る。最上階に辿り着き一息つく。細長い通路を見渡し一番奥を見つめる。そこが彼女の目的地。楽しみと不安と興奮と緊張と。その全部が少しづつ。深呼吸を一つして足を踏み出す。

 細長い廊下にある部室のドアを一つづつ確かめながらゆっくり歩く。目的地が近づくにつれ全部の気持ちが上乗せされていく。遂に一番奥のドアの前に立つ。そのドアに掲げられている部活名を確認して、少し安心して微笑む。ここでもう一度深呼吸をしてからドアをノックした。

 ・・・返事が無い。確かに中で何かの気配はするのだが。彼女はもう一度ノックをしてからノブに手を掛ける。カチャリと音がしてそのノブは問題なく回った。鍵は閉まっていないようだ。彼女は恐る恐るドアを開けながら、

「失礼します・・・。」

 と挨拶しながら部屋の中へと入って行く。その部屋の奥に、何か黒いカーテン?布?を身体に巻き付けた・・・男子が一人背中を向けて立っていた。

「よく来たな!」

 突然その黒い布を纏った・・・たぶん男子が大きな声を出した。

「うわぁ・・・。」

 その痛々しさについ彼女の顔が歪む。

「君にも聞こえたのだろう、星の呼ぶ声が!」

 そう言いながら黒い布を広げた。どうやらマントだったらしい。

「あ痛たたた・・・。」

 彼女は右手で自分の頭を支えるように押さえる。本当に頭痛がしてきた気がする。

「ようこそ、導かれし者よ。」

 彼は振り向きながらそう彼女に声を掛けた。振り向いた彼の左目には、あろうことかアイパッチが。

「あちゃぁ・・・。」

 色々な気持ちがあった分、それを挫かれた様な気がした。色々な残念が溜息と一緒に出る。

「どうした?」

 まるで当たり前のように彼は質問する。

「ここって、天文部で合ってますよね?」

「そうだが?」

「間違えたかと思いましたよ。」

 そう言って目を細めて彼を睨みつける。

「なぜ?ちゃんと扉に「天文部」と貼ってあっただろう。」

 彼は彼女の表情に気が付かないかの様に話を続ける。

「だって・・・ねぇ?」

 彼女はこれで伝わると思った。

「ん?何か問題があるのか?」

「問題大ありだろ!」

 自分の気持ちを台無しにされた事も上乗せして声を荒げる。

「普通そういうのは漫研か演劇部でしょ?!何で天文部の部長が中二病なんだ!!」

 なぜこの時彼女が彼を部長と判断したのか良く判らないが。まぁ間違ってはいなかったのだが。

「失敬な!漫研はともかく、演劇部に謝りたまえ!」

「なんでだよ!」


 大きな声を出して、声と一緒に緊張やらなんやらを何処かへ吐き出してしまった様だ。彼女は乱れた息を整える。呼吸を整えながら冷静さを取り戻して来た彼女は、部室の中を見回す。十畳程の部屋の両側の壁は棚で埋め尽くされている。そこには本や映像のディスクやVHSのソフトまである。ドアの正面には窓が一つ。部屋の中央には会議用の机が二つ長い方の辺どうしをくっつけて置いてある。その上にはノートパソコンが一つと本やら資料やらがまばらに置かれている。左の壁の奥の棚の中段には映像資料を見る為のテレビとデッキがある。ドア側の壁の隅には本格的と言うには些か物足りないが、それでもちゃんとした望遠鏡が二つ立て掛けてある。埃を被っていないところを見ると、定期的に使用している様だ。ここは間違いなく天文部のようだ。そして再び部長らしき男子に目を戻す。

「とにかく何で天文部の部長がそんなんなんですか?」

「いや、だってひまだし・・・。」

「そんなんだから部員が一人もいないんじゃないんですか?」

 なぜ彼女は部員が彼の他に誰もいない事を知っていたのか。これは簡単な推理。机の大きさの割に用意されている折りたたみ式のパイプ椅子が一つだけ。望遠鏡の反対側の壁に三つ畳まれて置かれているからだ。

「うっ・・・痛い所を・・・瞬時に私の弱点見抜くとは。やるな!」

 彼は胸を押さえ芝居がかってそう言った。

「うるさい、今すぐそれを止める!」

 イラッときたのでそれがそのまま口調になる。

「はいっ、すいません。」

 彼は大急ぎでマントとアイパッチを脱ぐ。

「ったく。他にする事無いんですか?本を読むとか、映像見るとか。そこにいっぱいあるじゃないですか。」

 マントと丁寧に畳む彼を横目に彼女は疑問を口にする。

「他に部員がいないから、殆ど全部読んじゃったし、映像はほぼ同じ物持ってるし。星って夜にならないと良く見えないし。」

 私物のマントとアイパッチを丁寧に自分の鞄にしまい込む。

「これ全部読んだんですか?」

 ずらりと並んだ本やら資料やらを今一度端から視線でなぞりながら、驚きを口にする。

「ん?そうだよ。ずっと一人だったから・・・。」

 彼はまるで普通の事みたいに答える。

「それはそれでちょっと凄いな・・・英語の本とかあるし。それが何でこんな事になっちゃったんですか?」

「ん〜せっかくの高校生活だし、この部室に居る時ぐらい、好きな事、やってみたい事しようかなって思って。」

「それで、その好きな事、やってみたい事っていうのがさっきのあれ。」

 すっかり主導権を握った彼女は少しからかう様に言う。

「まぁ暇すぎて、何だかよく分からなくなってはいるかも。でも青春ぽくて楽しそうでしょ?」

 小さい子供みたいに無邪気に笑うその顔に、ちょっとだけ気圧されて首ごと視線を逸らす。

「はぁ・・・。まぁ分からなくもないですけど・・・。」

 彼女自身、そういう素養が0かと言えばそうではない。もしかしたら分かる方かもしれないが。

「君は、星、好き?」

 彼は唐突に大人びた声でそう聞いた。その声にハッとして彼の方を見る。

「え?」

「星、好き?」

 同じ質問をゆっくりと繰り返す。

「あぁ、はい。もちろん。」

 彼女はそういえばここは天文部の部室だった事を思い出す。

「どの星が一番好き?」

 彼女の答えに彼は笑顔でそう聞く。実に天文部らしい質問だ。こう聞かれた時、彼女は決まってこう答える。

「アンタレス。」

 淀みの無い彼女の返答に彼の笑顔がもう少し明るくなる。

「蠍座の一等星!夏の南の空に輝く赤い星!いいよね。何で好きなの?」

 少し早口になって前のめりになる。

「急に来たな。難しい質問ですね。」

 詰まった間合いを開けながら、彼女はその質問の答えを探す。

「ああ!ごめん、好きなものに理由なんかいらないよね。」

 答えを探し終える前に自分で引き取って、来た道を戻って行った。

「変な所が意外に大人だな。」

 彼女の素直な感想だ。

「・・・そうかな。ヲタクなだけじゃないかな。」

 そういう所もそう感じる要因になる。

「そうとも言いますかね。で、部長はどの星が好きなんですか?」

「イオ。」

 ご挨拶替わりの質問に食い気味に答えが帰って来た。本当にヲタクなだけかもしれないと思う。

「木星の衛星!思ってたのとちょっと違った。」

 アンタレスにあれだけ食いついたから、他の星座の星かと思ってた。ただ、星が好きな事は判る。

「だめ?」

「だめじゃないですけど・・・惑星でもなく、衛星!しかもエウロペでもガニメデでもタイタンでもなく、イオ。なぜ?」

 彼に負けず劣らずの早口でまくしたてる。そして自分も答えられない質問をしてしまった事に気が付く。自分も彼とどうやら同類らしい。

「なぜって言われても・・・。」

 自分も同じ質問をしてしまった事もあり言い淀む。そのすぐ後フッと表情を和らげ彼女を見る。

「で、どうする?」

「・・・入部します。」

「ようこそ天文部へ。部長の石上充いしがみ みつるです。」

「一年C組、森園真琴もりぞの まことです。」


 そこから二年間、充と真琴の二人だけの天文部。あっという間だった。それはきっと楽しかったからだ。それはきっと充実していたからだ。平日には部室に集まり話をし、休日には泊りがけで星を見に行った。夏休みには学校の屋上に一泊した事もある。夏休みと冬休みと春休みには・・・今年は行っていないが、合宿と称してテントを担いで出かけた。野外活動部と合同で合宿をしたこともあった。これだけ一緒にいて不思議な事に話が尽きない。星の話をしているだけで時間があっという間に過ぎていった。過ぎゆく夜空に浮かぶ星座の話をしているうちに、東の空が白んでくる。そして最後は決まって太陽の話になる。彼等にとっては太陽も星の一つ、星の数ほどある星の一つなのだ。



 「色々あったね。」

 二人で過ごした二年間を思い出しながら充はもう一度呟く。

「そうですね。」

 真琴も同じ思い出を視線の先に見ながら優しく同調する。

「楽しかったなぁ。」

 充の言葉に嘘は無い。心からそう思っている。その気持は間違いなくその言葉に乗っている。

「何だかんだ言っても、私も楽しかったです。」

 真琴はこの後に「結局、部員は増えなかったですけど。」という言葉を思いついたが、この空気を壊したくなくて飲み込んだ。

「それも今日で全部終わり。」

 何かを断ち切るかのように、決断するかのように、それでいて寂しそうに、遠くを見る。

「そうですけど、先輩は大学で星の勉強するんですよね。」

 自分が部長になってからは・・・まぁ他に選択肢は存在しなかったのだが、真琴は充の事を「部長」ではなく「先輩」と呼ぶ。部を引き継いでから暫くは言い慣れなかったが、「先輩」と呼ぶことにも少なからず憧れもあったのでちょっと嬉しい気がしている。

「あぁ・・・うん。一応その予定だけど。」

「じゃあ終わりじゃないんじゃないんですか?」

 充の煮え切らない言い回しに、多少の苛立ちと、励ましを込めて言う。

「いやぁ、ちゃんと通えるか不安なんだよ。」

 お得意の冗談とも本音とも判らない口調でヘラヘラしている。真琴はこの感じが好きで嫌いだ。本音が見えないから。

「えぇ〜あんなに頑張って勉強したのに?わざわざ望遠鏡のある大学を選んで受験したんですよね?」

 自分の本音も隠してはいるが。

「そうだね。せっかくだから、やれるだけやってみようと思って。」

 充は視線を上げ真琴を見る。そしてもう一度笑う。

「合格してあんなに喜んでたじゃないですか。それなのにそんなつまんない事で悩んでるんですか?」

 声を少し高くして、そんな悩みごと振り飛ばすつもりで声を掛けた。真琴からしてみれば先輩はちょっとナイーブになってるのかなという程度に思っていた。

「僕にとっては、つまんない事じゃないんだ。」

 さっきまでと雰囲気が少しだけ変わった口調で充から返って来た。

「・・・どうしたんですか?今日、ちょっと辺ですよ。」

 そう・・・今日は始めから何か、ほんの僅かだが違和感があった。真琴はそれを気の所為位の事だと思っていた。真琴に言われて、ちょっとだけ語気を強めてしまった充は自分にハッとする。

「そうかな・・・そうかもしれない。」

 誤魔化そうとしたがすぐに諦めて認めた。充は両方の手をそっと握った。

「あっ!本当に告白しようとして、緊張しているんじゃないですか?」

 真琴は充の変化に、先程と同じ様に雰囲気を引き戻そうと声のトーンを上げて再び試みる。いよいよかもしれないと思ったら、自分も体勢を整えたいような意味合いもあったのかもしれない。

「・・・・・・。」

 充からの返答が無い。否定も肯定も無い。その無言の返答に鼓動が一つ大きく鳴る。

「・・・そ、そこで黙らないで下さいよ。本当にそうみたいじゃないですか。」

 更に声が上ずる。更に冗談めかす。真琴はそんな自分の声に、更に恥ずかしさと緊張を増す。充は真琴の言葉が届いていないかの様に少し下を見つめている。一度目を瞑り軽く一呼吸する。そして閉じた目を開いて真琴の方を向いた。充の表情を見て、真琴の胸がもう一つ鳴る。

「信じてもらえないかもしれないけど、聞いて欲しいんだ。」

 年に一度か二度位ある充の真面目な声だけで真剣な事は判る。目が泳ぐ。

「否定もしないんですね。・・・肯定もしてないけど。」

 またそうやって誤魔化そうとする自分に嫌気がする。本当は・・・本当は。

「頼むから、ちゃんと聞いて欲しい。一生のお願い。」

 充は立ち上がり礼儀正しく頭を下げた。それを見て真琴も立ち上がる。

「いいんですか、こんな事に一生のお願いを使っちゃって。」

 真琴は身体を川の方に向ける。努めて普段通りを装って。

「いいよ。間違いなく、一生のお願いだから。」

「・・・はい。わかりました。」

 こう言われては真琴にこれ以上抵抗する術はない。観念して充の方へ向き直る。


 充は深く深呼吸をして準備を整える。目を閉じて二度、三度。

「どうぞ?」

 時間にしたら30秒も経っていなかっただろうが、どうにも待ちきれず焦れったくて、つい間が持たず真琴はそう言ってしまった。だが充はその言葉を右手を差し出して制した。真琴はその手を見て語尾を吸い込んだ。そして充はもう一度簡単に深呼吸をして、目を開けた。真っ直ぐに真琴の目を見つめた。

「実は僕・・・一回死んでるんだ。」

 真琴は何を言われたのかよく分からない。そんな真琴をよそに充は言葉を続ける。

「正確に言うと、今の自分と違う人生を一度、経験してるんだ。」

 充はゆっくりとそう言った。言葉の意味は解る。だけど分らない。充の真剣な眼差しに、その言葉が嘘の様には思えない。でも、もしかしていつものアレかとも思う。

「えっ?結局いつもの中二病ですか?」

 そういえばそうだった。充は時々こういう冗談を言っていた。真剣な顔をしてふざけた事を言った。こんなに手の込んだ事をと薄っすらと怒りさえ湧いてきた。

「違うよ。」

 充はきっぱりと言った。真剣な眼差しを真琴に向けたまま。

「名前は星野守ほしの まもる。」

 まだ続けるのかという思いと、もしかしたら本当の事なんじゃないかという思いが渦を巻く。真琴は自分でもどう対応して良いか分からず、とりあえず最後まで聞いてみようと充の言葉を待つ事にした。

「十八歳の時、僕は死んだ。それまでの記憶もちゃんとある。・・・さすがに赤ちゃんの時の記憶は無いけど。」

 最後の言葉だけはいつもの充の柔らかい口調に少し戻った。真琴はそれに少し釣られて安心したような気分になる。

「あ、新手のドッキリか何かですか?それなら早めに白状して謝った方が身の為ですよ。」

 安心した事も手伝って普段通りの返しをしてしまう。嘘であって欲しい、冗談ならいいのにという思いもあったのかもしれない。

「違うよっ!・・・やっぱり信じてもらえない?」

 泣き出しそうな顔で言葉を強く出し、その後悲しそうに萎む。

「さすがにすぐには・・・。」

 真琴も充のその姿を見て、申し訳ないような気がして言葉を濁す。

「うん、まぁそうだよね。」

 充もこれくらいは想定内だと気を取り直す。自分が言っている事が普通の事では無い事は分かっている。ふぅっと軽く息を吐く。

「それでもいいから、最後まで話しを聞いて欲しい。」

 再び視線を真琴に戻し説得する。真琴もどうやら今日の本題はこれだったのかと身を構え直す。

「わかりました。」



 充は「ありがとう。」と礼を言って自分の事を話し始める。

 ーー前の僕、星野守はたぶん普通だったと思う。一人っ子で、父さんと母さんの三人家族で。勉強も運動も特別出来た訳じゃないけど、全然出来ないって程じゃなかった・・・と思う。多かったとは思わないけど友達もいたし、人並みにマンガやゲームに夢中にもなった。他人から見たら平凡だったかもしれないけど、決して不幸じゃなかったと僕は思ってる。

 真琴は黙って話を聞き続けている。表情からはどう思っているかは読み取りづらいが。

 ーーでもね・・・中学三年の卒業式の前日に、急に倒れたんだ。まるで何かに身体中の生きる力を全部吸い取られたみたいに動けなくなったんだ。立ち上がるどころか指一本動かす事が出来ない。喋る事さえ出来なかったんだ。

「何て言う病気だったんですか?」

 真琴がその話が真実であることを確かめる様に質問した。充は目を閉じてゆっくり首を左右に振った。

「わからない。」

 ーー病名も原因も最後まで一切不明のままだった。食事も出来ないし・・・どうして生きているのか自分でも不思議だったよ。

「・・・意識はあったんですか?」

「ん〜難しい質問だなぁ・・・。なんて言えばいいかな・・・考える事は、できた。」

 ーー誰かに声を掛けられた様な気がする時はあったかな。でもそれが、父さんや母さんなのか、友達なのか、先生や看護師さんだったのかはわからない。それから・・・時々、薄目を開けて外を見たような気もするけど、それが夢だったのか本当の事だったのかはわからない。

 真琴は何て言って良いか判らず黙り込む。勿論、今充から聞いたこの話に理解が追い付かない事もある。嘘の様な、それでもおそらく本当の話に。

「でもなぜか日付だけは分かったんだよね。不思議でしょ?」

 ちょっと重量を増した様な空気を一旦振り払うように充はそう付け加えた。

「日付だけ・・・。」

 真琴は反射的にオウム返しの相槌を打った。

「なんかね。脳みそだけで宇宙に浮かんでるみたいな感じだった。」

 充もこの辺りまで来ると普段と変わらぬ調子になってきた様に感じる。少し笑いながら川の方を向きながら昔を懐かしむ様に言った。

「辛かったですか?」

 思わず心に過った事を口にしてしまった。真琴は自分で言葉にしてしまった事をすぐに後悔する。

「あっ、すみません・・・。辛くないはずがないですよね。」

 充はチラリと真琴を見て軽く笑った。

「それが、自分でも良く分からないんだぁ・・・。確かに始めの方は、どうしてこんな事になちゃったんだろう、何で僕がこんな目に遭うんだろうって。」

「そうですよね・・・。」

 自分で聞いた事とはいえ、返す言葉が見つからずそう答えるしかなかった。

「でもそのうちさ、自分でも気が付かないうちに誰かを傷つけて恨みを買っちゃったのかなとか。ふざけてお地蔵様を倒して壊しちゃったりしたのかなとか。たまたま投げた石のせいで希少生物を絶滅させちゃったのかなとか。」

「・・・ん?」

「異能力の覚醒に失敗しちゃったのかなとか。深き闇に飲まれちゃったのかなぁとか。邪神の封印でも解いちゃったかなぁ、とか。」

「ここに来て、冗談ですか。」

 せっかく真面目に聞いていたのにと、そんな気持ちを目を逆三角形にして表現して訴える。だけど充はそんな真琴の感情を意に介さないかの様に、優しい声で話を続けた。

「本当だよ。だって他に何も出来ないんだもん。」

 真琴は「あぁそうか。」と納得した。身体は全く動かす事が出来ないのに、考える事は出来るんだから。そんな風に悪い事を考えてしまう事もあるだろう。充自身を・・・星野守に起きた事自体が原因不明なのだ。そんな風に荒唐無稽な事に考えが及ぶのも頷ける。もし自分が同じ状況になったら、きっとそんな事も考えてしまうだろうなと思った。

「だから、あのマンガの続きはどうなったのかとか、好きなアイドルの握手会に行ってみたかったなあとかも考えたよ。」

 きっと私もそうだと真琴も思った。

「そんな状態が三年続いて・・・その日が来た。」

 真琴はまた声のトーンが変わった充の言葉に、何かに覚悟するように息を呑む。

「なんとなくわかるんだよね、そういう時って・・・。あぁこれで終わりなんだなあって。・・・死ぬんだな、って。」

 一点を見つめる様に川の向こうの遠くを見ながらがらそう言う充の横顔からは何かを読み取るのは難しい。真琴だって自分の感情の整理がつかない。

「恐くなかったですか。」

 充は一度真琴の方に顔を向けてから、すぐに元の視線に戻し土手の芝生の上に腰を降ろす。

「全く恐く無かったって言ったら嘘になるけど。・・・やっと終わるって、ホッとした様な気持ちだったかなぁ。やっと、本当に眠れる、と思ったかな・・・。それでね、最期は暗闇に溶けていくみたいな、フェードアウトする様な感じだった。」

 真琴には・・・というより真琴に限らず、殆ど全ての人間は、死んだ事のある人間に掛ける言葉など持ち合わせてはいないだろう。正しい回答を見つけられないまま、充の隣に座る事しか出来なかった。

「それで、次に気がついたのが・・・っていうか、その事を思い出したのが三歳の時だった。」



 一旦の話の区切りみたいに、充は少し長めの息を吐き出した。

「・・・まだ信じられない。」

「いえ・・・そんな事はないですけど・・・。」

 此処まで聞いて嘘だとは思えない。ただ未だに真琴の思考は追い付かない。10%にも満たないが疑いも捨てきれない自分がいることも事実だ。

「でもいきなり全部信じろって言われても、ちょっと・・・。」

 正直に自分の思っている事を口にした。充は「そりゃそうだ。」と言って笑った。そんな充を見てほんのちょっと救われた気がした。

「それって、別の人の記憶があるって事ですか?・・・前世の記憶みたいな。」

 ちょっとだけ気分を変えるつもりで話題を振った。

「まぁ、そんな感じ・・・だと思う。」

 何とも釈然としない答えだ、と真琴は思った。

「別の人の記憶があるってどんな感じなんだろう・・・。」

 真琴もどちらかといえば、そういう属性の話自体は嫌いな方ではない。素直に興味本位で言葉にしてみた。

「別の人、じゃないんだけどなぁ。僕にとっては今の方が、違和感があるって言うか・・・続きみたいな感じだね。」

「そういうもんですか。」

 充は「ん〜。」と少し考える。

「気が付いた時、最初に思ったのが「僕、生きてるぞ。」だった。何が起きてるにか良く分からなくって、パニックになって・・・泣いた。」

 子供の頃の恥ずかしい事を告白するみたいに話した。

「何となく分かる気がします。・・・私でもきっと泣く。」

「その日を境に大人しくなったって。おもちゃで遊ばなくなったって、今でも父さんと母さんに言われるよ。」

 そう言って充は苦笑する。真琴にも身に覚えがある。親なんてきっとそんなものだと思ってみたりする。

「確かに、十八歳に幼児用のおもちゃは厳しいですね。」

 真琴は笑いながら会話の流れに乗る。

「でしょ?それに変身ベルトとか戦隊ヒーローの武器とかって感じじゃなかったし。」

 充も笑いながらそう答える。いつもの会話みたいに。

「えぇ〜嘘でしょ?中二病なのに?」

 調子が出てきた。

「うっ・・・興味が無かった訳でもないけどさ、何が起きたか整理するのに時間が掛かったんだよ。」

 さっきまでの重さは無い。だから真琴も普段通りに返せる。

「どれくらい掛かったんですか?」

「十年。」

「そんなに?!」

「うん。色々思い出すのにも時間が掛かったし、たぶん自分で納得するまでにも時間が必要だったんだと思う。」

「なるほど。納得か・・・。」


 真琴は自分だったらどれくらいの時間で納得出来るだろうかと考えた。十年より短いのか、それとも長く掛かるのか。答えなど出そうもない。

「だから、確かめに行ったんだ。・・・高校入学の前に。」

「確かめる?何を?」

「家。」

 真琴はまだ告白が・・・期待していたものとは違った告白だったが、まだ続いていた事を知った。

「・・・まだ同じ場所に家があった。まだそこに住んでた。表札を見たら、涙が止まらなくなっちゃってさ・・・。」

 そう言って言葉を少し詰まらせる。でももう一度息を吸い直し続ける。

「そしたら、家から出てきたんだ・・・母さんが・・・。」

 充の声は、その時の事を思い出して涙が流れてしまうのを堪えているのが分かる程震えている。

「不思議そうな顔してたぁ。・・・そりゃそうだよね。母さんにしてみれば、見知らぬ中学生が家の前でないてるんだもんね。」

 それでも充は震える声でゆっくりと話した。

「それで・・・話したんですか?」

 乱れ始めた呼吸を鎮める為に多めに息を吸った。

「言えなかったぁ・・・。」

 そのたった今吸った息を吐き出しながらそう言った。そして充の目からは抵抗虚しく流れ始めた。

「何度も夢で見て、気になってて、本当かどうか確かめに来たって、それっぽく嘘ついた。」

 途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

「信じたかどうかは、分からないけど・・・。」

 力なく震える涙声で笑う。

「色々話して・・・これも何かの縁だからって、家に上げてくれて。・・・そのまま残ってた、あの頃のまま、僕の部屋が・・・。」

 充の語尾が掠れて涙に消える。これだけでもその時充が息もできなくなるほど泣いたことが容易に想像できる。真琴は掛ける言葉を見つけられない自分に、奥歯を噛み締める。

「それでさ、後日父さんも一緒に、お墓参りに行った。」

 充は鼻を擦り、流れる涙を腕で拭う。真琴は右手で自分の制服の胸の部分を掴む。充はもう一度、大きく足りなくなった酸素を補給する。

「複雑な気分だったぁ。まさか自分のお墓を見る事になるなんて、思ってもいなかったから。」

 最期は無理やり笑って見せた。

「それはそうですよね・・・。」

 真琴もそれに付き合って、力の限り無理やり笑ってみせた。全く成功はしていなかったが。


 それでも充はある程度言いたい事を言えたのか、落ち着きを取り戻したように見える。

「でもそのおかげで、だいぶちゃんと納得出来たかなぁ・・・。星野守は、もう死んでるんだな。その人生はやっぱり間違いなく終わってるんだなって。今の僕は、石上充なんだなぁって。」

 まるで自分の事では無いように言う充の横顔を複雑な気持ちで見つめる。私が今話しているのはどちらなのだろうという思考が掠める。

「・・・思ってたのと全然違う、予想外の話しでした。深刻な顔で深呼吸してたから、本当に告白されるかと思いましたよ。」

 真琴はまたしても余計な事を付け加えて言葉にしてしまったと後悔する。どうしても普段と違う雰囲気に耐えきれず、無意識にそちらへ軌道修正しようとしているのかもしれない。

「それも無くは無いんだけど・・・。」

 充は目線だけ真琴の方に向けた後、真琴のいない方へ首を動かしそんな独り言を呟いてみる。

「え?」

 今の独り言が聞き取れたのか、聞き取れなかったから聞き返したのか。

「ん?」

 充も負けじと疑問形で返す。

「何ですか?」

 言葉の調子や真琴の表情からは聞こえてしまったのか、そうでないのかが読み取れない。何か聞こえたらしい事までは分かるのだが。

「何でも。・・・じゃあもし本当に告白してたらどうした?」

 苦し紛れに冗談めかして、ずるい質問をしてしまう。

「えぇ〜どうですかね・・・。あれ?それってもしかして、わかりにくい巧妙な告白ですかぁ、これは・・・。」

 これは真琴の方が一枚上手だったか、こんな会話は二人にしてみれば通常運転の延長線上。カウンター気味に主導権を奪われた。

「さあ、どうでしょう。」

 しかし流石に充も慣れたもの、普段通りのやり取りならば問題無く、それをいなす。

「何かずるいな・・・。」

 真琴は大袈裟に眉間に皺を寄せて不機嫌を演出する。

「そうですね。ちゃんと告白されたら、私もちゃんと答えます。」

 からかうように本音を伝える。たぶん、答えも決まっている。

「そうかぁ。」

 と言って充は笑った。真琴は釣られて笑ってはみたが、また躱されたとも思った。そして自分は何を期待しているのだろうと思ったりもした。

「あ、聞いてもいいですか?」

 話題を変えようという思惑もあったが、純粋な興味が湧いた。

「何?」

「という事は、先輩は二度目の人生って事ですよね?」

「そう・・・だね?」

 充はこの状況では思いも寄らぬ質問に少し困惑する。いや、もしかしたら真琴がほんの少しだが顔の距離を近づけた事に不意を突かれただけかもしれない。

「って事は、小・中の勉強は、ほぼチートって事ですよね?」

 真琴のその質問に充は「あぁ。」と苦笑いをして、照れ臭そうに少し上を向いた。

「それがそうでもないんだよ。」

「え?なんで?」

 思っていたものと違う答えに驚く。自分を含め充の様な属性の人間なら誰もが憧れる様なシチュエーションだ。そうでなくても、誰しもが一度くらいこんな妄想をしたに違いない。

「元々そんなに出来た訳じゃ無かったから。・・・何かね、全部やったことあるなぁって感じ。」

「もったいな。せっかく天才になるチャンスだったのに。」

 そう言いながらも、充らしいなぁと感じてもいた。自分ならきっと天才やっちゃうなあとも。

「あはは、そうかもねぇ。でもおかげで前よりしっかり理解できたかも。なんせ全部復習してるのと同じだからね。復習、超大事。」

 きっと充にはそれよりも生きてることが重要で、大切で、楽しかったんだろうと、真琴はそんなふうに思った。そうんなふうに思える充のことを少し羨ましくも思う。

「なるほど、そういう事か。あ、じゃあじゃあ、あれは。気になってた事は確かめました?マンガとかアイドルとか。」

「あぁ・・・うん、それねぇ・・・。」

 充は急に落ち込んだような声を出した。

「どうかしたんですか?」

 何か問題でもあったんだろうか。それともそんな事はすっかり忘れていたんだろうか。まさか聞いちゃいけないやつだったのかと真琴は色々と思考を巡らせる。だが充の答えはそんな心配の必要の無い内容だった。

「いやぁ・・・文春砲喰らって活動辞退してたぁ・・・。」

 もう一段落ち込んだ声でそう言って、頭を深く下げた。

「ありゃりゃ。それは残念でしたねぇ。」

 多少誇張して表現をしてはいるが、気持ちは分からなくもない。推しにはせめてちゃんと卒業して欲しいと願うものだ。そのアイドルがどんな不祥事で活動を辞退をしたのかはわからないが、なぜ女性アイドルは恋愛が不祥事になるのだろう。男性アイドルは恋愛しても不祥事にならないのに。疑問極まりない。不公平だ。真琴はそんな事を思っていた。

「マンガはちゃんと追えたよ。今はサブスクとかアプリとかあって便利だよね。それにまだ続いてるのもあるしね。物によっては、ほとんど進んでないし・・・。」

「ああっ!知ってます。ハン・・・。」

 真琴がそこまで言うと充は右手の人差し指を自分の唇に当て、「シッ!」と勢いよく空気の音を出した。

「それは無粋だよ、森園君。」

 そう言って、両の瞼を閉じゆっくりと首を左右に振った。真琴は目を開けた充に視線を合わせ、微笑んでからゆっくりとお辞儀をした。それに合わせ充も真琴と同じようにお辞儀を返す。二人はゆっくりと姿勢を直しお互いの顔を見る。そしてどちらともなく笑い出した。

「でもまさか、こち亀が終わるとは思わなかった。」

「それは私もです。」

 二人はもう一度笑い声を上げた。


 笑いが治まった後、暫く「ああでもない、こうでもない。」とあのマンガやこのアニメの話しに花が咲く。一段落して少し落ち着く。そして二人の間を春とはいえまだ少しだけ肌寒いそよ風が草の香りを乗せて通り抜ける。日が少し傾き始めていた。

「いやぁ、さすがに驚きました。」

 と真琴が切り出した。

「すぐに全部受け入れるのは難しいですけど・・・。でもなんで私に話したんですか?結構リスクあると思うんですけど。」

 真琴はまだ整理がついた訳じゃないけれど、充が嘘をついていないであろうことも何となく分かる。それならなぜこんな事を私に話したのだろうと思った。信用してもらえているのは嬉しいけど、話さなっくても良いはずだ。それもわざわざこの時期に。

「あぁ、いや、実は・・・。」

 充はまた何かを言い淀む。

「まさか嘘じゃないですよねっ!!」

 此処まで来て、この話しが嘘でしたなど言ったら許すまじと充を睨みつける。

「嘘じゃない!嘘じゃないけど、ただ本当に話したい事がまだあるんだ。」

 両手を前に出し真琴の進軍を制して、交渉に持ち込む。

「え?・・・まだ何かあるんですか?」

 真琴は勢いを削がれ、姿勢を元の位置に戻す。その意外な充の言葉にまたしても思考が止まる。

「うん。」

 そう言って頷く充を見ながら、真琴は身構え直す。次はどんな事を語るのか、と。充はまた深呼吸をして話し始めた。

「・・・実は、死ぬ前に・・・命が尽きる前に、一つだけ、願ったんだ。・・・願っちゃったんだ。」

 さっきまでの話の他に、そして本当に話したい事と言われて、その話しが良い事ではないような気がして。何だか悪い予感がして、不安になる。途切れ途切れの充の口調に更に不安が積み上がる。真琴は「それは何ですか?」の言葉が出てこない。

「後悔って言うか・・・心残りって言うか・・・。ああ、ちゃんと高校生したかったなぁって。」

「・・・それが、願い事。」

 思っていたような悪い報告では無いように感じた。真琴は自分の予感が外れて少しホッとした。

「そう。せめて高校に三年間通いたい。願わくば、ちゃんと高校生をさせて欲しい。それが叶ったら満足する。他には何もいらないって・・・。」

 そう言って充は立ち上がり、川の方へ身体を向けた。

「じゃあ願いが叶ったって事じゃないですか。」

 立ち上がった充を見上げ真琴はそう言った。

「それはまぁ、そうなんだけど・・・。」

 まただ。またそうやって言い淀む充に、払った不安が顔を出す。

「良かったじゃないですか。何が問題なんですか?」

 真琴はその不安をもう一度振り払うようにそう言った。そうだ、願い事が叶った事の何が問題なのだろう。それを私に自慢したいなら、もう少し明るく話してくれればいいのに。

「それはそうなんだけど・・・。」

 だから、それの何が問題なんだ。

「僕が願ったのは・・・高校の三年間なんだ。」

 これも、まただ。また泣き出しそうな、申し訳無そうな顔になってる。どうして。

「はい。さっき聞きまし・・・た。・・・え?」

 真琴は自分でそう言いながら、気が付いてしまった。さっきから充が言っていた事を。さっきから充が言おうとしていた、本当の事を。その事に気が付いた事に、血の気が引いていくのが自分でも分かる。

「そう・・・僕が願ったのは、高校の三年間。」

 少し震え始めた真琴の目を真っ直ぐに見ながら充はそう言った。そしてこう付け加えた。

「それで、今日でその高校生活が終わり。」


 今日は3月31日。卒業式が終わっても法的には3月31日までは高校生だ。それまでに不祥事を起こせば、卒業や大学の入学も取り消しになる場合もある。そして今日が終われば高校生ではなくなる。

「それって・・・まさか・・・。」

 次から次へと最悪の事が思いつく。こんな時に限って止めどなく浮かび上がる最悪の事態を全力で抑え込む。だからといって何か次に言うべき言葉も見つけることも出来ない。

「わからない。・・・何もわからない。」

 充は真琴の考えている事を察して首を振る。苦笑いとも諦めとも見えるような表情で。

「どうなるんですか?え?え?どうすれば・・・。」

 何となく気付いてしまった答えに混乱を隠せない。そうしたくなくても身体と一緒に感情が震えて、取り乱す。両手で頭を抱え、口元を押さえ、制服のあちこちを触る。

「何もわからないんだ。」

 そう言いながら充は真琴の両肩を掴み、視線を合わせる。真琴は充が自分と同じように震えている事をこの時知った。

「何もわからない。・・・だから、恐いんだ。僕はちゃんと明日を迎えられるのか。明日もちゃんと生きているのか。生きていたとしても星野守の部分が全部消えちゃうのか。それとも記憶や思い出を全部失くしちゃうのか。・・・もしかしたら僕の、僕の存在自体が消えちゃうかもしれない。」

 徐々に震えが増していく充の言葉に真琴も目に何かが溜まって来るのを感じる。それと同時に更に混乱が増す。

「そんな・・・いきなりそんな事を言われても・・・。」

 違う。そんな突き放すようなことを言いたいんじゃない。それでも感情と思考が追い付かなくて。すぐに後悔してみても次に何を言っていいかわからない。

「そうだよね・・・ごめん。」

 充の手が真琴の肩から離れる。充は申し訳無さそうに力なく笑う。

「でも、どうしても誰かに聞いて貰いたかったんだ。」

 そういう事かと真琴も少しだけ納得する。でもなぜその相手に私を選んだんだろうと思う。そして次の瞬間、別の事を思いつく。

「ご両親には話したんですよね?」

「話してない・・・。記憶の事も。・・・話せなかった。」

 真琴は言葉を詰まらせる。だが感情がそれを押し退ける。

「何でんですか!?何で親にも話してない事を、そんな大事な事を私に話したんですか!」

 感情が叫びに似た声になる。

「君に覚えておいて欲しかったんだっ!!」

 今度は充の声が覆いかぶさる。

「父さんと母さんには、心配させたくなかったんだ・・・。」

 身勝手な発言に更に声が大きくなる。少なくとも真琴は充の言い分は身勝手なものだと思った。

「先輩は私がその話しを聞いて心配しないと思ったんですか!!?そんな人でなしに見えてたんですか!!」

 その感情には怒りが多分に含まれていたと思われる。故に真琴もそんな事を言うつもりのなかった言葉も一緒に出してしまった。

「違うよ!そんな事あるわけ無いじゃんか!」

 充のその叫びは既に泣いていた。

「森園君には、覚えていておいて欲しかったんだよ。どうしても君には、石上充っていう人がいたって事を・・・。」

 充は優しく願うようにそう言いながら、徐々に呼吸を整える。

「ごめん。・・・本当は全部黙っていようと思ってたんだけど。我慢できなかった。」

 最後はぐしゃぐしゃの顔で笑った。

「そんなの卑怯だ!私にどうしろって言うんですか!」

 それでも治まらない感情をぶつける。それを知った私はどうしたらいいんだというのは、真琴の間違いなく素直な疑問だ。

「だから、覚えておいて欲しい。ほんの少しの間でいいから・・・。」

 真琴は「もぉ〜。」と不貞腐れたような声を出すのが精一杯だった。


 お互いに流れてしまった分の涙を拭う時間を設けた。暫く完全には戻りそうも無いが呼吸を整える時間も一緒に。

「・・・その事にいつから気が付いてたんですか?」

 母親が子供に「怒らないから。」と前置きする時のような口調で充に聞いた。

「高校生になる時から・・・。」

 お母さんに叱られている子供みたいに答える。

「もぉぅ、嘘でしょ・・・。」

 今度は真琴の方が駄々っ子のように呆れる。

「だから全力で楽しもうと思って。」

 充は無邪気に笑う。その笑顔に真琴は呆れを通り越し、なんだかどうでも良くなって来たような気持ちになった。その気持が、溜息になって漏れる。

「・・・その全力が、あのアイパッチとマントですか。」

 今となっては遠い昔のような気がするが、此処までの充の話しを聞いたら、そういう事かと少し納得もできると思った。にしても、あのアイパッチとマントは無いなとも思い、心の中で苦笑いした。

「まぁ、そうだね。」

 充の方もあの頃を思い出して照れ臭そうに笑う。真琴は充でもあれは恥ずかしい思い出なのかと思った。

「もうどうにもならないんですか?」

 何時もみたいに馬鹿な話しを続けていたいが、そういう訳にもいかない。何とかできないのか、何とかしたいと話しを先に進める。

「わからない。」

 充からは頼り無い答えが返って来る。

「少しも調べなかったんですか?」

 真琴は諦めずに食い下がる。

「調べようが無いよ。」

 また手応えの無い答えが返って来る。そうかもしれないけど。

「どうして?三年もあったのに?」

 充の態度に語気が少し強くなる。

「違うよ。三年しか無かったんだよ。」

 充は更に落ち着いてそう言った。真琴もそう言われると、確かにと感じ勢いを削がれる。

「何か解決する方法があったかもしれないのに・・・。」

 それでも真琴はもう一度。だって・・・。

「それより、せっかくもらった時間を無駄にしたくないと思って、やりたい事を優先した。実際楽しかったし、そんな事忘れてた。」

 おそらく充のその言葉に嘘は無いだろう。そう言って笑う顔を見れば疑いの余地は無いだろう。だからこそ、それが真琴の感情を逆なでする。

「そんな事じゃない!」

 自分の事をそんな事と言った事が許せない。

「そうだね。すみません。」

「すみませんじゃない!」

 充の落ち着いた態度が真琴の感情の火に油を注ぐ。

「でもこればっかりは、どうにも。」

 本当に困ったような顔をしている充を見ると更に拍車が掛かる。

「何でそんな他人事みたいに!」

 もうほとんど怒鳴っていた。怒鳴りながら思う。何で私が充の事で、充に怒鳴っているのだろうと。そんなの・・・。

「そんなに怒らないで。」

 そう言われて真琴は少しだけ引き下がる。少しだけ。

「じゃあ、このままでいいんですか?少しも後悔は無いんですか?」

 そう、少しだけ引き下がって戦法を変える。

「そうならない様に三年間過ごしたつもりだけど、無い事もない。アイドルのミーグリに一回ぐらい参加すれば良かったかなとか。結局あのマンガ完結しなかったなとか。」

「ふざけないでください。」

 せっかく何かこの城を攻略する糸口を見つけようとしているのに、こうもはぐらかされるとまた声を荒げてしまいそうになる。

「これでも色々我慢してる事もあるんだ。女の子の事を好きにならない様にしようとか。」

 真琴は充がそう言いながら此方をチラリと見たような気がした。

「え?」

「全然無理だったけど。」

 何事も無かったみたいに言葉を続け微かに笑いながら川の方を見る。

「・・・どうして好きになったら駄目なんですか?」

 真琴の方も敢えて少しずらした質問をする。

「だって消えちゃうかもしれないんだよ?仮に告白して、それが万が一成功して両想いになったとしても、結局相手を悲しまちゃうと思って。」

「それはそうかもしれないですけど・・・。私はそれでも・・・。」

 色々あって心のストッパーが外れかけて、つい言葉が零れ落ちそうになって慌てて飲み込む。

「ん?」

 充も聞こえていたのか、良く聞き取れていなかったから聞き返したのか。

「あぁ、何でもないです。」

 その答えがどちらでも構わない。真琴の気持ちとしては、できれば自分からは・・・というよりは充の方からと。その割には誘導をしたい訳でも無い。そして充の、その対象が自分である保証は今の所、五分五分かなと。

「でも好きになるのは自由かなぁって。心の中で思うだけなら、いいかなぁって。」

 充は真琴の方を向かず、もう少しで西の空が赤く染まり始めそうな空を見上げていた。

「好きな人はいるんだ・・・。」

 また一つ、開けっ放しの関所を言葉が通過する。

「伝えなくていいんですか?もう会えなくなっちゃうかもしれないんですよ。」

 無許可で通り抜けた言葉の足取りを追跡させない様に次の言葉を紡ぐ。だがすぐに、しまったと思う。その答えが自分の望むものでも、そうでなかったものだったとしても、その事を促してしまう事が自分の意に反する。それでも、これも本音の半分。

「会えなくなっちゃうかもしれないから、伝えないんだよ。」

 充はまだ川の上の空を見ている。その声から彼自身の決意の様なものが感じ取れる。だったら尚の事と真琴は思う。それは一体誰の為なのか・・・。

「本当にそれでいいんですか?」

 充はゆっくりと真琴の方へ首を向ける。その表情は何とも言えないものだ。


 「・・・ねえ、今からでも消えない方法を探しましょうよ。」

 どうやら真琴の方が充よりこの状況をなんとかしたいと思っているようだ。いや充の事だ、きっと今日までにそんな事を何度も考えたに違いない。自分で調べてもその答えが見つからなかったのだろう。だからこそ自分が死の直前に願った「高校三年間」を楽しむ事に時間を使うことを選んだ。理解は出来る。

「どうやって・・・何の手掛かりも無いのに。」

 やっぱり調べようとはしたらしい事が伺える。だけど自分の身に起きた事が不可思議過ぎて、文字通り手どころか指を掛ける箇所も見つける事が出来なかったのだろう。そんな事は充の態度を見れば容易に想像できる。

「でもきっと何か・・・なにか手段があるはずです。」

 それでも真琴は喰らいつく。まだ望みがあるならと。ただこのままその時が来るのを待つよりも。

「もういいんだ。」

 充はそんな真琴を諭すように優しくそう言った。その充の態度に真琴はカチンと来る。

「何で諦めるんですか。あと少ししか時間が無いけど最後まで・・・。」

 そう、少ししか無い時間の中で充自身が選んだ答えなのに。わかっているのに語気が強くなる。自分の希望を押し付けてしまう。

「もういいんだ。・・・充分楽しかった。幸せだった。だから、もういいんだ。」

 充のその言葉に嘘は無い。もしかしたらそう思おうとしているだけかもしれないが。それでも。

「私は嫌だ!!」

 真琴の絶叫が学校近くの川辺に響き渡る。

「え・・・。」

 充は突然の絶叫に気圧されて少し仰け反る。

「私はこのままおしまいなんて嫌だ!明日の先輩に・・・明日からの先輩に会いたい・・・。」

 つい感情的になって叫んでしまったが、最後の方は声が詰まって消えてしまっていたかもしれない。

「そんな事言ったって・・・。」

 きっと本当に困っていたんだと思う。真琴の態度にも言われた事にもどう答えていいかわからなくて。だがそんな充の対応に遂にずっと耐えてきたが、真琴の感情と涙腺の貯水池の堤防が決壊する。

「残される方の気持ちを考えた事があるのか!そうやって勝手に満足して、悟った様な事を言って諦めんな!これで私の青春の思い出が、悲しい思い出になったら一生恨むからな。本当にこれでいいのか。この期に及んで・・・いつまでそうやって自分の気持に嘘ついてんだ!最後くらい本当の事を言ってみろ!!!」

 ありったけの感情を乗せた早口の絶叫が充を通過して、徐々に夜へと切り替わり始めた空へと吸い込まれる。

「僕も嫌だ!」

 真琴のありったけを受け止めて、充の本音が零れ出る。

「僕だって・・・僕だって、明日の君に会いたい!会いたいに決まってるじゃないか・・・」

 涙に掠れた充の声が覆いかぶさる。

「・・・ほらやっぱり・・・。ね、だから・・・。」

 やっと充の本音を聞けた気がして少しホッとする。涙を拭いながらそう声を掛ける。

「そりゃ僕だって叶うなら、明日を無事に迎えたいよ。・・・でもね。」

 本音を吐き出してスッキリしたのか、落ち着いた声でそう言った。

「また、そうやって・・・。」

「聞いてよ。」

 再び充を叱咤しようとした真琴の言葉を遮る。

「神様なのか星なのかは分からないけど、少なくとも僕の・・・星野守の願いは叶えて貰えたんだよ。」

 真琴は黙って頷く。

「だからこれは、呪いとかそういうのじゃないと思うんだ。」

「確かに、そう言われると・・・。」

 確かに充の言う通り不穏な気配が無い様に感じる。二年間共に過ごしてみて、魂と引き換えにとか、何か奇妙なペナルティがあったようには思えない。・・・もしかして、この中二病がとも思わんでもないが。

「だから・・・これ以上望んだら良くない気がして。」

 そうか、と真琴も思う。何か不可思議なものの影響で不幸な目に遭った充に、その埋め合わせなのか救済措置だったのかは定かではないが、彼の最後の願いは叶えられた。そしてそれは滞り無く完了したと考える事も出来る。そう言われると充が言う事も理解できる気がする。

「でも、だからって・・・。」

 だからといって、「はい、そうですか。」と納得するには、真琴には時間が足りない。もっと前からこの事実を知っていって、あれもこれも調べて試して最大限足掻いた結果なら、或いは納得することも出来たかもしれないが。

「どんな結果になっても受け入れようと思って。」

 充のその言葉は何処かスッキリしていて、既に覚悟を決めている様だった。

「そんな・・・。」

 それでも真琴には。だからといって、そんな充に掛ける言葉も見つからず。

「ほら、まだ消えちゃうって決まった訳じゃないし。」

 自分より暗い顔をしている真琴に、カラッとした声で言う。どうやら充の方が幾らか真琴より楽観的らしい。

「そうかもしれないですけど、保証もない。」

 納得がいかない気持ちと不満がそのまま語気になる。

「そうだね。」

 微笑みながら答える。何時もより大人びた横顔で笑う充に、また一つ胸が鳴る。どうしてこんな時にと、真琴は焦る。一度視線を外し呼吸を整える。

「そうだ、約束しましょう。」

 何かを思いついた真琴は声に力を込めて提案する。充もその声に反応して真琴の方を向く。

「明日もここで・・・。今日と同じ時間に会いましょう。」

 真琴のその両目にも自分の言葉と同じくらいの力を宿して充を見つめる。

「明日もここで・・・。」

 思わぬ真琴の申し出にオウム返しになる。充は両手を少し握った。

「約束があれば、もしかしたら大丈夫かも。何の根拠も無いけど。」

 そうだ、何の根拠も無い。だけど今思い付く最大限の足掻き。勝ち目が何処にあるのか分からない賭けに、ありったけの希望を込めて。

「それこそ何の保証も無いね。」

 と、充は楽しそうに笑う。そんな事は分かっている。それでも幼稚かもしれないが、すがるような思いで絞り出した希望の欠片をあしらわれたような気がしてムッとする。すぐさま抗議に出ようとした真琴を充の次の言葉が遮る。

「でも、わかった。」

 真琴はデモ活動を即座に中止する。

「明日もここで、待ち合わせしよう。今日と同じ時間に、約束しよう。」

 充の目に先程まで無かった、希望の光の様なものが宿ったように見えた。自分の何の意味も無いかもしれない提案が通った事より、真琴はその事にホッとする。

「はい。必ず来てくださいよ。来ないと私に一生恨まれますよ。」

 真琴はできる限り普段通りに、持てる全ての希望を込めて言った。


 真琴のその言葉に充は笑う。

「それは、やっぱり嫌だなぁ。好きな人に一生恨まれるのは、きついなぁ。・・・あ。」

 泣いたり笑ったりで緊張の糸が緩んでしまったのか、その隙間から本音がすり抜けた。ただお互いに何の意識もしていなかったので、ちゃんと伝わらなかった。

「え、今なんて?」

 重要な言葉を逃がすまいと追跡する。

「いや、何でもない。・・・何でもあるけど、何でもない。」

 何時もの調子で取り繕う。だが空いてしまった穴の修繕が不完全で、またしても余計な言葉が滑り落ちる。相手も二年間も同じ時間を過ごし手の内を知り尽くした手強い追跡者。この隙をミスミス逃すはずがない。

「もう一度ちゃんと言え!」

「あぁもう・・・しまったなぁ。」

 袋小路に追い詰められた獲物のように狼狽える。

「何がしまっただ!最後かもしれないんだから、ちゃんと言え!」

 真琴としてはちゃんと聞きたい、聞いておきたい。充としてはその気持は理解できるが、そうしないと始めから決めていた以上譲れない。だから充は今できる最大限の妥協案を両手を開き前に突き出し提出する。

「わかった。明日会えたら、ちゃんと告白する。」

 もう殆ど言ってしまったに等しいが・・・。

「そんなの、ズルいよぉ・・・。」

 せっかく引っ込んだ泣き顔がまた覗く。聞きたかった言葉を聞けてはいない。明日会えなかったら、二度と聞けない。

「そうかもしれないけど、明日への強い希望になる。・・・僕に歯を食いしばる希望をください。」

 真っ直ぐ真琴の目を見て、落ち着いた声でそう言い、その後丁寧に礼儀正しくお辞儀をした。

「ズル過ぎるよぉ・・・。そんな事言われたら、断れないじゃんかぁ。」

 駄々をこねる子供のように、小刻みに飛び跳ねる。

「ありがとう。・・・あとやっぱり最後に、さよならって言っておくね。」

 充も笑ってはいるが、その目は表面張力ギリギリだ。

「何でここへ来て、そんな事言うんですか・・・。」

 充の追い打ちに涙で声が掠れ裏返る。

「言えなかったら、それはそれで後悔しそうだから。」

 両の頬をそれぞれ一筋づつ流れる涙顔で精一杯笑う。もう真琴にはその顔も自分の涙で視界が歪み、正確に捉える事は出来ない。

「ばぁ〜かぁ〜。」

 堪えていたものを塞き止められず、それを言葉に出来ず、そう返すしか無かった。


 感情が崩壊してしまった真琴が立て直すまで、暫くの時間を要した。充の方も気持ちを落ち着けるのにちょうど良かった。空はすっかり夜に模様替えが終わりかけていた。

 この辺りは街灯はあるものの、街の灯は遠く学校以外の施設も少ない。だから思ったより星が良く見える。きっとこれもこの学校に天文部が昔からある理由の一つなのかもしれない。見上げる夜空には暗幕に無数の小さな穴が空くように、星達が姿を見せ始める。今日までに何度も見た夜空。もしかしたら一番多く見上げたかもしれない夜空。

「今日は話を聞いてくれて、ありがとう。」

 真琴の呼吸が、到底完全とは言えないがだいぶ調子を取り戻して来たのを確認してから、充はそう声を掛けた。

「それから今日までありがとう。楽しかった。」

 真琴の両肩を掴み、少しだけ力を込めてそう言った。そしてその手を離そうとすると、真琴は右手で充の左の袖を掴んだ。

「嫌だぁ。明日になるまで、一緒にいる。」

 感の鋭い子供みたいに、今日の終わりを予感して駄々をこねる。充は真琴の左手を自分の左手で優しく包み、首を振る。そして袖を掴んだ真琴の手をそっと剥がす。

「ありがとう。さようなら。」

 充は笑顔で真琴に感謝と別れを伝える。

「違いますよ・・・。また明日、です。」

 なんとか整えたはずの呼吸がまた暴れ始める。充の手が離れてしまった両肩を小刻みに上下させながら、最後の力を振り絞って希望の言葉を口にする。

「そうだね。じゃ、また明日。」

 充は今日一番の笑顔を見せて、踵を返した。


 まるで何事も無かったみたいに、明日また会えるみたいにその場を後にする充の背中を見つめる。遠ざかるその背中が次第にグシャグシャに歪んでいく。それでも充が最後にもう一度振り返りでもしないかと見つめ続ける。だが充は一度も振り返る事無く端の袂に辿り着く。きっと充は決して振り向かないと決めているのだろうと真琴は思った。振り返ったら、せっかくした決心が揺らぐような気がしてるのだろうと。だから、真琴も覚悟を決める。私も振り返るものかと意を決し、充の行ってしまった方とは反対の方向へ向きを変える。

 乱れる呼吸を抑え込み、涙がこれ以上溢れてしまわぬように顔を上に上げて。見慣れたはずの星空も今は星座さえ判別出来そうもない。また明日と約束したんだと、きっと大丈夫と、自分に言い聞かせながら、一歩づつ信じられないくらい重くなった足を進行方向へと引き摺る。

「また明日ーーー!!!」

 不意に真琴の背中に届く。真琴は雷に撃たれて痺れたように立ち止まる。此処まで堪えきれていたとは思えないが、それでも最後の防波堤が遂に決壊した。

 真琴は川の上流から下流の全てに響き渡る程の大声で泣いた。泣いたまま歩き続けた、決して振り向かずに。



 彼は病院の広い待合室の背もたれの無い長椅子に腰掛け、その時を待っている。左右の膝の上にそれぞれの肘をつき、両手を組んでいる。それはまるで祈る姿に似ているが、彼は別に祈ってなどいない。理由はわからないが大丈夫だという確信がある。夜中ということもあり、自分の他に人がいない事もあるのか自分でも驚くほど落ち着いている。もっと取り乱すと思っていた。もっと狼狽え、落ち着かず、どうして良いか分からずウロウロと意味もなく歩き回るんじゃないか、などと思っていた。だが不思議と心は穏やかで、根拠の無い自信が満ちている。

 彼が病院の壁に掛かっている時計に目をやると、その長針と短針があと少しで今日から明日へと切り替わる事を指し示していた。これは明日になるな、と思う。

「明日・・・か。」

 誰もいない病院で彼は静かに呟いて微笑んだ。彼にとって「明日」は希望の言葉。何時でも自分を強くしてくれる魔法の言葉。


 ーー明日生まれてくるきみに、いつか話そう。きみのお父さんとお母さんが付き合うきっかけになった、この話を。信じて貰えるかどうか分からないけど、嘘偽りのない本当の話を。うざったいと邪険にされるかもしれないけど。しつこいと嫌われてしまうかもしれないけど。きみのお父さんとお母さんが、きみが生まれてくることがどんなに嬉しかったかということを。・・・きっと僕らの事だ、きみには星から名前を付けるんだろうなぁ。



 余談だが、彼がプロポーズの際、人生で二度目の「一生のお願い。」をしたことは言うまでもない。


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