祖父産燃料
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
少し前より、化石燃料の使用は控えるように……と、注意が呼びかけられているのは、みんなも知っての通りだろう。
先生が小さい頃も、そうだった。
あのときはもう、あと30年ほどで燃料が枯渇すると警告されて、日ごろから節約が呼びかけられたっけ。しかし、あれから30年がたっても、いまだ化石燃料は使うことができている。
技術の発達、新たに見つかった燃料の量などなど、状況の進展によって計算が変わってきた点もあるだろう。
実際のところ、地球に存在している化石燃料が、あとどれくらいあるか正確なことは分からない。
そのため、新エネルギーへいかに転換していくかは大きな課題だ。
恒常的に得られるなら、それはとてもありがたいこと。けれど、それを確立するまでに、一時的にでもいいから大きな力を確保したい、というのも一理あるだろう。
どうも、先生の地元でも、その手のたぐいの試みが成されていたみたいでね。
そのときのこと、聞いてみないか?
先生の祖父は生前、土いじりを良くしていた。
猫の額ほどの狭い庭ではあったが、野菜らしきものを育てていたのは、覚えているよ。
「らしき」というのは、それらを食卓で振る舞われたことがないものでね。どのようなものだったのかは、今でもはっきりと分かっていないんだよ。
まだまだ、自分の好きなことを最優先したい時分だったし、祖父のやることにたいした関心を持ってはいなかったんだ。
二学期が始まって、数日が経つあの日まではね。
9月に入れば、もう秋というのが私の感覚。
季節は、気温と共にきっちり変わるべきというポリシーの私にとって、残暑というのは許しがたいもので。
汗拭き、文句垂れながら、家の門扉をくぐると祖父の仕事姿が目に入った。
いや、いつも見る土いじりとは、少し様子が違う。
昨日まで、雑多に茂って土を覆っていた草たちは、すっかり取り除かれていた。
まっさらになった畑の真ん中で、祖父は麦わら帽子をかぶった野良着姿で座り込んでいる。
手にはビーカーを持っている。理科室などでしか、これまで見る機会がなかったから、このようなものが家にあったというだけでも驚き。
それを祖父が用い、中は半分ほど液体で満たされていたとなると、がぜん興味がわいてきた。
声をかけながら近づいていくと、祖父は先生に一瞥をくれるや、すぐにビーカーへ視線を戻す。
「ちと、『肥やし』を増やそうと思ってな」
祖父の言葉に、先生は顔をしかめる。
肥しといったら、生き物の糞尿などから作るイメージがあるからだ。もし、これからそのようなことを始めるなら、正直ご勘弁願いたいところだった。
しかし、祖父は変わらずにビーカーに入った液体を見据え、それをときどき軽く振りまぜながら様子をうかがっている。
私もそれにならい、ビーカーに入った液体をつぶさに眺めてみる。
ビーカー内の液体は、紫キャベツの色をそのまま落とし込んだかのような色合いだった。
色はついているが、濃さはそれほどでもない。液体とビーカーを通して、向こう側の景色がうっすらと見ることができるほどだ。
祖父は変わらずに観察と、ときおり軽くビーカーを振り続けることをしている。
数分経っても、その繰り返しから抜け出す気配はなく。
辛抱強くない先生は、早くもいらついてきてね。「いつまでこうしていればいいのか?」と祖父へ尋ねたんだ。
すると、「この液体が、すっかり干上がってしまうまで」との答えに、一瞬だけ気が遠くなってしまったよ。
つまり、こぼしたり、ぶちまけたりという、積極的に量を減らすマネはしないということ。おそらく、それが済むまでずっと祖父はここから動かないんだ。
先生は家の中へ引っ込んでしまう。
ずっと一緒にいるのは気がめいるし、学校の宿題もある。
先生は後に何かが控えていると、そればかり気にしてしまうタチだったからね。部屋へ戻るや、黙々と課題を終わらせにかかった。
一時間ほどして、おおかたのケリがつき、部屋を出て窓から庭を見下ろすと、まだ祖父は同じ格好をしている。
よく飽きずにいるものだ、と思いつつも、先生はそのまま家の中にいた。
トイレ休憩で一回、飲み物を取りに行くので一回。
おそらく、さらに40分ほどが経っているのに、いまだ祖父は動かないでいる。
ふと、窓からのぞいたおりに、涼しげな風が入ってきて「おお」と先生は身震いする。
帰ってきたばかりのときは、からっと晴れていた空が、いつの間にか曇り気味になってきていたんだ。
天気予報では、今日いちにちは晴れ模様という話だったが……。
そこでふと、見下ろす先で祖父が腰を上げた。
振り返った手に持つビーカーに、先ほどの紫色の液体はまったく残っていない。
乾ききったのか、と思う間に、ぽつんぽつんと家の屋根をかすかに叩く音、そして見下ろす壁に、少しずつ水滴が当たり始めるのが見えた。
雨だったんだ。
祖父が頭に手をやりながら、足早に家へもどっていくわずかな間で、たちまちその雨足は強まり、どしゃぶりと相成る。
その雨粒の密度、まるで幕が下りるようだったと先生は感じた。
視界を覆い隠すように、絶え間なく降りしきる雨は、庭の土にもどんどん水たまりをこさえていく。
しかし、その中で先生は見たんだ。
この家の敷地の外、田畑が広がるところのあぜ道途中に生えている木の一本。
いまだ緑の葉をつけ、夏真っ盛りといわんばかりの威勢の良さを誇っていたそれが、どんどんとその色を塗り潰されていくのだから。
あのとき、祖父のビーカーの中で見たのと同じ、紫キャベツを思わせる色合いに……。
そこからは早かった。
紫色に染まった木は、まるでお辞儀をするかのように幹の真ん中から前傾し、地面へ倒れこんでしまったんだ。
折れるのではなく、木全体が飴細工のようにぐにゃりと曲がり、そのまま地面の中へ吸い込まれていく。その光景に目を疑ったよ。
そして、木が完全に土の中へ消えるのと同時に、雨がぴたりとやんだんだ。
雲が去り、再び差し始めた太陽を前に、水たまりたちは奇妙なほどの早さで、たちまち乾いていったよ。
雨がやんでしばらくたち。
おそるおそる家を出て、あの木が立っていた場所へ先生は向かった。
やはり木は完全になくなっている。
葉や枝、幹はおろか、少し掘り返しても根の一部さえ出てこない。そこから完全に樹は姿を消してしまったんだ。
そして、やがて訪れる秋と冬の収穫どきの野菜たちは、まれに見る豊作だったそうな。
祖父が乾くまで待っていた、あの液体。
それはきっと、肥やしが雲へ溶け込んだ上で、あの木一本をまるまる燃料の肥料として、まわりへ振りまいたんじゃないかと思っている。