神歴第二十六の年 託された灯火 後編
少し項垂れ、肩を落としながら歩くケセフとギデオンの後に続いて、ゼミーラとハンナが楽しそうに話しながら歩いてくる。
森の動物たちも、何やらいつもと異なる様子、雰囲気に、遠巻きに見守っている。
いつも鍛錬のために来ている海沿いの開けた岩場に向かいながらケセフは、
「ギデオン…わかるな?」
と、後ろに歩く二人に聞こえないように、小声ながらも威圧感たっぷりにギデオンに声をかけた。
「うっ…わかってますよ師匠。」
気圧されながらも、目指す着地点は同じであると伝えるギデオン。
二人は程よく打ち合って、体よく…程々のところでケセフが勝ち、ハンナの同行を断念させる腹づもりだった。
そうして、目的の岩場に着いた時、何故か他の一同が勢揃いし、酒や食事を楽しみながら、
「お!待ってたよ!」と、声をかけてきたのだった。
落胆したケセフを心配した動物たちの一部が、ヨナの所へ異変を伝えに行った。
ヨナは教会で家族と過ごしており、すぐにレーリアとオーズの知るところとなった。
教会で、ヨナの娘息子の数人に、新大陸行きへ連れていく様せがまれていたルーアも、その近くにいたシャムスも、すぐにケセフとギデオンの対決を知ることになり、
「こんな面白いこと、みんなに教えなくっちゃ!」
と、突風の様に皆の家々を訪れて話を広めた。
その結果が、目の前の光景であった。
固まる二人を他所に、ゼミーラとハンナは少し驚きつつも、皆の輪に入り、二人をにこにことしながら見つめている。
そしてレーリアが、
「ただ今より、神の騎士ギデオンと、その師にして英雄、伝道師ケセフによる御前試合を開始する。」
と、高らかに宣言し、皆の拍手が起こった。
いよいよ訳がわからなくなってきたケセフとギデオンをそのままに、
「尚、御前試合と言ったように、偉大なる主もこの立ち会いを見届けておられる!心して打ち合うように!」
と更に付け加えた。
皆から割れんばかりの声援と、拍手。
そうして、その話が本当であることを示すかのように、中空にきらきらと聖気を放ちながら輝く球体が現れて明滅した。
この様な状況のせいで、手を抜くに抜けなくなったケセフとギデオン。
諦めたように、「師匠。こうなったら今度こそ、借りた胸倍にして返します。」
と、少しやる気を見せるギデオン。
「んん、それはいいが。またすぐに貸しが増えるのも困るな。」
と、つい弟子を煽るケセフ。
「ああ?新大陸でどんなに鍛えたか…帰ってきてから師匠と互角に打ち合ってるでしょうが。」
煽られてすぐ乗ってしまう辺り、まだまだ未熟なのだが、ギデオンがめらめらと燃え上がり始めた。
「互角…?いつも凍えて鼻水を垂らすことになっているやつが互角…?」
と、口ではまだギデオンを煽りながらも、ぴきぴきと額に青筋を立てて、凍てつくような空気を纏い出したケセフ。
そうして、
「ああ、お前には吠え面をかかせることになるからな。恥ずかしいだろう?その鎧、頭には被らなくて大丈夫か?」
と、さらに続けた。
その言葉にギデオンが噴火する。
「よく言いましたね師匠。今日という今日はその澄まし顔、こんがり焼いてやりますよ!」
「よく言うわ青二才が。火遊びはおうちでしていればどうだ。」
「何だとおっさん!」
「なんだと小僧!」
ほんの少しお互いの気持ちを盛り上げるつもりが、互いに、感情が昂ったのか、本気になったケセフとギデオン。
互いに強烈な威圧感と、熱気と冷気をぶつけ合いながら、鎧袖一触とばかり火花を散らしている。
あまりの迫力と、二人の放つ熱気と冷気の余波は、離れた皆のところまで伝わる程であった。
「流石にちょっとまずそうだよね。カマル。」
「わかった。その代わり結婚して。」
「あはは。うーん、そうだねえ。考えても良いかも知れないねえ。」
と、ハットがカマルを上手くあしらい、皆を守る様に盾を張らせた。
神が遣わせた光の球からも、暖かな光の壁が薄く、しかし盾の内側を全て覆う様な形で降ってきた。
「うだうだしてるなよー!早くいけー!やれー!」
と、既に出来上がったルーアがシャムスを締め上げつつ、叫び、二人に向けて突風を吹かせた。
その強烈な風を、ケセフとギデオンは同時に地を蹴って飛び上がることで躱し、間合いを開けて、それぞれの獲物に聖気を煌々と纏わせた。
ケセフの愛剣シェオルは、使い続けていくうちに、全てを凍てつかせる様な、氷を纏った片刃の鋭い片手剣となり、空いた左手には水と氷で出来た盾が追加される形となった。
ギデオンも、聖気を注ぎ込み、鎧を更に大きく、重厚なものにした。
そして愛剣リュノクスが、赤を通り越して、紅と橙に、更に刀身が白く輝くほどの熱を込めて焔の大剣の様にし、高く上段に掲げた。
数舜の睨み合いののち、同時に距離を詰める。
蹴り込んだ大地が、足跡の形に捲れ上がり、観衆に向けて飛び散る。
盾と、神の築いた光の壁にしっかりと阻まれたそれは、結果的に誰に当たることも無かったが、
皆は普段の打ち合いよりも鬼気迫る様子に、ごくりと息を呑んだ。
その直後に激しい光と衝撃。
「おいおい、師匠よお!押されてるんじゃねえか?」
大剣の熱量と質量にものを言わせて、ケセフの氷剣をじりじりと押し下げるギデオン。
「ふん、それっぽっちの熱で私の氷に勝てると思うな。」
前髪をチリチリと焦がされながらも、空いた左手の盾から、氷の混じった激流を打ち出した。
「ぐっ…」
鎧の上からとはいえ、滝の様な激流の圧倒的な質量に押し返され、転がり込むように後退したギデオン。
「おいおい、そんなもんか英雄!」
ケセフは口調を荒げながら、鋭く追撃を仕掛ける。
「ふざけんな!こんな水遊び効くか!」
と、すぐに立ち上がり、焔を極限まで纏った剣を振り抜き、ケセフの氷を断ち切るギデオン。
大剣の鈍く、重たい衝撃に、思わず膝をつくケセフ。
「ふん、力任せでは…倒せんぞ!」
「おやおや、足腰に来てますね。年なんじゃねえです…か!」
ギデオンが追撃に放った横薙ぎを、盾で滑らせて、空いた首に斬り込むケセフ。
そこへ、ギデオンが鎧の重量を活かした突進を仕掛け、更に地面を削る轟音を立てながら下段から逆袈裟に振り上げる。
「ギデオン行けー!」
と、ハンナの叫びが聞こえた瞬間、崩された大勢のケセフは聖気を更に強め盾の表面を丸く、氷で覆った。
まだここで倒れる訳には行かない!
お前に娘はやれない!
と、心の中で叫びながら、
盾で大剣を滑らせて、軌道をずらした。
流された大剣の勢いに合わせて、体を回転させる様に宙を舞うギデオンに、ケセフは咄嗟に盾からの濁流で押し飛ばす。
「そう来ると思ってましたよ!」
ギデオンは宙で体を捻り、大剣で少し受け流しながら更に高度を増して、重量を活かしてケセフの頭上から剣を突き下ろす様に落下した。
氷の盾を打ち砕く轟音が響き、炎熱が辺りに途轍もない蒸気と光を放つ。
圧倒的な力に、ケセフはそれを受け止めた体制のまま、脚が地にめり込む。
轟音の中で自分の体がみしみしと鳴る音と、氷の盾が砕かれる高い音を聞いた。
「師匠。ありがとうございます。」
見上げたギデオンの顔は、子供の頃の生意気さを何処か残しながらも、
どこまでも優しく、強く、覚悟を決めた男の顔をしていた。
「ふん。今回はお前に花をーーー」
言い終わる前に、あっという間にゼミーラの目の前の盾まで吹き飛ばされるケセフ。
辛うじて直撃は避けたものの、咄嗟に構えたシェリルにも斬撃の跡が残り、額は焦げ、盾を構えていた左手は血を流しながらだらりと垂れていた。
ギデオンの放った斬撃は、ケセフのいた手前の岩場に直撃し、大地を揺らし、直撃した岩を溶かしてめり込んだ。
「し、勝負ありー!!!」
レーリアが数秒の沈黙ののちに、大声で宣言した。
割れんばかりの歓声。
盾と光の壁が消され、すぐにケセフに、ゼミーラとハンナ、ハットとレーリアが駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
ハットがレーリアと、柔らかな癒しの聖気でケセフを包み込む。
「あなたはあっちでしょ?」
自分の横で、心配そうにケセフを見ているハンナに、ゼミーラはギデオンの方を指差した。
こちらを皆に賞賛の目線で見られながら、それでもこちらを見ているギデオン。
はっとしたハンナはギデオンの所へ駆け出していく。
ぼやけた視界の中、遠ざかって行く娘の背中。
「あぁ…ハンナが行ってしまうな。」
「ええ、そうね。」
ゼミーラがいたの間にか、ケセフに膝枕をして、その手を握っていた。
「…大人になっていくんだな。」
「当たり前でしょう。」
「…寂しいな。」
「そうね…でも、ほら。」
ケセフがぼやけた視界のまま、少し頭を起こすと、
「父様ー!母様ー!私、二人みたいな幸せな家族を作るからー!」
と、戸惑い、あたふたとするギデオンの手を引っ掴み、高く掲げてこちらに手を振りながら言った。
皆の割れんばかりの歓声や悲鳴の様な声が響く。
「…ふっ。あれはむしろギデオンを心配してやるべきだったか。」
と、今度こそ倒れ込みながら言うケセフ。
「そうかもしれないわね。あの子たちならきっと大丈夫。素敵だったわケセフ。」
「それは、よかっーーー」
目を閉じ、気を失った英雄に、
最愛の妻がいつまでも寄り添っていた。