神歴第二十六の年 託された灯火 前編
ケセフはゼミーラと共に食事をとり、和やかな時間を過ごしていた。
愛剣シェオルに纏わせた氷で作ってやった滑り台。
森の動物達が滑り降りては登り、また滑る様子を、ゼミーラと共にお茶を飲みながら眺める。
滑り台の順番を待っていた栗鼠が、何かを見つけて、艝の様に使っていた落ち葉を片手にケセフに駆け寄る。
「どうしたんだい?誰か来たんだね。」
少し穏やかになったケセフが、栗鼠の見る方に目をやると、林の小径から誰かがこちらに来ていた。
大柄な、鎧を体に纏った影。
逆光になって顔は見えないが、よく見知ったものであった。
その隣には、長い髪を靡かせて寄り添う様に歩くもう一つの人影。
陽光を受けてきらきらと蒼く光る髪。
これまたよく見知ったものであった。
そうして、先ほどまでの苦悩が再び首を擡げ始めた。
「父様!母様!」
ハンナが駆け寄ってくる。
その表情は晴れ晴れとしている。
「こんちには師匠。ゼミーラさん。」
数歩遅れて歩いてきたギデオン。
その表情はハンナと対照的にどんよりと曇っている。
「まぁ、ギデオンくん。何かあったの?」
ゼミーラが問いかけると、「あの…」と、ギデオンが口を開くのに被せる様にして、
「ギデオンと一緒に行くのを、父様と母様が認めてくれたら良いって言ってくれたの!」
と、ハンナが喜色満面に答えた。
ケセフも、ゼミーラも、顔を見合わせて何とも言えない表情になり、思わず二人でギデオンを見つめた。
ギデオンは、草臥れた表情で、全てを察してくれと言わんばかりに、二人に向けてそっと首を左右に振った。
その日の朝早く、ハンナはギデオンの家を訪れた。
まだ寝床を恋しそうにしているギデオンに向けて、「私も一緒に行くから!」
と、眠気が吹き飛ぶ様な一言を放ち、
自分の使命のために危険に晒すことは出来ないというギデオンと、
ギデオンだけが傷つかないようについて行く、行くったら行く、と譲らないハンナの押し問答が始まった。
いよいよ泣き落としまで使われて、どこか最近気になる彼女からの頼みをもう断りきれなくなったギデオンは、なんとか絞り出すように、「師匠とゼミーラさんが良いというなら…。」
と、問題の先送りにしかならない様な返答をするのが手一杯であったのだ。
どうやら娘は想い人に相当な無理を言って、首を縦に振らざるを得ない様にしたらしい。
ということは二人とも理解した。
ケセフが、細く溜め息をつき、「駄目だ。反対だ。」と言おうと決めた時、
隣から「いいんじゃないかしら。」と、美しい声が響いた。
ギデオンもケセフも、声の主、ゼミーラを見て唖然とする。
「やった!母様大好き!」
と、ハンナはゼミーラに飛び付いている。
ゼミーラもゼミーラで、ハンナを抱きしめながら、
「私もよ!ハンナ、女の子はやると決めたらとことんよ!」
流石白鯨の娘から人の子として生きる道を選んだ情熱の持ち主と、そう頷ける様なことを言い、二人ではしゃいでいる。
父と、想い人は揃って頭を抱えた。
近頃の悩みと、この状況。
自分が言うしか無いのだと、妻を僅かばかり恨めしく思いながら、それでも真面目な表情になったケセフは
「私は反対だ。」
と、言った。
「なんで!どうしてよ!」
先程までの雰囲気を一変させ、その怒りを伝えるようにして、ハンナがケセフに詰め寄る。
最愛の娘からの視線に心が痛むが、
「危険すぎるからだ。ギデオンについてもその身を案じているくらいだ。お前は言わずもがなだ。」
と応えた。
むむむ…と、膨れながら目尻に涙を浮かべるハンナ。
その後ろで頭を下げるギデオン。
娘には嫌われるかもしれないが、その身を思ってのこと。
これで良かったのだ。
そうケセフが思った所で、
「じゃあ、ギデオンくんが、ハンナを危険に晒さなければいいのよ。それくらい強いことを証明できたら、行っても大丈夫なんじゃない?」
と、隣からゼミーラが更なる火種を投下した。
な…に?
話が纏まりかけたのに…妻は(ゼミーラさんは)一体何を言っているんだ?
どうしてそうなった?
と、全く同じ思考をしながら、ケセフとギデオンは冷や汗が止まらなくなった。
恐る恐るハンナを見ると、
「さすが母様!父様も心配性なんだからー。ね、ギデオン?」
と、先ほどまでの輝く様な笑顔を取り戻していた。
その笑顔のきらきらとした様子と、反論する材料が無くなったことで、
ケセフとギデオンは二人の見守る中、立ち会いをすることとなってしまったのであった。