神歴第二十六の年 月下の約束
ハットはその提案を快く引き受けた。
夏も終わりに差し掛かり、薄黄色に光る…顔を出し始めた山際の月が、少し秋を思わせる温度の夜風に吹かれて、柔らかな光を届ける。
そんな月明かりの下、
ハットはアイザック、メハムと久しぶりに兄弟で集まり、近頃オーズが作ったという酒を酌み交わしながら語らっていた。
新大陸のこと、アイザックの新しい裸芸のこと、鍛錬の時にケセフとギデオンの打ち合いが壮絶すぎることーーー取り留めもなく、思い付いたことを話し、笑い、驚き、ゆったりとした時間を過ごしていた。
「愛し、守るものへの思いの強さが本当の強さになるんだー。」
いつもより遥かに饒舌なメハムが、ケセフの口調を真似て言ったあと、不服そうに口を尖らせる。
「それよりも強いやつを倒した数。それが結果的に守った数で、それが強さだと思うんだ。」
と。
「おめえは真面目過ぎるんだよ。もう少し俺みたいに柔らかく生きろよ。なんだっていーじゃねえか。お前は良くやってるよう!」
メハムの頭をぐりぐりと擦りながらアイザックが言う。
「そうだねえ…危機から命を救う守ると、愛するものの行先を守るのはまた違うよね。どちらも難しく甲乙つけ難いことだと思うよ?」
ハットはにこやかに続ける。
「強さも、愛も、独り善がりなどでなければ…人の数だけあっていいと思うんだ。主もきっとそう思っておられる。」
新大陸を旅して、どこか大きく、大人になったハットが、そう言って二人に微笑みかけると、一瞬の静けさが訪れた。
「…んんん、俺は弱っちいからお前らの言うことは半分も分からねえ。メハムはつまりどうしたいのよ?」
と、アイザックがふらふらとしながらメハムを指さして言った。
「強い奴ともっと戦って、強くなって…。」
メハムがぼんやりとした表情で、しかし目に光を宿しながら言う。
「その先だよ先!強くなってどうしたいのさ。」
そう続きを急かすアイザック。
「あの日見た、圧倒的な力、その安心感。守られて愛される感覚。それを与えられる様になる。」
メハムは一息に、しかし一言一言を大切そうにそう言った。
「でもまだ足りない。」
とも。
メハムは、途轍もなく強大な敵を打ち倒して、成長して尚、自らの弱さを感じていた。
「でもまだ足りない。もっと強いのと…まだ…」
言いながら段々と首がぐらぐらとして、ついには寝息を立て始めてしまった。
「なぁ、ハット。俺はお前の付いてったギデオンがどんなに凄いかわからねえ。」
ぽつり、とアイザックが言った。
「けどな、こいつは凄え。戦闘狂だなんだって言われてるけど、こいつはこいつでなりたいものに向かってるんだ。」
メハムに膝掛けを掛けてやりながら言う。
メハムは日々、鍛錬をして、村に近づく前に昏きものを一人で打ち倒し、また鍛錬に励む、血の滲むような努力をしてきたことをアイザックは知っていた。
それが、果てしなく、満たされない力への渇望であることも。
「だからな、こいつのこと俺たちで、みんなが認める最強にしてやれねえかな。こいつ不器用だから。仏頂面にびびっちまうやつは俺が笑わせてさ。
そこにお前も付いてきてくれりゃ間違いねえんだ。」
笑いを捨てて、真剣な目つきで、ハットに迫るアイザック。
「メハムを大事に思う気持ちはすごくよく分かったよ。付いて来るっていうのは、つまりどういうことかな?」
にこやかに、しかし誠実に、兄弟の願いを叶えたい思いが伝わる様な声色でハットは応えた。
アイザックは、大きく息を吸い込んで、
「俺らの町を作ろうと思うんだ!」
と、突拍子もないことを、大真面目に言ってのけた。
…どうしてそうなるのか、と考えたが答えの出なかったハットが理由を尋ねる前に、その表情から察したアイザックが説明する。
「いやいや、わかる。疑問はわかるぜ兄弟。俺は思うんだ。こいつが戦って守る姿を間近で感じられて、さらに村の外側を守る形に町を作ったら、村の奴らにも感謝される。村を目指してくる敵も倒せるし一石三鳥だ。」
一理なくはない。
そうハットは思った。
ケセフやヨナの存在で村は守られているが、いつまでもその防御が持つとは限らない。
また、神殿に通じる村の道を守る意味でも、外郭を固めることは利点がある。
「なるほど、よくわかったよ。何人か賛同してくれる人を探して、ある程度の規模のものにしよう。」
ハットは提案をした。
「おい、それってつまり…いいのか?」
先程までの勢いをなくして、恐る恐るといった様子でアイザックが尋ねる。
「ああ、面白そうだしね。」
ハットはその提案を、快く引き受けた。
夜風が背中を押すようにして吹く。
中天には、白く輝く月。
その柔らかな光が三人を包み、静かに照らしていた。