神歴第二十六の年 支度
厚い雲に覆われた空から、一片、また一片と雪が舞い降りてくる。
元いたところよりは少ないが、この新大陸でも季節が、年が変わったことを感じさせる。
海沿いの開けた丘を開拓して、そこに皆で住める家を建てた。
立派なものではないが、ルーアが良い場所を見つけてくれ、皆で協力して作り上げた。
この寒さの中、いつまでも船に寝泊まりする訳にはいかなかったからだ。
木々はどれも瘴気に汚染されていたが、ハットの浄化によって清められて、住居を支える木材として使用できる様になった。
こういった住居の準備を秋の間になんとか終わらせることができた。
新大陸は、昏きものによって溢れかえっているのかと思いきや、
二、三日に一度群れを見かけて、それらを撃破するという程度であり、周囲の浄化は特筆すべきことなく、滞りなく進んだ。
簡素ながらも地図を作ったのはルーアだ。
木の上や崖にも難なく登り、危険な探索を楽しんでこなす彼女の活躍がなければ、目の前の林を超えた先にある山の麓まで浄化するのにまだまだ日数が掛かったであろう。
「知らないことを知ってこそだよねー。次は山の向こうを見てみたいね。」
どんなに遠くに出掛けても必ず帰って来て、一日の終わりにはそう言って笑っている無邪気さに皆心が軽くなった。
ハンナの力は、仲間にとって計り知れない支えとなった。
白鯨の力を借りられることも助かったが、その姿はいつも穏やかで、彼女の歌声が響くたびに周囲の空気は澄んでいく。
それは単なる癒しではなく、心の奥深くにまで届く聖気の強化であった。
ハットはその浄化の力を感じながら、にこやかに呟いた。
「ハンナの声がある限り、僕たちはまだまだ戦えね。ゆっくりしていられない。」
ギデオンも無言で頷く。彼の疲れた目にも、いつの間にかその光が戻ってきていたのだ。
彼女の歌声が響くたび、皆に力が漲り、浄化された大地が少しずつ広がっていく。
その力は、日々の戦いの中で確実に仲間を支えていた。
シャムスとカマルの二人は、もう立派な大人の姿へと変わっていた。
背中には薄く透明がかった羽を持つことと、耳が尖っていること、肌が浅黒いこと以外は人間と変わらない様子であった。
そしてシャムスは最近ルーアと共に居ることが、カマルはハットと共に居ることが増えていた。
ルーアは秋の中頃から、丘の上に教会を建て始めている。
「なんだか、海の方向いて祈るだけよりは良い気がして。」
と、本当にただの思い付きの様であったが、それでも飽きることなく、シャムスの力も借りながら、探索の合間を縫ってコツコツと作り上げた。
そうして今日。
やっと今住んでいる家よりも一回りほど大きな教会が出来上がった。
新大陸に来て見つけた美しい石や、木々を使って、レーリアのいる森の教会とはまた違った趣きのものとなっていた。
皆で早速祈りを捧げると、燭台の光で薄ぼんやりとした部屋の中、急に皆の頭上に神気を帯びた光が現れた。
突然のことに一同が驚いて、思わず祈りを止めると、
『よくやってくれた皆のもの。新大陸へも我が力が少し及ぶ様になった。これで皆の苦労も少しばかり減るであろう。』
と、神の声が響いた。
皆頭を下げ、祈りを捧げるように手を組んだ。
『すまぬな、流石に向かうことまでは出来ぬらしい。故に更なる祝福を授ける。おまえたちの行く先の道が照らされるよう。』
穏やかで、慈しみに溢れた声が響き、皆の頭上へと光が降り注いだ。
「暖かい…。」
「まるで大樹様の光の様…。」
皆が口々に思わず安堵の声を漏らした。
そうして光が収まると、皆に少しずつ変化が生じていた。
「こいつは一体…?」ギデオンは、自分の体に纏われた漆黒の鎧を不思議そうに見つめた。
その鎧は彼の髪と同じく闇に輝き、手で触れても重さを感じない。
「動きに支障はない?」
ハットが少し離れたところから尋ねると、ギデオンは軽く肩を回してみせる。
「いや、むしろ動きやすい。だが…」
拳を握りしめ、
「この鎧の硬さ、普通じゃないな。あいつらの突進にも耐えられそうだ。」
「それは試してみるのが一番だね。」
ハットが笑うと、ギデオンもそれに応えるようにニヤリと笑った。
変化に驚きつつも、にこにことしているハットは、纏う聖気の量と質が上がり、ギデオンに追随する程となっていた。
また癒しの波動とでも言える浄化の力が働いており、辺りを、皆を更に暖かく包んでいた。
アンナは指先に光る指輪が付いていた。
何ができるのか試していると、ケセフの様に水を操ることが出来るとわかった。
攻撃することは出来ないが、防御については折り紙つきで、ギデオンの軽く放った焔ーーーそれでも木々を焼き尽くすほどのものであるが、それらを防げる程であった。
「守られるだけじゃなくなったのね。嬉しい。」
ギデオンの重荷になっていないか、と、共にありたいという気持ちとの狭間で、悩んでいたハンナは大いに喜んだ。
ルーアは遂に聖気を操ることができる様になっていた。
ヨナの様に、聖気を操る聖導士である。
ルーアの操るそれは、風の特性を持っていた。
持ち前の身軽さを風で補助して、より立体的に、より疾く動くことができる様になった。
「これで、もっと遠くに行けるね!!」
そう言って楽しげに宙を舞い続けるルーアを、シャムスは心配そうに見ている。
そんなシャムスは、聖気の力で木々を育てるだけでなく、思った形に変えることができる様になった。
聖導士とは異なり、聖気そのものから生み出した訳ではないため、場所は選ぶが、それでも強力な力を待つことができた。
その力を使って、大きくした木に乗って、
「ルーア、早く戻って来て。落ちないか心配だよ。」
そう声をかけている。
カマルは、更に強い守りの力を得た。
攻撃を防ぐだけでなく、跳ね返す事ができるようになっていた。
これが驚異的な威力を発揮した。
相手の打ち込む強さが強い程、その反動を返すかの様に威力が上がるのだった。
「ハット。守ってあげる。」
そう言いながらハットに、すすすっと近寄り熱い目線を送るカマル。
思いを知ってか知らずか、ハットは変わらずにこにことしながら、
「そうですかそうですか、それは心強いですね。」
と、カマルの頭を撫でていた。
こうして、本格的な冬の前に大幅な戦力の向上を得られたのであった。
それは、これから来る長く、辛い冬の前の最後の支度であった。
外では空から雪が変わらず降り注いでいる。
白かったその姿を、瘴気で仄暗く染められながら。
山の向こう、未踏の地の奥深く、静かにその時を待っているソレの上にも、冬を告げるべく降り注いでいた。