神歴第二十五の年 共鳴
倒したはずが、分裂し、更に醜い悍ましい姿で飛びかかってくる無数の昏きもの。
眼前に迫る牙、牙、牙。
メハムは全身粟立ち、冷や汗が瞬時に流れ、ゆっくりに見える時間の中、心臓の鼓動だけが早鐘を撞いているのを感じていた。
死…ッ…
時間にして一瞬。
聖気を最大限に脚に纏わせて、たかく高く飛び上がった。
視界があっという間に中空の、木々を見下ろすところに変わった。
聖気で守りを強めた体が、それでも重力の急激な変化で、血流が低下したことで、ふらついて、視界をぼやけさせる。
眼下では、自身に飛びかかった昏きものが、互いに齧り付き、穴を開け、まさに地獄の有様であった。
寂しい、寂しい。
自分が、みんなが、満たせない。
アイツを食べてない。
どこへ行った。
昏きものは、同士討ちになったものの、消えたメハムに気付き、
必死に気配を探ると、はるか上空にその気配を感じた。
居た!
分体となった体を操り、折り重なりあい、柱の様に固めて、メハムの居るところまですぐに迫って来た。
巨木を足場に飛び上がり、高度を維持するメハム。
地上に降りれば全てを相手取ることになる…それだけは避けなくては。
そう思いながら、
「くっ。」
口を開く余裕もなく、時間稼ぎも出来ない中、聖気を纏わせた剣を高速で振るう。
直撃した昏きものは崩れ落ちながら消滅していくが、直撃しなかったものは、聖気によって動きが鈍る程度。
すぐに立て直して、自身に牙を届かせようとしている。
ジリジリと一進一退…一進ニ退のような攻防を繰り返した。
巨大な個が無数の個になり、質量も数的にも、どちらの戦略も取れる昏きものが圧倒的に有利であった。
その事を尚更意識させられた。
昏きものも同様であった様で、一斉にこちらを向いて、醜悪な口を歪ませて、
「早く喰わせろ。」「オ前も一緒ニなれ。」
「寂しい。」「足りない。」「タリナイ。」
ざらついた、金属の擦れ合うような不快な声で口々にそう言った。
そうして、巨大な質量と圧倒的な物量が、一斉にメハム目掛けて倒れ込んでくる。
足場にしている巨木ごと、飲み込むつもりなのだろう。
苦し紛れに突き出した剣が砕かれる。
神様、ケセフ、ヨナ…あとギデオン。
彼らの誰かであれば、この状況を切り抜けたであろう。
そのことが痛いほどにわかっていた。
そのことが越えられない壁の大きさと、変えられない自分の小ささを、厭という程突きつけていた。
このまま昏きものに喰われて、千切られ、死ぬ。
剣を食いちぎられ、心を打ちのめされながら、足場を失い落下する最中で、そう思った。
聖気を剣や拳に纏わせる。
そのままぶつけることしかできない自分。
聖気そのものをその性質を更に強化して操ることが出来ない自分。
通常の獣の様な昏きものならば、難なく打ち倒してきたが、圧倒的な物量を前に、有効な手段を持たない自分。
今までの…血の滲むような、努力。
あの日みた圧倒的な力への渇望と羨望。
毎日手足が動かなくなる程鍛えた。
足りない。
それでも足りない。
まだ足りない。
足りない!!!
そうだ。まだ足りない。
ここで終われない!
世界が酷く緩慢になる中ーーー
自身と、砕かれた剣に聖気を強く注ぎ、
聖気を纏ったその欠片一つ一つをそれぞれを、短い剣として扱える様にした。
また、身に纏った聖気を元に、砕かれた剣の柄の先に聖気の大剣を作り出した。
自身を守り、敵を打ち砕くために、足りない自分でも彼らと並べる様に、メハムは覚醒したのだ。
「多いなら、こっちも増えるだけ。」
小さな無数の剣を、聖気で操り、まるで光輝く剣を、竜巻のようにして昏きものへぶつけた。
強烈な光と風、無数の刃ーーー遠くから見れば、きっとあの日メハムが見た光の柱の様に見えたことであろう。
それらに切り刻まれ、膨大な質量を持ち、無数に居た昏きものは数を減らしていく。
「ーーーー!ーー…」
光の剣の合間、僅かに垣間見える昏きものは、異口同音に、何かを叫んでいる様子が見てとれる。
しかし、その内容や声は、剣が昏きものを引き裂く音や、吹き荒ぶ風の音に掻き消されて、メハムに伝わることは無かった。
メハムが剣を止めて、自らの周りに集めた。
光り輝く短剣が、メハムの背後に壁のように聳える。
最後の一体となった昏きものが、ずるずると這い出て来た。
「寂しい。足りない。減った。増えないと。さみしい。」
朦朧としているのか、延々と言葉を繰り返しながら飛びかかってくる。
「ふん、こっちも足りない。分けてやるつもりはない。」
メハムは、その昏きものを、背負った光の大剣の一刀の元に切り捨てて、そう応えた。
アイザックがケセフを連れて戻ってくるのと、昏きものが崩壊して粒子となるのとはほぼ同時であった。
「おい、アイツは…やったのか?」
アイザックが心配そうに、汗だくで問いかける。
「その様だな。メハム。乗り越えた様だな。」
ケセフが代わりに、メハムを認める様に答えた。
「増やした。でもまだ足りない。」
メハムはそう言うと、ふらふらと歩き、アイザックに向けて倒れ込んだ。
同時に光を失い、消えていく短剣と、柄だけになった大剣。
「おお、大丈夫かよ。…お疲れ。」
アイザックはメハムにそう声をかけると、自分より少し小柄なメハムを背負った。
「すまねえ、ケセフさん。」
夜道を歩きながらケセフに無駄足を踏ませたことを謝るアイザック。
「いや、良いんだよ。それより彼の成長が嬉しいね。」
穏やかに笑いながらそう伝えるケセフ。
月明かりの中、もう涼しさを感じさせる風に吹かれて、三人は家路に着いたのであった。