神歴第二十五の年 成長
夕暮れ時には蝉の声が静かに響く。
遠く山々から、近く村の中まで。
高く、儚く響く音が、時折木霊して夏の終わりを感じさせる。
このところずっと、メハムはギデオンに負けた日のことを思い出しながら、修行に明け暮れていた。
そして近頃は、週に一度程度の頻度で襲い来る、昏きものをケセフや、ヨナと協力して、或いは一人ででも退治出来る様になっていた。
さっきも襲撃があり、メハムはどんどん成長していく実力を余す所なく発揮して撃破していた。
「でも、これでは足りない。」
メハムは自らの成長が遅いものと思い込んでいた。
拳を鍛えるために岩を殴りつけ、握りしめた拳から血が出たこともあった。
剣術の修行によって、剣の柄は滲んだ血が染みて、赤黒くなっていた。
それでも、これで良いと納得が出来なかった。
聖気の扱いと剣術に長けたケセフをして、「この子には凄まじい才がある。」
そう言わしめていたが、あくまでそれは将来性の話。
ケセフに冷気を使わせることも、ギデオンに不意打ちですら勝つことも出来なかった。
寡黙ながら、メハムはその二人に並び、追い越す程の武を求めて闘志を燃やし続けていたのだ。
メハムは、森の外れで珍しく兄弟のアイザックに話をしていた。
「おいおい、どーしたのよ。最近暗いじゃないのー。そんで話ってなんだよー?」
アイザックが心配しながらも軽快なトーンでメハムに問いかけた。
「強くなりたい。」
そう話を切り出した。
「小さい頃、教会の近く。昏きものに襲われた。」
過去を振り返りつつ話すメハム。
「ああ、覚えてるぜ。俺もハットも一緒で、後は母さんだけだったな。」
相槌を打ちつつ、続きを促すアイザック。
「空からの光が昏きもの撃ち抜いた。神様に救われた。」
目に光を宿して、しかしどこか悔しそうにしているメハム。
「そうだな。ハットが祈って、母さんが助けてって叫んだ時に、本当に偶然に教会に神様がいらしてたらしいな。」
アイザックが補足する。
「あんなに強ければ誰も泣かない。まだ弱い。」
メハムは、言い終わるときゅっと口を結んで、手を握りしめた。
「あのなぁ、気持ちはわかるぜ兄弟。」
「俺もあの日衝撃を受けて、恐怖をやっつけるための方法を弱い自分なりに考えた。
そうして笑いを求めた。」
目を閉じて、その時の思いを噛み締めるように話すアイザック。
「でも弱っちい俺とは違って、お前は誰も泣かない様に強さを求めた。…なあ、俺たち似てるけどよ、もう少しお前はお前を認めたらどうだよ。」
アイザックは真剣に、珍しく真剣に心の内を打ち明けて、メハムの目をじっと見つめてそう言った。
そのアイザックの姿に少し驚き、メハムが口を開いた時。
すぐ近くの地面を突き破り、どす黒い触手と長細い体が轟音を立てて姿を現した。
「おいおい、お喋りは一旦お預けだ。続きは、お前がアイツを倒してからか、アイツの腹の中でだ。」
アイザックが顔を引き攣らせながら、精一杯皮肉っぽく言ったところで、
昏きものは土煙をあげながらこちらへ、巨大からは想像のつかない速度で向かって来た。
「待ってて。」
メハムは短く言うと、アイザックをなるべく遠くに投げた。
「うぉおおおおおおおい!」
顔から色々なものを流しながら飛んでいくアイザックを見送り、
昏きものへと剣を向けたのだった。
大木ほどもあろうかという大きさの蚯蚓。
こちらに向かってくる顔らしき部分には巨大な口と、石臼の様な歯が無数に並んでいる。
胴体の下にある触手は、とてつもない速さでうねり、蠢き、その速度を更に増していた。
このままでは、すり潰される。しかし、避けてはこのまま皆が危ないかもしれない。
そう判断したメハムは、敢えて昏きものへと駆け出していった。
そして、昏きものがその質量で地面を割れんばかりに揺さぶる振動に耐えつつ、目前に明確な死があるにも関わらず、瞳と体に聖気を強く纏わせて、高く高く跳躍したーーー
辛うじて剣を突き立てて、昏きものの背に乗ることに成功した。
そのまま聖気を纏わせた剣で切り付け、引きちぎる。
怨嗟と苦痛による叫び声をあげながら、のたうち回るが、メハムは離れない。
踏みとどまり、切り付け、掴み、時折切り付けたはずの箇所がくっついている様に見えることに一抹の不安を抱いたが、それも振り払うかの様にがむしゃらに剣を振い続けた。
そうして、日がもう見えなくなる程に長らく切り続けたことで、遂に頭部と胴体が分断され、昏きものは地響きを立てて地面に沈むと沈黙した。
昏きものの体液に塗れ、肩で息をしながら、脳裏にはケセフやギデオンの姿が浮かんだ。
あの日見た、神様による光の神々しさも合わせて。
遠い。まだまだひたすらに遠い。
そう思った。
「まだ足りない。もっと…」
強くなりたい。
そう言おうとした時、完全に沈黙していた昏きものだったものが、一斉に音を立てて蠢き始めた。