神歴第二十五の年 新大陸
夏も中頃。
暑く日差しが照りつけ、波が光を受けて煌めきながら流れてゆく。
海鳥たちの声、気分よく船を曳きながら白鯨は歌い、吹き付ける海風が心地良い。
そんな光景が先程まで広がっていた。
日差しは厚い雲に遮られ、海は青黒く濁った様になっている。
海鳥たちは姿を消し、白鯨の陽気な歌声も鳴りを顰め、風を切る音も、どこか不協和音を含んでいる。
「皆、そろそろじゃぞ。あの島影…あれが新大陸と言っておるそれだ。」
白鯨が声に緊張感を持たせながら言った。
「こうも露骨に違うと、そうなんだろうなとは思ってたよ。」
ルーアが怪訝そうに応えた。
「どう見ても歓迎はされてなさそうだしな。」
ギデオンが愛剣リュノクスの切先で指し示す先には、もう何度となく見た、魚型の昏きものの姿があった。
背鰭と触手を水面に出しながら、勢いよく向かってくる昏きものに、船の縁から飛び込んでいくギデオン。
まだまだ距離は足りていなかったのだが、空中に居るギデオンの足元に、淡く緑に光る半透明の板が現れた。
ギデオンはそれを足場にして、更に遠くへと飛んだ。
聖気によってその足場を作ったのは、船の甲板から、こちらへ懸命に手を伸ばして、聖気を送り込んでいる、大樹の子、カマルであった。
その少し後ろに居るハットは、船とその周辺を浄化して、瘴気の影響を最小限にしていた。
その横では、シャムスがハットとカマルの背中に手を当てて、自身の聖気を注ぎ、注いだ分以上に二人の聖気を増幅させていた。
シャムスの聖気は、与えることによってその他のものの聖気を強めたり、生き物の成長を早める特性を持っていた。
また、カマルの聖気は、固めて半円や板状の盾を作ることができる特性を持っていた。
二人は、大樹を見送り、森を二人で見て回ったあと、泣き腫らした目に確かな光を宿して、
「皆に着いていく。」
そう言った。
ギデオンは、
「お前らのことはよく分からんが、ただ守られるだけじゃいけねえ。お前らも誰かを守れる力を持つんだ。」
覚悟と、責任を伝えるように、じっと二人を見つめながら言葉を選んで、そう言った。
シャムスとカマルは静かに頷いた。
「あの木の力を貰ったなら、なんか出来るかも知れないよね?実感はある?」
ルーアがそう聞くと、
二人は目を合わせたあと、静かに聖気を放った。
一同は驚愕した。
神の力とは異なる特殊な大樹の放った聖気そのものだったのだ。
瞳も体も淡く薄緑に輝き、
シャムスの周りの植物が音を立てて大きく育ち、
カマルは目の前に半透明の盾を作り出した。
植物は聖気を止めるまでに、あの大樹の半分はあろうかという巨木に成長した。
カマルの盾はギデオンが切りつけ、燃やしても完全に破ることは困難なほど堅牢であった。
こうして二人は着いてくることになり、今に至る。
ハンナの説明に白鯨が驚愕したことと、白鯨の曳く船の速度と揺れに二人が震え上がったことは余談である。
ちょうど昏きもののまた鼻の先まで、まるで空を駆けるかの様にしてたどり着いたギデオンは、
轟々と熱を放ち燃え盛る剣で、海面ごと昏きものを焼き切った。
「ぁぁああぁあ」
醜い断末魔の声が海に沈み、朽ち果てていった。
錆びぬ様に剣を掲げて、片手で泳いでくるギデオンを白鯨が迎えに行き、船に乗り込んだ。
「おう、カマル、シャムス!良くやったな。連携も板についてきた。ハットも、浄化ありがとな。」
ギデオンは、ハンナから受け取った布で顔を拭きつつ、水を滴らせながら笑みを浮かべてそう言った。
「うん。」
「僕たちもっと守れる様に頑張るよ。」
二人は得意げに笑って答えた。
「さて、行こうかの?」
白鯨が低く、重々しい声で言いながら、船を再び引き始めた。
波がざわめき、風が一瞬止まる。
誰もが無言のまま、新大陸を目の前にして、息を飲んでいた。
その先には、未踏の地が広がっている。
「もう…ここまで来たんだな。」
ギデオンが前方を睨みつけるように見つめる。
彼の目には決意が宿り、手にはリュノクスがしっかりと握られていた。
「何が待ち受けているか、分からないけど…きっと新しいことだね。」
ルーアがその後に続く。
「僕たち、絶対に負けない!」
シャムスが拳を強く握り、目を輝かせて言った。その隣で、カマルが静かに頷く。
二人は既に恐れを克服し、今や自らの力に自信を持っていた。
遠くに見えていた島影が、次第に近づいてくる。
それは単なる新大陸ではなく、彼らにとって未知の運命そのものだった。
突然、雲が裂け、僅かに一筋の光が船を、辺りを照らした。
まるでこの冒険を祝福するかのように。
「この光のようにわずかでも、希望を届けたい。」
ハンナが言った。
「行こう。俺たちがこの世界を守るんだ!」
ギデオンが吼え、剣を高く掲げる。
その剣先が太陽の光を反射し、皆の心に希望を灯す。
白鯨が再び加速し、船はまるで風に乗るかのように新大陸へと突き進む。
そこにはまだ見ぬ挑戦と、数多の試練が待っているに違いない。
しかし、誰もがそれに向かっていくことを恐れはしなかった。
「新しい世界が、俺たちを待っているんだ!」
ギデオンの言葉とともに、船は新大陸の岸辺に轟音と共に到着するのだった。