神歴第二十五の年 大樹
少し大人しくなった二人を連れて、砂浜の森との境目、木陰が日差しを遮り、風が吹き抜ける場所で、座り話をしようと試みた。
ルーアの持つ果物を物欲しそうに眺めたあと、子どもたちのお腹が鳴った。
ひとまず落ち着かせるためにも、果物と、持っていた食料を少し分け与えて、ゆっくりとハットが話しかけた。
「言葉はわかる?君たちはずっとここにいるの?」
問いかけても、唸る様に何かを口籠るだけであった。
それでもハットが根気よく、和かに話しかけると、
男の子がシャムス、女の子がカマル
であることだけはわかったが、それ以外は身振り手振りであった。
言葉を殆ど知らなかったのだ。
どうやら二人はこの島に二人きりであったようだ。
大きな木の根元に住んで、小動物や果物を食べて生き延びてきたが、
いつしか現れた、大きな黒いナニカに追いやられ、逃げ延びて島の反対側に来た。
大きな木も、少しずつ黒く染まり、動物が居なくなった。
反対側は黒いナニカがいるため戻れない。
食べるものにも困り始めた頃、ルーアとハットを見かけ、やられる前に…と、粗末な弓矢を撃ったのだ。
概ねその様なことがあったようだ。
説明を終えて、久々のまともな食事をとって落ち着いたのか、二人はうとうととし始めた。
「なあ、こいつらが何なのかは…とりあえず置いておいて、だ。その黒いやつ…間違いなく昏きものだな。」
ギデオンは瞳に力を込めて、聖気を猛る勢いで放ち始めた。
「ええ…きっと。辛い思いをしてきたのね。」
と、ハンナが二人をそっと撫でた。
いつのまにかハットの服にしがみついて眠っていた。
ハットも、
「どうにかこの子達の家を取り戻しましょう。」
と、珍しく笑みを消してそう言った。
「じゃあ決まりだね。ギデオンと私は島の反対側に。何かあったら船まで戻って、おじいちゃんを起こせばきっと大丈夫。」
と、ルーアが言って立ち上がった。
「ギデオン、ルーアさん、気をつけてね。」
ハンナが心配そうに言うと、
「大丈夫だ。守るものが増えた俺は、絶対に負けない。」
と言って、決意を込めた瞳の光はそのままに笑ってみせた。
島の反対側。
海岸沿いの洞窟の中の、岩壁がごつごつと張り出した波の打ち付ける細い道を抜け、鬱蒼とした森の中へ出た所から、空気が変わった。
鳥の姿も声もなく、森全体が重苦しい空気に包まれている。
「こりゃ間違いねえな。ルーア。」
「うん、わかってる。」
ギデオンは、リュノクスに焔を灯すと、辺りを警戒して構えながらルーアに声をかけた。
一歩後ろに居たルーアも、投擲用の小さな剣を持って木に登り、辺りを見まわした。
木の上からは辺りがよく見えた。
森の中央、一際大きな木が聳え立っている。
普段はそれはもう立派な木なのであろう。
しかし、今はその枝葉を暗く、黒く染め、風に吹かれるたび、ボロボロと先端から崩れていた。
そして、その周囲の木々は枯れ果て、倒れて、そこに瘴気が漂っていたのだ。
「ギデオン、この木を真っ直ぐ行った辺り。多分白鯨のおじいちゃんを何人か並べたくらいの所に、大きな木があったよ。」
木を降りて、大木が毒されていることも、瘴気がその辺りに満ちていたことも、ルーアはギデオンに伝えた。
「わかった。行くぞ。」
ギデオンはそう言うと、真っ直ぐ歩き始めた。
ソレは、4本足の獣の形を模しており、身体に不釣り合いな、巨大な爪を有していた。
尾の代わりに気味の悪い触手が蠢き、周りには黒ずんだ骨や羽が散らばっていた。
「居やがったな。とっとと仕留める。」
そう言うや否や、ギデオンはリュノクスに纏わせた焔を、より猛々しく燃え上がらせて切り掛かった。
胴体を深く焼き切られた昏きもののは、
「ーーーッ」
悲鳴も忘れて飛び上がり、尾でギデオンに攻撃をしかけつつ距離を取った。
「ちっ…仕留め損ねたか。」
「ギデオン!仕掛けてくるよ!」
ルーアが言うや否や、昏きものが飛びかかってきた。
稲妻のような速さであり、その悍ましいほどの爪が、ギデオンの眼前に迫っている。
ギデオンは愛剣リュノクスに注ぐ聖気を増して、爪ごと昏きものを炎に包んだ。
この世のものとは思えない様な苦痛の声を上げた。
身を灼かれながらも、呪詛の様な唸り声をあげてルーアへ飛びかかる昏きもの。
「させるか!」
ギデオンは再度、周囲が揺らめくほどの熱量を込めた一撃を加えた。
しかし、その体が二つに別れたにも関わらず、上半身だけでルーアに飛びかかる昏きもの。
触手を広げて、逃げ場を無くし、確実にルーアを仕留めようと爪を振り上げたところで、
「来るような気はしてたんだよね!」
ルーアは、風の様に軽やかな動きで飛び上がると、木々を蹴りながら駆け上がった。
そうして、宙に舞うと、手に持っていた小さな剣を二つ、昏きものに放った。
吸い込まれる様に、昏きものの目へと直撃する剣。
「おおおおおおおおおぉぉ…」
悶えて転がった所に、ギデオンがとどめを刺した。
崩壊していく欠片すら燃やし尽くして、戦いは終わった。
目を覚ましたシャムスとカマルを連れて、ハットとハンナがやって来た。
ギデオンは丁度聖気で辺りを清め終わったところであった。
「ハット、もう少し早く来てくれれば…俺はこういうのは苦手なんだよ。」
やや疲れた表情は、戦闘よりも浄化に苦労したからであろう。
「ごめんね、残りは僕がやるから。」
ハットはにこにことしながら謝った。
そうして祈りを捧げ、すぐに離れたところを浄化し始めた。
ハンナは、シャムスとカマルに、
「黒い怖いのはギデオンとルーアがやっつけたから、もう大丈夫よ。」
と、優しく声をかけた。
シャムスとカマルは、よくわからないといった顔をしていたが、辺りがギデオンとハットの浄化によって、
清浄な空気と、光に包まれていくのを見て、表情を綻ばせた。
二人の案内で、辺りの瘴気を浄化しながら大樹の元へとたどり着いた。
元々青葉を茂らせて、雄大な姿を見せていたであろう大樹。
絡んだ蔦や、根元にある粗末な小屋ごと、濁った黒に染まり、葉は枯れ落ち、根は縮んで浮き上がっており、見る影も無くなっていた。
シャムスとカマルは、膝をついてぽろぽろと涙を流し始めた。
「くぅぅ…」
喉がきゅっと鳴る様な声を漏らしながら、草を掴み、大樹を見ながら泣き続けている。
きっと説明しきれなかった思い入れや、住処を失った辛さ、死ぬかもしれない恐怖が蘇った…色々な感情が合ったのであろうと思えた。
「ねぇ、ギデオン。この木、少し聖気を感じないかい?」
と、ハットが言うと
「奇遇だな。俺もそう思ったんだ。奴が長く居たにしては侵食が軽いのはこいつのおかげか。」
ギデオンは思案しながらそう答えた。
「んで、お二人さん。この木なんとか助けられるの?」
ルーアが尋ねると、
「…いや、流石にこの木だけ侵食が酷すぎる。おそらく森への影響を肩代わりしていたんだ。
ここまで来るともう…。」
笑みを消してハットが口ごもりながら言った。
「このままだと、苦しみながら朽ちるのを待つだけだ。」
ギデオンが表情を消して、リュノクスに焔を灯した。
「待って!あそこ!光が!」
ハンナがギデオンの腕を掴んで引き留めながら指差した。
その指し示す先に、淡い緑の光があった。
大樹から滲み出る様にしながら集まった光が、徐々に一つになり、ゆっくりとこちらへ向かって来た。
あれは…聖気の類か…害意はないが…
ギデオンは引き留められた体制のまま、仕掛けるべきか否かを考えていた。
光が目の前まで来た時、急に声が頭の中に響いた。
《ありがとうーーー神の子、人の子らよ。》と。