神歴第二十五の年 出立
春風が花弁を三つ四つ、戯れに持ち去って、ひらひらと踊らせて。
穏やかな陽光が和かに、その花弁をきらきらと照らしている。
潮風に吹かれて、船の帆が旗めく。
期待と、不安と。
あとは潮風に胸を膨らませて。
ギデオン、ハンナ、ルーアとハットは波で少し揺られる船の上、見送りを受けていた。
その中には、珍しく目を腫らしているケセフも、膨れ顔でこちらをじっと見ながら、聖法で水を操り、船を押し進めているヨナも…皆がいた。
声援と、別れを惜しむ声と、潮騒と風の音。
それらが色々な感情を混ぜこぜにした。
「役割でも何でもこなして強くなるんだ。皆揃って帰ってくるさ。」
口をついて出たのは、誓いか、奮起のための言葉か。
そうして新大陸への旅が始まった。
ギデオンは初め、ヨナを誘いに行った。
似た志をもち、形は違えど聖気を扱うもの同士、ギデオンからすると師匠の子。
ヨナからすると、よく会う歳上の悪友。
そんな二人だったからこそ、最初に誘いに行ったのだが、その先でエーレの懐妊を知らされたのだ。
流石に誘えず、お祝いをして帰ることになった。
その代わり、何故か話を知っていたルーアが、
「あたしも連れていけ!未知があたしを待っている!」と、背中に飛びついて離れなかった。
仕方なく同行を許可して、困っていたところ、ハットが通りがかった。
お人よしという言葉が霞むほどの根っからの善人で、いつもルーアに振り回されているにも関わらず嫌な顔一つせずにこにことしている。
影は薄いが、レーリアのように聖気を扱える。
清め、癒す聖気の使い方は、どこまでも優しい彼らしい技だった。
使用できる回数こそ少ないが、骨折までなら修復出来るため、よくギデオンに返り討ちにされる、オーズの怪我を治してやっていた。
ハットは、「ルーア姉さん、ギデオン兄さん困ってますよ。」と穏やかに言うが、
「良いんだよ。新大陸まで連れて行けって言ってるのに、なかなか首を縦に振らなかったんだよ。お詫びに運んでもらうんだ。行け!ギデオン!」
ルーアは、当然。とばかりに馬に跨る様にしながら声高に言った。
「さっきからごちゃごちゃうるさいぞ!」
ギデオンに振り落とされたルーアは、宙返りをしながら、ふわりと着地した。
「やれやれ、弟はお姉さんを退屈させちゃいけないのを知らないの?」
そうわざとらしく膨れながら言うルーアに、
「姉なら姉らしくしやがれ。俺のガキだって言われた方がまだ納得できるわ。」
そう返して、本当に膨れ始めたルーアが喚きながら付いてくるのを無視して、出立の準備へと向かった。
その後をにこにことしながらハットが付いてくるのであった。
そろそろ眠りに着こうか、という頃。
ケセフがギデオンの元を訪れた。
ケセフは、夏の日差しすら沈黙させそうな、そんな冷気を纏って、「久々に手合わせしよう。」
と、後にも先にもない事を言った。
ギデオンは驚きながらも、
きっとケセフなりのやり方で、弟子を見送ろうとしているのだと理解した。
「ああ、胸借りるぜ師匠…なかなか消えねえ傷付けて返してやるよ!」
そう叫びながら、愛剣リュクノスに業火を纏わせて、ケセフに飛び掛かった。
ケセフも、愛剣シェオルに強烈な冷気を纏わせ、周囲の草木を凍てつかせながら迎え撃った。
炎が氷を溶かすや否や、濁流が炎を打ち消す。
剣線が幾重にも折り重なり、その音があたりに響き渡る。
そろそろーーーと、ギデオンは燃え盛る炎の渦をケセフに叩きつけ、追撃を…と迫った所で、爆炎の中から、一本の鋭い氷塊が、閃光のように眼前に迫ってきた。
なんとか受け流したソレを見る余裕もなく、次の瞬間頬に衝撃を受けて倒れ込んだ。
聖気を纏わせた拳をそのままに、ギデオンを見下ろすケセフ。
「で、胸がなんだと?」
澄ました顔でそう言うと、
ギデオンは起き上がりながら、
「くっそ…言うなよ。痛ってえ。」
と返した。
柔らかな星々の灯りを見ながら、二人して草の上に座り込んだ。
「なあ、師匠。俺役目を果たす時みたいだ。」
ぽつりと、そう呟く様に言った。
「そうか。」
いつもと変わらぬ様に返事が来た。
「夢にさ、出てくるんだよ。未来の俺?凄えやつになってた。」
「そうか。」
「だからよ、帰って来たら、次は負けねえ。」
「…そうか。」
言いたいことを行って、すっきりとした面持ちのギデオンが立ち上がると、
ケセフが、
「何があっても守れ。生きろ。」と言い、ギデオンをじっと見つめた。
そうして、二人同時に、
「「神様の導きに従って、か弱きを愛し、守って、その身に愛と正しさを持つ様に。」」
と言い、静かな笑みを浮かべると、どちらともなく帰路についた。
出立の日の朝。
準備を終えて海へと向かうギデオンの前に、大荷物を抱えたハンナが居た。
「おいおい、お前なんだその大荷物は。」
ギデオンが呆気に取られながらそう言うと、
息を切らせていたハンナが、ただ美しいだけでない芯の通った声で、
「私も行く。」
とだけ答えた。
朝焼けに照らされたその横顔には、可憐さと、不思議な力が籠っているように見えた。
これは…洒落や冗談じゃなさそうだ…。
それと、昨日の師匠の「守れ。」は、このことも入ってたんだな…。
その様子を見たギデオンは、そう思った。
ふーっと、長く息をつくと、
「帰ってこられるかわからねえ。」
「うん。」
「皆、もしかしたらもう会えないかもしれねえ。」
「うん。」
「それでも、来るんだな?」
「うん。」
真っ直ぐにギデオンを見つめて答えるハンナに、
これはもう、置いて行っても着いてくるだろう。
そう思わせたハンナに軍配が上がった。
「わかったよ。あんたは師匠の娘だ。守れませんでした、では済まねえ。
だから、死ぬ気で生きろ。
俺が代わりに死ぬことがあっても、死なずに生きろ。必ず守る。」
決意を瞳と声に込めて、そう言った。
「…うん。」
目に涙を溜めて、鼻声でそう応えたアンナの荷物を持ってやり、
「ほれ、行くぞ。」
そう言って歩き始めた。
何故付いてくるのか、自分の使命に付き合わせることはないだろう、師匠はどうやってこんなことを認めたんだ…
思う言葉も、言いたい言葉も色々あったが飲み込んだ。
守るものが、自らをきっとあの高みへ、太陽がそこにあるかの様な桁違いの熱量…あの風格。
その為に、ハンナが必要なことがなんとなく、酷く直感的にわかった気がしたのだ。
そして、ハンナが自分を何故か必要としていることも。
そうして海へと向かった二人は、先に待っていたハットと、一刻遅れてきたルーアと共に船に乗り込んだ。
見送られながら、
「役割でも何でもこなして強くなるんだ。皆揃って帰ってくるさ。」
口をついて出たのは、誓いか、奮起のための言葉か。
ハンナもその言葉に頷く。「そうね、きっと上手く行くわ。」
彼女の瞳には強い意志が宿っていた。
ルーアが甲板で風を受けながら笑い、ハットがその隣で穏やかに微笑んでいる。その姿を見ながら、ギデオンは確信した。
果たすべき使命の結末、夢の中の圧倒的な守る力を持つ自分…それはまだ遠い。
だが、この旅が自分たちに何をもたらすか、その答えを探すために、彼は一歩ずつ前に進むのだ。
新しい冒険の幕が、静かに、しかし確かに上がった。
ここから先、新大陸を優先するか、発展していく町を先に描く中で少々思案中です。
読んでくださっている方々で、こっちを先に見たい。
というものございましたらご意見下さい。