神歴第十七の年 聖導士
ケセフとゼミーラの長男、ヨナは祝福の力を溢れんばかりにその身に纏っていた。
生まれ落ちてすぐ、
神より直接、「英雄が産まれたのだ。」と言われ、祝福と、神気を双子の妹、ハンナと共に強く浴びた。
ヨナのゼミーラ譲りの蒼色の瞳には、聖気が絶え間なく溢れ、赤子の頃からその光を見て、時に不思議そうに、時に楽しげに笑っていた。
特別なことは多々あった。
ケセフと同様に、動物との深い絆が産まれる前、まだ母の胎内にある時から築かれていたこと。
産まれ落ちるその日、動物達が少しでも近くにと、ケセフの家を取り囲み、家に入ることの出来る、小さな獣たちは皆こぞって中に入り、その時を待とうとしたくらいであった。
産まれた翌日から動物達との交流が始まり、成長するにつれて、動物達と遊び、愛を持って接する様は、まるでケセフの幼少期そのものだった。
また、神への信仰が特に篤く、様になってからは、教えてもいないのに、教会に赴き、朝夕欠かす事なくレーリアに倣って祈りを捧げていた。
日々、朝も夕も、神に向けて、真摯に祈った。
「どうか、父さまの様に、皆を守れますように。」と、一心に祈りを捧げる姿は、見目麗しい事も、すらりとした青年の様に見える事もあり、齢五歳にして堂に入っていた。
そして、その信心深さの影響もあってか、彼の纏う聖気は既にギデオンに追随するところまで来ていた。
しかし、彼の特筆すべきことはそれらではなかった。
彼は纏った聖気を操る事が出来たのだ。
何かに纏わせるのではなく、聖気単体で。
聖気を宙に放ち、その光の形を自由に操り、木々や星々、人の形を模ることまで出来たのだ。
ケセフが愛剣、シェオル(冥府、黄泉)に冷気と氷、水を纏わせた様に、
ギデオンが、同じくリュクノス(ともしび)に焔を纏わせた様に、聖気を何かに纏わせて、その者にあった性質を持たせることは出来る。
レーリアの様に、聖気そのものを放ち、清めることは、出来る。
ただ、その聖気そのものを何かに変えたりすることは
今まで誰も出来なかったのだ。
それを、若干五歳にしてやってのけた。
本人は遊びの様だったが、大人達は驚愕した。
そして、予感していた。きっとこの子はケセフに匹敵する才を持っているのだと。
昏きものの襲撃は、ヨナの目の前でも何度かあったが、ケセフやギデオンがそれを難なく退けていた。
だが、その日は時節が悪かった。
ケセフはその日、イーサンとローシュの子、メハムの指導に赴いていた。
彼もまた類稀なる剣術と体術の才を持っており、昏きものへ対抗するために、自ら望んで関連に明け暮れていた。
よく寝食を共にするギデオンは、神殿に出向いていた。
ゼミーラとヨナ、ハンナと産まれたばかりのオーズは、四人と、ヨナに付いてきた動物たちとで、家の近くの小川に来ていた。
涼しくなってきたとはいえ、子供たちにはまだ暑く、暑気払いのために訪れたのだ。
ゼミーラとハンナが、その美声を惜しげもなく披露し、ヨナが聖気を使って皆を楽しませて、皆で川の水に足を浸けて涼んだり、泳いだりと、楽しい時が流れていた。
それまで雲一つなかった快晴の空に、突如として暗雲が広がり始めたため、帰り支度を早めた時、木々がざわめき、動物たちが何かを警戒し始めた。
「どうしたの?みんな大丈夫?」
そう問いかけるヨナの前に、ケセフに付き従っている、白銀の狼と巨躯の熊が、まるでヨナの姿を何かから、その背に隠す様にして立ち塞がった。
ゼミーラはその様を見て、オーズを抱えて、
「ここは危ない。皆で逃げましょう。」
と、言い終わるか終わらないうちに、
木々を飲み込んで、地を腐敗させながら、昏きものが現れた。
白銀の狼と、巨躯の熊は、その姿を認めたと同時に、闘志を剥き出しにして飛びかかって行った。
昏きものの、身の毛もよだつ金切り声と不快な下卑た笑い声、狼と熊の唸り、吠える声が木霊して、あたりは騒然としていた。
四人を守りながら戦う動物たちのおかげで、なんとか逃げ出すことが出来たが、守りながらの戦いは、数的に不利だったこともあり、徐々に押されて、倒れてしまった。
背後から迫る、悍ましい触手。
ヨナは、動物たちのことを思って悲痛な表情で、「ごめんね…ごめんね、僕が強ければ。」
と、謝りながら走っていた。
その目の前で、木の根に足を取られて、ハンナが転んでしまった。
ヨナは速度を上げ、妹の元に辿り着く。
手を差し伸べ、振り向くと、目の前に狂気に満ちたその姿が迫っていた。
ゼミーラも気が付くが、もうヨナとハンナに触れるか、というところまで昏きものが迫っており、間に合わない
「あぁ…助けて神様!」
ゼミーラが思わず叫んだ。
「嫌ぁあああ」
ハンナは泣き叫ぶことしか出来ない。
ヨナは顔色を真っ青にしながら、明確に迫る死の前に、妹をせめて守ろうと自分の背に隠して、
「どうか、守る力を…」
泣きながらそうつぶやいた。
彼の内から聖気が眩いばかりに溢れ、昏きものが怯んだ。
速度を緩め、攻めあぐねているのかジリジリと後退していく。
「よかった…助かるかも知れない」皆が一瞬そう思ったが、聖気でその体が崩壊し始めるのも厭わず、一体の昏きものが、別のものを盾に肉薄し、「ゲヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」と下卑た笑い声をあげ、涎を撒き散らして、その触手でヨナとハンナを貫こうとした。
ヨナはそのあまりの卑劣さと、醜悪さによる嫌悪感、父のように守れなかったという絶望に包まれながら、
何か出来ることはと逡巡した時…走馬灯が駆け巡り、世界の時がひどく緩慢に流れた様に感じた。
そして、気付けば祈りの形に手を組み、
「弱きものを、愛するものを守る力をお与え下さい。」そう、唱えた。
時の流れが元通り流れ、ヨナの服にその触手が触れるか触れないかといった所でそれは起こった。
その触手と、ヨナたちの間に、漏れ出た聖気が集まり、触手を弾き返したかと思うと、形を変え、色を変えて、圧倒的な質量を持つ水の壁となって目の前に現れた。
コレは…?
全員が目の前の現状を理解できず固まった。
一番最初に動いたのは昏きものだった。
弾かれた触手がボロボロと崩壊していくのを見て、昏きものは歯軋りをした。
ならば、と壁を飛び越える様にして触手を再び繰り出した。
遅れて動き始めたヨナは、頭上の昏きものへと手を翳して、聖気を再び放った。
集まった聖気は、鋭く、槍の様な氷塊へと変化した。
回転しながら昏きものの触手をえぐり、その体に風穴を開け、破片の一欠片すらヨナとハンナに届かぬ様に吹き飛ばした。
ヨナは混乱したが、これが僕の守るための力だ。
そう直感的に思って、迫り来る恐怖を、死を打ち払う覚悟を決めた。
残りの一体の昏きものは怯んだが、一か八かと水の壁と、ヨナとハンナの横をすり抜け、ゼミーラへ肉薄した。
愛する母、ゼミーラは、子供達さえ無事なら。
と、抱えていたオーズを少しでも遠くへと投げるようにして、恐怖と、子供たちを守れない罪悪感から「ごめんなさい…」そう口にして涙を流した。
誰もが最悪の結末を予測した。
ただ、唯一ヨナは諦めなかった。
「させない!」
ヨナは手を翳して、氷の粒をゼミーラとの間に滑り込ませた。
氷の粒に触れた昏きものは瞬時に凍てつき、氷像となり、そして砕け散った。
ヨナの聖気が辺りを包み、浄化していく。
「兄さん、兄さん…」
縋りつき、泣いている妹ハンナを宥めて、母と弟オーズの元へと向かう。
「ヨナ、あなたはあなたのお父様とは違う形で、神様から祝福の力を得たのね。」
何度も修羅場を潜ったゼミーラが、落ち着きを取り戻して、オーズを抱き上げながらそう言った。
「そう…だね。僕にもまだよくわからない。でも、この力を使いこなさなくてはいけない。そう思うんだ。」
と、まだ戸惑いを残しながらヨナは答えた。
皆を守る為に倒れ、息も絶え絶えな動物たちに近寄り、「ごめんね、僕がもっと早くに力に目覚めていれば…」そう謝りながら、そっと触れると、
ヨナの手から蒼く輝く柔らかな光が白銀の狼と巨躯の熊を包み込んだ。
傷と穢れを見る間に浄化、修復して、二頭は起き上がり、ヨナに擦り寄った。
「よかった…よかった!」
ヨナはこの時初めて涙を流して生還を実感しながら喜んだ。
「おーい、こっちに居たのかよ…コレは一体…」
ギデオンは辺りを見て驚愕した。
薙ぎ倒された木々、徐々に消えていく、凍てつき、砕けた昏きものの残骸、辺りに満ちる、水の様に清らかで、同時に凍てつかせるような聖気。
「師匠はどこだ?」
思わずこの光景を作り出したのはケセフだと、ギデオンが判断したのも無理はなかった。
「あれは、兄様がやったのよ。」さっきまで泣いていたハンナが、何故か得意げに話した。
思わずヨナを見やるギデオン。
目の前にいるのは、体格こそ自分より少し小さい程度に成長しているが、実のところまだ五歳の少年。
しかし、その纏う聖気の強さ、昏きものを打ち砕いた力の大きさは、まるで何年も戦い続けてきた戦士のようだった。
ヨナはその視線に気付き、静かに頷いた。
まだ自分でも信じられない力を手にしたことに戸惑いを感じつつも、守りたいという一心で使ったその力が、今目の前の結果をもたらしたのだと理解していた。
「なんてこった…。ヨナ、お前にも尊き責務がある。強くなれ。そして守れ。」
一瞬驚きはしたが、すぐに表情を戻し、
一方先をいく先達として、師である兄、ケセフの子…ケセフとも自分とも異なる力を持つヨナに、そう示した。
「うん。ギデオン。僕やるよ。誰も傷つけさせない。僕はその為の力を使うよ。」
瞳に確かな光を宿してそう答えた。
「よし。…っと、後は師匠に報告しないとな…だが、それよりもまずは皆が無事でよかった。よくやったな。」
ギデオンはヨナの肩に手を置き、優しく微笑んだ。
ゼミーラもその光景を見守りながら、息子の成長を心から誇りに思い、静かに感謝の祈りを捧げた。
もうじき秋が訪れる、年の終わり。
また一人の英雄が誕生した。