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新世界創造  作者: プラトー
第7章
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神歴第二十八の年 経典

経典第一部、伝道者レーリアによる創世記、神の御子と人の子ーーー第一章





神の子は、男をイーサン、女をローシュといった。

イーサンとローシュは神の寵愛をうけ、神の子として、人の子の親となるためにつくられた。


神は御自ら、二人の為に、人と世界の繁栄のために、極めて早熟な彼らの体だけでなく心までもが成熟するまで共にあられた。


やがて二人は子を成した。


兄ケセフと、妹レーリアである。

ケセフは動物と深く心を通わせることが出来た。


レーリアは、魂の輝きを見ることが出来た。


二人は神の言葉の尊さに導かれ、従い、伝道師となった。



ケセフは動物たちの力を借りて経典を記し、またその力で人々の命を支える糧を、獣を飼い慣らし、慈しみを持って人々に捧げることをした。


また、動物の力を借り、聖なる気の力を持って、


ある時から世の果てより現れるようになった、悪しき、昏きものを退け、その聖気を人々の安寧のために使い、尽くした。



レーリアも、創世記などを記し、またその力で魂の輝きが弱ったものに救いの道を示した。


彼女は広がっていく町や村を巡り、彼女の前に座る者の魂の光が弱まっている時には、レーリアはその魂の奥底にある輝きを見つけ、


『あなたはまだ輝いている。神に祈りなさい。あなたと隣人を愛しなさい。』と説き、導いた。



そのように役目を果たした。


また、彼ら二人も幼い頃に両親だけでなく、神が側におられた。


イーサンとローシュは他に8人の子を成した。


産み、育てる力を強く持ち、ケセフの息子ヨナと結ばれ、大勢の子を成したエーレ。


彼女が居なければ今日の人の繁栄はなかったとされる。


エーレは産声を上げた子を胸に抱く度、空へ掲げて、神へと感謝の祈りを捧げた。


彼女の身体には、神の愛と祝福が満ちていた。




中央教会の僧侶となり、伝道師と共に遍くを救うべく尽くしたルーフ。


その美貌と桜色の髪の持つ魅力で神への奉納の舞を捧げたミヤ。


新大陸の開拓と、発展、新大陸での教会の設立に尽力したルーア。


昏きものの襲撃において、千人力と讃えられた後、神に仕える騎士となり、世界を旅して人々を昏きものから守ることを許されたギデオン。


それらに遅れて生まれた

ハット、アイザック、メハムがいた。


ハットは困ったものを見捨てず、癒しの力で新大陸での旅路に付き添い、その後は兄弟のアイザック、メハムと三人で町を興した。


ハットは病人や怪我人を癒やし、アイザックは人々に笑いと癒しを与え、メハムは圧倒的な力を持って昏きものから人々を守った。


特色は異なるが、人々を支えて助け合っている。



ケセフは、ゼミーラというものを伴侶にした。


神への切実な祈りで、海の王、白鯨から作り変えられた、讃美歌の歌い手の女である。


ケセフはゼミーラとの間に、ヨナとハンナとオーズの三人をもうけた。


ヨナは、動物との絆を超えて、森羅万象と心を通わせる力を秘めていた。


生まれ落ちたその瞬間から、祝福の力が彼の瞳に宿り、その輝きは未来を照らすかの如く、神の恩寵を体現していた。



ハンナは、ゼミーラの持つ、潮風とも細波ともとれる美しい歌声を受け継いだ。


その調べは、潮の満ち引きのように人々の心を揺さぶり、世界を包む聖なる響きとなった。


彼女の歌声は、やがて新しい時代を呼び覚まし、その旋律が人々の心に深く刻まれることとなるであろう。




オーズは、強い信仰心と指揮力、高い知能を持ち、末の子ながらも兄弟姉妹を纏めていた。


人々への影響も強く持ち、若齢ながらも町で信頼を集め、人々を導いていた。




神の子やその子は人の子に比べ早熟であった。

役割を明確に果たす為である。


徐々に増えた人の子は、神の子らより晩成であったが、その役目を自身の心のあり方で変えることができた。


互いに世界に必要とされて生まれ落ちたのである。



これらが始まりになり、神の子らの世界は、時の流れと共に次第に人の子の領域へと広がり、天の意志に従い、新たな命がその地を祝福した。


神の御教えが遍く世界を包み、その慈愛を賜っていた。

我らが、愛と祈りを忘れなければ、祝福により守り、見守って下さっていることに変わりはなかった。



経典、聖ケセフによる昏きものの部、第一章、第一節


神は全てを見守っておられる。


そしてその御光は決して薄れることはない。


昏きものの襲来は、神の意志を試すものではなく、むしろその力を示すものであった。


試練とは、信仰と愛を貫くための道標であり、昏きものとの戦いは、人々が神の愛を信じ続けることで勝利へと至ることを意味している。


『神は我らを見捨てたわけではない。

我らに課せられた試練を通じて、神は我らに奢らぬよう、愛し守り合うよう説いておられる。

そして更なる祝福を与えようとしているのだ。』


とレーリアは人々に説いた。


この言葉は、暗闇の中で迷える魂に希望の光を灯し、昏きものに怯えることなく、信仰を貫く勇気を与えた。


神の威光は変わらず、人々の信仰が試されているのだ。試練の先にある神の祝福を信じる限り、彼らは守られ、導かれるであろう。


神の子と人の子は愛し、愛され、守り、守られることで共にある。

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