神歴第二の年 伝道師
日が暮れ、春の温もりを残した柔らかな月明かりが、静かに世界を包み込んでいた。
月光を頼りに、ケセフは神の教えを羊皮紙に認めていたが、ついに筆を置き、深く息を吐いた。
静寂が訪れたその瞬間、彼はようやく背後に気づいた。
動物たち、そしてレーリアの存在が、長い間そこにあったことを。
「一体どうしたんだい…?こんな夜に来るなんて珍しいじゃないか。」
ケセフは驚いた様子で振り返ると、疲れを感じさせない微笑みを浮かべて問いかけた。
「いいえ、ケセフ。私は朝からここにいたのよ。」
レーリアの言葉に、ケセフはさらに驚き、目を大きく開いた。
「なんだって!声を掛けてくれればよかったのに…申し訳ない、すっかり気づかなかった。それに君たちも、ここにずっと…お裾分けまで置いてくれてたんだね。」
彼は部屋に散らばる木の実や葉を見て、申し訳なさそうに微笑んだ。
その顔には先ほどは隠していた疲労が少し見えたものの、達成感と深い使命感が満ちていた。
しかし、レーリアは彼を責めることなく、穏やかな声で言った。
「声は掛けなかったのよ。あなたが何か大切なことをしていると、私にも、この子たちにもわかったの。だから邪魔をしたくなかったの。」
彼女はケセフの机に目を向け、慎重に問いかけた。
「それで、それが…神様からの御教えなの?」
その問いにケセフはゆっくりと深く頷いた。そして、机の上に広げられた羊皮紙を手に取り、レーリアの前に差し出した。
「そうだ。これは原罪についての神様の御教えだ。生きとし生けるものが背負う罪と、それに対する贖い…そのすべてを書いたんだ。」
彼の声には静かな決意が込められていた。
レーリアは羊皮紙に目を走らせ、ケセフが込めた深い思索と信念を感じ取った。
そこには、すべての命が持つ原罪と、それを赦し、導く神の慈愛が記されていた。
「この教えを皆に伝えるつもりだよ。
奪うこと、そして与えることの意味を――神から教えてもらったこの真理を、決して一人だけのものにはしないんだ。」
ケセフの瞳には、聖なる光の残滓がまだ宿っていた。その輝きが、彼の心の中に宿る決意と共に、レーリアに深い感銘を与えた。
彼が決意を話す度、その魂に輝きが増していくことで、レーリアはやっと気付いた。
レーリアもまた、ケセフの記した御教えを読み、ケセフの魂から感じられる聖なる気に触れ、神とのつながりを感じた。
そうして、彼の目に映る聖なる輝きが、自らの胸の中心にも広がって、その光が増していくのを自覚したのだ。
「私の魂も、神の光を映している…」
彼女はその瞬間、これまで自分に欠けていた「特別なもの」が、実はずっと自身の中に眠っていたことを知った。
レーリアの中に眠っていたのは、魂の輝きを、行いにより変化するその光の様を伝えて人々を神の御教えに導くという使命であった。
静かにその目から溢れる涙が暖かだったのは、春の空気のためか、彼女の心情故か。
神の残り香と、春の月光が、いつまでも二人を照らしていた。