神歴第二十七の年 闇夜の灯 参
泥を纏わせ、二人を締め付けようと迫る腕。
泥の隙間から触手が見え隠れし、瘴気を撒き散らしながら肉薄する。
「見えてるのに効くわけないでしょ!」
それをハンナが圧倒的な質量の水流で泥ごと押し流す。
泥を弾き飛ばされ、錐揉みになりながら打ち付けられる泥人形の様なもの。
水流から弾き出された頃には、ほとんどが潰されて消滅し始め、いくつかのものは辛うじて残っていたが、動きはぎこちない。
(腕が集まって人型になったが…元の腕が本体なのか?地中にまだ居やがるのか?)
気配を探ろうとするが、泥に混じった瘴気によって感覚が鈍っているのか、感知出来ない。
「仕方ねぇが、とりあえず仕留める!」
リュノクスに、辺りが歪む肌の炎熱を纏わせて駆け寄ると、風を切る音と共に昏きものたちを一刀の元に切り捨てた。
泥が熱で干からび、固まった地面の上、昏きもの達の残骸が灰になって散り、飛ばされて消えていく。
「なんだか変なやつらだったわね…」
「あぁ…どうも今のが本体って訳では無いんじゃないかと思うんだが…」
苦戦しなかったのは今まで潜り抜けた死線の数のおかげだと言えるだろうが、泥と瘴気に紛れて姿を消していた狡猾さと、この辺り一帯を沼地にしてしまった様な力の持ち主が、先ほどの人型だとはどうしても思えなかったのだ。
「ーーーー」
来た方角とは反対。
沼地となった森の奥深く。
おそらくそこから何かの声が響いてきた。
「…ハンナ。」
「わかってる。」
二人は先ほどよりも警戒をさらに強め、リュノクスに纏わせた焔を更に増して、水の球を無数に漂わせて、先へと進んだ。
進むにつれて聞こえてくる苦痛に歪む声色と、品性のかけらも感じさせない身の毛もよだつ様な嘲笑。
(間違いない。こっちが本体だ。)
どの様にしていたのかはわからないが、大方見張り代わりにでも力を分割していたのだろう。
汚泥のように臭気と、瘴気、そして不浄さを纏ったむせ返るほど濃密な気配。
新大陸の山の主とは違った方向に歪んだ空気感。
明らかな強敵の予感に、今まさしく苦しめられている誰かの境遇に、剣を握る手に力が入った。
「行くぞ!」押し殺しつつも腹の底から低く声を出して自身を、ハンナを鼓舞する。
「ええ!」ハンナも察したらしく調子を合わせてくれた。
そうして素早く、静かに接近した。
今まさに吊し上げた女性に襲い掛かろうとするその背に向けて、業火を纏わせた一撃を挨拶がわりに繰り出した。