31 「それで、どうして伯爵なんですか?」
第六章 真相
「では話して頂けますか? 順を追って最初からお願い致します」
はいはい、と主人は頷き、天を仰ぐような髪が靡いた音が聞こえた後どこかむくれた声が続いた。
「……僕が思うに、全部爺さん――と伯爵の思い通りに事が運んでしまったみたいだよ。面白くないったらありゃしない」
「え? 伯爵?」
思ってもいなかった名前に自然と目を見張る。
「そ、伯爵。爺さんが殺されたこの事件は薄氷の上でしか成り立たない程繊細だよ。事の発端が阿片栽培だった事は君も分かるでしょ?」
「はい。ゲール様がお金目的で始めた阿片栽培に、デヴィッド様が気付かれて……と言った具合でしょうか」
うん、とウェズリーが頷くのが分かった。
「そうだね。それを伯爵なりに密告されたくなかったゲールは、きっと最後まで友情との狭間で悩んでいた爺さんを手にかけたんだ。死体は喋れないから」
その時のデヴィッドの気持ちを思って目を伏せる。デヴィッドがそのような事で悩んでいた事を、自分は全く気がつかなかった。何時ものように真面目で優しく、良く笑う人だった。
「だけど爺さんは母さんの事もあって阿片が嫌いだ。ただで死んでやるもんか! って思ったんだろうね。それで……身の回りで一番信用出来る君にあの鍵を預けたんだ。あの鍵はきっと、阿片栽培室に通じる扉の鍵なんだと思う。芥子の花は中でとうに枯れちゃっただろうけど、その鍵を回収しておかないとゲールは不安で眠れなかったに違いない。多分その阿片栽培室、あの辺にあると思うから」
「えっ?」
驚いた。暗闇に目が慣れてきて輪郭程度は判別出来るようになった主人が、「あの辺」と言って焼却炉の少し上を指差した。
「阿片栽培室……が、どうしてあそこに?」
「正確にあそこにあるかは分からないけど、この焼却炉内にはあるだろうね。まさか王立劇場の、それも焼却炉なんかで阿片を栽培しているなんて誰も思わないでしょ? 爺さんって友人が居たからゲールも出来た事さ。この王立劇場は爺さんが設計したんだから、この焼却炉も当然爺さんが設計している。その鍵はその時に合い鍵を作っておいたのかな。大工も存在は気付いてただろうけど、貴族なんかが逢引用の隠し部屋を作る事は良くあるから気に留めなかった。でも、ゲールを良く知ってる爺さんは違った。ゲールはこんな場所で逢引なんてしないもの。爺さんのおかげで始められた悪事が、爺さんのおかげで幕を閉じたなんて笑っちゃうね」
思ってもいなかった鍵の使い先に何回も瞬くが、同時にスっと腑に落ちた。だからあの鍵は差し込み棒だけ煤塗れ、という不自然な汚れ方をしていたのだ。焼却炉の中にある部屋の鍵なら、当然あのような汚れ方になる。ダストシュートが大きかったのも、頻繁に出入りする必要もあったからだろう。
「そんな大切な鍵をどうして私に? 私より伯爵に預けた方がずっと簡単じゃないですか?」
「勿論それも考えただろうけど、ゲールだって当然その可能性を考える。爺さんが手紙を出そう物なら賄賂を受け取った郵便局員の前にその手紙は回収されていた筈だ。君の手紙もチェックされていたかもよ。僕のところに来てからも、それは続いていたかもしれない。だから同じ家に住む君だったんだ。君はしっかりしているし、爺さんから信頼されてたみたいだし」
知らぬ間に自分にも事件の影響が及んでいただろう事に寒気が走った。あの時期から今まで手紙を出していなかった事にホッとする。
「爺さんが君に僕のところに来るように言ったのも、まあ孫にメイドを……って気持ちもあったんだろうけどさ、不自然に思われない再雇用先だし、僕ならゲールの犯罪を暴けるって思った…………のかな」
「なるほど。現に気付かれましたし、私がウェズリー様をユントン霊園に連れていった物ですしね。……デヴィッド様も回りくどい事をします」
流石貴方のお祖父様、とうっかり口を滑らせそうになるくらい、自分も気持ちが落ち着いて来た。相変わらずどこかのダストシュートからゴミが降り落ちて来ている。
そのゴミを見ながら思った。この一件――デヴィッドはそれだけが目的では無い気がする。ウェズリーの寝室でも思ったが、この祖父と孫の確執の奥底にはもっと違う何かがある気がするのだ。でもやっぱり言葉に出来そうにない。リタは今回もその違和感の言語化を一旦横に置き、違う事を口にする。
「それで、どうして伯爵なんですか?」
「伯爵、ひいてはジェシカの行動は不自然なんだ。ジェシカが伯爵に雇われているのなら、伯爵の手駒が増える事になるでしょ。それを踏まえるとジェシカが爺さんの屋敷を早々に買い上げたのは、ゲールに屋敷を荒らされる前の苦肉の策と言える」
そうか、と思った。やはりあの屋敷の売却スピードの不自然さには意味があったのだ。屋敷を調べたいゲールと、その前に屋敷を押さえておきたいハイディとが、水面下で争っていたのだ。
「伯爵はどうして事件に気付かれたのでしょうか? 手紙も無かったでしょうに」
「最初は爺さんと阿片に関係があるとは思ってなかったんじゃないかな? でも伯爵に違和感を持たせるくらいには爺さんの屋敷の売却スピードはおかしかった。それで……伯爵権限でジェシカに屋敷を与えた。庭にでも手紙が埋めてあったとかじゃないの。爺さん有名な庭弄り好きだったんだから、分かる人にはすぐ分かるでしょ」
納得は出来たが、今度は次の疑問が浮かんだ。
「でしたら伯爵が全部解決すれば良かったのでは……? その手紙を持って」
「そこがこの事件の繊細な所なんだ。大体手紙なんて簡単に捏造出来る物は証拠にはならない。いくら伯爵って言っても、警察に口を出すのは難しい筈。特に出来たてのはね、今後の力関係がおかしくなってしまうから。既にジェシカの屋敷の件で一回バランスをおかしくしている。伯爵としてはそれ以上は避けたかったと思うよ」
確かに人間が生活をする上で力関係の調節は必須だ。ルミリエどころか、そういうバランスは何処の家庭にだって存在している。
「さあどうしよう、って時に僕達もこの事件に興味を持ったんだよ。僕達は伯爵にとって救世主だったろうね。伯爵は喜んで僕等のサポートに回った筈だ。例えば警察組織の基盤を固める、とかで」
「……ああっ! ですから伯爵は、私が足を挫いた時私を馬車に乗せたのですかっ! ゲール様の馬車に私を乗せては危ない、と!」
分かった、とばかりに大きな声を上げる。一際大きな声だったので、焼却炉の中を暫く自分の声がこだましていた。
「そう言う事。良かったね、あの時伯爵が通りかかって。通りかかっていなかったら、君は今頃ここに座っていなかったよ」
主人の言葉に口の中が苦くなった。全くもってその通りだ。海岸通りにあの馬車が行く事は無かっただろう。
「で、まあ……今に至る、ってところかな。後は僕達がここから脱出してゲールを伯爵に突き出せば一連の事件は幕を下ろし、爺さんの墓石に良い報告が出来るってわけ。分かった?」
丁度何処かでダストシュートが使われたようだった。そう言って小説を一本書き上げた時のように笑う主人の横顔が微かに――本当に微かに見えた気がした。コクリ、とリタは首を縦に振った。
「はい、とても。私達は知らない間に綱渡りをやっていたのですね……足を踏み外さなかったのは幸運でした」
ただ!、と前置きをしてウェズリーを暗闇の中で睨みつける。
「今こうして焼却炉の中に居るのは不運としか言えないと思います。私そろそろ怖くなってきました……お願いです、そろそろ動いて頂けませんか?」