21 デヴィッドの孫もあのメイドも、私が思っていたより馬鹿では無いようだ。
「爺さん、ゲールにどんな手紙を遺したの?」
ウェズリーの質問にゲールは僅かに目を細め、内緒とでも言うように唇に己の人差し指を当てた。
「友人に宛てた別れの手紙だったわ。孫を宜しく、ってね。それ以上はヒミツ!」
女友達とふざけている少女のように笑んだ男性は、「じゃあねえ」と言い従僕と共に駐車場に姿を消していった。
「失礼します」
「じゃあね」
「さようなら、ゲール様。お気を付けて」
ゲールを見送った後、カッレがんーっと伸びをする。
「あーっ! 俺も出版社に戻るかねぇ、今日は早く上がれるんだ。奥さんに赤ワインかケーキでも買っていくかなあ。リタちゃんどっちが良いと思う?」
「ふふっ、カッレ様は本当に奥様を愛されているんですね。私だったら安いのをどっちも、ですね」
「うわっそう来るかあ。女の人は強欲だなあ」
自然とその場で話をする。カッレは嬉しそうに困った困った、とボヤいている。気さくなこの人とは話しやすくて、クスクスと笑いが零れていた。
「良くやるよね。カッレ白派じゃん」
「分かってないな。それが愛するって事なんですよ、先生? んじゃ俺仕事に戻るわ、じゃあな」
こちらが挨拶をする前にカッレは建物の中に入っていく。その後ろ姿を見送っている主人の横顔は、すっかり仕事中のようになっていた。まさかこんな時にこんな場所で執筆はしない筈なので、屋敷に着くまで少し話相手になろうと思った。
「……あのさ。一応編集者のカッレを見てて思ったんだけど、君どんな本が好き? 今までは適当に選んだけど、どうせなら次は君が好きなのにするよ。僕は本を読むのが好きだし貸せるくらいには持ってるから」
「そう言えば読書されるのですよね。それ、ちょっと意外です。執筆しかされないものかとばかり」
海岸通りへ向かう道は低い建物が多く、斜め前を歩く主人の横顔もそれなりには見える。ふん、と鼻で笑う声が聞こえてきた。
「本を読まずに小説は生み出せないよ。それにリタ、小説って世界で一番面白いんだよ。面白い時間が本を広げれば待っている、違う世界を感じさせてくれる。そんな時間の為に人は本を読むんだ」
勿論僕もね、と午後の光を受け一際輝く金色の髪をした青年は、にっと笑って唇の端を持ち上げた。この人にしては珍しい表情だ。この人を見ているのが気恥ずかしくなって、ふっと視線を外すついでに頷く。
「そ、そういうものなのですか……? ではウェズリー様が小説を書いているのは、ご自身の世界を人に教えたいからで……?」
視線は外したものの何か喋っていたくて、喉から言葉を絞り出す。
「それは流石に高慢すぎるね。執筆は単純に楽しいから、かな。ペンを持っている時は、自分が何でも生み出せる魔法使いになったように思えて好きなんだ」
ペンを振る訳じゃないからね、とウェズリーは肩を揺らして笑う。その笑い方は年相応の物で、こちらも珍しい物だった。もう少し見ていても良いかな、と思ったが変に間を空けるのもどうかと思い頷く。
「執筆はやった事がないので良く分からないのですが、読書は確かに楽しいですよね。――それより早く屋敷に入りましょう! 私、早く話を聞きたいです!」
これ以上話が本格的になったら、屋敷に到着しても一向に屋根裏の話が聞けなくなりそうだったので話題を変える。主人は一瞬不服そうな表情を浮かべたが、すぐに仕方無さそうに黒い屋敷の門に入り、煤を払って屋敷の中へ入っていった。
自分も急いでその後を追い、煤を払って屋敷に上がる。居間の中央には、何かを考え込んでいるように目を伏せているウェズリーが立っていた。足音で自分が居間に入ってきた事に気付いた主人が、こちらに目をくれる事もなくふっと喋り始めた。
「……リタのおかげで、無事に屋根裏の探索が出来たよ。僕の小説と同じで机の上の天井裏に、なかなかに素敵な物が置かれてあったね」
言い終えるなり、奇術師が小道具でも取り出すかのようにウェズリーは己のベストから萎びれた花を一本取り出した。十五センチ程の長さで切られたと思われる真っ直ぐな茎の先に、一重咲きの大ぶりな白い花弁。萎びれてはいるものの鼻に微かな悪臭が届き、眉を顰める。自然豊かなムソヒでも珍しい花だったが、見た事がないわけではない。
「……まさか、芥子の花、ですか」
「そ。阿片の原材料として有名な花だよ」
自分が花を視界に映した事を確認した青年は、再び芥子の花を懐に戻して続ける。
「芥子の花は阿片になるわけだから、阿片を禁止しているこの国で、特に白い芥子がおいそれと花壇に生えている訳無いんだ。だから爺さんがこの花を持っているには深い事情があるに違いないんだけど……」
「デヴィッド様が阿片中毒者だったわけありませんよ! それは私が断言します!」
声を抑えつつもはっきりと主張する。屋根裏から芥子の花なんて物が出てきたせいか、恐ろしくて声が震えていた。
「まあ、そうだろうね。そもそも精製しないと阿片にならないんだから、こんな状態で置かれている訳ないし。……爺さんが中毒者だった、と言うよりも、爺さんが阿片を栽培していた、と考えた方が自然なんだろうけど……」
「それも有り得ません!!」
孫の淡々とした口調につい声が大きくなる。こちらを向いた青い瞳がそっと細められる。自分を宥めるかのように優しい弧を描いていた。
「落ち着いて、リタ。僕も爺さんが阿片を栽培していたとは思ってないよ。だけど爺さんが、阿片栽培に何らかの形で加担していたのは事実だ」
「……例えば何ですか、それ」
「運搬や場所の提供に斡旋……可能性は幾らでも考えられる」
「…………」
確かにな、と思った。自分はデヴィッドのメイドだったが、デヴィッドの行動を全て把握しているわけではない。デヴィッドが書いた手紙を郵便局まで出しに行く事はあっても、中に目を通すわけではない。それにあの建築家は一人で散歩に行く事も多かった。殺された日だって、そうだ。
「……私、デヴィッド様が外で何をしてたか、何を思っていたか……そういうの分からないです。お仕えしてからは誰よりも傍に居ましたから阿片はしてないって断言出来るんですけど、それぐらいで……もっと意識して見ておけば良かったです……」
今更嘆いても仕方ない事だが、胸の内に込み上がる例えようのない無力感を吐き出すようにぽつりぽつり、と口を動かす。ウェズリーは立ったまま動くでもなく、うん、とただ相槌を打ってくれた。それだけの事で無性に安心はしたが、落ち込んだ気持ちが浮上する事はなく、ウェズリーが仕事に戻ってもどこかぼんやりとしている自分が居た。おかげで今日のチキンソテーは焦がしてしまったが、主人は何も言わずに平らげてくれた。
今日は早めに離れに戻ったものの、始終ぼーっとしていた。
***
デヴィッドの孫もあのメイドも、私が思っていたより馬鹿では無いようだ。
きっとあいつらは、何が切っ掛けか知らないがあの秘密に気が付きつつあるのだろう。実に邪魔な事だ。全部を知られる前に、こちらも動くべきか。……最悪あいつらもデヴィッドのように殺すべきなのだろうが、それは最後の手段にしたいものだ。なにか、他に良い方法はあるだろうか?