19 「……その、ジェシカ様から見てウェズリー様ってどうですか……?」+20 「……屋敷に戻ったら話すよ。人に聞かれたくないんだ」
申し訳ありません、こちらのミスで19話と20話と合同になっております。
途端に学友を前にしているかのような親しみを向けてきたジェシカに愛想笑いを返し、脱衣場に向かっていく。ウェズリーの足音は、もうすっかり聞こえなくなっていた。歩いている間もるんるんと笑顔を絶やさないジェシカと、廊下の奥にある脱衣所に足を踏み入れ照明を点ける。
「ここ、脱衣所も広ぐて素敵よね!」
思った通り、表に出る事のない脱衣所はまだジェシカ色に染まっていなかった。それどころか、リタが屋敷を引き渡す直前と変わらぬ簡素な風景がそこには広がっている。しかし、上手くは言えないがやっぱり何処か違う。
「ところで何を忘れたの? こっだら場所に……」
一歩前に進みそそくさと脱衣場の隅に向かおうとした時、後ろから声を掛けられた。当然聞かれるだろうと思っていたその疑問には、女同士の話とは違ってきちんと用意しておいた回答を口にする。
「ムソヒから持ってきたネックレスです。恥ずかしながら、ウェズリー様の屋敷で改めで荷物を広げて初めてネックレスさ失くした事に気が付きまして……。それで自分の行動を振り返り、ここだろうと思いまじて。故郷からの物だはんで持っておぎたかったんです。今更気付いで申し訳ありません」
「……ふーん……、それは探しちゃうわねぇ」
今までよりも低めの声に、ジェシカが信じてくれたのどうかがいまいち分からなかった。少女らしい一面が前面に出てて忘れかけていたが、この女性は探偵を名乗っている。変なところがあれば気が付いてもおかしくない。
「あっ、それでですね」
それは困る、と内心慌てて話題を変えた。短時間で用意出来た女同士の話題と言えば、この人の名前を借りるしかなかった。
「……その、ジェシカ様から見てウェズリー様ってどうですか……?」
脱衣場の隅にしゃがみ込んでネックレスを探す振りをしながら、僅かに振り返って茶髪の女性を窺う。ジェシカは「待ってました!」、と言わんばかりに表情を明るくさせて笑った。
「きゃあっ、やっぱりそう来なくちゃね! なになに、どう、ってなにが!? って言うかリタさん彼が好きなんけっ!?」
抱き着いてきそうなくらい前のめってきたジェシカが少し気恥ずかしく、眉を吊り上げながら首を横に振る。本当に学生時代を思い出しそうだ。
「ジェシカ様っ! 先程も申し上げまじたが! そう言うのではねくてですね? 私が聞きたいのは、第三者がら見たウェズリー様の性格です! お仕えしても問題無い方なのか少々図りかねておりまじて……ほら、あのような方ですし」
「えーっ、つまんね……」
先程の浮足立った表情から一転、脱力して唇を尖らせてジェシカが残念そうな声を上げる。
「まあそういう事にしでおくわっ! で、ウェズリーさん、か……ふむ」
全身でがっかりっぷりを醸し出していた女性は、暫くして伏し目がちの真面目な表情になった。
「実は私、あの後ちょっと気になってウェズリーさんについで軽く調べたんだ。まっ、知ってる人に聞いだだけだけんど……ウェズリー・キング二十三歳、ルミリエ郊外出身。一人っ子、十三年前ご両親を事故で亡くされてるそうで。以降寮や一人で暮らしできたとか」
渋々と主人の経歴を語るジェシカの言葉に、「へえ……」と驚きの声が漏れた。自分はそれすらも知らなかった事に気付く。
「顔は良いよね、正直に言うど私の大好きな顔。けんど、はい、実際会っだり話を聞く限り、とても気難しいど言うが……面倒臭そと言うが……」
「仰りだい事はたげよく分かります」
肝心なところを言い淀むジェシカに苦笑を漏らし同意する。頷きつつも、メイド服のポケットからネックレスを取り出し、こっそりと隅に隠すのは忘れなかった。
「でもまっ、悪い人ではないでしょ。顔が良いのに小説書いでらんだはんで、無欲なんだろうし!」
「その理屈が良く分からないのですが、確かに無欲な方だと思いますね。最初屋敷が売れた話をした時、売却金を全部私に下さると言っておりましたし、伯爵の従僕にもぽーんっとチップを渡してたみたいですし」
「それは無欲と言うかただの馬鹿……ごほんっ! とにかくリタさん! 女の勘が囁いてらんだばって、ウェズリーさんは悪い方でねよ。紳士だったし仕えていでも問題ねと思います!」
ぼそっと呟いた後の言葉に照れ臭くなった。主人を良く言われるのは嬉しい。
「そう、ですよね……良かったです、ジェシカ様にもそう言って頂けて安心致しました」
「うふふふっ、恋愛の話でも力になれると思うから何時でも言ってね!」
「そう言っで下さるのは嬉しいけんど、その機会は無いと思いまずよ。ふふっ」
間髪入れずに首を横に振り口にすると、ジェシカが楽しそうに声を上げて笑うので、自分もつい笑ってしまった。
「あっ!! リタさんが探しているネックレスってこれでねくてっ? ほらほら隅にあったよっ! ムソヒの伝統工芸品ねこれ!」
言葉途中に尻尾をぶんぶん振ってる犬のように言われた。黒い石の中に三日月を模した金色の石を埋め込んだネックレスに反応しない訳にはいかない。
「……あっ、そうです、これですっ! ジェシカ様、見つけて下さり有り難うございます!」
まるで本当にこのネックレスを探してたかのように軽く目を見開き、大切そうにネックレスを受け取った。実際このネックレスはムソヒを発つ前に両親に貰った大切な物なので、自然と扱いも丁寧になる。
「いえいえ、見付かって良かったわっ! じゃっ、ウェズリーさんさ呼びに行ぐ? それともぉ、まだウェズリーさんについで話す?」
受け取ったネックレスを取り出したハンカチに包んでいると、変わらず機嫌良く笑っている女性にふふふっと質問をされる。
「いえっ、もう話さなくて大丈夫です!」
立ち上がりスカートに付いた埃を払う。並んで立ち初めて気が付いたが、ジェシカは自分よりもほんの少し背が高いようだった。髪の毛と同じ茶色の瞳に自分が映っているのが良く見えた。
脱衣所の外へ出る。少し遅れて、後ろから女探偵が着いてくるのが分かった。すぐに隣に並ばれたが、それまでのほんの一瞬背中に視線を感じてならなかった。
デヴィッドの寝室を、ウェズリーはもう捜索し終えただろうか。天井裏と指定されていただけに、本人が言っていた通り五分もあれば時間は十分だろうから問題は無いだろう。
「ここの二階、朝は陽が良く当たっで気持ちいいよねぇ」
階段を上がる前、それまで黙っていたジェシカが先程と同じ調子で話し掛けてきた。変わらぬ笑顔にホッとするものがあったし、デヴィッドを褒められたようで少し鼻が高かった。
「ここは、朝日は人間にとって一番の薬だ、と常々仰っていたデヴィッド様が作った屋敷なんだはんで、当然ですよ」
「まあ、それは素敵な言葉だわ!」
キャッキャッとはしゃぐジェシカの声は、ウェズリーにも届いている事だろう。が、念の為人影の無い二階の廊下を見渡した後声を張る。
「ウェズリー様、ネックレスが無事に見つかりましたので呼びに参りましたっ! いらっしゃいますか?」
ここまでしたら流石にウェズリーも屋根裏を荒らしていた体は取らないだろう。思った通り、少しすると「あー、うん、分かった分かった」とすぐに唸るような主人の声が聞こえてきた。少ししてデヴィッドの寝室の扉が開き、中から金髪の青年が姿を現す。礼節を弁えている紳士がするように胸元に己のシルクハットを当てていた。
「居るよ、見付かって良かったね。ジェシカもいきなり押し掛けてごめん。でもおかげで有意義な時間が過ごせたよ。……良い小説が書けそうだ」
「いえいえっ! お気になさらずに。今をときめく小説家のお役に立てたなら私も嬉しいです。おじいさまの気配、感じられたみたいで良かったですっ」
大好きな顔、と言い切ったウェズリーを前に隣の女性は嬉しそうに頬を持ち上げ、ウェズリーの言葉を良い方向に受け止め返していた。
「あっ、そうだ! ウェズリーさん、実は私も来週の御作のゲネプロに招待されてましてね。また来週お会い致しましょうっ」
自然と屋敷を後にする流れになったので、三人で玄関に足を進めているとジェシカがそう口にし、玄関の前で足を止める。外へ繋がる扉を開けると初秋のまだ蒸し暑い外気が屋敷の中に問答無用で入り込んできた。
「そうだね。……じゃ、また」
「失礼致しました。ジェシカ様、本当に有り難うございました」
「いえいえ、見付かって良かったわ! また女同士の話しましょ。ではでは〜」
どこか嬉しそうにニタニタとジェシカが言ってくるので、内心少し慌てながら玄関の扉を閉める。扉が閉まった後、自分と主人の周囲を少しの沈黙が包んだ。体の向きを変えながらウェズリーが言って来た。
「二階にまで笑い声が聞こえて来たよ。女同士の話、そんなに盛り上がったの」
「そ、そんな事どうでも良いじゃないですかっ。それより、ウェズリー様! どうでしたか? 手応えがあったような物言いでしたが」
女同士の話をこの人にあまり突っ込まれたくないのもあり、主人に今話して欲しい話題について尋ねた。
「……屋敷に戻ったら話すよ。人に聞かれたくないんだ」
ぶっきらぼうに言い、主人は海岸通りに向かって歩いていく。デヴィッドと人に聞かれたくない事がいまいちピンと来なかったが、自分も足早に後を追った。この道を出た先にはいつか食事中に言っていたカッレの出版社がある。
「あ、これ……?」
出版社の前を通る際、駐車場に停まっている黒塗りの馬車が目に入り、思わず声を上げる。これと同じ物を最近霊園で見た覚えがあった。
「ゲールの馬車だね」
隣を歩いていた主人も馬車の持ち主に気付いたようだが、すぐにどうでも良さそうにぼやく。自分は主人とは違って、この建物の中にあの大分女性らしい男性が居るのかと思うと、少し不思議な気分だった。
「って、あら?」
ウェズリーと共に出版社の前を通ると、駐車場に見覚えのある姿を見付け目を見張った。まだ明かりのついていないガス灯の下、一見性別が分からない赤毛の男性と、茶髪の人物とが何やら話していた。主人の歩みが遅くなったお陰で二人の顔が良く見えた。
ゲールと、カッレだ。二人は少しして話し終わったらしい。カッレがゲールに挨拶を済ませこちらを向き――カッレの茶色の瞳が驚きに見開かれる。
「ウェズ!? に、リタちゃん!?」
「えっ、ウェズ? あらやだ会えて嬉しいわっ」
カッレの驚きに満ちた声に、遠目からでも分かるくらい表情を明るくさせたゲールが反応するのが分かった。
「こんにちは、カッレ、ゲール。もしかして何かあった?」
足の向きをくいっと変え駐車場に進んだ主人の背中を見て積極的だ、と思った。が、担当編集者と今度公演が行われる劇場の支配人が話しているのだ。誰だって変に思うかもしれない。後ろを着いていき、頭を下げる形で自分も二人に挨拶をする。
「ああ、お前の事じゃない。俺の個人的な用事がゲールさんにあったんだ。恥ずかしいから何かは聞いてくれるなよ?」
そう言って苦笑いを浮かべるカッレにウェズリーはふぅん……と納得していなさそうに頷き、ロングヘアーが特徴的な男性の方に視線を向ける。
「ゲール、カッレと知り合いだったの? なんで?」
青い瞳に見つめられ、ゲールが嬉しそうに頬を持ち上げる。思えばユントン霊園に連れて来ていた従僕も見目の良い少年だった。きっとウェズリーもゲールの好みなのだろう。
「小説の舞台化、ってのは多くてな。ゲールさんは挨拶や広告の為に出版社に良く来るんだよ。その関係で俺とも少しは知り合いってわけだ。……ところでウェズ、リタちゃんとどこに行ってたんだ? デートか?」
「デートじゃ無い、ちょっと散歩」
「あらそれでこんな偶然っ!? もうこれって運命じゃない!?」
カッレが返事をする前に、ゲールが舞台を見終えた少女達のように感極まった声を上げた。ゲールの赤い髪の毛は今も綺麗に整えられていた。
「それに頷くとカッレとも運命になっちゃうから否定しておくよ。じゃあ僕はこれで」
「……んじゃゲールさん、俺も失礼しますよ。わざわざ有り難うございました」
カッレは主人の横顔を物言いたげに見遣った後、己の顎髭を触りながらゲールに言う。良く見るとフロックコートの皺が一部不自然に伸びており、中に薄い鉄板のような物がしまわれている事が分かった。同僚かゲールに何か貰ったのだろうか。
「じゃあまたねえ! 今度こそ次はゲネプロかしらね、カッレも来るわよね、楽しみにして――」
「ねえゲール」
別れの挨拶を紡いでいた支配人の言葉を、午後の風に金髪をなびかせている青年が呼び止めた。ゲールは少し意外そうに口を閉ざした後、気に障った素振りも見せず、ん? と瞬きをする。