18 「だから雇ってないって」
何を忘れる予定か考えている時ふと思った疑問を、やっぱり馬車は使わず歩いて向かっている主人に尋ねる。じろり、と理由を求めるように青い瞳が向けられた。
「もし屋敷に上がれたとして。私がジェシカ様を引き留めている間に、ウェズリー様がデヴィッド様の寝室に探しに行くのが一番無難だと思うんです。ですから、ウェズリー様には屋敷の間取りを把握して頂きたいのですよ。ご存知ないのでしたら今私がメモを作りますので――」
「知ってるよ」
むすっとした声に遮られた。今は王立劇場の近くを歩いているところだ。黒煙が立ち上っている王立劇場前は煤臭い。
「二年前の夏、爺さんがカッレの所の編集長に会わせてやるから来なさい、って言うから行った事がある。僕はその頃違う出版社でも書きたいって思ってたから、爺さんに会いたくはなかったけど仕方なく、ね」
「なら良かったです。では屋根裏の捜索はウェズリー様にお任せしても宜しいでしょうか?」
分かった、と頷かれる。この人の記憶力は良いようなので間取りくらいは問題無いだろう。少しの間の後建築家の孫はぼそりと、こちらに微かに聞こえる程の声量で呟くのが分かった。
「そう言えば、あの日がパーティー以外で爺さんに会った最後の日だったなあ」
「パーティーで会えてるなら、デヴィッド様は十分嬉しかったでしょうね」
「……そう、なのかね」
ぽつぽつと話しながら、ジェシカの屋敷に着いた。突然訪問して良い物か……と言う疑問は最後まで消えなかったが、先程決意を固めたのでそこはもう割り切ろうと決める。ジェシカがハイディに雇われている私立探偵である事も伝えると、「なんで?」とウェズリーが訝しながら頷く。デヴィッドが屋敷の中で一番愛していた庭は、ジェシカはそのままにしてくれているようで嬉しかった。
「では、先程話した通りに」
「はいはい。五分くれれば大丈夫」
玄関扉の前で一度立ち止まってウェズリーと短い会話を交わし、リタは呼び鈴と連動している紐を引っ張った。すぐに「はいはーいっ!」と女性の陽気な声が扉の内側から聞こえ、緊張から体が強張った。
「は〜いっ、ふふっ、何でしょうかっ? ……って、あら」
ガチャリ、と扉を開けて出て来たのは癖の強い茶色の髪を肩で切り揃えた、笑顔の似合うパンツスタイルの女性――ジェシカだった。満面の笑みを浮かべて現れたジェシカは訪問客が自分達だと気が付くと、ハズレくじでも引いたかのようにショボくれた表情を浮かべる。
「リタさん……? と言う事は後ろの貴公子さんはウェズリーさんかしら? ご存知でしょうがここはもう私の家でしてね〜、何のご用でしょう?」
存外顔に出やすい女性にじっと見られ、一瞬気圧されてしまった。が、すぐに負けじとジェシカを見て一礼する。それに今はウェズリーが居るからかムソヒの言葉ではない。
「ジェシカ様、こんにちは。こちらは私の新しい主人、デヴィッド様の孫のウェズリー様です。いきなり押し掛けてしまい申し訳ありません、少しお願いがありまして」
「だから雇ってないって」
短く挨拶をすると、隣に立っている主人がムスッとした声で呟いた。ジェシカはジェシカで大物なのかウェズリーの面倒臭い性格を受け流し、再び笑顔を浮かべた。
「いえいえ、お気になさらずに! 何でしょう?」
「申し訳ありません。散歩中に思い出したのですが、実は私、脱衣所に大切な物を忘れてしまったみたいで……。すみません、少し上がって探させて貰っても構いませんか?」
嘘と悟られぬよう出来るだけ自然を装って尋ねる。これで頷いて貰えなかったらこの計画は泡と帰すな……と言う考えが嫌でも頭を過った。
「あらまっ。ふふ、リタさんってばしっかりしているように見えて案外うっかりさんですのね? 構いませんよ、どうぞお上がりになって! ウェズリーさんもどうぞ、良い男がそんなところで煤まみれになる必要ありませんよっ」
ジェシカはこちらの話を信じたらしく何回か瞬きをした後、朗らかに頬を持ち上げて自分達を屋敷に迎え入れてくれた。
「有り難う御座います、ジェシカ様っ!」
「どうも。お邪魔します」
服についた煤を払ってから、自分達を案内するように浮足立って歩くジェシカの後をついていく。ちら、と主人に視線を向けると、隣を歩いていた青年が同じようにこちらを向いており、目が合うと青い瞳を細められた。視線はすぐに外され、部屋の位置でも把握するように廊下に移っていった。
「……早速ジェシカ様色に染まった屋敷になっておりますね」
備え付けの家具以外は既に別人の屋敷になっていた。廊下に配置されている花瓶や絵画もパステル調の物に変わっている。
「はい! ちょっと可愛らしくしすぎかしらね」
「いえ、優しい雰囲気で素敵ですよ。お気に入りの家具に囲まれて暮らすのが一番ですもんね……っと、ジェシカ様申し訳ありません。脱衣所まで一緒に来て頂いても宜しいですか? 少し……女同士話がしたいものでして」
客間に通される程の用でも無いので、廊下の途中で本題を切り出した。女同士、という単語にジェシカは大層興味を引かれたようだった。「まっ!」と嬉しそうな声を上げた後、にこにこしながら振り返る。
「勿論です! 何かしら何かしら、ふふふっ、気になるわ~いいわねえ、女同士っ!」
「ごっ……ご期待に沿える話ではないと思いますが……」
ジェシカの食いつきように若干焦る。ウェズリーとジェシカを分断するには良い方便だと思ったから言っただけで、実際この女性が喜びそうな話題をきちんと用意しているわけではない。
「だったら僕は、女性達の邪魔にならないように二階にでも行っていようかな。丁度爺さんの部屋だった部屋もあるし、物思いに耽っているよ。話が終わったら声をかけに来て。ジェシカ、上がって良い?」
ウェズリーに名前を呼ばれ、ジェシカが少女みたいに嬉しそうな笑顔を浮かべて頷いた。
「あらっ紳士なことで。どうぞっ! 二階は大部分を物置にしていてあんまり手を付けていませんの、もしかしたらお祖父様の気配を感じられますよ」
「そう、それは楽しみだね。じゃ、失礼」
淡々と返したウェズリーは、言うなりとっとと踵を返し階段を使って二階へと上がっていく。主人の足音が遠ざかっていくと、隣にいる女性が声を弾ませて話し掛けてくる。
「さっ、リタさんっ! 私達も脱衣場さ向かうべよ~!」
「そ、そうでずね」