7.
一人のメイドが城の中を歩いている。
そのメイドは門番にオーランド公爵家の使用人を名乗り、入城を許可されていた。実際に公爵家の紋章を持ち歩いている。
第一王女アイリスの宮に向かっていたメイドは、四頭曳きの大きな馬車が玄関前に停まったのを見た。
華美ではないが豪華な馬車の中から降りて来たのは、長身の美男子。騎士団長アンガス侯爵の長男ジェラルドだった。さらりと揺れた黒髪に、メイドの心臓が跳ねる。
次いで降りて来たのは宰相オーランド公爵の長男エドモンドだ。周囲にさっと目を配り、異常がないか確認してジェラルドに頷いて見せる。
ジェラルドはすぐさま振り向いて手を差し伸べた。その手を取って降りて来たのは、エドモンドの義妹コーディリアだ。久しく見ない間にまた美しくなった。手を貸してくれたジェラルドと微笑み合う様はなるほど、確かに仲睦まじい様子だ。
最後に腰を上げたアイリス王女に、仕方がないというふうにエドモンドが手を貸し、四人は建物内へ消えて行った。
四人は真新しい制服姿だった。
今日は入学式だ。
エドモンドは他の三人より一つ年上だし、すでに魔法アカデミーに在籍しているはずだが、みんな同じ制服をまとっていた。おそらく魔法アカデミーを飛び級で卒業し、コーディリアたちと共に過ごすため同じ学年に新たに入学したのだろう。
メイド――コリンからメイド服を借りて着ているエミーリアがじっと四人を観察していると、警備の衛兵が不審そうな視線を寄越しつつ立ち止まった。
「そこの侍女殿。見かけない顔だが」
「は、はい。オーランド公爵家のメイド、コリンと申します。コーディリアお嬢様に公爵様より急ぎの御用を承りまして」
「…左様ですか。ここをお通りになると思いますが、あまり他所で勝手をされては困ります」
「はい。申し訳ございません。ここで待たせていただきます」
衛兵はエミーリアの差し出したオーランド公爵家の紋章を見て納得してくれたようだが、あまりいい顔はされなかった。
仕方なくエミーリアは窓の近くで壁際に控えて立つことにする。
すぐそこにある椅子に腰かけたかったが、メイドに扮したエミーリアに許されることではない。
何度か登城しているので、公爵令嬢としてのエミーリアを見たことがある使用人たちもいるはずだが、今のところ誰にも気付かれていないようだ。
安堵する反面、悲しくもなった。ドレスを着ていなければ誰もエミーリアを公爵家の令嬢だなんて思いもしないのだ。
じっと待っていたがコーディリアは現れなかった。
他の廊下を通って部屋へ戻ったのかもしれない。
少し迷ったがエミーリアは近くを通りかかった執事と思しき青年に声をかけた。振り向いた美しい顔に、エミーリアは言葉を失くす。
「あの、何か?」
「あ、えと、ごめんなさい。オーランド公爵令嬢コーディリア様がどちらにおいでかご存知ないでしょうか」
「いえ、存知ません。私も城の者ではないのです。コーディリア嬢をお探しならアイリス王女殿下をお訪ねになられたほうが早いのでは?」
「……ええ、そうね」
突如視界がくらりと揺れて、エミーリアはその場にへたり込んでしまった。
城まで歩いて来た疲れが出たのかもしれない。慣れない長時間歩行と、見つかれば罰を受けるだろう緊張から、エミーリアは色々なことが限界だった。
頭痛がして、軽く眩暈もある。靴擦れで足も痛い。なぜ来てしまったのかと後悔が今更押し寄せて来ていた。
「大丈夫ですか?」
青年が手を差し伸べてくれる。
急に倒れてしまったエミーリアを労わっているというより、少し警戒しているようだ。
ハニートラップでも疑われているのか、と思ってエミーリアは小さく自嘲笑を浮かべる。コーディリアのような美少女ならまだしも、メイド服を着たら使用人にしか見えないエミーリアがいったいどうやってこんな美男子を篭絡できるというのだろう。
「お疲れのようだ。ですが体調管理ができないようでは主人の信頼を得ることはできませんよ」
「……手を貸してくれてありがとう。ついでにお願いを聞いてくれないかしら。コーディリアを連れて来てほしいの」
「――分かりました」
「えっ?!」
軽く自棄気味に冗談を言ったエミーリアを笑うことなく、青年は「諾」と応え踵を返す。驚いたエミーリアは颯爽と去って行く背を呆然と見送る他なかった。
震える手を同じく震える手で握り「――分かりましたって……冗談、よね?」と心の中で祈るように呟く。
「あら? また会ったわね」
聞き覚えのある可愛らしい声が背後からエミーリアの気を引いた。
神殿で会ったピンク色の髪にきらきら瞳の少女がにこりと笑っている。
「でも、どうして貴女がここにいるの?」
「貴女! 貴女にも会いたかったのよ。私どうすればいいの? このままじゃ異民族に嫁がされるの。お願い、助けて!」
「異民族と結婚? そんなルートあったかしら。ああ、もしかして国外追放ってこと? ええっと。でもそれって確か、悪役令嬢にとってのハッピーエンドだったと思うけど……」
「蛮族に嫁ぐのがハッピーなはずないじゃない!」
「私に言われても。っていうか、ねえ。本当に貴女どうしてお城にいるの? 一番ヤバい展開よ、これ」
「え? なに? どういうこと?」
「だって貴女、ほんとはお城にいちゃいけないんでしょ? 今リア様に何かあれば貴女のせいになるのよ。それで王女様が怒って処刑ルートに入るの。急いで帰ったほうがいいわ」
「処刑ルート?!」
そのときだった。
何人かの悲鳴が城に響き渡った。
誰か助けて! お嬢様が! 女の声がそう叫んでいる。
「なにかしら」
ヒロインが駆けだした。
行きたくないと思いつつエミーリアも仕方なくその後を追う。
広い玄関ホールに出ると、衛兵や使用人たちが誰かを遠巻きに囲んでいて、城内は騒然となっていた。
エミーリアは悲鳴を上げそうになって咄嗟に両手で口を抑えた。
先ほどの執事が意識のない制服姿のコーディリアを抱えているではないか。
どうして、とエミーリアが愕然と呟く横で、ヒロインが声を上げた。
「コンラッド?! あなた何してるのっ?!」
「ああ、これはマーガレットお嬢様。ご覧の通り、コーディリア嬢をお連れしました」
美しい執事がヒロインの悲鳴染みた問いに笑顔で答える。
エミーリアはコーディリアの白い顔を息を止めて見ていた。
おそらく呼吸はある。とりあえず生きてはいる。
この執事がヒロインの“推し”なのだろうか。
ではどうしてヒロインの攻略対象がエミーリアの言葉に従うのか。
混乱だけがその場を占めていた。
「リア!」
「リア……!」
「貴様、リアを放せ!!」
執事――コンラッドという名らしい青年の行く手に、制服姿の三人が立ちはだかる。エドモンド、アイリス王女、ジェラルドだ。
怒り心頭のジェラルドがすらりと剣を抜いた。
ヒロイン――マーガレットというらしい彼女が短い悲鳴を上げる。
「コンラッド! どうしてあなたがリア様を傷付けるの?!」
「抵抗されそうでしたのでやむを得ず意識を落としていただきました。おケガはございません。私とてこのようなことはしたくなかったのですが、そちらの方に命じられて仕方なく」
そちらの方、とコンラッドが目を向けたのは当然エミーリアだった。
その場の全員の視線がエミーリアに突き刺さる。
「……エミーリア?」
「ちっ、違うの、お兄様! 私は、命じてなんてっ」
「――おまえ【覚醒の魔法】を使ったな」
「え? ど、どうして……?」
「この執事は精神魔法で操られている。見慣れない魔力だと思っていれば、まさかおまえが本当に闇属性だったとは」
「闇属性? 嘘、そんな……」
「ジェラルド。おまえの光で掃える」
「分かった」
ジェラルドが剣を納めコンラッドの腕に軽く触れる。
ふわっとそよ風が吹くかのように、コンラッドの内側から何かが掃い飛ばされ、宙に滲んで消えた。
「……――おや? 私は何を……?」
「僕の婚約者を返してもらえるかな」
「は? えっ?! コーディリア嬢?! どうして?!」
「落ち着いて。君はどうやら操られていたらしい」
「コンラッド!」
「マーガレットお嬢様」
コーディリアをジェラルドがそっと抱き上げたと同時に、マーガレットがコンラッドに駆け寄る。
二組の男女を微笑まし気に一瞥した王女がエミーリアを振り返って、カツリとわざと靴を鳴らす。エミーリアの肩がびくりと跳ね、その場はぴたりと静まり返った。
「義理とはいえ姉妹。なぜこうもコーディリアを付け狙う」
「で、殿下。わた、私は、お姉様を傷付ける意図は一つも、」
「リアは気丈だがか弱い。大階段から落とされたと聞いた時は肝を冷やした。打ち所が悪ければ死んでいたと、教えてやらねば分からないか?」
「で、ですから、お姉様に謝るためにお会いしようと」
「謹慎中に使用人の格好をしてまで忍び込み、何も知らぬ他人を利用してリアを攫おうとした。それでなくとも許可のない精神魔法は違法行為だ。リアが許せと言うから仕方なく一度は許した。二度はない。連れて行け」
「殿下! 誤解です! 私は本当にっ」
「……――私が許可をすれば、今この場でジェラルドはおまえの首を斬る」
「ひっ?!」
「あるいはエドモンドがおまえを消し炭にするだろう」
「あ…あ、」
「我々のリアを傷付けるということは、そういうことだ」
アイリス王女が踵を返すのに倣ってエドモンドとジェラルドもそれに続く。彼らはエミーリアを一瞥たりとも見ようとしなかった。
両脇から拘束されたエミーリアは膝からがくりと崩れ落ちた。
「……信じらんない。コンラッドを巻き込むなんて。悪役令嬢に情けなんてかけるんじゃなかったわ」
「貴女……、ねえ、助けて!」
「イヤよ。あんたはどうあっても悪役なんだって、これで分かったわ。エド様が無実を証明してくださったから良かったものの、最悪コンラッドも罰を受けることになってたのよ? ほんと最悪。リア様のためにも、私のためにも、あんたはいないほうがいいんだわ。――さよなら」