一日目⑤〈2-1-⑤〉
「街灯と星空」という言い回しがある。ところによって街灯が絶滅した現代、向かいの街のそれよりも星空の方がずっと身近な者たちがいると指摘する。その本旨とは別に、満点の星空は前時代に比して確かに身近になったのだろう。そう気付かせる表現でもある。
星明かりが照らす暗い夜道に二人分の足音がくっきりと響く。しばしば川に喩えられる、C級街とD級街――市民と非市民を分ける道だ。
「D級街は一応、情報源としてリハイブの客がいる。ひとまず今日はC級街を回るとしよう」
マグヌス化の反動から脱け出し、私たちは落葉のコアの探索と破壊を再開した。落葉のコアは白の媒介者の言わば基本的な補給路だ。彼女への瀝青の供給をいくらかでも減らしたい。直接対決での阻止は狙いつつ、地道な嫌がらせ、もとい妨害もしていく――のだが、
「うーん」
隣で小さな呻り声が上がる。見遣るとウェールスは思案顔、およそ敵を探し歩いているとは思えぬ様子だ。夕方の一件をまだ引きずっているらしい。ふっと目線を上げて、
「僕たちにできること無いかなあ」
「できることはやっているさ。リハイブにやって来る非市民たちに息つく時間を提供する。橘さんが営業時間をきっちり守っているのもそのためだろう」
「うん」
頷くが納得はできない。私は微笑んで、
「それで言えば、君は最高の仕事をしていると思う」
彼らにとってウェールスの存在は大きい。彼女と接する時の彼らの態度には善意や好意だけでなく、ある種の強迫観念が横たわっている――何か一つでも粗相を起こせば、もう二度とこの店に来られないから――。彼らは失いたくないのだ。この都市と全ての美しいものから棄てられた自分たちに向けられる、彼女の笑顔を。
「皆、君のいるリハイブに来るんだ」
「そうかな」はにかみがちに言う。「だと良いな」
大通りを逸れて、C級街の小路に入った。かつての住宅街は、道の左右に損壊した小ぶりな民家が建ち並んでいる。朝の少女の話が思い出されるが、
「人の気配も無いし、待ち伏せは無さそうだね」辺りを見渡してウェールスが言った。
「ああ。この調子で後は有志の夜警と遭遇しなければ、その手の面倒とは無縁のはずだ」
ウェールスが溜息を吐いた。
「どうしてこんなことになったんだろうね。ここまで酷いのは珍しいんでしょ」
私が同意するより早く、
「知りたいか」暗がりから声が聞こえた。
「ひっ」
ウェールスが咄嗟に私の後ろに隠れたのは不意を突かれたからと言うよりは相手の問題だろう。明石氏が脇道から姿を現した。彼女の身なりを見て、
「何かの会合ですか」
「その帰りだ。能弁家の集まりに顔を出してきた。いま話題のな」
そう答えて、明石氏は私の反応を愉しむ素振りを見せた。
「能弁家」馴染みの無い言葉にウェールスが首を傾げる。
「色々な事柄について論ずる者をそう呼ぶんだ」私の説明に、
「非市民の排除を声高に叫ぶ連中がいてな」明石氏が付け加える。「よくラジオで流れるだろう、ご高説が。そんな代物はおまえたちの穴倉には無かったか」
「ありはしますが」言いながらウェールスに視線を向ける。
「ああ。異人が聞いても胸が悪くなるだけ、何の得にもならん話だな」
「その人たちが原因ってこと」
「結論はその通りだが、要所は経緯にある」明石氏は私に向き直り、「吉田が心変わりをしたらしい」
「吉田氏が」
「頽廃勢力に住処をくれてやるんだと」
「離脱ですか」
「本人は距離を置いたくらいのつもりだが、かつての同志はそう捉えている」
話の腰を折ることが躊躇われ、「誰」と訊きたそうな顔でこちらを窺うウェールス。
「この辺りの実力者で、非市民に敵対的な能弁家たちのまとめ役だった」
「リーダーがいなくなったってこと。それなら勢いを無くしそうなものだけど」
「そう易しくはないのさ。吉田氏は良く言えば奥行のある人でね」
「ありのまま言えば日和見主義の俗物だぞ」
横槍を入れてきた明石氏に視線で抗議する。彼女は悪びれもせず肩を竦めて見せた。
「非市民への攻撃を市長や敵対的な経済人との駆け引きに利用したんだ」
「脅しの道具にしてたってこと」
この問いには明石氏が、
「そうとも言えるな。自分たちの敵愾心と勢力で為政者や政敵を圧迫し、実利を引き出し、妥結する。小さな端緒を見つけては同じことを繰り返す。うむ、そうとしか言えんな」
身も蓋もない回答に補足する。
「だが、言い方を変えれば、彼なら交渉の余地があった。実際には彼は非市民を積極的に憎む実力者たちの制御装置でもあったわけだ」
「ブレーキが壊れたんだね」ウェールスがぽつりと呟く。
「ほう。洒落た言い回しだな」明石氏は少し意外そうな顔をした。「それだけならこうはならんだろうな」
「どういうこと」
「彼らの活動は組織立っていただろう。指導者を失って単に混乱しているわけじゃない、彼らは新しい指導者のもとで行動しているんだ」
「私がわざわざ出向いた夕食会な、美馬という男のだが、吉田の後継だ。虚栄心と出世欲は大したものだが、吉田のような“奥行“は無い。際限なく威勢の良いことを言い、のみならず、有志を募って実際に非市民相手に行動している」ウェールスを見遣り、「おまえの表現に付き合うなら、ブレーキが壊れてその分余計にアクセルを踏むようになったという具合か」
「ええ」呆れるウェールス。
「その辺りの事情を知るために会合に」
「おうとも。逢坂に命じられてな」
教養派所属の求道する貴族である明石氏は、一方で非市民で構成された自警団の今や最有力の支援者でもある。彼らが巻き込まれた先の事件では、フーマニット・クローバーと地下シェルター街の情報、またその明晰さで解決に貢献した。この間、一貫して事件団の団長である逢坂氏のために行動した彼女は、彼の情婦を自称している。
「逢坂さんはどの程度、把握しているんです」
「吉田の変節は噂くらいには聞いていたようだ。だが、俄かには信じがたい。能弁家は活発に動きだすと来た。これはあれか、吉田の言うのは収容所のような代物で、能弁家に非市民を追い立てさせてそこにぶち込もうという算段か、と疑うこともできる。内情を確かめねば、と。やれやれ――」
明石氏は美馬鹿之助氏の人物像――「どこを切り取っても筋肉質な男だ。それが仲間たちには強さに見えるのだろうよ」――吉田氏との関係、会場の様子、参加者の非市民への敵意のほどを話し、最後に、
「傑作だったな。能弁家が言うのだ。頽廃勢力を野放しにすれば、女子供は奴隷にされると。まさにその頽廃勢力とやらの僕としてこの場にいる貴族の女に」
自分の体を抱きしめ、邪悪さの覗く笑みを浮かべた。
「うわあ」
「おや。私には分かるぞ、おまえにも被虐的な奉仕願望があるだろう」
フーマニットの本性を彼女一流の表現で言い当てたのでないことを願うばかりだ。気味悪がるウェールスに猥雑な嫌がらせを済ませ、
「開道、備えておけよ。何かありそうだ。能弁家もそうだが、非市民もただ黙って殴られるような連中ではないだろう」
そう言い残し、明石氏は夜の闇に悠々と消えていった。
※これは架空の物語であり、実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。




