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塵灰のリハイブ  作者: 道安 敦己
第二話『砂時計の殺人』
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一日目④〈2-1-④〉

「貴方は一体、誰なんです」


 廊下と階段を隔てる子柱(こばしら)に体を預けてへたり込み、疲れ果てた様子で余氏が尋ねた。女はその姿を楽しそうに見下ろしながら、


「明石前途という。察しの通り、貴族だ」広間の扉を一瞥し、「冷やかしに来たは良いが、面白い話し相手がいなくてな。ちょうどおまえを見つけて声をかけた」

「声を」


 顔を上げ、疑いの眼差しを向ける。だが、二の句が継げない。明石氏は強者の余裕に満ちた笑顔で応じ、


「おうとも。どういうわけか取り乱して驚いた」


 白々しい返答に余氏は顔を歪ませた。せめてもの抗議と彼女から視線を外し、


「他の誰と話しても面白いと思えないなら、俺と話しても無駄ですよ」

 

 遠回しに会話を拒絶しようとする。明石氏はちょっと意外そうに「ほう」と呟くと、目を細め、


「それは私のしたい話によるな」小首を傾げ、余氏に反論を促す。言葉を飲み込んだのを見届けてから、彼の頭上の手すりを掴み、覆いかぶさるよう位置取った。「私は世間話がしたいだけだ」

「世間話」


 怪訝な顔で応じたのも束の間、飛び込んできた胸元に驚き、慌てて目を逸らす。明石氏はくつくつと笑って、


「どいつもこいつも鬱陶しい話しかしない。あれはこうだ、どうあるべきだなど。正味、どうでも良い」滑るように余氏の隣に腰かけ、彼の肩に手を乗せる。余氏が反射的にびくりとした。その耳元に首を伸ばして囁く。「聞きたいことがある」


 彼が横目で一瞥すると、彼女は顔を離して微笑みかける。彼と同じように子柱に(もた)れて、


「今日のこの盛大なパーティだが、おまえの父親はこういうことをあまりしてこなかったな。そう聞いたぞ」


 余氏は一度、ため息を吐いた。


「俺の知ってる限りなら、初めてです」

「どうしてだろう」

「吉田さん、ご存知ですか」

「吉田。ああ、吉田金吾か」

「元々、こういうことは吉田さんがよくやっていました。今日ここにいるような連中は吉田さんの開いた集まりに出たんです。勿論、父もです。父はあの人の盟友でやってきましたから」

「今日は姿が無かったな」

「最近、考えを変えたみたいです。非市民のための居住施設を作るとか。按察にも何度かその件で来たことがありました」


 彼の口ぶりは、それで自分は知った、父親からこのような話を聞くことはないと暗に言っていた。


「ふむ。吉田は非市民の側に立つと言い出したのか。ここの能弁家どもは混乱したろうな。美馬はそれを収めつつ、後釜に座る腹なわけだ。美馬と吉田はすっかり訣別か」

「少し誤解があります」

「ほう」

「吉田さんは非市民の側に立ったつもりはありません。今も非市民とは呼びませんし、頽廃勢力は学府と学府市民に仇なす、根絶やしにすべきだと言っています。ただ、頽廃勢力に学府と学府市民のために生きる方法がないことが根絶できない原因だと言って、都市と市民にはそれを与える義務が、頽廃勢力に対してではなく、学府秩序に対してあると主張しているんです」

「その主張の線上に居住施設の話がある、と」


 余氏が明石氏の言葉に首肯する。


「吉田さんには能弁家たちと訣別したという意識はないはずです。協力を呼びかけているようですし、応じた者もいるようです」

「つまり、今日のこれは吉田が離反した能弁家たちの集まりではなく、吉田は離反したと見做す能弁家たちの集まりだったか」

「そういうことだと思います」

「なるほど。いや、面白い話が聞けた。やはり、上っ面の行儀の良い話はつまらん。どんな連中が何のつもりでそんなことをほざいているのか。面白いのはそこだと思わんか」

「はあ」


 戸惑い気味に応じた余氏を明石氏が横目で見た。


「ああ、そうだ」意味ありげに微笑む。「礼をしないといけないな」

「は」


 余氏がばっと振り向く。賄賂かと身構えた彼の頬に手を添えて、明石氏は口づけした。一瞬、呆気に取られた彼が、慌てて彼女を引き離す。肌の乾燥した青白い顔を引き攣らせ、


「な、何を」

「礼だが」何食わぬ顔で答える。薄笑いを浮かべて、「それとも礼にならんと」

「そんなことじゃない。俺は按察官ですよ」


 余氏が鯱張(しゃちほこば)って言い募る。明石氏はきょとんとした顔で、


「それが何かの理由になるのか」

「貴方を殴り飛ばす理由くらいにはなるわ」


 背後から声が聞こえた。明石氏が振り向くと、スーツ姿のすらりとした女がすぐ後ろに立っていた。


「無礼討ちは無理でもね」


 冷酷と言えるほど冷ややかな表情で彼女を見下ろし、その体に薄らと血の瀝青を纏っている。すぐ後ろまで来ているのに気づかなかった。明石氏はすっと立ち上がり、


「ご挨拶だな。仮にも先輩だぞ、私は」


 言いながら内海氏の後背にある広間の扉を盗み見る。干渉系の技がかけられていた。開けようという気を起こさせない、開けられないと感じさせ、それをごく自然な、正常なことと錯覚させる。複数の暗示を組み合わせた高度なものであり、瀝青の消費も小さくない。少なくとも、このような場でやることではなかった。その力量に感心しつつ、心の中で独り言つ。


(悪ふざけが過ぎたか)


 余裕を取り下げない明石氏に、内海氏の頬が怒りでさっと紅潮した。


「仮なら考慮しないわ」鋭くねめつけ、「才能を空費するだけの高等遊民が」


 明石氏は肩を竦めて、


「おいおい、求道する貴族をそんなふうに面罵するのは感心しないな」

「貴方個人のことを言ったつもりよ」忌々しげに、「舐めた真似をしてくれたわ」


 内海氏が余氏の異状に気づいたのは瀝青を感知したからだ。それまで彼女は明石氏が彼に覚醒能力を仕掛けていることが分からなかった。感知した瀝青は、彼女にすれば、自分に何が起きているか教えるために、これみよがしに放出されたとしか思えない、不可解な代物だった。


 気づけなかったこと、気づかされたこと、二重の口惜しさからの扉の細工であり、身に纏う瀝青だ。明石氏も、先ほど上手くいったのは内海氏に油断があったからと分かっていた。両手を顔の横に上げ、眉を八の字にして笑う。


「分かった分かった。私が悪かった。現役管察官とやり合って勝てるとは思わん。用事も済んだし、私は大人しく帰るとしよう」


 内海氏は一言も返さず、さっさとそうしろと言わんばかりに顎をしゃくって階段を指す。明石氏は彼女と向かい合ったまま数歩後退ってから、くるりと背を向ける。去り際、内海氏を一瞥して、


「緑芽章もこの程度か」不敵な笑みでそう言い残した。


 姿が見えなくなっても明石氏が屋敷を出たと確信を持てなかった内海氏は、わざわざ一階に下りて確かめた。階段を上りながら、


「何がこの程度よ、負け犬の遠吠えも良いとこだわ」ぶちぶちと苛立ちを口にする。


 二階に戻った彼女を余氏が覚束ない足取りで迎えた。手すりで体を支え、頭を強く振る。それを認めるや、


「余君」慌てて駆け寄る。

「すみません」

「気にしないで、あなたが太刀打ちできる相手じゃないわ。大丈夫」


 消え入りそうな声で謝る余氏を慰め、気遣う。彼はふっと空しげに笑って、 


「なんとか」

「ごめんなさい。怖かったでしょう。美馬との話をなかなか切り上げられなくて。さすがに殺したりはしないだろうと思っていたけれど――」


 内海氏は自分の言葉に愕然とした。何故、切り上げられなかったのか。何故、さすがに殺したりはしないだろうと思ったのか。自分もあの女の術中に陥っていたのだ。それはいつ。あのとき――自分の鈍感さを嘲笑うような瀝青の放出を捉えたとき。あの瀝青には何の意図も無かった。何かが起きていると気づかせるだけの代物だった。気づかせることに意味があったのではないか――。


(舐められていたんじゃない。舐めていたんだ、私が)


 内海氏は歯噛みした。一方、彼女に気づかれる前に退散することに成功した明石氏は、


「やれやれ。バレずに済んだな」


 美馬氏の屋敷を振り返り、楽しげに独り言ちた。一度、月を仰ぎ、星明かりが照らす家路に視線を向ける。と、まさにこれから帰るその道を黒い影が走り抜けた。間を置かず、数人の男たちの怒声が聞かれる。


「賑やかなことで」


 そう笑って、気にも留めずに歩き出した。

※これは架空の物語であり、実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。

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