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塵灰のリハイブ  作者: 道安 敦己
第一話『姿なき復讐者』
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十三日目②〈1-13-②〉

 明石氏が壁の時計に目を向けた。時刻は二十一時を回ったところだ。視線を逢坂氏に滑らす。彼は受話器を耳にあて、


「ああ。おやすみ、美央さん」


 大家美央氏に今日最後の電話を済ませた。その後ろ姿に滑稽なものを見るような笑みを浮かべる。


(女の家から他所の女の家に電話をかける。男というのは度し難いな)


 受話器を置いた逢坂氏に、


「大家は無事だったか」

「ええ」


 彼は振り向きざまそう答えて、彼女の傍に歩み寄る。


「すみません」


 彼の頬に手を這わせて、


「良い。あれには借りができたな。まだ狙われているかもしれんというのにこちらに人を回してくれた。それに今日のような日におまえが来た。私としては十分、愉快なことだ」

「我聞にはもし俺に何かあった時に団を引っ張ってもらわないといけませんから」


 彼女は楽しそうに笑い、


「正直よな。おまえに何かある時は私にも同じ何かがあるはずなのだが」立ち上がり、部屋を歩きながら、「賢明な判断と言える。ここで失敗すれば、おまえたちの影響力は地に堕ちる。自警団は今の安定を失い、混沌とした闘争に引き摺り込まれよう。本来ここにいるはずの河原寺が死に、指導力の低下したおまえが残るのと、無念の死を遂げた団長の跡を武闘派の副団長が継ぐのとでは雲泥の差がある。実に賢い。だが、貴女を守ることを他の男に委ねたくなかった、くらいのことは言ってもらいたいな」

「その時は俺も貴女も明日の無い身です。そんな分かりきった嘘を吐く必要はありません」


 来客用のソファの後ろで止まり、背もたれの縁を撫でる。


「良い、とても良いな」


 催促を受け容れた逢坂氏が座り、背もたれに体を預けた。明石氏が後ろから抱きしめ耳元で囁く。


「表情が険しいのはどういうわけかな」

「緊張です」


 明石氏にすれば、それこそ分かりきった嘘だった。


「あと一時間そこらで答えの分かる話だ。そうだろう」


 そう言って逢坂氏の耳を甘噛みした。


 ウェールスは腕時計から向かいの家に視線を戻した。道を挟んだ斜向かいの空き家、その二階の窓からは、大家美央氏の家の玄関口も庭もよく見えた。彼女が陣取ったのは二時間以上前。そこから今に至るまで、人の出入りは一つもない。奥に向かって広がる家だ。灯りの状態は分からない。


 夜に鍵も無い空き家で一人過ごしているのに、恐怖は無かった。拳銃が強気を与えたわけではない。


――人間としての尊厳、私としての尊厳。二つの間に楔を打ち込まれた者は、これほどにも惨めに生きることになる。


 私の話が何度も頭の中で繰り返され、その度に返す言葉を探し続けていた。


(けい)、君を死なせたりしないよ)


 そう思ってはみても、その先が無かった。(すが)るような思いで玄関口を見つめる。


 そろそろ動き出して良いはずだ。瀝青(れきせい)を消費して跳躍するならもっと短時間で行けるが、出力の繊細な調節ができないコアでそれをやるかは分からない。地下を選んだ場合でも、所要時間は大きく変わらない。あみだくじの縦木にあたる大きな通路が近いためだ。


 犯人が姿を見せぬまま時間が過ぎていくほど、地下を選んだのではという意見が頭をもたげる。いっそ踏み込んでやろうかとも思ったが、相手が屋敷に居た場合、そのまま戦闘になる。そこに居る人たちが死んでしまうかもしれない。


――善く生きるということは、私に、許されたことではなかった。


 時刻は二十一時四十一分。彼女の忍耐が切れた。


「あれ、えっと。ウェールスだっけ」

「大家さんの奥さんは」


 面食らった様子で迎えた檜山くんに捲し立てるように尋ねる。


「自室にいるはずだけど」

「ありがとう」


 土足のまま上がり、彼の横をすり抜けて廊下を駆ける。


「ちょ、ちょっと」


 慌てて檜山くんが後を追う。ウェールスは部屋の前に来るや扉の把手を掴んで乱暴に押し引きし始めた。


「鍵がかかってるんだ」


 後ろから困惑しつつも冷静に教える。


「早くしないと(けい)が」

「先生がどうかしたの」

「どうしたどうした」


 騒ぎを聞きつけやって来た他の三人が絶句する。我に返った杉村氏が、


「な、何やってんすか。中にいるんすよ。どやされますよ」

「待った。中にいるならなんでこんなに静かなんだ」


 (はしばみ)氏が疑問を口にする。浮き足立つウェールスの肩を稲葉氏がぐっと力を込めて掴んだ。


「おい。中に何かあるんだな」


 やや落ち着きを取り戻したウェールスが頷くと、


「下がってろ。俺が開けてやる」


 扉を体当たりでぶち抜く。勢いそのまま雪崩れ込んだ彼の後に続き、


「いない」


 檜山くんが唖然とした様子で呟く。灯りだけがついた部屋には、大家美央氏も一人だけ残した手下の姿も無かった。


「君たちは明石さんの所に行ってこのことを知らせて」

「君は」

「僕は犯人を追いかける」

「分かった」四人は家を飛びだした。


 瀝青(れきせい)を消費して力強く床を蹴る。体がぐんと前に飛ぶ。地下シェルターの通路を全速力で駆け抜けていく。犯人は地下を選んだ。ここからはいかに早く辿り着けるかだ。懐中電灯の光を壁に滑らせて目印を確かめる。細い通路に入っても速度を落とさず進み、その先、大家美央氏を迎え撃っている広い空間に飛び込んだ。


「えっ」


 そこに、誰もいないにもかかわらず。

※これは架空の物語であり、実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。

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