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塵灰のリハイブ  作者: 道安 敦己
第一話『姿なき復讐者』
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十日目②〈1-10-②〉

 私たちと別れた後、課長はB級街にある一軒の瀟洒(しょうしゃ)な喫茶店で昼食を摂っていた。真白い磁気の器を少し乱暴に置く。滑らかな木製のテーブルの上で銀の食器と皿が踊り、不快な音を立てた。名家の娘である彼女は、日頃の言動とは裏腹に所作は洗練されている。それとかけ離れた振る舞いをするのは一種の面当てだ。店主を筆頭に周囲の客が向ける好奇の視線が気に喰わない。彼女にではない。それはテーブルの反対側に座る友人に注がれていた。もっとも、当の本人は気にも留めていない。着物姿の女性だ。顔の右半分を隠す長い前髪と少し青白い肌、華奢な体。幸薄そうな印象に反して、幸運を喚ぶ女と呼ばれる。津田さんの妻君、幸さんは課長のそういう気質に(感謝と好意は抱きつつも)やや困惑した様子で苦笑いを浮かべていた。


「津田っちはどう」

「体はすっかり良くなったのですが」


 失踪した前後の記憶は依然、回復していなかった。


「W.S.には検査に行ったんでしょ。なんか言ってた」

「異常は無いそうです。記憶の喪失は覚醒能力によるものでは、と」


 安堵と不信感の入り混じる表情で答える。コアのことは伏せて説得したから、幸さんは検査の結果が意味するところを完全に理解できてはいない。


「力づくで消されたってこと」


 課長の問いに頷く。


(コアによって消えたのか、コアを植えつけたヤツが消したのか)


 情報を整理しつつ、尋ねる。


「津田っちが失踪前に言ったこととか、行った場所とか、思い出せない」


 港湾按察には既に行った。空振りだった。津田さんは机をまるで使っておらず、手がかりになりそうなものは無かった。話を聞こうにも他の職員は典型的な不良役人で、名門貴族を邪険に扱う勇気は無かったが、協力する気も無かった。


「主人は仕事のことを軽々しく話すような人ではありませんし、私も行き先を詮索しませんから」


 幸さんが申し訳なさそうに答える。


「普段の会話とかはどう。津田っち、何か気にしてなかった」

「一つ、関係ないかもしれないですけど。蔵書館区事件のことは時々。ずっと引っかかっていたみたいで」

「蔵書館区。津田っちが」

「開道さん、あの一件でしょう」

「ええ」

「事件が捻じ曲げられているってよく言ってました」

「らしいと言えばらしいわね。捻じ曲げられるも何も」


 課長は苦笑した。津田さんは良くも悪くも上級貴族の粘着質な醜悪さとは無縁の下級貴族だった。


「主人は蔵書館区事件を調べていたのかしら」


 その妻の幸さんは純粋な性質だった。思案顔で独り言のように推理を披露する。


「どうしてそう思うの」

「三好さんでしたっけ。主犯だったって言う按察官。並の相手に主人が遅れを取るとは思いません。でも、管察官を殺した人なら分からないなあ、と」

「三好は、死んだわ。死因はどうあれ」課長は伏目がちに答えた。

「見つかっていないんでしょう」

「そりゃあそうだけど。実際問題、生存は絶望的な状況だったのよ。行方だって探したわ。それに。もし生きてたら、あの日からこの方、何をやってたって話でしょう」


 そう言いながら、もしコアを使っていたなら、の仮説が頭の中で膨らんでいく。一方、課長の内心とは無関係に幸さんが少し前のめりになって力説する。


「開道さんが戦って手負いにしたんです。それで動けなくなった」

「回復したから行動を再開した、と」


 課長が付き合うと楽しそうに胸を張った。


「ええ。でも、これでまたしばらくは動けないはずです」

「どうして」

「主人と戦って無傷でいるはずはありませんから」

「なるほど」呆れ顔で同意する。

「なんて、冗談みたいな話ですけど」

「分かってるんなら良いですけどね」

「でも、嘘から出た実ってありますから」

「あなたねえ」


 そろそろ説教されそうな気配を目敏(めざと)く察知して、露骨に話題をすり替える。


「いけない。私、開道さんにまだお礼ができていないわ」


 課長はため息を一つ吐いて、


「私から言ってみるわ。今は忙しそうだから少し後になるかも」

「ありがとうございます」礼を言うと、居住まいを正した。「砂上さん」

「なに、改まって」


 訝しむ課長。その眉間を人差し指でそっと押した。


「あなたは私と違って賢いし、強いわ。でも、あなただってなんでもできるわけじゃない。お互いできることを頑張りましょう。きっとうまくいくわ」


 そう言って微笑む。課長は自分が気負っていることに気付いた。


「ありがとう」


 夕焼け空の下、私の前を大きな白い犬がついて来いと言わんばかりに進んでいる。張り詰めた綱の動きが内心を物語っていた。隣を歩くウェールスが笑って、


「元気だね。ハンス」

「数日ぶりではしゃいでいるのかもしれない」


 事件が起きてから、慌ただしさにかまけて橘さんに頼んでばかりだった。久しぶりにハンスの散歩に付き合うことにしたのだ。私には私の事情があったが、ハンスにはハンスの言い分があったらしい。散歩は特別版の趣で、既に幾つかあった経路のいずれでも無かった。気の済むまで引っ張り回されてから、私たちは礼拝堂の前に来た。


「うう、ここは」


 扉の前でウェールスが弱気に唸る。業者に追い回された記憶が蘇る場所だ。


「今日は大丈夫だろう」


 戸を開け、入りながら言う。私の足元で器用に位置取りながらハンスが続く。


「本当に」私の背中から恐る恐る顔を出して確認する。安堵のため息を吐いて、「今日はいないみたいだね」


 分かるや否や、軽い足取りで中ほどまで行き、くるりと回って周囲を見渡した。


「この前はちゃんと見れなかったから」

「彼らも常に狩る側とは限らないからね。用もない場所に来たりはしないさ」

「なんて言うか、学府も荒んでるね」

「頽廃期を退けたと言っても、勝者の振っていた旗が違っただけだ。人間性がこの場所だけ特別優れているなんてことは無いのさ」


 長椅子に腰掛けて答える。彼女は天井を仰ぎ、大きく開いた穴を眺めた。穴からは赤い夕陽が差し込んでおり、それを礼拝堂の埃が反射して光線を描いていた。向こうでは、隙間に生えた苔と、壁の穴から侵入した蔦の緑が映えている。無造作に伸びた雑草が風で擦れあう。耳を澄ますと、彼女の呼吸の綺麗な音だけがそこに加わった。私は絵画の中にいた。彼女が一度、深呼吸したのが分かった。


「昔は綺麗だったのかなあ」

「大いに昔だろうね」

「そっか」


 感慨深そうに呟く。しばらくそうしていた。ふいにこちらを見た。その時にはもう、彼女は絵でいることをやめていた。


「そう言えば、どうしてハンスはここに来たがったんだろう。思い出の場所とか」


 足元で静かに伏せている彼を見る。


「犬の気持ちは分からないが」と断った上で、「私とハンスが出会った場所なんだ」

「ここが。そうなの」

「ああ。目の前で器用に倒れて見せてね。仕方がないから背負って行ったんだ」


 約三年前、按察官を免職された直後のことだ。


「こんなに古い場所なのに新しい出会いの場なんだね」

「私が誰かと会うたびに橘さんの面倒が増える」

「君もその面倒の一つでしょ」

「まったくだ」不満げな顔で抗議する彼女に、私は笑って同意した。


 会話が止まり、声の響きが消え、礼拝堂は静まり返った。彼女が遂にその場から動き出し、私の隣にすとんと座った。


「昨日は話の途中で寝こけちゃってごめん」

「気にしなくて良い。学府に来て早々これだ。疲れもするさ」

「ありがとう。でも、話は聞いたよ」ウェールスは首元を指差して、「このチョーカー、通信装置なんだ。ビットの機能を拡張する外付けの追加パーツって言うのかな」

「そんな便利なものがあるのか」

「僕専用だけどね」少し自慢げにそう言って、ふっと穏やかな表情で続ける。「(けい)、僕は人間じゃないんだ。フーマニットなんだよ」私を見て微笑む。「君は優しいね。でも、その躊躇(ためら)いは間違ってる」


 彼女の言動からジャヌアリィがまたも全てを伝えていないことが察せられた。


「コアは君をぶつけて打倒する以外に為す術が無い。それを拒絶できるほど私は感傷的でも情熱的でもない。ただ、君をより効率的に利用しようと考えているだけだ」


 彼女は俯き、


「そっか。それなら良いんだ」


 少しの間、沈黙が流れた。それを破って、


「一つ聞きたいんだが」彼女を見つめる。

「なに」

「君はどうしてそうまでしようと思うんだ」


 私が尋ねると彼女は「うーん」としばらく考え込み、少し困ったような苦笑いで、


「正直なことを言えば、そうするものだから、かなあ。そのために造られて、行動して、今ここにいる」ぱっと顔を上げる。明るい表情で、「あ、でも。君を守りたい」

「私を」

「君だけじゃなくてマスターも。学府に来て、怖い思いもしたけど、人の魅力みたいなものを少し知れた気がする。コアを放っておけばみんな死んでしまう。だからだよ」


 最後の一言を満面の笑みで言った。それで私の方針も決まった。あるいは、()()()()()()()()()()を選び取るまたとない機会かもしれない。


「そうか。ありがとう」

「どういたしまして」


 彼女は穏やかに微笑んだ。私は一度深く息を吐いた。前を見据えて、


「この事件はもうすぐ終わる。犯人は分かった」

「えっ」

「大家美央氏だよ」

※これは架空の物語であり、実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。

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