ある日、起きたら体が縮んでいた(中編)
俺はエステリーゼが持つ手鏡のもとへ、いそいそと移動する。
全身をくまなくチェックする。思ったとおりの見た目に涙が出てきそうだ。俺が一体、何をしたというんだ。
膝を抱えて蹲っていると、エステリーゼが労るように背中を撫でてくれた。
「……エステル。今日ほど自分が情けなくなった日はない。俺が不甲斐ないばかりに、君には苦労ばかりかけてしまって……」
「元気を出して、ジュード。毎日が幸せな日ばかりとは限らないわ。たまには不運が重なる日だってあるし。明日はとんでもなくいい日かもしれないわよ」
「慰めてくれるのは嬉しいが、今日や明日でどうにかなる話とはとても思えない。先ほどから考えているが、良案が何も思い浮かばないんだ」
自分に降りかかった出来事は、あまりにも非現実的だ。なぜこんなことになったのか、まったく理解できない。だが、どんなに目を逸らしたくても、これが現実だ。
少しだけ冷静になると、このまま元通りにならないのではないか、という恐怖が心を蝕んでいく。
(もし、そうなったら彼女はどうなる? こんな小さな体では社交界に顔出しはできない。決済の書類を読むぐらいはできるだろうが、一人では実務はこなせない。……それに、このことが父上に知られたら?)
最悪の展開が容易に想像できてしまい、俺は青ざめた。
息子には甘い父上でも、筆頭公爵家の当主である。時として非情な判断を迫られることだってある。領地を治める領主として決断を下すはずだ。
(息子の心配はしてくれるだろう。だが次期公爵としての適性を尋ねられれば、首を振らざるを得ない。今の俺では跡継ぎを作ることすら難しいし、エステリーゼ本人の意思はどうあれ、ウォルトン伯がどう思うかもわからない。……い、嫌だ。エステルとの離縁だけは、何があろうとしたくない!)
彼女の夫は俺だけでいい。他の誰かに明け渡すつもりは毛頭ない。
しかしながら、貴族の婚姻は自分一人の気持ちだけではどうにもできない。婚姻は家同士の契約だ。次期公爵になれない俺では、彼女の夫にはふさわしくない。契約が果たせなくなれば、どうなるか。
公爵家のお荷物に成り下がった自分の意見など、そもそも通るはずがないのだ。領地経営はおままごとではない。領民の生活と命がかかっているのだから。
「きっと元に戻る方法があるはずよ。諦めずに一緒に探しましょう」
「エステル……」
「つらいときこそ、笑顔を忘れたらだめよ。あなたにはわたくしがいるわ。どんなときだって、ジュードを見捨てたりなんてしないから。ね?」
どっぷり絶望の影に沈んだ心に、一筋の光が差し込む。
励ますように伸ばされた彼女の手が、俺の両腕を優しく包んだ。おそらく手をつかむつもりが、小さすぎて腕ごとつかむ形になったのだろう。
けれど、彼女の優しさに心がぽかぽかと温かくなる。
「それにしても、どうして体が縮んじゃったのかしら。何か心当たりはないの?」
「……心当たりなんて……。いや、まさか……」
俺が口ごもると、エステリーゼが目で続きを促した。
「確信はないが……。昨日は午後、書斎にこもっていた。それで、懐かしい絵本を見つけたから読んでいた」
「絵本? それなら今から行ってみましょう」
エステリーゼは羽織るものを持ってくると、ベッドの上で呆気にとられていた俺を両手ですくい上げた。
「うわぁぁぁ! ちょっと待て、俺はぬいぐるみじゃないぞ!」
「もう、何を言っているの。その体で歩けるわけないじゃない。ドアの取っ手も届かないでしょ。いいから、つかまっていなさいな。絶対、落としたりしないから」
「…………」
屈辱だ。成人男性が、手のひらの上に乗せられて運ばれるなんて。
しかし、自力で他の部屋に移動できないのは純然たる事実。ここは心を無にするしかあるまい。
エステリーゼは細心の注意を払って、仏頂面の俺を書斎まで運んでくれた。
絵本が収められた箇所は、子どもの背でも届く高さに集められている。
「どの絵本? 結構、種類があるけど」
「確か、妖精が表紙の……。あの緑の絵本だ」
「わかったわ。少しここで待っていて」
エステリーゼは絵本を取って戻り、一人がけのソファに腰を下ろした。ついでに運ばれた俺を、自らの膝の上に乗せて。
(……はっ、破廉恥だ! 君には恥じらいというものがないのか!?)
バタバタと暴れた弾みで、指先が柔らかな太ももに触れてしまう。
俺は両手両足をピーンと伸ばしたまま、固まった。薄着で極寒の外に放り出され、氷漬けにされたかのように。
(くっ……!)
全力で抗議したいのに声にならない。
非常に不本意だが、震える唇からこぼれたのは「あぅ……うぁ……」という呻き声。情けなさすぎる。泣きたい。
情緒が忙しい俺の様子には気づかず、エステリーゼはぱらぱらと絵本を流し読みしている。ページがめくられるたび、巻き起こった風が俺の顔を直撃する。
「つまり、この絵本を読んだ夜に体が縮んだ、と……。おとぎ話みたいな話ね」
「…………」
「…………。ジュード、泣くほど悲しいの?」
「嬉しがる男なんていない」
「それもそうよね」
目尻に溜まった涙を、彼女の人差し指がそっと撫でるように拭う。その動きに身を委ねていると、柔らかな声が耳元で囁く。
「これって、呪われた王子はどうやって解呪したの? シリーズものみたいだけど」
「……それは……」
「愛する人の口づけとか、そういうの?」
「少し違う」
「じゃあ、なに? とりあえず試してみないと。その体で執務は無理でしょう」
逡巡する俺に、エステリーゼが労るような視線を向けてくる。
(くっ……、ここは腹を括るしかないか)
ぎゅっと目をつぶる。背に腹はかえられない。この体では、彼女を抱きしめることもできないのだ。やれることは全部やってみるべきだ。
俺はじっとエステリーゼを見上げた。
「好きな子にひたすら愛を伝えるんだ。言葉で」
「……愛」
「愛の言葉を捧げ、相手がそれを受け入れると、呪いが解ける。少なくとも、この絵本ではそうだった」
「ふうん。だったら、そんなに難しい話じゃないわね」
「……は?」
「あなたはわたくしが好き。わたくしもあなたが好き。愛の言葉を伝えて、何の問題があるというの?」
好きという単語に動揺した俺は、全身が沸き立つような衝動に駆られた。
(す、すすすす、好き、だと……? いや、夫婦なのだし、今さら驚くほうがおかしい。そんなことはわかってる。でも、エステルから好きだと言われた! これで喜ぶなというほうが無理だ)
しかし、軽々しく口に出してもよい言葉かと問われると、返答に迷う。
現に、前振りなく言われたせいで、俺の心臓はこのまま壊れるのではないかというぐらい騒いでいる。え、どっちだ……?
(いやいや、何を悩んでいる。いいに決まっている! 夫婦ならば、なんら支障がない。むしろ、夫婦なのに愛を伝えないほうが余計な亀裂を生む。伝わっているはずだと決め付けるのではなく、気持ちは言葉にして相手に伝えなければ)
そうだ。思い出せ、俺たちは夫婦なんだ。
夫婦。なんと素敵な響きだろう。恋人ではなく夫婦。何度反芻しても素晴らしい。
「ねえ、ジュード。わたくし、あなたから愛の言葉を捧げられたいわ」
「……ッ……!」
とどめの一撃に俺は蹲った。
ぶわりと毛が逆立つ。体中が熱い。なんだこれ。破壊力がすごい。
妻から、愛の言葉を求められてしまった。
こんな風にストレートに言われたことなど初めてだ。心臓の音がうるさい。鼓動の音は激しくなる一方で、このまま死ぬのではないかと頭の片隅で危惧する。
(……俺は……俺はもうだめだ。息が詰まって、言葉が何も出てこない)
とっさに両手で顔を覆う。こんな情けない姿、見られたくない。
友人のルカがいれば「いやさぁ、いい年した男が乙女みたいな反応はやめようぜ?」と忠告しただろうが、やつはこの場にはいない。それだけが救いだった。
「ちょっと、ジュード? もしかして、体調が悪いの?」
「だ、大丈夫だ」
「本当に?」
懐疑的な声がしたが、俺はゆるく首を振った。
いつまで情けない姿をさらす気だ。愛しい妻を心配させるなんて、夫としてあるまじき行為だ。
「エステル。俺の愛を言葉にして君に捧げようと思う。……聞いてくれるか?」
「ええ、もちろん」
穏やかな檸檬色の瞳は小さくなった自分の姿を映し出している。
不思議なものだな。こんな突拍子もない事態が起きても、君は柔軟に受け入れてくれ、俺の存在を否定しない。狼狽するこちらよりも、よほど肝が据わっている。
すぅっと息を吸い込み、口を開いた。
「君なくして、俺はもう生きていけない。エステルは俺にとって、なくてはならない存在なんだ。君が笑ったとき、世界が色づいた。誰かをこんなにも愛おしく思う日が来るなんて、昔は想像していなかった。……俺の心を揺さぶるのは君だけだ。もし生まれ変わっても、俺は君を選ぶ。約束しよう。今世でも来世でも、君だけを愛し抜くと」
毎日エステリーゼに愛を伝えているが、今日は特に緊張した。
俺の愛は重すぎないだろうか。毎回少し照れてしまう夫に呆れていないだろうか。もう聞き飽きたのではないだろうか。多少の不安はよぎるが、彼女の心を繋ぎ止めることができるならば、俺は何だってしよう。
精一杯の愛の言葉を君に。ひとつひとつ、想いを込めて。
「──エステル、君を心から愛している。どうかこれからも、ずっとそばにいてくれ」
最後まで視線を逸らさず、静かに見つめる。
しばらくして、花がほころぶように、ふわりとエステリーゼが笑った。
「ふふ、よくできました。わたくしも──」
彼女の声がふっと遠くなる。まるで引いていくさざ波のように。
続きが聞きたいのに、視界がすべて暗闇に飲み込まれる。
闇に閉ざされた世界で、必死に腕を伸ばす。だが何もつかめない。初めから、そこには何もなかったかのように。
(どこだ、エステリーゼ……ッ!!)
力一杯叫んだ瞬間、俺は目が覚めた。
実はこの話、湯本先生にいただいたイラストから着想を得まして。とっても可愛いイラストはあとがきに掲載していますので、よければご覧くださいませ(リンクは下にあります)。
後編もお楽しみに。







