前編
「うおおおおお! 俺と結婚してくれっ!!」
がばりと両腕を開きながら唇をタコのようにして公爵令息が宙を飛ぶ。
先には、陽の光に反射し緩く癖がかった艶やかなストロベリーブロンドに、少し垂れ目がちの神秘的なエメラルド色をした瞳とその左目下の泣きぼくろ、たおやかなたたずまいのちょこんとした男爵令嬢がいた。
その令嬢は身を縮こまらせて震え……震え、はせず身を縮こまらせてどうにも力を溜め込んでいるように見える。
と、ドバキャッ! という音がしてタコ令息は華麗に宙に弧を描いて吹っ飛んでいった。
令嬢は拳に息を吹きかけると、パーの形に開いてヒラヒラと振っている。
「寝言は、わたくしに勝ってから言ってください」
この学園のいつもの光景に、ギャラリーも事の顛末まで見届けるとさっさと各々のいく先へと足を向けた。
タコ令息にグーパンチをお見舞いしたわたくし、ことミシェルンダ=アルマリアが生まれ育ったのはここ、聖ククッタリア王国。
建国から数百年安定した治世を敷き、国民も平和を享受しているそんな国だ。
その王都にあるククッタリア王立聖メルティアン学園は、剣術、体術、領地経営、淑女教育など、成人までに修めねばならない学問を一通り勉強することのできる学び舎である。
王侯貴族の令息令嬢は十二の歳から十七まで学園で学ぶことが義務となっており、そこにわたくしも通っていた。
今は最終学年の春、いよいよあと一年足らずで成人、またそれと共に結婚して身を固める者もおり学園は少し色めきたっていて。
先程のも、その一環である。
ーーほんとは、少し違うのだけれど。
「ミシェルンダ!」
名前を呼ばれて振り返ると、一学年の頃から仲良くしてくれている奇特な友人、マリエッタ=ツツレンダ侯爵令嬢が麗かな日差しに花弁の散る中、手を振りながら近づいてきていた。
「マリエッタ、おはよう」
「また求婚されていらしたの? これで入学から何組目かしら、懲りないわねぇ殿方達も」
「いい加減に、わたくしの存在に慣れてほしいわ」
ため息をつきながら、友人の言葉に答える。
あれには少々特殊な事情がある。
言葉にしてしまえばなんだか陳腐なのだけれど、わたくしの容姿は一部の令息にとって、実に興をそそるものらしいのだ。
何が引き寄せるのかわからないが、学園に入園してからこっち、ひきもきらずに付き纏われ、狙われる襲われる攫われるのとても嫌な三拍子でワルツのような生活は成り立っていた。
そのせいで自衛するために王宮騎士団長であるお父様に教えを乞い、一学年の頃から修練を積み今、こうして日頃令息をぶっ飛ばすという少々バイオレンスな日常を送っている。
「ミシェルンダの方はすっかり慣れっこになってしまいましたわね、撃退するの」
「あんまり、慣れたくはなかったけれど、ね」
「女子としては複雑ですわよね、強くなっても良いご縁がくるわけではありませんもの」
「わたくしもう、話が通じる相手ならどなたでも、って気分よマリエッタ。まぁ、そんな辛気臭い話題はさておき、クラス分けを見に行かない?」
「そうですわね、行きましょう」
そう、今日は最終学年最初の日。
先程こそ味噌がついてしまったけれど、毎年わたくしはこの日にかけていると言っても過言ではない。
「今年こそは見知った、わたくしに慣れている人が多めのクラス分けを……!」
両手を胸の前でぐっと握り拳にしながら、マリエッタと共にクラス分けが貼り出された場所へと向かったのだった。
結果だけ言えば、惨敗だった。
人数だけならば一番知り合いが多いので文句を言う筋合いはない。
けれど今何よりも、少なくても良いから違うクラスがよかったと切実に思っている。
「君が噂の、“至宝のストロベリー“かい? 本当に愛らしいんだね。俺はロズレイル=ククッタリア、これでもこの国の王太子だよ、以後お見知りおきを」
言うなり既に自身の手にとっていたわたくしの手に素早くキスを落とすと、上目遣いに見てきたので、王子相手にもかかわらず手を叩き落としてしまう。
「王太子といえど気安く触らないでください」
手を出されたことがなかったのか、身じろぎした際に王太子殿下のキラキラしたブロンドの髪が揺れ、透明度の高いアメジストのような瞳が驚きで見開かれる。
その表情に、求婚されたわけではないのにやりすぎたかしら、とも思ったが、一人に許してしまったら後日が怖いので一貫した態度で対応せねばならず。
……そろそろストレスでハゲるかもしれない。
これまでの令息とレベルが違いすぎて、気持ちがプルプルした。
「すまなかった。魅力的過ぎて、君の輝きに吸い込まれてしまったよ。次回以降自重すると約束……約束。くっ、ごめん正直者の俺としては嘘はつけないよ。また触れてしまうかもしれないけど、気にせず拒否してもらえたら嬉しい」
思いがけず謝られた上に排除しても良いとのお墨付きをもらい、また声をかけても? と話しかけられ今度はこちらがびっくりする。
整った顔立ちはひどく真剣で。
思わず、
「求婚さえ、しないと言うならば」
と、了承してしまったのだった。
後にわたくしはそのことをひどく後悔することになる。
それからというもの、クラスメイトということもあり一日も漏らさずに殿下に声をかけられた。
「やあミシェルンダ! 今日もその腕っ節は惚れ惚れするほど筋っぽくて素敵だね」
「あ、……どうも」
さりげなく触られては手を叩き落とす。
「おはようミシェルンダ。その腹筋ってどうなってるんだい? やっぱり六つに割れているのかな」
背後からいきなりサワサワと触ってきたのでその時ばかりは、肘鉄をお見舞いした。
「セクハラです王子」
「ぐはっ。良い、肘だ。つい出来心で、すまなかった。好き」
どうも、殿下はわたくしに気があるようだった。
直接的に好きと言われてしまえば、そうじゃない、と言うのも違うと思うので。
……あっている、わよね?
けれど約束通り求婚はして来ないし、朝の挨拶さえ躱してしまえば普通に会話をし始めるので、不都合はなく。
一線をきちんと弁えている人が初めてだったので、わたくしはすっかり油断して、なんだか二人目の友人ができたようで密かに喜んでいた。
最終学年にも馴染んできた頃にグループワークの授業が始まった。
四人ずつに分かれて、各々王国のことについて調べ発表するというものだ。
わたくしは殿下と、今年初めて同じクラスになった男女一名ずつとグループになり、一緒に行動することになった。
……そうそう都合良くいく訳がないので、殿下は一緒のグループになる為に何がしか裏で手を回したようだ。
正直、殿下の風上にも置けないと個人的には思うけれど、為政者という角度から見ればそれもありなのかもしれないな、とその有能さには舌を巻いた。
机を移動させて島を作り、初めましてということもあってそれぞれ自己紹介をする。
「じゃあ俺から始めさせてもらおうか。ダリル=ガマランテ、公爵家の者だ。ミシェルンダ嬢を愛している」
ああ、まただと思いながらそのまま引き継いでわたくしも自己紹介をする。
こういった事は間髪入れずに対応する方がいいとこの六年で学んでいた。
「ミシェルンダ=アルマリアです。男爵家の者ですがガマランテ様とは一切の関係が無くかなり迷惑です」
「え、えっと? その、リリアージュ=スルシャルです。侯爵家の者で、婚約者がおります?」
ガマランテ様が奇怪な自己紹介をするので、気の毒にスルシャル様が雰囲気を読んで自身の自己紹介をそろえて言い。
「ロズレイル=ククッタリアだよ。この国の王太子だけれど、学園のルールに則って、生徒の間は気やすく接してもらえると嬉しい。あと、ミシェルンダが大好きだ」
と、彼がなぜか照れながら勝手な告白をする事態になり、不意をつかれたわたしが顔を真っ赤にしながら王太子殿下を吹っ飛ばすという珍事が起きた。
最終学年くらい、平穏な日常が欲しかった……。
この先を思うと頭が痛く感じ、眉間に皺がよるのがわかって人差し指で眉毛の間を擦る。
ちらりとスルシャル様を見やると、少しの困惑と好奇心が見てとれ、彼女とは悪い関係にはならなさそうなのだけが救いだな、と思った。
それからの日々は、なかなかに穏やかだった。
グループワークのテーマも建国記の時代ごとの遍歴と語り継がれる物語、に決まり、準備も順調に進んでいる。
「それならこの文献が必要ではないかな?」
「ロズレイル殿下、なかなか冴えていますね。それならこちらも端折りながら盛り込むと奥行きが出るかもしれません」
「なら、これはどうだ? 要点が纏まっていて活用できると思うが。それにしても今日も壮麗でまるで女神のようだ、結婚しよう」
「しませんお断りします」
ガマランテ様が安定の世迷いごとをおっしゃるのですぐさま一刀両断し。
間髪入れずになぜか殿下が口を開き、
「ガマランテ卿、ミシェルンダはなんと言ってもその心根の高潔さが素敵なんだよ? 令息をちぎっては投げちぎっては投げするのに、どれほどの行動をしたのか。計り知れないけれど、その直向きさが姿形となっているから尊い……と俺は思う」
熱弁を振るう。
その、容姿ではなくまるでわたくしのこれまでの努力を認めてくれるような物言いに、思わず心が震えた。
気恥ずかしくなってスルーしたけれど。
ちょうどその時良いタイミングでスルシャル様が気になる事を言った。
「あら、こちらの文献にちょっと気になるものが載っていますわ、皆さんちょっと目を通していただけませんか?」
「スルシャル様よく見つけて来られましたね、これは盲点だったかもしれません。ここを読み解けば面白くなりそうですよ」
「スルシャル嬢の見つけてきた文献を、早速見てみようか。あと補足的に、こちらにも目を通すといいかもしれないね」
「そうだな」
こうして約一名程おかしなことを言う人はいるが、概ね学習についてのコミュニケーションがちゃんと取れるので、問題なくグループワークは進んでいる。
それ以外については、陰で二、三名ストーキングしてくるものの流石に殿下の意中の相手に横恋慕する猛者は少ないらしく、表立って求婚する人も減っていて。
それだけでもわたくしにはほっとできる事だった。
何せ、多い時で五人は背後に張り付いていたのだ……トイレにまでついて来られているように感じたので、あの時ばかりはマリエッタに入り口を見張ってもらって、思えば友人にはだいぶ苦労をかけたな、と思う。
平穏をもう少しばかり甘受したい。
そんな思いは、すぐに打ち砕かれたのだけれど。
「あの、アルマリア様」
「はい。あ、ミシェルンダで良いですよ、クラスメイトですし。なんでしょうスルシャル様」
「えっと、じゃあ私もリリアージュで。その……前から、お聞きしたかったんですけど、王子殿下には婚約者の方がいらっしゃったと思うのですが、それがミシェルンダ様、ですか?」
「婚約者の、方ですか? …………少なくとも、わたくしではないですね」
うん、全くもって違う。
というか婚約者がいるのにわたくしに告白していたとか、ギルティものだわ。
約束の相手がいた方が都合がいいというのに、なぜだかわたくしの脳裏にはそんな言葉が浮かんだ。
スルシャル様に言われ、周りの話に初めて耳をそば立てると、確かに殿下には婚約者がいるらしかった。
噂では、婚約者とわたくしに二股をかけているのではとまことしやかに囁かれていて。
その御令嬢は、ティアローズ=ウィンダルデ公爵令嬢というらしい。
長く伸ばしたまっすぐのプラチナブロンドに、少しだけつり目がちな瞳は澄んだ湖のような色をしており、奥深い森のように清廉な様は殿下によくお似合いだそうだ。
なんだって、そんな方がいるのにわたくしに声をかけたのだろう。
という言葉が頭に浮かぶくらいには、思いの外ショックを受けて。
しかもそんな時に、たまたまマリエッタと行った食堂でお二人の仲睦まじい姿を見てしまった。
気安そうに、照れながら受け答えをしているのだろう殿下がいて。
その彼にウィンダルデ様は頬を膨らませながら何事か話しかけている。
見たくなくて、メニューを選んで食事を受け取ると、絶対に視界に映らないだろう場所をとってご飯をかき込み、食べ終わるや否やマリエッタを連れて逃げるようにその場を去ってしまった。
釘を刺すにとてもいいタイミングだったのに。
「ミシェルンダ、あなた顔が真っ青よ?」
「大丈夫よマリエッタ。わたくしは大丈夫」
この身勝手な考えを知られたくなくて、わたくしは親友とも呼べる相手に初めて嘘をついた。
それからは、グループワーク以外には極力殿下に会わないようにした。
撒いても撒いてもなぜかくっついてくるので苦労はしたけれど、一時よりは付き纏われる頻度は減っている。
願ってもみなかったことなのに、その事がわたくしの気持ちを予想よりもずっとぐちゃぐちゃにした。
付き纏われたくない。
もっと側にいて欲しい。
自分のことながら随分と勝手な事だ、と呆れてしまった。
落ち込んでいてもストーキングされるのは変わらない。
むしろ殿下がそばにいなくなった分、また四、五人に増え、求婚及び拐かそうとする令息も増えていた。
ドキャッ! バキッ! ドスッ!
月一ある終業後の教室掃除でゴミ当番に決まり、ゴミの入った袋を捨てにきた焼却炉の前で襲ってきた令息を三撃で仕留める。
パンパンと両手を上下にずらしながら打ち合わせ払うと、ふぅーとため息をつく。
気落ちの分なのか一人につき一撃では沈める事ができなくなっていた。
それが数日続くと、流石のわたくしも疲れてくる。
今日はもうやめて欲しいわ、既に二人目なのだし……。
そんなことを思ってしまっていたからか、背後から迫り来る相手に気づく事ができなかった。
「ミシェルンダ」
ぞわり
と背中に気味の悪い鳥肌が立つ。
それと同時に後ろから羽交い締めにされ身動きが取れなくなった。