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四文屋姉妹  作者: 五十鈴 りく


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〈四十二〉

 帰り道、りんと二人で運ぶ屋台のからからという音が心地よかった。まず、何から話そうかと考えていると、りんの方が先に切り出した。


「ねえ、おじゅん。今日は少し遠回りして帰りましょう」

「うん、いいわよ」


 じゅんは振り返ってうなずいた。りんと歩きながら話したいとじゅんも思った。けれど、りんが口にしたのは、じゅんが思っていたこととは別であった。


「実は、おじゅんに内緒にしていることがひとつだけあって――」

「へっ?」


 思わず足を止めると、りんは屋台の陰に隠れるようにして肩をすぼめた。


「黙っているのは心苦しかったんだけれど、口止めされていたの。ごめんなさい」

「え、なんなの?」


 すると、りんはぽつりと言った。


「近頃、平太郎さんを見ないでしょう?」


 その名が出て、ぎくりとしたのはじゅんの方だ。平太郎とは初夏に口喧嘩をしてそれっきりだ。

 仲直りができていないことをりんに言えなかった。どうして言えないのかがわからなかった。姉妹の間には隠し事はなかったのに。


「――あたしの顔を見たくないんだと思うわ」


 ぽそ、と呟いた声が自分でも驚くほどに情けなかった。ああ、りんに言えなかったのは、認めたくなかったからかと、この時にようやく思えた。口に出して確かめたくなかったのだ。


 すると、りんは屋台の後ろから、立ち止まったままのじゅんの隣へ回り込む。


「そうじゃないのよ。おじゅんがそうやって思い込むから、私はちゃんと話したかったんだけれど、平太郎さんが言っちゃ駄目だって言うから黙ってたの。でも、もうそろそろいいでしょう。今から平太郎さんに会いに行きましょうね」


 そう言って、りんはにこりと微笑む。しかし、じゅんは怖気づいた。


「駄目よ。平太郎はあたしに会いたくないと思ってるんでしょ?」

「遠くから見守るだけならどう?」


 見守るというのはなんなのか。首を捻るじゅんの肩をぽん、と柔らかく叩き、りんは再び屋台を押し始める。


 二人がいつも使う道を逸れ、平太郎の家である『白砂屋しらさごや』の通りに差しかかる。大店というほどではないが、奉公人を雇っているのだから、小さいというほどでもない。商いはそれなりに繁盛しているのではないだろうか。


 紺暖簾がかけられており、その暖簾の下を潜って客が出てきた。中年増の女で、木綿一反を手にしずしずと帰っていく。


 その客を、奉公人たちが頭を低く下げて通りまで見送る。躾が行き届いているようで、皆、客が遠く離れるまでそうしていた。やっと顔を上げた奉公人たちが店に戻るために振り返った時、近づいてきていたじゅんと屋号を染め抜いた前垂れをした若者と目が合った。


 年恰好からして手代だろうと思っていた。きょとんとしたじゅんに、その若者、平太郎は顔を引きつらせる。


「お、おじゅん」


「平太郎?」


 訊ね返すふうになってしまったのは、平太郎の身なりが整いすぎていたからだ。いつもはもっと襟も開いて、髷も気取ってわざと乱していた。それが今は、きっちりと隙なく奉公人たちと同じ仕着せを着こなしている。


 よく似た兄か弟でもいたのかと思ってしまうほど、じゅんが知る平太郎とは違う。

 奉公人たちはそろりと店の中に戻った。顔が少し笑っていたのが気になる。


「ごめんなさいね、平太郎さん。そろそろいいかしらと思って」


 フフ、とりんが後ろから声をかけた。

 平太郎はりんには強いことを言わない。


「いや、まだ――」


 まだ、なんなのか。何故、そんなに気まずそうに顔を赤くするのか。

 今の平太郎は、どこから見ても立派な若旦那である。以前の放蕩は一体何だったのかと思うほど、影も形もなくなって見えた。


「家を継ぐ気になったのね?」


 じゅんが控えめに言うと、平太郎はじゅんの方を向かないまま、ぼそぼそと答える。


「別に、家を継がないつもりでいたわけじゃねぇ。いつかは継ぐ気でいたから、そろそろと思っただけだ」


 本腰を入れて商いを覚え始めた。だから、ふらふらしていることがなくなり、顔を見なくなった。そういうことなのか。


 しかし、それを皆に口止めしてまでじゅんには知られたくなかったらしい。じゅんが知ったら、あの平太郎がと嗤うとでも思ったのか。


 なんと言っていいのかわからず、気持ちの整理もつかないままのじゅんをすり抜け、りんがいきなり口を開く。


「平太郎さん、おじゅんがお嫁に行くって言うのよ」


 その話は一旦預けたはずなのに、りんは何を思ってか平太郎に言った。平太郎は、はぁあ、と素っ頓狂な声を上げた。


 こんなの、貰い手があるのかとでもいいたいのだろう。しかし、じゅんは今日、感情が擦りきれていて、これ以上怒る気にもなれなかった。


「どこへ? 誰のっ?」


 平太郎の顔が引きつって見えた。そこまでびっくりされるのも癪だが。


「小間物屋の――って、いいのよ、やっぱりこの話はちょっと置いておくことにしたから」


 ふぅ、とため息交じりに答えると、平太郎から力が抜けたように見えた。


「嫁に行くのをやめたってことか?」

「うん、当分は」

「当分って――」


 そんな二人のやり取りを、りんが妙に笑顔で見守っていた。その笑顔に気づくと、平太郎は気まずそうにりんから顔を背ける。

 そんな平太郎をじっと見て、じゅんは呟く。


「ねえ、怒ってたんじゃないの?」

「何が?」

「あたしがふらふらしてばっかりのくせに偉そうなこと言うなとか言ったから、怒っているんだってずっと思っていたわ」


 心の隅にそれが引っかかっていた。しかし、今日の平太郎の態度は以前と変わりない。

 それを嬉しいと思った。中身は平太郎なのに、今日初めて会った知らない人のようですらあるのは、恰好のせいかもしれない。そうでなければ、こんなに胸が騒ぐ理由がわからない。


 平太郎は、はぁ、と嘆息して目元を押えた。


「怒ってねぇよ。俺がふらふらしてるからお前に何を言っても響かねぇって言うなら、ふらふらすんのをやめるしかねぇだろ。そうじゃなきゃ、言えねぇことだってあるんだ」

「ふぅん」


 真面目な平太郎なんておかしいと言ったら怒るかもしれないが、少なくとも祖父の大家は喜んでいそうだ。


「大丈夫よ。平太郎さんはもともと、なんにだって真剣に取り組むもの。遊ぶ時も思いっきり、学ぶ時もそう」


 りんがそんなことを言う。庇っているつもりなのだろう。それに対し、平太郎が焦った。


「い、いや、だって、富吉おじさんが、男は若いうちに遊んでおかねぇとつまらねぇやつにしかなれねぇぞって。だから俺は――」

「おとっつぁんがそんなこと言ったの? そんなの、おとっつぁんみたいになっちゃうだけじゃない」

「富吉おじさんみてぇになりたかったからいいんだよ」


 大事な孫があんなふうに育ったら大家が泣くだろうに。つまらないとか、面白いとか、平太郎の目指すところがよくわからない。


「ふぅん」


 相槌を打つと、りんが何気なく言った。


「娘は父親に似た人を選ぶって言うわよね?」

「お、おりん姉ちゃんっ」


 平太郎が急に大きな声を出した。慌てたふうに見えたけれど、りんは平太郎が慌てるようなことを言っただろうか。


「そんなことないわよ。姉さん、おとっつぁんに似た人なんて選んでないじゃない」


 徳次と富吉はまるで似ていない。似ているところを探そうとしたら、『と』の字から始まる名前くらいのものだ。


 この時、りんと平太郎は無言だった。何故か、黙る。

 急にりんは平太郎の袖を引き、二人して後ろを向くとぼそぼそと喋った。何やら二人が仲良く見えて面白くない。


「姉さん、そろそろ行きましょうよ」


 と、割り込む。


 すると、りんと内緒話をしていた平太郎が改めてじゅんの方に向き直った。顔を見上げると、首がつかれる。本当に、背ばかり伸びたものだ。昔はもっと可愛かったのに。

 平太郎は一度口を強く結ぶと、それから言った。


「嫁には行くな」

「え?」

「もう少し待て」


 眉間に皺が刻まれていて、難しい顔をしている。どうしてそんな顔をするのかな、とじゅんは考えた。しかし、今、その答えを出してしまってはいけないような気もしたのだ。

 ただ、ほんのりと胸の奥があたたかいような不思議な感じがした。それが嫌ではなかった。


「うん、まだ行かない」


 それだけを答えると、今は心のままに微笑んだ。


「だって、今は姉さんといたいもの」


 りんは口元を押さえ、ちらりと平太郎を見たけれど、平太郎は眉間に皺を刻んだまま、へぇ、と呟いた。妙に低い声だった。


 けれど、まあいい。平太郎と仲違いしていたわけではないとわかってほっとしたのも本当なのだ。腐れ縁でも、じゅんが一番親しい友人は平太郎なのだから。


「じゃあね、平太郎。しっかりね」

「偉そうに言うな」


 可愛げのないことを言い返してくる。じゅんはくすくすと笑ってりんと白砂屋を後にした。

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