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四文屋姉妹  作者: 五十鈴 りく


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30/43

〈三十〉

 気づけば処暑(八月八日頃)を過ぎ、秋の気配が漂い出す。


 朝晩にはほんのりと寒さも感じるのだ。じゅんは広小路に立ちながら、冬になったらつらいなと思った。今はまだいいけれど、雪が降ったら屋台も思うようには引けない。じっと立っていると風邪をひきそうだ。


 しかし、それはその時に考えればいいかと思う。温石でも懐に忍ばせておこう。


「やあ、おじゅんちゃん。豆腐田楽を買いに来たよ」


 そう言って現れたのはまたしても郁太郎だ。今となってはすっかり常連である。出会いのせいもあって素のじゅんがそのまま出てしまい、客なのについ馴れ馴れしくしてしまう。


「いらっしゃい、郁太郎さん。はい、どうぞ」


 じゅんは豆腐田楽を一本差し出す。郁太郎は四文をじゅんに手渡すと、田楽をじっと見た。じゅんはそんな郁太郎の様子を気にしつつ、田楽を口に運ぶのを眺めた。じゅんはすぐに顔に出てしまうから、なるべく気をつけて見守ったつもりだ。

 郁太郎は田楽をひと口、品よく口に運ぶと、呑み込んでからすぐに言った。


「田楽味噌を変えたね?」


 やはり、郁太郎の舌は確かだ。じゅんは耐えきれずに笑ってしまった。


「さすが郁太郎さん。そうよ、姉さんが秋に向けて味つけを変えるって。見た目はそんなに違わないのに」


 もともと、郁太郎は唐辛子をあまり好まず、味噌だけで食べる方が好きなのだ。それで、この味噌は桜味噌だとか、そんなことまで言い当てる。育ちがいいから、舌が肥えているのだろう。


「どう? 姉さんもお客様がどう感じるのか知りたがっているの」


 すると、郁太郎はにこりと穏やかに笑った。


「うん、優しい味だね。塩気より甘みが勝っていて、でもくどくないし、いい塩梅だ」


 りんが苦心して仕上げた田楽味噌だ。そう言ってもらえて嬉しい。

 きっと、それが顔に出ていた。じゅんの笑顔と勢いに郁太郎は気圧されたように見える。


「でしょう? あたしもそう思っていたの」


 帰ったらりんに教えてあげなくては。きっと喜ぶ。じゅんがにやにやしていたせいか、郁太郎も笑った。


「おじゅんちゃんは本当に姉さんが好きだね」

「ええ、もちろん。だって、姉さんだもの」


 郁太郎はよく来るが、りんと顔を合わせたことがない。二人がここへ来る頃合いが合わないのだ。しかし、それでいいとも思う。郁太郎がりんを見初めたら困る。


「そのうち会いたいな」


 と、そんなことを言う。油断も隙もない。


「また会うこともあるんじゃない?」


 はぐらかして躱すが、会わせたくないじゅんであった。



     ◇



 秋になり、花咲饅頭の上に載る花の色は橙色になった。葉の色は深い緑と茶色を組み合わせてある。色味だけで秋らしいと感じるものだ。

 ついでに、饅頭の皮がうっすらとした黄色になった。りんによると、


「白より花の色が映えるから」


 とのことである。

 秋といえば、芋が美味しい季節だ。きっと、次に品を変える時には芋を使った品が出てくる。じゅんも楽しみだ。


「姉さん、大家さんのところに行ってくるわ」

「ええ、お願いね」


 広小路から帰ってきたじゅんは、その足で大家のところへ店賃を払いに行くのだった。この時、売れ残った花咲饅頭をふたつ添えて渡すつもりだった。

 大家の家の前で、じゅんは呼びかけた。


「大家さん、店賃を持ってきたわ」


 すると、大家は年のわりには素早い動きで戸を開けてくれた。にこにこと上機嫌である。今にも鼻歌を歌いそうなほどには楽しげに見えた。


「ああ、よく来たね。お入り」


 大家に促され、じゅんは大家の家の上がり框に腰かけ、握っていた銭をそこに広げる。


「今月の店賃と、少し余分。それと、売れ残りで悪いけど、お饅頭も食べて」


 余分というのは、富吉が払いきれずに貯めていた店賃をこうして少しずつ返しているのだ。大家はゆとりのある時だけ多めに払ってくれればいいという気の長いことを言ってくれていた。

 大家は、ひいふうみい、と四文銭ばかりで持ってきた店賃を数えていく。


「うん、確かに。ありがとうよ。饅頭も頂くよ」


 本当に、機嫌がいい。声が弾むようだ。

 何があったのかは知らないが、楽しそうで何よりだ。以前は平太郎をどうにかしなければとやきもきしてばかりだったのに。


「大家さん、何かいいことがあったの?」


 思わず訊いてしまった。そうしたら、大家はぶんぶんとかぶりを振った。


「い、いいこと? こんな老いさらばえていいことなんざありゃしないよ。いきなり何を言うんだい?」

「そうかしら? とっても嬉しそうだけど」

「それは、その、このところ、店賃がちゃんと集まるし、厄介事もないし、心労が減ってるからかねぇ」


 主に店賃を溜めていたのは富吉ということかもしれない。ついでに言うなら、厄介事を起こしていたのも富吉かもしれない。

 そうでないとしたら、後は――。


「大家さんの心労って、ほとんどが平太郎だと思っていたわ」


 それを言うと、大家は弛んだ頬を引きつらせた。


「い、いや、平太郎は――」

「最近見ないわ。ひと月どころじゃないくらい、見ていないけど、どうしてるの?」

「どうということもないが、まあ、忙しくしているようだよ」


 忙しい平太郎というのが、そもそもよくわからない。あちこちふらふらするのに忙しいということだろうか。


 平太郎がこの長屋に来ないのはわざとだ。そうでなければ、こんなにも来ない理由がわからない。大家もそこのところの事情はわかっていて隠そうとしている気がした。


「じゃあ、大家さん。あたし帰るわね」

「おじゅん、いつもありがとうよ」


 大家が何か言いたげに目を向けるけれど、それを言うことはなかった。じゅんも訊かない。

 腐っても幼馴染だ。邪険に扱っていたくせにと言われるかもしれないが、嫌われたとあっては寂しい。


 りんのように、あたたかな春風のようにさりげなく包み込める優しさがあれば、誰にだって好かれるのに。じゅんは、真夏のぎらぎらとしたお天道様の光ほどには鬱陶しい時があるのだ。自分でもそんなことはよくわかっている。


「おじゅん、どうしたの?」


 家に帰るなりりんに言われた。


「ううん、おなかが空いたなって」


 そんなことを言ったけれど、ごまかせてはいなかったかもしれない。


「そう。じゃあ、夕餉にしましょう」


 変だと思っても、それを口にしない。やはり、りんの優しさは心地よかった。

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