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四文屋姉妹  作者: 五十鈴 りく


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〈二十一〉

 そんなことがありつつも休みを取り、姉妹は翌日からまた働き始める。三日ほど経っても平太郎は姿を見せなかった。それなりに怒っているのだろう。


 しかし、こちらから出向く暇はない。じゅんはいつもここに立っていなくてはならないのだ。またそのうちに会うかと、じゅんは気にしつつも見世に立つのだった。



 ある日、広小路に立つじゅんの前に、見世先に湯屋の売り子、絹がやってきた。正面から顔を合わせたのは初めてかもしれない。垂れ目を精一杯怒らせ、厚ぼったい唇を結んでじゅんを睨みつける。


「あ、湯屋の――」


 じゅんが口を開くと、絹はいきなりじゅんの頬を張った。目から火花が飛び散るほどには痛かった。


「全部あんたのせいよっ」

「はぁ?」


 意味がわからず、じゅんは痛む頬を押えて呆けた。しかし、絹は目にいっぱい涙を溜めて背を向けた。足早に立ち去ろうとする絹を追いかけてお返しに一発見舞いたい気持ちをグッと抑えたじゅんは、自分で自分を褒めてやりたかった。


 今は人目がある。富屋の看板として、じゅんが怒りに任せて怒鳴り散らすわけにはいかないのだ。通りすがりの人々が何事かと目を向けるので、じゅんは笑顔で躱した。

 隣の勘助が目を白黒させながら小声で言う。


「おじゅんちゃん、今のはなんだってんだ? あれか、あの娘のいい人がおじゅんちゃんに岡惚れしたとか、そういうこったな?」

「何よそれ、勝手に話を作らないの。そういうんじゃないんだけど、あの娘にはもともと好かれてなくて。でも、あたしのせいって何かしらね?」

「だから、岡惚れ――」

「違うってばっ」


 まだ頬がじんじんと痛む。家に帰るまでには腫れが引いてくれないと困る。りんを心配させたくない。

 今日、湯屋に行ったら作造に何があったのか訊ねよう。それで絹が言ったわけがわかるかもしれない。



 ――じゅんのせいというのは、結局のところとんだ言いがかりであった。


「お絹は気ままで、来ねぇ日が多すぎて使いづれぇしよ、辞めさせたんだ。口入れで次を探したからな、今度のはまあ、ちっとばかしはましだろ」


 と、作造が苦りきった顔でこっそりと教えてくれた。辞めさせられたことが、絹にとってはじゅんのせいであるらしかった。じゅんが手伝うから、絹は自分の仕事を奪われたのだと勘違いしたのか。それは違うのに。


「そうなの。それなら、仕方がないわよね」


 可哀想とは言えない。続けたかったのなら、もっとしっかりと働くべきだったのだ。そこに至るまでに注意もされただろうし、それで改めなかったのは絹自身のせいでしかない。

 本当に、とんだとばっちりだとじゅんは嘆息した。


「どうしたの、おじゅん?」


 りんには余計な心配はかけたくない。いちいち言うほどのことではないと思えた。

 それからもう、じゅんは湯屋の売り子を手伝うことはなかった。じゅんには向いていない場であることは十分にわかったし、平太郎に言われたことも少しばかりは響いていたのだ。



 しかし、平凡な毎日が過ぎていく中、今までと違うと思い始めたのはいつからだっただろう。


「今日もこんなに残ったの――」


 屋台の台の上を見下ろし、じゅんは愕然と呟いた。勘助が困惑しつつそれを受け止める。


「まあ、そんな日もあらぁな。近頃はちっと蒸し暑かったしな。梅雨になるともっと売れなくなるぜ?」


 じゅんも最初はそう思った。しかし、本当に季節柄のせいなのだろうかとも思えた。


「商いには季節柄上手くいかないところがあるとは思うわ。でも、勘助さんの天麩羅は売れているもの。人通りが少ないわけでもないし――」


 おかしいと思うのは、売れ残りだけを見てのことではない。なんとなく、通りかかる人たちの目が以前よりも厳しいような気がするのだ。いつもなら、買わずともじゅんが挨拶すれば返してくれるし、もっと優しく見守ってくれていた。


 それが、人々の目から親しみが薄れたような、そんな気がしてしまう。

 品物が売れないから、じゅんがそんなふうにいじけて感じてしまうだけなのだろうか。何か、この広小路で富屋が場違いなような気分になってしまう。風に揺れる幟が申し訳なさそうに捩れた。


「今日はもう帰るわ」


 じゅんはすっかり消沈して呟いた。勘助は天麩羅を揚げながら、おお、と返す。ただ、元気のないじゅんを気にしていた。


 帰り道、重たい屋台を引きながら考えた。

 どうして売れなかったのだろう、と。


 いつだって、りんは手を抜かない。丁寧に品物を仕上げてくれる。どの品も四文で贖えるのなら安いくらいだ。評判も上々だった。

 それなのに、どうして急に売れなくなったのだろう。理由が少しもわからない。


 飽きられるには早すぎる。他にいい見世ができて、富屋は見向きもされなくなったのかとも考えられる。その場合、どうしたらいいのだろう。

 帰りたくないとじゅんは思った。こんなに売り残して、りんがどんな思いをすることか。


 しかし、あのまま広小路にいても売れる気がしなかった。それどころか、冷たい目がじゅんの肌をちくちくと刺すようだった。今まで感じたことのない居心地の悪さだった。

 帰りたくないけれど、帰らないわけには行かない。じゅんは引きずるような足取りで長屋に帰った。



「おかえりなさい」


 売れ行きが鈍ったと気づいたりんは、作る量を抑えていた。それですら売り残したのだ。りんはじゅんの顔を見ただけですぐに察しただろう。それでも、余計なことを言わずに微笑んでいた。


「姉さん、あのね――」


 何を言おうとしたのか、じゅん自身にもよくわからなかった。その先が出てこない。

 りんはじゅんの肩を撫で、家に入れる。


「また色々と工夫してみましょう。明日は私も一緒に売るわ」


 作る量が減っているのだ。りんが見世に立つのも難しいことではない。けれど、今の見世は楽しくない。りんが立ってもつらい思いをさせるだけかもしれない。


 いくら声を張り上げても、人は通りすぎていくばかりで足を止めてくれない。じゅんが目を向けただけで露骨に嫌な顔をする。りんにはこれ以上、悲しい思いはさせたくなかった。それくらいなら、じゅんが一人で耐えた方がいい。そうしていれば、いつかはまた客足が戻ると信じるしかなかった。


「ううん、明日もあたしだけでいいわ。もう少しこのまま様子を見てみましょう」


 じゅんが言うと、りんはいかにも心配そうな目をした。

 売れないのに作り続ければ、元手の支払いがかさんでしまう。それでは見世を続けていくことができない。蓄えが尽きる前にこのどん詰まりから抜け出さなくては。


 富屋を始めてから、わりと順調だった。それが長く続かないのだと身をもって知らされるには早すぎる。売れ行きに波があるにしろ、あまりに極端だ。

 商売の恐ろしさを改めて嚙み締めた姉妹だった。やはり、富吉の商才のなさを姉妹は受け継いでいたのだろうか。

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