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四文屋姉妹  作者: 五十鈴 りく


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〈十七〉

 屋台がいつもの広小路に着くと、少し来なかっただけなのに、りんは妙に懐かしいような顔をしていた。天麩羅屋の勘助もまた大袈裟だ。


「おりんちゃん、おじゅんちゃん、昨日はどうしたってんだ? 来ねぇから心配したんだぜ?」

「うん、少しね。今日からはまたいつも通りだから、よろしく」

「それならいいんだ。いつも来る親子が残念そうだったぜ?」


 それは花咲饅頭を喜んで買ってくれている母娘だろう。それを聞くと、じゅんも申し訳ない気持ちになった。


「そうなの? せっかく来てくれたのに、悪かったわね」


 りんもうなずく。


「ええ。今日もまた来てくださるかしら」


 自分が倒れたりしたからだと考えているのがわかるから、じゅんは力強く言った。


「来てくれたらいいわね。きっと、また来てくれるわよ」


 それはわからない。その日欲しかったものが次の日にまた欲しいかどうか、確かなことはわからないのに、そうであったらいいという願いだけで口にした。


 りんは自分のためにじゅんがこれを口にしていることもわかっているのだろう。だからそっと微笑んだ。


「そうね。じゃあ、私は戻るわ」

「うん、後は任せてっ」


 胸を反らせて請け負うじゅんだった。りんは勘助に頭を下げてから帰った。

 そうしていると、しばらくして源六親分の手下、弥助やすけ彦松ひこまつがやってきた。


「おっ、おじゅん、昨日はどうしたんでぇ?」


 場所代を払わずにここで商いをしてしまった後、絡んできたうちの二人である。あの時はひたすらに怖かったが、穏便に事が運んでからは凄んだりしない。たまに小腹が空いたからと客になってくれることもあるくらいだ。


 この二人は親分の手下の中では年若く、下っ端であるのも今になってわかった。そのせいか、喋り方もお互いに随分砕けてきた。


「あら、心配かけてごめんなさい。姉さんの具合が悪くって、昨日はお休みしたの」


 すると、二人は顔を見合わせた。


「ああ、おりんちゃんはか弱そうだ。けどよ、そういう娘が親分とサシで話をつけたんだから、芯は強ぇ。ありゃあいい娘だ。親分も目をかけてて、しっかり守れって言うくれぇだからな」


 自慢の姉だから、そんなふうに言われたら嬉しい。ただし――。


「その妹にしちゃ、おじゅんはがさつだな。なんかこう、何かにつけて違うんだよなぁ」


 弥助がしみじみと言った。しみじみと言うことではない。


「そうそう、黙ってりゃそれなりなのに、なんかこう、なぁ」


 二人してうんうん、とうなずいている。腹立たしい限りだ。


「ちょっと、朝っぱらからなんなのよ。喧嘩を売りに来たの? 邪魔しに来たの?」


 ムッと膨れるじゅんを前に、弥助と彦松は笑った。背格好も似ているが、どことなく雰囲気も似た二人だ。


「そういうところがおじゅんだよなぁ」


 などと言いながら去っていく。去り際に、ぽいぽい、と四文銭を二枚――八文を台の上に置いて、豆腐田楽を二本かっさらった。素直に買ってくれたらいいのに。


 それから、続けてきてくれたのは何度か見た二本差しの客だった。田楽をよく買ってくれる。こうした屋台で買うくらいだから、浪人だろう。武士は屋台見世の品など町人が買い求めるものだと、買うのを恥じるものらしい。

 美味しいものを買うのに邪魔になる矜持なんて面倒だと、町人のじゅんは思うのだが。


「田楽ひと串ですか?」


 何度も買ってくれているからいつも通りかと、じゅんはにこやかに声をかけた。


「ああ」


 短く返された。徳次以上に無口かもしれない。年の頃は三十路ほどで無精髭が目立ち、暮らし向きもそう豊かではなさそうだが、富屋の田楽がそんな毎日の彩になっていれば嬉しい。


 浪人は四文を台の上に置いた。いつも置く場所は同じだ。置き方にも癖があり、碁石のようにぱちん、と音を立てる。


「はいどうぞ」


 じゅんが田楽を差し出すと、その浪人はぼそりと言った。


「明日もやっておるか?」


 今までそれを訊ねられたことはない。もしかすると、昨日来てくれて、富屋が商いをしていなくてがっかりしたのかもしれない。


 昨日来てくれていたのなら詫びようかと思ったが、この男はそうした詫びを求めてはいないような気がした。だから、じゅんは笑顔で言った。


「はい、明日も。今後、決まった日にお休みを頂くかもしれませんが、前もってお知らせしますね。いつもありがとうございます」


 浪人は、うむ、と微かに答えると、田楽を頬張りながら遠ざかる。

 その後も、何度か、昨日はどうしたんだと客に訊ねられた。たった一日のことだけれど、この広小路を通り抜ける人々に、思いのほかこの富屋は気に留めてもらえていたのだとじゅんは実感した。


「おじゅんちゃんの声が聞けなくて寂しかったぜ」


 などと言ってくれる客もいた。


「この花咲饅頭、他所じゃ買えないもの。お師匠さんの手土産に丁度いいのよ」


 他所では買えないと、特別な値打ちを見出してくれている。じゅんは嬉しくて、胸の奥がふわふわとしていた。

 一日休んだことで、むしろ色々なことに気づかされた。


 富屋の品を楽しみにしてくれている客がこんなにもいたのかと、改めて感じたのだ。何気なく通り過ぎ、物のついでに買ってくれているばかりではない。わざわざここを目がけてきて買ってくれる客もいる。それがどんなにありがたいことなのかが身に沁みるのだ。


「あーっ、おっかさん、いるよっ。今日はちゃあんといるっ」


 遠くから女の子の甲高い声がした。振り向くと、いつも花咲饅頭を買いに来てくれる母娘おやこだった。


「あっ、昨日も来てくださったそうで、すみませんでしたっ」


 じゅんが勢いよく頭を下げると、若い母親は口元に手を当てて笑った。


「昨日は残念だったけど、今日はいてくれてほっとしたわ。うちの子がおやつはここのお饅頭がいいって言うの」

「だって、食べるのが勿体ないくらい綺麗だし、食べると美味しいんだもん」


 えへへ、と女の子が笑う。その笑顔に、じゅんも笑って返した。


「ありがとう。嬉しいわ」


 りんにも伝えてあげよう。きっと喜ぶ。

 母娘は花咲饅頭を三つ買い、女の子は大きく手を振りながら去った。

 そんな様子を横で見ていた勘助は、へへっと軽く声に出して笑った。


「よかったなぁ。短い間でいっぱい客がついたじゃねぇか」

「うん。ありがたいことだわ」


 襟元をぎゅっと押さえてみたのは、胸が落ち着かなかったからだ。

 最初は不安だらけで、源六親分たちが来た時には、見世を出したことを後悔した。しかし、こうして楽しみに通ってくれる客と触れ合うと、始めてよかったと思える。

 続けていくにはまだまだこれから困難もあるのだろうけれど、今はその喜びを噛み締めていた。


「俺もうかうかしてられねぇな。お前さんたちに負けねぇように気張るぜ」


 などと言って、天麩羅をジュワリと揚げている勘助にじゅんもうきうきと浮かれながらうなずいた。


「勘助さんに勝つにはどれくらい売ったらいいのかしら? いつかは追い抜きたいわ」

「おお、言ってくれるじゃねぇか」


 勘助の天麩羅はいつも美味しそうだ。お使いついでの奉公人や、体面を気にする武士でさえ匂いにつられて耐えきれず、手ぬぐいで顔を隠しながら買っていく。じゅんも腹が減ってくると生唾を呑むほどだから。


 見世を続ける以上、目指すところは高い方がいい。この広小路で一番売り上げて源六親分をびっくりさせたいと、じゅんはふやけた顔をしながら客あしらいを続けたのだった。


 そんなふうに浮かれているから、神様はじゅんに呆れてしまったのかもしれない。

 あの頃の自分はあまりにのん気だったとじゅんが気づくのはもう少し後のことである。

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