第5章 「かつて人間だった妖怪達へ…」
血生臭い霊臭に、騒々しいラップ音。
オカルト現象の坩堝と化した私の部屋に、ソイツがとうとう現れたんだ。
「足、いらんかね?」
「うっ!?」
心の準備はしていたけど、いざ現物と御対面すると血の気が引いちゃうね。
もんぺに頭巾という装いは農家の御婆さんって感じだけど、背負ったカゴの中身が最悪だったよ。
白くて細長いフォルムは大根に似ていたけど、それは付け根から切断された人間の足だったんだ。
この御婆さんこそ、足売り婆さんに間違いないね。
「足、いらんかね?」
嗄れたフガフガ声が、再び私に問い掛けてくる。
ここで対応を間違えたら、大変な事になっちゃうよ。
「足、いらんかね?」
「この通り、私は間に合っています。その足は、これから現れるテケテケにあげて下さい。」
湧き上がる恐怖心を懸命に抑え、私は教えられた通りに応対した。
もしこれで失敗したなら、真っ先に鳳さんに祟ってやるんだから!
すると、足売り婆さんとは別種の怪しい気配が、私の部屋に漂い始めたんだ。
「私の足は…何処?」
紺色のセーラー服を着たショートカットのお姉さんが、私達二人を虚ろな目で見つめている。
両足を失ってフワフワと空中に浮かぶ姿は、円山応挙の描く幽霊画を思わせたね。
足売り婆さんとテケテケ。
足に纏わる現代妖怪の両雄が、今ここに邂逅した。
そんな彼女達の歴史的対面に立ち会う事になった私だけど、これは果たして誇るべき事なのかな?
「私の足は…何処?」
「おうおう…あんたがテケテケかね?」
やがて互いの存在を認識し合った二体の妖怪は、部屋の片隅に寄り合って何やら相談を始めたんだ。
「足、いらんかね?」
「私の身体に合った足があるのなら…」
どうやら、妖怪達の間で交渉が纏まったらしい。
それから起きた出来事は、きっと生涯忘れられないだろうね。
背中のカゴに手を伸ばした足売り婆さんが、真新しい鮮血を切断面から滴らせる二本の足をガシッと掴み、テケテケの下半身にあてがったんだよ。
「動くんじゃないよ…手元が狂ったら一大事だからね。」
「はい…」
私の側からは足売り婆さんの背中しか見えないけど、ゴリゴリという生々しい音だけは嫌でも聞こえてきたね。
やがて足売り婆さんが満足そうな微笑を浮かべて立ち上がると、そこには彼女が丹精込めた仕事の成果が残されていたんだ。
新たな両足を得た紺色のセーラー服姿は、思っていたよりも長身だった。
青白い顔は相変わらずだったけど、虚ろだった両目には精気が蘇り、表情にも晴れやかさが感じられたよ。
「やった…やっと足が戻ってきた…」
歓喜に満ちた朗らかな声には、初対面時の陰々滅々とした雰囲気なんて微塵も残っていなかったね。
そうして五体満足の姿に戻れた事で、長い間抱えていた無念の思いが綺麗サッパリ解消されたらしい。
紺色のセーラー服を纏った肢体が音も無く空中に浮かんだかと思えば、次の瞬間には眩い光に包まれていったんだ。
いや、あの光はテケテケの身体其の物から発せられているみたい。
白い光はみるみるうちに明るさを増していき、光源となったセーラー服姿の輪郭を溶かしていく。
だけど、光の中に滲んでいくお姉さんの表情に苦悶の影はなかった。
そこにあるのは、穏やかな幸福を享受する安らかな微笑だけだったんだ。
「ありがとう…これで私は、やっと…」
やがて、安堵に満ちた感謝の一言を残すと、かつてテケテケと呼ばれたセーラー服姿は、白い光の中へ溶けるように消えていったんだ。
「あんた、良い功徳をしたね…」
後ろから聞こえてくる、嗄れたフガフガ声。
さっきまでテケテケがいた空間を呆然と見つめていた私は、その声で我に返ったんだ。
「あんたのお陰で、あの子も浮かばれたよ。私だってそうさね…人様に足をあげて、喜んで貰える事があるなんてさ。」
この足売り婆さんも、初対面時と比べたら別人みたいに様子が変わってしまっている。
皺だらけの顔に浮かぶ微笑には妖気の欠片もなく、日当たりの良い縁側がよく似合う牧歌的な純朴さが感じられたよ。
先程まで漂っていた生臭い血臭なんて、今じゃ少しも感じられないよ。
背負ったカゴが空っぽになっているのだから、それも当然かな。
切断された人間の足さえなければ、足売り婆さんも平凡な田舎の御婆さんだよ。
「冷害で破産して首を括ったのは、明治が終わってすぐの事だったかねぇ…御国を恨んで、人様を恨んで…そうしているうちに、私は人の道を踏み外してしまったのかい…」
社会科の授業で習った事だけど、大正時代の初期には冷害に起因する大凶作が起きてしまい、破産する農家さんも少なくなかったらしいね。
この足売り婆さんも、そんな農家の御婆さんの成れの果てだったんだろうな。
「御婆さん…」
「あんたには怖い思いをさせて済まなかったねぇ…だけど、あんたのお陰で私も人間らしい心持ちで逝けそうだよ。犯した罪に関しちゃ、償わなきゃならないだろうけどね…」
そして足売り婆さんもまた、光に包まれて消えてしまったんだ。
さっきのテケテケと同様の、憑き物の落ちたような穏やかな微笑みだけを残してね。